あなたの幸せは地球の幸せ

こんにちは。
ドラマセラピスト/心理カウンセラーの中野左知子です。


ドラマセラピーは、自分に与えられた人生を
「自分が主役のドラマ」ととらえなおし、
そのドラマをもっと魅力的にするためのセラピーです。
このブログに来てくださり、ありがとうございます。


このブログでは、私の本
「運命の人はいくつになっても現れる!
恋愛ドラマセラピーで35歳からの理想の結婚を手に入れる」

「ドラマセラピーで40代から人生のヒロインになる
 ーあなたの中の美人が目覚める」


で書いていることや、
私が考えていること、
ドラマセラピーや声のワークなど
私がやっているワークのご紹介をしていきます。



本の中で疑問に思ったこと、
提案しているワークやエクササイズで
うまくできないで困っていることなどの
ご質問に対する答えも書いていきます。

ご質問やご意見などは、お手数おかけしますが、
すべて私のHPのお問い合わせから
ご連絡ください。


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私の本が発売中です!


運命の人はいくつになっても現れるー恋愛ドラマセラピーで35歳からの理想の結婚を手に入れるー/
中野左知子

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  • 23May
    • 子どもをうめることが、結婚できる条件ではない

      こんにちは。ドラマセラピストの中野左知子です。以前見た映画の中で妊活を2年もしているのに、なかなか子どもができないと嘆く女性に対して、主人公の男性が、こんな言葉を言っていました。「でも、あなたとポール(夫)はすごく愛し合っているじゃないか。子どもができることよりも、夫婦が本当に愛し合って幸せでいられることの方が、ずっと、すごい奇跡なんだ」 私によせられる相談には、「子どもがうめなくなると困るから、はやく結婚しなくちゃ」と焦る声や、「もう、子どもは見込めないから、結婚も諦めなくちゃいけないのかも。そうじゃないと、相手にも悪いし・・・」という諦めの声がよくあります。子どもをうみたいと、願う方なら焦るのも当然かもしれません。でも、子どもがうめる、うめない、ということと結婚ができるか、できないかは、関係ないと私は思います。あくまでも、結婚はパートナーシップを学ぶ場所です。ひとりで生きるのではなく、誰かと一緒に人生を歩むことは、楽しいだけではなく、努力も必要です。子どもがいるからなんとか結婚が成り立つ、としたら、その夫婦は、ふたりの基本の学びにちゃんとのぞんでいない、ということにもなるでしょう。子どもがいても、いなくてもふたりの人間が、ともに支え合い、成長していくことは素晴らしい学びになります。その学びをしたい、と思う人に必ず結婚は訪れます。子どもができることを「授かる」といいますね。この言葉、素敵だなあと思います。「授かる」は、「神仏や目上の人から、お金では買えない大切なものを頂く」という意味だそうです。そう考えると、子どもがもてるか、もてないかは、私たちの年齢だけが決めるのではなく、もっと大きな存在が決めることなのかもしれません。それなら、子どもがうめるかどうかも、年齢だけを基準にして、自分の思い込みで決めつけるのではなく、天に任せてしまった方がいいですよね。人間の身体は、本当は限りない可能性を持っているはずです。基本は神様に任せるとしても、人間側ができることもあるかもしれません。子どもを持ちたい気持ちがあるのなら、ただ結婚を焦るのではなく、婚活中にも、女性として、自分の身体を大切にするだけでもきっと結果は違うはずです。私の知り合いには45歳で妊娠、出産された方がいます。しかも、初産です。彼女は妊娠中、まったく何にも問題なく過ごし、安産で、とってもかわいくて利発な女の子をうみました。こんな人だっているのです。パートナーシップを学ぶため、愛を育むことを学ぶための結婚をする、と考えたら、少し焦りや諦めはなくなるでしょうか。ぜひ、自分のための、幸せな結婚を見つけてほしいと思います。特に相手に悪いから結婚は諦めなくちゃ。。。とか、やっぱり、若い人の方がいいんだろうな。。。と悩んでしまう方には、私の新しい本を、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。このテーマについても書いています。今日もお読み頂き、ありがとうございました。あなたのドラマがもっと素敵に輝きますように。私の本が発売中です!こちらの本の中にも、同じテーマのことを書いています。ドラマセラピーで40代から人生のヒロインになる-あなたの中の美人が目覚める-/じゃこめてい出版¥1,404Amazon.co.jp

      40
      テーマ:
  • 21May
    • ベジタリアンになることと、教育問題

      先日7割ベジタリアンについて書いたけれど、実は、こういう食事をしている人にはすでに名前があるのだと知った。それはフレキシタリアン。日本語訳もあった。準菜食主義。知らなかったけれど、こういう食生活を提案している人は、欧米の若い世代を中心に増えているらしい。最近色々リサーチするようになって知ったのだけれど、先進国では毎年人口の1.2%の人がベジタリアンになっていて、15年後には人口の40%がベジタリアンになると予想されているという。(どこでみた記事かわからないので、見つかったらまたアップします)この場合、先進国に日本は入っていないと思う。欧米のことを言うんだと思う。環境保護を考えたら、ベジタリアン、ヴィーガンになることがいいのだろうと私は本気で思っているのだけど、そうやって考える人が増えていくってことよね。特に若い世代から変わっていくような気がする。それはファッションとかじゃなくて、これから大人になっていく、若い世代のほうが、私は魂レベルが高いんじゃないかなと思っているから。そこに教育問題が、大きく関係すると思う。先日テレビで不登校をきっかけにyoutuberになった男の子のことが取り上げられていて、それについて、いろんな人が賛否両論、いろんなことを言っていた。誰もがいろんな意見があることがいいと思うから、反対派、賛成派、どっちも大事な意見だと思う。でも私は「やっぱり学校は行くべきだ」という意見について「なぜ?」という理由もちゃんと考えたいと思う。そこであげられていた理由は人間関係を学ぶためというのが多かった気がする。うん、それには私も賛成。私が娘を学校に入れたいのは、友達を作るため、友達との関係の中でいろんな経験をして欲しいから。でも、「勉強のため」という点はどうかなあ???私は欧米の教育の方が絶対的にいい、と言っているわけではない。でも、日本の教育に関していえば、みんなと同じになること、正解をちゃんと答えること、先生の言うことを聞くこと、教科書に書かれていることを正しいと信じることに重きが置かれているような気がしてならない。ベジタリアンになることと、教育問題は関係ある、というのはね。社会問題、地球の環境問題を本気で、ちゃんと学ぶことで、環境保護のためにベジタリアンという選択をする人が増えるのだと思うから。でも日本では、そんな大切なことをちゃんと学べるとは思えない。例えば給食。自分たちが食べているものが、一体何で、なぜこんなにも添加物が使われているのかとか、農薬が使われているのかとか、どこの国から来ているものなのかとか、そういうものを何にも知らないで食べているわけでしょ。こういう身近なところから学びは始まるはずなのに。私は、学校に行ってはいたけれど、何のために勉強するのかさっぱりわかっていなかったので、成績は大変悪かった。中学受験をすることにしたため、試験に受かる勉強はしたけれど、中学に入ったとたん、ビリから数えた方がよさそうなくらい成績が悪かった。進学校だったので、同級生は真面目に勉強していたけれど、私は自分が将来使いたいであろう英語の勉強以外、全く興味が持てなかった。ビリにならなかったのは英語のおかげ。高校の後半になり、この場所から抜け出て世界に出ていくためには、(そして先生に文句を言われないためには)、勉強をしたほうがよさそうだと理解して、受験勉強を始めたら、今度は、まあまあ成績が良くなって、周囲も驚いていたみたいだった。それでも勉強することの意味はやっぱりわからなかった。本当は、私たちがなぜこの世に生まれて生きていて、この世界はどんな場所で、これから私たちはどう生きるべきか、というとても重要なことを学ぶべきなんだと思う。先生とも本気で向き合って、自分が願う人生を作っていくために、いっぱい考えたり、挑戦したりできるのがいいと思う。そもそも、なんで勉強しなくちゃいけないの?ということについてもとことん考えて、自分なりの答えを出して。そうやって、ちゃんと学んでみると、食の問題にも気づいて、ベジタリアンの食生活のほうがよさそうだとか、私たちと同じように体の健康も考えて、時々は肉食も必要だとフレキシタリアンという選択をする人が増えるのではないかな。幸い、この時代、どこにいてもいろんなことをいろんな人からネットを通じて学ぶことができる。だから学校では、特に「勉強」をする必要なんかないのかもしれない。ただ教科書に書かれたことを暗記したり、先生が言ったことを正しいと思ってしまうのではなく。それよりも、自分が興味を持ったものについて研究してみたり、アートやドラマなどを体験して、精神的な関わり合いを友達と持てるような時間を過ごしたりすることが重要になっていくと思う。自分で考えて、自分の心の興味に従って、学びを深め、芸術を楽しみ自分を表現する時間を増やす。想像力を使って、創造性を育てる。そういう学校が増えることで、本当の意味での学びができて、世界を変える若い世代が増えていけるのだと思うの。そのためには、やっぱり日本の教育が変わってほしいと思う。アインシュタインが言っている。「問題は、それを作った意識状態のままでは解決できない」だから、私たちの意識を上げなくては、問題は解決しない。地球にはたくさんの解決されるべき問題があるけれど、私たちが今のままでは、何にもできない。解決するためには、「今まで通り」や「普通」のままではいけないのだと思う。学校行きたくない、と子どもが言ってきたら、それは、学校を変えるべきだというサインだと思う。ただ、「学校はいったほうがいい」という安易な答えは、何も考えていない答えだと思うの。教育についての問題、ちゃんと考える大人が増えることで私たちの意識は上がるはず。静岡には、「あたらしい学校」というものができた。こういうオルタナティブスクールができると多くの人が、そこにいるのは「不登校の子」とレッテルを貼りたがる。普通とは違うものだからね、「普通の学校に行けない子」として扱いたくなるのよね。普通が好きだから、みんな。でもね、不登校と勝手にレッテルを張るけれど、今の学校教育に合わないと感じる子どもたちはどんどん増えていくと思う。(気づかずに、学校に我慢して通っている子も、楽しいと思いながら学校に通っている子も、みんな本当は自分にあった教育を求めていることには変わりないけれど)それで、他に選択肢がなくて、学校に行かないだけなんだよね。行けないのではなくて。この学校は、不登校の子のための学校ではない。この学校は、教育問題を真剣に考えた大人たちが、子どもの未来のために作った「あたらしい」学校なんです。未来のために、少しでも意識を上げられるように大人も学び続けなくちゃね。今日もお読みくださりありがとうございました。

      23
      テーマ:
  • 19May
    • 癒しは、その人の内側からしか、始まらない。

      以前私は、カウンセリングやドラマセラピー、そのほかの心理療法、とにかくなんでも、心を見つめる療法は、「すごいものなんだ!」と強く信じていた。だから、誰もが何かのセラピーをちゃんと受ければ、きっと変われる、きっともっと幸せになれる、と信じていた。私自身もそうだったから。ドラマセラピーを学びにアメリカに行った時、大学院で強調されていたのは、自分自身のセラピーで、まずは自分を癒さなくては、誰のことも助けられないと教えられていた。セラピストとして仕事し始めてもスーパービジョンなどで、何かしら自分の問題と絡んでいるものが見えると、即、自分のセラピーでちゃんとしなさいねということになる。セラピーをがっつり受けるようになり、自分がどれほど自分を嫌いなのか、自分を責めてきているのか、どうして人間関係がうまくいかないのか、それらをとことん見つめた結果、私は随分と楽になれた。成長できたと思う。セラピー受けてなかったら、私は傷だらけなのに全く気づいていないまま、痛々しく生きていたことだろう、と思う。だから、セラピーってすごいのよ!精神的に何かの病がある人のものではなくて、この世に生きる全ての人にとって有効!と信じ込んでいたと思う。実際に、普通に暮らしているようだけれど、みんな何かしらの心の傷を抱えているように思えるし、それほどみんな人間関係がうまくは見えない。だから、多くの人が心の癒しは必要だとは思う。でもセラピー、カウンセリングが役に立つのは、「自分を癒そうと決意している人」だけに限るんだということを、セラピストとして仕事をするようになり、ますます実感するようになった。そもそもセラピーって魔法じゃないから。以前、お金払ったんだから、早くさっさと私の問題解決してよね!と言われたこともあるけれど、そういうことじゃないのよね。自分の傷を見つめ、それを癒そうとする意思がとっても必要。セラピストなんて、ねえ、そこ痛くない?傷が見えるよ、ここ傷みたいだよ?と教えたり、こうするとよくなるんじゃない?という提案をしたり、その人の真の姿を指摘したり、励ましたりするような存在でしかないのだから、代わりになとかしてあげることはできない。思えば、「セラピー、受けてみたらどうかな?」と私から提案してしまった人は、あまりうまくいかなかった。自分から受けたいと連絡をくださった方でも、これ以上無理、というところでやめられることもある。以前のクライエントさんが、もう一度カウンセリングをしたいと最後に会ってから、2年くらい経った後に連絡をくれた。彼女はたくさんのトラウマを抱えた人だった。本当はきっとそれを乗り越える強さも持っている人だと私は信じていたけれど、彼女は、被害者の自分でいることを好んでいるところがあった。私ってかわいそうでしょ?そういう彼女を、慰めてくれる彼がいたりするから、彼女にとっては、被害者であることは心地の良い場所だったのだと思う。それでも彼女は、夢があったりして、それに向かいたいと思うところもあったので、カウンセリングでは、被害者の自分とお別れすることを何度も一緒に考えた。でも彼女は、なんだかよくわからない理由で、カウンセリングを辞めてしまった。そんな彼女が戻ってきてくれて、私はとっても嬉しかった。きっと、準備ができたんだ、と思ったから。でもやっぱり彼女は、「私にはカウンセリングは必要ないと思う」と言って、セッションを辞めてしまった。まだ無理だったのかもしれない。でも彼女は言った。私は、やっぱりこのままがいいんです。かわいそうって人から思われたいし、そのほうがモテると思うから。それでいい。彼女がそれを選択するのであれば、仕方ない。やっぱりセラピーってその人の内側からしか始まらないんだな。なんだかそのことをもう一度教えてくれるために彼女が現れたみたいに思えた。だから私は、セラピーやカウンセリングが誰にでも有効だと勘違いしてはダメだ。そして私には人を癒すという力なんてなくて、その人が自分を癒すと決めた時、ほんの少しだけ役に立てるかもしれない、小さな存在だということを忘れちゃいけないね。全ての人間関係はレッスン。彼女は私にそのことを教えてくれる人だったのかもしれない。でも私は、あなたが夢見ていたシンデレラになれることを心に描いてお祈りしているね。ありがとう。今日もお読みくださりありがとうございました。

      24
      テーマ:
  • 18May
    • 私には親友がいないと悩んでいた高校生の私へ

      私は、今までにイギリスとアメリカとポーランドに住んできた。そしてそのどの国でも、大切な友だちに出会った。彼らは今でもフェイスブックなどのSNSでつながっていられるけれど、簡単には会えない。イギリス時代に出会った親友は、イギリス以外だと、イタリア、エジプト、フィンランドにいるし、アメリカで出会った親友の中には、香港に住んでいる人もいる。ポーランドで出会った親友の中には、今はカナダに住んでいる人もいる。だから、私の大好きな友だちは、世界中に散らばっている。それはとっても素敵なことだけど、どこでもドアはないから、簡単には会えないし、日本人の友だちなら、日本でも会えるかもしれないけれど、それぞれの国に住んでいる友だちには、積極的に会いに行かない限り、簡単には会えない。それに、考えてみれば、子どもを産んでからますます、日本の友だちにさえあまり会えていない。しかも子どもを介して、新しい友だちもできていく。もちろん、ママ友は、親友たちとは違うけどね。。。今はこんなにたくさんの大好きな友だちがいるけれど、私はずっと孤独だった。20代前半まで、私は「私には友だちがいない」と悩んでばかりだった。友だちに好かれているとは思えなかったし、私なんていなくても、別にどうだっていいだろうと思っていた。親友という言葉にずっと憧れていたし、簡単に使える言葉ではなかった。だって、親友と私が思っていても、相手はそう思ってくれないかもしれないから。ドラマや漫画によると相当楽しそうなイメージがあった高校時代は、私は特に楽しくなく、誰にも好かれていないと思い、本当に自信がなかった。恋愛どころか親友さえいない私は、孤独な存在だった。自分に自信がなかった私だけど、心から、本当に親友と呼んでいいと思えたのはフランチェスカだった。大学2年の時にフランチは出会った。寮の隣の部屋だったフランチと廊下で会った、あの時を今でもとってもよく覚えている。あの日、フランチが、今日の夕食一緒に食べない?と聞いてくれて、私は、喜んで OKした。その日から私たちは、めちゃくちゃ仲良しになった。フランチがいなかったら、私はイギリスの大学を、どうやってサバイブできたかわからない、と思うくらい、フランチは私にとって大きな存在だったし、フランチも私をとても大切な友だちと扱ってくれた。フランチとの時間は、もうめちゃくちゃ楽しかった。フランチには出会えたけれど、私の自信は全くないまま。20代の後半で、ドラマセラピーを学ぶまで、やっぱり人に嫌われている、私には友だちがいないといつもいつも、思っていた。セラピーを学ぶようになりようやく気づいたのは、私が自分のことを大嫌いで、自信がなくて、いろんなことで自分を責めてばかりいて、だからこそ、人から嫌われていると思っていた、ということ。そして、誰よりも自分が自分の親友にならなくては、たとえ、いい友人ができても、本当に安心することはできないということ。フランチは私にとってはとても特別な存在で、私のことを嫌っている、ということを一ミリも思わずにすんだけれど、それ以外の友だちは、しょっちゅう顔色を伺っていた。相手の言葉を勝手に深読みして、私のことを嫌いだと言っているのかもしれない、と思うこともあったと思うし、私と一緒だとつまらないだろうなと思ってばかりだった。でも、自分が自分のことを大切にできるようになってから、私には友だちっていたんだ!と思えるくらい、友だちが帰ってきてくれたように感じた。それこそ、私の恋愛がうまくいかないのはこんなにも大好きで一緒に遊ぶのが楽しすぎる友だちのせいではないかと思うくらい、私は恋人のようにデートばかりしている親友になっていた。それでも、私の人生の流れとともに、場所や精神的な変化があり、今までのように会うことができなくなったり、付き合い方の質が変化してしまい、悲しい気持ちにもなったりする。フランチとも、ずーっと会っていない。メールだって、1年に1回とか2回程度になっている。フレンドシップの形は変化するけれど、ずっと悩んできた高校生の私は、私がこんなにも素敵な友だちに出会えていくことを全然想像もしていなかったと思う。そして、残念ながら、親友っていたんだ、と楽しい時間を過ごしてきた大人になった私も、人生の変化とともに、友情のあり方も変わることを考えたことはなかった。でも、私が私と親友でい続けることで、私はいつだって、最高の友達がいることを知ることができる。それに、人生の変化とともに、またそれぞれの時間の過ごし方が似てきて、一緒に遊べるようになることも知っている。自分の親友には、まずは自分がなること。自分を認めて、自分のいいところをちゃんと知っておくこと。そして、何かあっても、自分を責めすぎずに、自分の味方になってあげること。これができれば、大丈夫だよって、高校生の頃の自分に教えてあげたいな。今日もお読みくださりありがとうございました。

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      テーマ:
  • 16May
    • 7割ベジタリアンという生活の提案

      4月22日のアース・デイは私の誕生日。ちょうどそれよりも1ヶ月前あたりから、なんとなく、お肉、食べたくないなあーという気分になっていた。そんな4月22日の朝、夫が『サステイナビリティの秘密』というドキュメンタリーを見て、ヴィーガン生活にしたほうがよさそうだと言ってきた。そのことについてはこちらのブログに書いています。<br>地球の日に、そんな話がされるなんて、なんだか地球のメッセージみたい・・・!でもやってみたい!お肉を食べたくなくなっていたのでちょうどいい。実は、私はベジタリアンという人たちに対して、ちょっとコンプレックスがあったと思う。世界中のスピリチュアルリーダーたちの多くがベジタリアン、もしくはヴィーガンのイメージがあるし、それができる人たちは、なんだか精神的に進んだ人って感じがしていたから。大好きな「アミ」の本のどこかにもそんなことが書いてあったような気がするし。そんなところで、ラーメンもお寿司も大好きな私は「いいのよ、私はどうせ精神的レベルはまだまだだわ」と言いながら、引け目を勝手に感じていた、というか。もともとお肉が大好きなわけではないけれど、食べれば美味しいと思う時だってあるし、お寿司はやっぱりめちゃくちゃ大好きだし、人類の歴史を考えたら、動物や魚を食べないことも不自然なことのような気がするし。そんな私が、急にお肉を食べたくなくなったのだから、なんだか地球のメッセージかしら!?とちょっと思い込んでいるところ。とは言っても、私は完全ベジタリアンではない。健康のためにも、週に1回の夕食にははお肉、お魚を食べているので、そもそもベジタリアンではない。カツオのお出汁だけは、絶対に無理だし。それを感覚的に7割ベジと呼んでいる。ベジタリアン、ヴィーガンダイエットを続けることで、健康的にも良くないという記事も目にするし、実際のところ、私たちが7割ベジを決めたのは、地球の環境保護のため。体のためではない。ドキュメンタリーでは、完全なヴィーガンを勧めているようなインタビューも出てくるけれど、環境保護のために全員がそうなる必要もないし、それが本当に人間の健康にとっていいのかもわからない。ベジタリアンとかヴィーガンて、ファッションや流行のように捉えている人もいるみたいけれど、実践者は絶対に流行に乗ってやっているわけではないと思う。食生活を変えることは、弱い人間には簡単には無理だ。意思と好みが一致しなければ、絶対に続かない。今のところは起きていないけれど、私だって、急にふと肉食べたいー!になりかねないと思う。簡単なことじゃない。だから完全ヴィーガンを勧められたら、実践できる人は少ないはず。でも7割ベジになる人が増えることは、全体的に、肉や魚の消費を減らすことのつながるから、環境保護のためになると思う。だから、こうやって書くことで、少しでも肉や魚を減らすことを、頭に入れてもらえたらいいなーと思っている。もしも本当に40年後、私たちが知っている魚が海から姿を消してしまったら、私はひ孫に大好きなお寿司を食べてもらえなくなってしまう。そんなの嫌だもの。日本食には魚が重要だ。日本の食文化がユネスコの文化遺産に登録されたって、40年後に維持できなくなっているのであれば、幻になってしまう。守れないのに、文化遺産とか言って喜んでいる場合じゃない。だから、それを守るためには、ちょっと意識を変えたほうがいいんだと思う。お寿司なんて、もともと毎日食べるものではないから、100円とか言ってないで、命の値段がちゃんと示され、時々贅沢のために食べられるものに変わってくれたら、環境は守られるはず。(ちなみに、私は妊娠して100円寿司をやめたのだけれど、3年後にたまたま実家で、買ってきたものを出されてしまって、ちょっと食べたら、味がおかしく感じて、即口から出してしまった。全部ではないけれど、ちょっと何かがおかしいのかも?)ベジ中心になって最初にびっくりしたのは、食費がもっとかかるようになったということ。つまり環境を破壊する原因となるほど、たくさんの肉が生産されている裏には、肉を過剰摂取する人間のため、それを安く提供するというおかしなことが起きているのだと思う。ハンバーガーひとつのために、たくさんの水が使われているのに、ハンバーガーの値段は安すぎる。発展途上国のペットフードの缶詰工場で、先進国の猫たちが食べる魚を詰めている従業員たちは、魚さえ食べられない、、というのもどこかで見た記憶がある。もしも私たちが、適切に命に対してお金を払い、命を食していたら、こういうおかしなことは起きなくなるのかな?と思う。世界中の先進国の人たちが、7割ベジタリアンになってくれたら、畜産業の方々も、適正価格で、健康なお肉をうることができるのでは?と。そんなわけで、7割ベジ、続けたいと思います。偉そうなことを書いてしまいました。。。読んでくださりありがとうございました。

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      テーマ:
  • 14May
    • 自分を変えたいのなら

      今の自分が嫌いだから、自分を変えたい。もっと明るくなりたい。もっと前向きに人生を生きたい。もっと自信を持ちたい。そんなふうに自分を変えたいと言う人はたくさんいると思う。だから、何か辛い時に、無理やり明るく考えようとしたり、怒りがあるのに、一生懸命笑顔になろうとしたり。自分がなりたいと思う姿を目指して、みんな頑張っているなぁと思う。でも、自分を変えるために一番重要なことって、結局今の自分を認めてあげることじゃないかなと思う。私って性格悪いんだ。だからもっと優しくならなくちゃ。だから怒っちゃいけないんだ。内側から出てくる悲しい気持ちや怒りを無視して、優しくなろうと頑張る。そうやって一生懸命自分を変えようとすればするほど、もっと苦しくなっちゃうんじゃないかな。だって、結局自分を変えようとすることは、今の自分を否定し続けることになってしなうから。矛盾しているように聞こえるだろうけれど、今の自分を変えたいのなら、今の自分をあるがままに受け入れてあげることが結局早道なんだなーとクライエントさんたちと向き合いながら、いつも思う。優しくなりたいと思う気持ちがあるってことは、本当に優しいから。それで十分。どうしても湧いてくる怒りや悲しみを無視する必要はない。心が変わっていくプロセスには順番がある。怒りや悲しみを認めてあげてはじめて、じわじわと本当の優しさがこみ上げてくるようになる。だから、自分を変えるためには今のままの自分をちゃんと認めてあげてぎゅっと抱きしめてあげることが重要。怒ってもいいよ。泣いてもいいよ。今のままの私でいいよ。って。自分が自分を認めてあげられるようになると、その「性格の悪い部分」が癒されて、内側から変化が起きる。だから、変わるために、もっと自分を好きになるために、今のままの私でいいよって言ってあげよう。カウンセリングを受けている方や、一生懸命自分と向き合っている方に、このブログを送りたいなと思います。今日もお読みくださりありがとうございました。あなたのドラマがもっともっと素敵に輝きますように♥私の本が発売中です! ドラマセラピーで40代から人生のヒロインになる-あなたの中の美人が目覚める- Amazon 運命の人はいくつになっても現れるー恋愛ドラマセラピーで35歳からの理想の結婚を手に入れるー Amazon

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      テーマ:
  • 12May
    • 想像を使った遊びは、子どもを癒す一番の方法

      娘と、二人でカフェごっこをしていたときのこと。お茶を作ってくれた娘が、お砂糖ではなく、お茶にお塩を入れてくれた。え、お塩なの?お砂糖じゃないの?と私が驚いて笑うと、娘は、えっ、間違えちゃった!と慌てて笑った。でもその笑顔に、一瞬恥ずかしさと戸惑いがあったのがすぐにわかった。そうよね、ごめんね。知らなかったよね。私たち、普段、紅茶を飲むときもお砂糖なんて入れないよね。そもそも、お砂糖を入れるところだって、見たことなかったよね。私は娘に謝った。あなたは何にも間違えてないよ。自分の知っている世界で、想像力を使って遊んでいたのよね。知らないことは悪いことじゃない。それに想像の世界なら、お塩入れたって、いいじゃない?私は、お塩を入れて飲んでみることにした。これもこれで、悪くないよね。想像の世界だもの。その後私たちは、お砂糖とお塩のテイスティングをして、お茶を甘くして飲みたかったら、お砂糖を入れるんだよと教えた。私は、子どもが、とても些細なことで傷ついてしまうことを知っている。そしてその記憶は、闇の中に埋もれてしまって、小さな自信のなさに繋がっていく。仕事の中で、無意識の領域を扱うようになり、ますます小さな傷がこうやってできていくのだということが理解できるようになった。そういえばシャーマンワークでも、同じように、とても小さな出来事で、結局忘れてしまうようなことが、傷となって残って私たちに影響を与えることも学んでいた。私は絶対にこの傷を防ぐことはできない。気づかないうちに、傷つけてしまうことだってあることもわかっている。気づいていても、どうしても自分の弱さから、傷つけてしまうことだってある。親だって、完璧じゃないから。でも、それでも想像の世界や会話を大切にしながら、できる限り、傷ついた心を癒すことができるように、大切にすることはできる。ディズニーランドに行った次の日、「たのしかったね」と娘に言うと、娘は即「うん、また行こう!」というお返事。2泊3日のディズニーは、楽しかったけれど、疲れていた大人の私としては、びっくりして「え!!もうまた行きたいの!?」という反応をしてしまった。その反応を敏感に察知して、娘は「え、ううん、行きたくない、いきたくない!」と言うお返事。またやっちゃった。娘は私に気を遣ってくれていた。きっと、私に嫌われないように、私が笑顔になれるように、自分の思いを否定した。ごめんね。「ごめんね、また行こうね。いいんだよ、行きたいって言って。私はすぐにまた行きたいって思ってくれているとは思わなかったから、びっくりしただけだよ。うん、また行こうね」娘は安心して、うん、行こう!と言ってくれた。娘の世界は、まだまだ小さくて、私の反応次第で、大きく変わってしまう。だから、大好きなママが、自分の言葉によって、悪い反応を示したら、自分が悪いんだと思って、恥ずかしい気持ちがしたり、自分を責めるようになってしまうのかもしれない。あなたが感じることは、それでいい。あなたが想像することは、それでいい。そうやって、娘が想像したものを、一瞬間違ってしまったとしても、丁寧に受けとめ直していく。もういっぱい傷つけてしまう経験もさせているとは思うけれど、それでもあなたはあなたのままでいい。それを伝えられるようにしていたいなと思う。そういう意味では、遊びは最適なツール。色々失敗しちゃっても、子どもは、自信をつけるために、自分の思いを癒すために、いっぱいいっぱい遊びを使う。そこにとことん付き合う時間を持って(ずっとは無理だものね)子どもが出してくれる想像の世界を絶対に否定しない。正さない。その世界に一緒になって入っていく。想像の世界は、その人にしかできないイメージが生まれる場所。それを受け入れることは、その人そのものを受け入れることになる。そして、あなたはそのままでいいんだよということを感覚的に伝えることができる。日々の失敗を埋めるためにも、今日も私はいっぱい娘と遊ぶのです。今日もお読みくださりありがとうございました。

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      テーマ:
  • 11May
    • 私たちは、本当に歌って踊る生き物だ

      娘は、即興で歌を作って歌い出す。そして踊る。曲も詩もなんだかめちゃくちゃだけど、自分で作った歌を誇らしげに、これ私が作った歌よ、と言って何度も歌う。このめちゃくちゃを再現できるところを見ると、ちゃんと分かって作っているらしい。娘が作る歌には、うんこの歌もあるし、大好きな幼稚園の先生へのお歌もある。そして私のシャーマンドラムを出してきて、まるでシャーマンのメディスンメロディみたいに、何か単調な音を出し続けて、歌う。子どもの頃は、いろんなスピリットとも繋がりやすいから、メディスンメロディが、本当に降りてきていたりして。妊娠中、私はシルビア・ナカッチのヨガオブボイスのリトリートに通訳として参加した。シルビアとともに歌い続ける4日間。自然の中で、とっても気持ちのいい時間だった。娘はお腹の中にいた時に、その体験をしていたのかな。ドラマセラピーもたくさんやっていたし、胎教なんて、友達からせっかく本をプレゼントしてもらっていたのにめんどくさくなって結局できなかったけれど、ヨガオブボイスとドラマセラピーは、私が唯一娘にできた胎教だったのかもしれない。他の子どもを知らないので、みんながみんなそうなのか、全くわからないけれど、娘は、とにかく歌と踊りとドラマ(ごっこ遊び)が大好き。何か新しいことを体験するとそれをを何度も何度も再現ドラマにする。気に入った映画は最初から最後まで、演じ直す。まるで北島マヤだ。と言っても、2歳児、3歳児のすることなので、限りなくはしょられていて、ものすごく短いダイジェスト版だけど。そして親バカの私はえ、この子将来女優さん?と思っている。ベイマックスなんて、何度も演じていたので、ベイマックス役の夫は大変だった。ちなみに私はゴーゴー役なので、割と楽。娘を見ていると、これが人の本来の姿なのかなーと思ってしまう。ドラマセラピーも子どもに返ったように遊ぶことがキーとなり、色々な気づきを得たり、個人の癒しにつながっていく。ヨガオブボイスも、自分の声が、喜んで羽ばたくことができるような場所だ。歌って、踊って、遊んでいれば、私たちは本来の自分と繋がれて、そして自分らしく生きることがしやすくなるのじゃないかな。ヨガオブボイスで私が一番好きなのは、サンスクリット語やどこかの他の文化の言葉で歌うこと。意味はわからなくてもいい。でもその歌のエネルギーとつながると、視界が広がり、声が羽ばたき、とにかく気持ちのいい体験になる。この写真みたいに気持ちいい。シルビアは、次から次へと歌をうたい、私たちはそこについていく。飛び方を教えてもらうみたいに。子どもの頃、飛び方を知っていたのに、急に怖くなってしまった大人は、遊ぶことも、歌うことも、踊ることも躊躇してしまう。だから、思い切って飛び立つことができるのは、飛び方を知っている大人に出会うことが一番いい方法。歌いたいのに、人前で歌うなんてこともできず、そもそも自分の声に自信も持てなかった私が、歌という世界で決して上手くはないのに、楽しげに歌えるのは、シルビアに出会ったからなのよね。シルビアの静岡でのワークショップお席が少なくなってきました。早割は15日に終了しますので、ご検討中の方は、お早めにご連絡くださいね!!詳しくはこちらです!シルビアの本はこちらです! 声を自由に!!―歌うことであなたの人生を豊かにする声のヨガ 8,330円 Amazon

      19
      テーマ:
  • 09May
    • 私は、本当に生きづらかったなあとしみじみ思う

      日曜日の夜。ああ、明日も学校かあ・・・いやだなあ・・・といつも思っていた。子どもだったけれど、なんだかきゅうっと胸が痛くなる感じがして、早くここから抜け出したいといつも思っていた。私が一番嫌いだった場所は、学校。意地悪なボス系女子がいて、その取り巻きがいて、ボス系女子と仲良しの男の子たちがいて、怖かった。私はちっちゃくてうまく付き合えなくて、でもうまく付き合えるようになりたくて必死だった。いじめられないように、無理やり周りに合わせて、調子よく振る舞う自分をすごく恥じていた。その一方で、いつかここを出て、この人たちと関わりたくないとも思っていた。小学校の卒業式に、ほとんどみんな、そのまま同じ中学に行くのにも関わらず泣いている女子を見ながら、私はかなり白けていた。私は中学を私立に入れることになったから、彼らと離れられることが本当に、本当に嬉しかった。みんなは何が楽しかったのかな。よくわからない。ようやく自分らしく生き始められた、と思えたのは留学してからだったと思う。留学中だって、決して楽しくはなかった。でも、なんとか頑張れた。英語は下手だったし、割と差別的な学校に入ってしまったし、毎日苦しかったけれど、少なくともやりたいことに進んでいる気はしていたから。OLになって、久々に日曜日の夜の悲しみが来るようになった。明日も会社、その次の日も会社。子どもの頃から、ずっと逃れたかった世界に、私はまた戻っていた。仕事をするのは、大変なんだから。当たり前でしょ?お金をもらうんだから。大人になりなさい。そんな風に世間から言われているような気がして、子どもの自分を責めていた。でも、体が壊れてしまったことで、私は、違う生き方をすることを決めることができた。私が本当に欲しいのは、精神的な安定。それは、この今いる場所では得られない。だから、私はフリーになろうと。なんであんなにも生きることが難しかったのかなーと考えると・・・それは私らしさが育ててもらえる場所、私らしさを認めてもらえる場所ではなかったからじゃないかなと思う。あなたは、あなたのままでいいよ。そんな当たり前のことは全く教えてもらえず、人に好かれるように、人に嫌われないように、人に迷惑をかけないように、みんなの輪の中にいられるように、と周りに意識が向いている生き方はそりゃあ苦しいよね。苦しいから、どこかで誰かをいじめたり、誰かを排除したりして、集団はバランスを保とうとする。自分の想いなんて、無視して、自分を何にも大切にできなくて、ただひたすら自分を責め、誰かや何かの陰口をいい、周りとは笑顔で接する。私が逃れたかったのは、この世界だったんだなーと思う。生きづらかったのは、私が私でいられなかったから。今の私だって、休日は大好きだけど、休日が永遠に続いて欲しいとは願わない。日曜日の夜、明日仕事行きたくないなあーと思うことなんて、全くなくなった。もちろん、仕事で失敗して落ち込んで、ああ私ってダメだなあ、と自信を失うことだってあるけれど。でも、それでも、私が私でいられる場所にいられているから、そこから逃げたいとは思わない。生きづらいのは、あなたが頑張っていないせいでもないし、もっと頑張らなくちゃいけないわけでもない。生きづらいのは、あなたが、自分らしくいられない場所にいるからじゃないかな。自分らしくいられる場所を見つけるためには、まずは自分が自分の気持ちをちゃんと見て、自分を受け止めてあげて、今のあなたをそのままでいいよと言ってあげることから始まる。今日もお読みくださりありがとうございました。あなたのドラマがもっと素敵に輝きますように!

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  • 07May
    • 確かなことは、今この瞬間ここに存在しているときにしか見えない

      子供の頃から、心配性の母親と、お金に苦労して怒りと不安を抱えた父親のもとで育った方がいる。彼女の両親は、愛情はあっただろうけれど、彼らの心配があまりに強く、彼らがその不安の世界の中に住んでいたために、彼女はいつもひとりぼっちだったのだと思う。私たちは、過去への後悔、怒り、悲しみや、未来への不安の中に入り込んで、現在に生きることが苦手な生き物だ。彼女の両親も同じ。でも私たちは、大人から、今、この瞬間に生きることの大切さを教えてもらえることはなかなかない。それどころか、本当は子どものほうが、そういう生き方ができているのに、大人はそのことに気づけない。彼女はとても無邪気で、青空に輝く太陽が美しくて眩しすぎることや、雲の形が犬に見えることや、お花を摘んでママに見せたいと持ち帰ったことや、大好きなテレビ番組が見れなくて悲しかったことや、お友達ができて嬉しかったということを、その瞬間を、悲しみも喜びも味わいながら生きることができる素敵な少女だった。大人はそばに、常にいるのに、精神的には、彼らが住んでいる場所と、彼女が住んでいる場所は全然違う場所だった。だからきっと、彼女はとっても寂しかったのだと思う。彼女に見える世界はキラキラ美しかったのに、彼女のその世界を一緒に見てくれる大人は一人もいなかったから。彼女は「確かなこと」をちゃんと知っていたのに、自分のその確かな世界を、大人が見えていないことに気づいてから、徐々に、大人の世界に入るようになったのかもしれない。確かなものは、彼女がその瞬間、そこで感じるもの、彼女の内側にしかないのに、彼女はその内側に自信が持てなくなってしまったから。そして彼女は、確かなものを周りに求めるようになった。これであってるかな?これが正しいかな?私はどう感じたらいい?みんなはどう感じているの?安心したくて。ただ、これでいいんだと安心したくて。彼女はずっと、安心感を求めてきた。残念なことに、両親は、その安心感をくれない存在だった。少なくとも、彼女が求める形では、その安心感は来なかった。だって、両親は二人とも、不安の世界に住んでいたら、安心感も、束の間で、彼女にはどの瞬間が確かに安心できるものなのか、わからなかったから。大人になって、彼女は、今この瞬間ここに存在することでしか、確かなものは見えないのだと知った。そしてなぜ、両親と一緒にいても寂しかったのか、安心できなかったのかも理解できるようになった。今、彼女は自分が確かなものだと感じるものが、内側からしか来ないことを知っている。そして不安を感じてしまったら、今、この瞬間に戻るように練習をしている。確かなものは、今この瞬間、ここに存在することでしか見えない。過去に戻ってしまうのではなくて、過去の経験から、信念を得て、未来を心配してしまうのではなくて、未来に希望が持てる状態。そして、今、この瞬間を信頼する。これがきっと確かなもの。今日もお読みくださりありがとうございました。

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  • 05May
    • 歌うことで、あなたの人生を豊かにする声のヨガ

      演劇に興味を持っていた、高校生の頃の私は、声が小さくか細く、英語劇部の練習では、いつも怒られていました。その時の練習は、とにかく低く声を出せ、という発声法。声を出すのが苦手だった私はとても自信がありませんでした。練習すれば良くなるわけでもなく、練習すれば、必ず注意を受ける。だからますます練習が嫌になっていました。時は流れ、ドラマセラピストになってから、あるボイストレーナーの方と出会いました。当時私が教えていた演劇のクラスにもきていただき、教えてもらったのですが、私が感じたのは、「むりやり声を作っている感じがするなー」というものでした。その時も、私が持っているクラスのレッスンの特別授業として招待したのに、先生という立場である私は、このトレーナーの方に、少し呆れられてしまった感じで、少し落ち込んでしまったことがあります。ドラマセラピストになったとはいえ、商業演劇的で必要とされる声の出し方など、全くできず、とはいえ、そのトレーナーの方の考え方が、私の演劇観とは全然違い、戸惑いもしました。そんな私が今、声を使ったワークができているというのは、すごいミラクルです。私が声を出すことのワークに興味を持ったのは、ポーランドにいた時ですが、ヨガ・オブ・ボイスの創始者・シルビア・ナカッチに出会ったことで、声のワークの面白さをもっと体験できるようになりました。シルビアは言います。「声は鍛えるのではなくて、解放してあげればいい」と。誰だって歌を歌うことはできる。でもそこに変な技術や、ただ大きな声を出すためだけの間違った発声法などがあるから、私たちの声は、かえって、緊張をしてしまって、縮こまってしまうのです。なぜ私があんなにも、声をだすことが「できない」と思い込んでいたのかがよくわかりました。間違って、自分の声を殺していたから。でも本当は、私の声は、もっと自由に、羽ばたきたいだけだったのに。シルビアと出会ったおかげで、私は、声のワークをもっと自信を持ってできるようになったのです。そう、声を羽ばたかせることと、精神的に解放され、本来の自分に戻ることは、とっても関係があります。このところブログでご紹介しているシルビア・ナカッチ。彼女のヨガ・オブ・ボイスと彼女自身についてを少し書いてみます。シルビアは、音楽療法やサウンドヒーリング、音響科学などを通して、声のバイブレーションが、心理的、身体的に与える影響を研究してきました。さらに彼女は、インドの古典音楽の修行を長く続け、そのほか南米、アフリカ、アマゾンなどのシャーマニックな音楽や古代から続く音の叡智やヒーリングを学びました。これらを合わせて、ヨガオブボイスは生まれました。シルビアは私が卒業した大学院でも教えていますが、彼女がインドなどでやっているプログラムには、世界中から多くの人が集まります。シルビアは、歌手でもあり、ヒーリングミュージックの第1人者Steven Halpern(スティーブン・ハルパーン)氏やJeffrey Thompson(ジェフリー・トンプソン)氏などとのコラボのアルバムもいくつかあります。そして、第57回グラミー賞にもノミネートされました。実はこの時に、エンジニアとして参加していたのはドラマセラピーを一緒に学んでいた友人の旦那さん。なんだか縁を感じます。シルビアの音楽は、がん治療にも使われていました。米国がん治療の名医だったミッチェル・ゲイナー医学博士(2015年没)とも親交があり、彼女のCDは患者さんのためにずっと用いられていたそうです。ゲイナー医師は、そのことをシルビアの本のイントロダクションで書いてくれています。サウンドヒーリングでは、自分の声が自分にとっては一番の癒しになると言われています。私たちはエネルギーの存在であり、音の波動が治療にも使われることを考えると、自分の声を整えることが癒しになることは理解できます。自分の声を解放させて、もっと自分らしく生きる。声のワークはシンプルだけど、シンプルなゆえに強く働くのだと思います。シルビアのワークショップ、静岡で6月に開催します。私も通訳で参加しますので、ぜひ会いに来てくださいね!詳しくはこちらをご覧ください。(クリックしてくださいね)早割は5月15日までです!シルビアの本はこちら! 声を自由に!!―歌うことであなたの人生を豊かにする声のヨガ 8,330円 Amazon

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  • 04May
    • 言いたいことをいえない。でも、自分のために、声をあげよう。

      最近、クライエントさんとのセッションの中で、「言いにくいことだけれど、自分のために、言いたいことを言葉にして相手に伝える」というテーマが、何度も続きました。その場では、相手に言われるままに、何も言えずに引き受けてしまった。気になりながらも、相手のペースにのまれてしまい、そのまま何も言えないまま、相手の要求をOKしていた。そんな場面を後から思い出して、なんだかモヤモヤしながらも、気持ちを無理やり押し込めて。心の中のモヤモヤを、言わないことがいいのか、言ったほうがいいのか。。。と悩んでしまう。これはケースバイケースでもあるので、いつでもなんでも言えばいいというわけでもないとは思う。でも、自分の気持ちを言葉にして相手に伝えることがとても苦手な人だからこそ、あえて言う、ということはとてもいいことだと思う。大人なんだし、我慢しなくちゃ、とか、ネガティブなことにとらわれるのではなく、もっと建設的に考えようとか、そういう考え方も大事な時もあるけれどね。自分のために、声をあげる。そのときに、相手に嫌われたらどうしようとか、自分が心の狭い人だと思われたらどうしようとか、色々よぎってしまったとしても。相手がどう思うかよりも、自分の気持ちを優先させること。自分のことを大切にすること。それはただ相手に文句を言ったり、相手の行動にケチをつけるのではなく、自分の気持ちを相手に伝える、あるいは自分の求めていることをしっかりと伝えるということ。これは練習が必要なことだけれど、それができるようになると、もっと自分のことを守れるようにもなるし、後からモヤモヤするのではなく、その瞬間に、自分のために言葉に出すことができるようになっていくと思う。自分のために、声を上げる。その裏にあるのは「自分の気持ちを尊重してほしい」という願いかもしれないけれど、声を上げること自体は、自分が自分を尊重する行為なんだと思う。自分が自分を尊重できることで、初めて相手からも尊重されるようになる。言葉にしてはっきりという、って勇気の要ることだけれど、もしも練習すべき出来事があったら、挑戦することはとてもいいことよね。言葉って、本当に難しけれど、それを使うことで、相手との関係は深まるし、うまく使えるようになりたいよね。私の場合は、割とはっきりということは苦手ではないほうですが、それでも大人だから、と我慢することもよくあるし、その一方で、、特に家族に対しては言い過ぎなところがあるので、失敗繰り返しながらも、言葉をもっとうまく使えるようになりたいなあーと思います・・・。ところで、自分の思いを言葉にすることが苦手な人は、そもそも、自分の声を外に出すことが苦手なんじゃないかなーと思う。声が小さくなってしまったり、呼吸が浅くなってしまったり。自分の声が届かないように、発声しがちだったり、相手の声のトーンに合わせた声を出してしまったり。ヨガ・オブ・ボイスの個人セッションでは、そういうところも意識しながら声を出すことができていきます。ヨガ・オブ・ボイス創始者のシルビア・ナカッチの通訳で、個人セッションの通訳をさせてもらう機会があり、その様子を見させていただいたけれど、シルビアは、声の状態からその人の課題を見つけ出し、その課題に必要な声のワークを提供していました。個人セッションでなくても、歌っていると、出しやすい音、出しにくい音、自分が出しがちな音、相手に合わせすぎてしまう傾向など、色々見えてきます。シンプルだけれど、自分の声のあり方を探り、それを調整させたり、幅を広げたり、新しい出し方に挑戦したりしていくことで、自分との関係が見えて行ったりします。それを楽しみながらできるのが素敵なところ。そして何よりも、シルビアの教えてくれる世界中のマントラやチャンティングは古代の知恵と繋がる不思議な経験になります。言いたいことが言えない、と感じるのなら、まずは自分の声を外に出すことから始めるのはとってもいい方法!今年の6月は、シルビアを静岡に呼ぶことになりました。このワークショップをたくさんの方に体験してもらいたいなーと思っております。この機会にぜひいらしてくださいね。詳しくはこちらをご覧ください!(クリックしてくださいね)今日もお読みくださりありがとうございました!こちらがシルビアの本です。 声を自由に!!―歌うことであなたの人生を豊かにする声のヨガ 8,330円 Amazon

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  • 02May
    • 私はベジタリアンになれるのだろうか 2

      ベジタリアンになる、と決めたわけではないけれど、私たちの食生活の7割がベジタリアン、もしくはヴィーガンとなると、大きな問題が出てくる。それは、どうやって美味しく過ごせるのか、ということ。ヴィーガン料理って、専門レストランなどで食べると美味しいけれど、あれって自分で作るのは難しいよね?だいたい私は、野菜って、全てが美味しいとは思えない。調理の仕方で食べれるものもあるし、そうでないと、我慢して食べているものだってある。今までの調子だと、食べやすいものが決まっていて、ワンパターンになってしまう。野菜はどこか、サイドメニュー的なイメージだし。煮物だって、スープだって、お野菜いっぱい入れたとしても、動物性タンパク質が、いいお出汁になってくれて、美味しいものになっていたと思うから、その動物性タンパク質なしで、どうやって美味しいものを作ったらいいのかわからない。しかも、まあまあ食べれるね、くらいじゃ嫌だ。美味しくなくちゃ、よね!?レストランとかも、結構スパイス効かせているものも多いし、色々工夫を凝らしたものが多いじゃない?ということで、目下ヴィーガンレシピを研究中・・・。続けられるかどうかは、やっぱりこれにかかるから。でも、せっかく挑戦を始めたので、是非とも美味しいヴィーガン料理を覚えていきたいと思います。 ところで、ヴィーガン生活たったの2日目のこと。体の変化を感じる。ちょっと体重が減った。でも、お通じがなんだか悪くなっている。(なぜ!?)夫は初日から、力が出ない、と言っている。私は、何にも感じていなかったけれど、2日目の夕方、ものすごい疲労を感じ始める。ねえ、ちょっと私たち、やわすぎじゃない?大体、貧乏学生時代、私はもっと荒れた食事だったけど?それにお肉か魚を毎日食べるようになったは結婚してからで、それまでの私は、そこまでお肉を食べてはいなかったはず。動物系のプロテインが、体をこんなに支えてくれていたなんて。そうよね、人類は、サバイバルのために、動物を食べてきていたんだもの。こんなにも私の体を作ってくれていたのね。肉食をしてきた人が、ベジタリアンになると、しばらくの間、こういう反応があるらしく、これは普通のことみたい。でも、やっぱり肉や魚からしかとれない栄養素もあるので、それをちゃんと摂取することも大事なことで、ベジタリアンになるということは、きちんとその辺も考えなくてはいけない。私たちは結局のところベジタリアンではないから、週に1回お肉、1回お魚、ということは決めているので、慣れていけば、大丈夫なんじゃないかなと思う。でもとにかく衝撃だったのは、この疲労感。改めて、今まで食してきたたくさんの動物さんたち、魚さんたちに感謝したいと思います。今日もお読みくださりありがとうございました。

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  • 30Apr
    • 私はベジタリアンになれるだろうか?

      学生時代から、私の周りにはベジタリアンがたくさんいた。私自身は、決してお肉が大好きではないけれど、でも全く食べたくないとは思わないし、大好きな食べ物は、子どもの頃からずっと変わらずお寿司とラーメンなので、とってもじゃないけれど、ベジタリアンにはなれない。友達がベジタリアンになった理由やその信念を聞いても、偉いなあとは思うものの、私の心を動かすほど、強いものを感じたこともない。この人生を楽しむためには、やっぱりベジタリアンにはなれないよねーとベジタリアンではない友達と言ったりもしてたけれど、そんな私が、今、ベジタリアン、というよりも、さらに上?を行ってヴィーガンについて考え中。お寿司もラーメンも好きなのは変わらないけれども、でも、なんとなーくお肉を少し減らしたいなあと思うようになってきた私。食べたくないなあ、、、と。我が家は基本、夫が料理をするため、肉が好きな夫と一緒じゃあ無理だなあ、、、、娘の手がかからなくなったら、私は自分の分だけ料理できるようになるかなあーなんて考えていると・・・夫がこんなドキュメンタリー映画を見て突然「なるべくヴィーガン生活にしよう」と言い出した。こういうものに簡単に影響を受けない彼がいうのでびっくり。それほど説得力のある映画だったのか。。。それは「サステイナビリティの秘密」という映画。詳しくはこちらをご覧ください。(映画を解説しているブログです)この映画のテーマは、畜産業が、地球環境破壊の原因になっているということ。そう、だから、肉だけでなくチーズも牛乳も卵も含めて、それらを食することは、環境破壊の手助けになってしまうということ。監督のキップさんは、環境保護のために、いろんなことに取り組んできたけれど、「人類みんながこうやって意識を変えていっても、地球温暖化は変わらないのでは?」と疑問に思うようになった。そして見落としているかもしれないことを探すことになるのだけれど、彼が行き着いたのが、畜産業が、環境破壊のはじまりになっているということ。。。私たちは、必要以上にお肉を食べている、多くの人たちが求めているから、家畜の数はどんどん増えている。その家畜が排出するメタンガスの量は、私たちの乗り物などが排出する温室効果ガスの量とは比べ物にならないほどおおい。(86倍!)家畜を育てていくために必要な水や飼料、土地も、人間が普通に生活するものとは比べ物にならないほど大きな数字になる。漁業だって同じ。魚の数はどんどん減っている。あと40年で私たちがよく食している魚のほとんどは、いなくなってしまう、という。だから、私たちがやっていることは「パンダを救うために、パンダを食べよう!」と言っているようなものなのだと。。。40年て、かなり近い未来だよ。これって、かなり深刻なんじゃない?そう遠くない未来、私たちが食べられる魚は姿を消し、地球の環境は最悪になっていく。そんな映画を見た後で、夫は、なるべくヴィーガンになると決めてくれたのでした。映画の中で、1日肉を食べるのをやめるとしても、1週間のうち6日はこの問題に加担していることになるという話が出てきたけれど、それでも、世界中の人が、1日だけでも肉食を減らすことは大きいことじゃないかな?と思う。私たちも、ヴィーガン食で体がやっていけるのかも心配だし、買い置きしている肉や魚もたくさんあるので、とりあえず、週5日はなるべくヴィーガン、週1回肉、週1回魚、みたいにしてみようか、ということになった。だいたい私も、お刺身とお寿司とラーメンが食べられなくなるのはやっぱり辛すぎるから。。。私にはちょうどいい感じの、ゆるくて甘いベジタリアン。それにね、私は静岡人だし、やっぱり鰹出汁が美味しいのよね、とか、色々難しさも出てくるので、厳密なヴィーガンには絶対なれないし、大体このルールでは、そもそも、ベジタリアンでもないんだけどね。友達とご飯に行ったりすることもあるだろうし、弱い心が「やっぱ無理ー」と言ってくるかもしれないし。もちろん、畜産業関連に従事されている方には生活があるから、偉そうなことも言えないし、簡単に言えることではない。でも、真剣に考えてみる価値のあるテーマだろうなと思う。私は多分ヴィーガンどころかベジタリアンにもなれないと思う。そして環境破壊に加担している一人だと自覚もしながら、でも、地球の環境を良くするために、私ができることなら、やってみたいな、と思う。さあ、どこまで続けられるのかな。。。頑張ろう!興味のある方はよかったら映画見てみてくださいね!今日もお読みくださりありがとうございました。

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  • 28Apr
    • 男とか女とか、そういうものを越えていかないといけないんだと思う

      最近、上野千鶴子さんの東大入学式の祝辞についての記事をいくつか読む機会があった。(彼女の祝辞についてはこちらをご覧下さい。)女性側からの意見、そして男性側からの意見。私は女性だし、上野さんの言葉にはうんうん、うなづけるところもたくさんあった。留学をすることを決めた時、親戚のおばあさんからは「女のくせにそこまでする必要はない」と言われたこともあるし、独身時代の飲み会などでは、海外の大学院まで出たことや変わった肩書きの仕事をしていることを隠すこともあった。OLとして初めて会社に入った時、「中野さんは女の子だから、お給料は最初に提示したものではなくて、もう少し下がるからね」と言われたこともあった。「女のくせに生意気だ」という言葉を平気で言う社員もいた。私のワークを受けてくださっている方の7割以上、性的な被害にあっていると思う。いろんな場面で、女性たちはまだ弱い立場にあるし、能力があることをあまり見せられない感じがする。だから私も男だったら、もっと楽だったのになーと思うことはたくさんあった。婚活だってそうよね。女性が年齢を重ねることはネガティブにとらえられやすいけれど、男性はそこまでではないし。私の友人で体の大変大きな白人男性がいる。彼は頭もいいし、見た目も美しいし、最強な感じがするんだけれど、それでもその見た目ゆえに困ることもあるらしい。そうなのかな。以前前世療法をやった時、ある南の島の強い男だった過去世が見えてきたことがある。その時の私は、弱さを理解できずに、自分の体が基準で全ての物事を考えていたため、その結果、妻と子供を苦しめることになったようだった。ちょうど私が、割とハードな演劇トレーニングを受けていて、気力はあるけれど、体力がついていかなかったり、力強さが足りなくて、悔しい思いをしていた頃。でもその過去世を見ることで、今世では、体が大きくない、そして力もない日本の女性になることを選んだみたいなのだと思うことができた。だから男性のほうがやっぱり強いんだよな、と思えてしまう。でも確かに、男性は、「弱い」女性を大切にすることが、ある程度は当たり前の社会になって、肩身の狭い思いをすることだってあるし、男性が弱さを見せることができにくい社会のままであることも、問題だという意見もある。私の友人のような男性だと、何かにつけみんなを守る役回りに立たされることも多い。だから、男性とか女性とかそういうステレオタイプや、社会が求めるジェンダーロールに縛られない私たちにならなくちゃいけないんだな、と思う。確かに、いまだに女性たちの中には「仕事したくないから、結婚したい」とか平気で言っちゃって、「弱者」の立場を大いに利用してる人もいるわけだし。実は男性のほうが精神的には傷を負っているかもしれないとしたら、女性だって、男性を守ってあげる必要はあるのよね。お互いがお互いを、できる形でサポートし合うのが結婚なんだと思う。だから子どもたちにはどうでもいいステレオタイプがなくなっていくといいなーと思う。女の子はピンク、男の子はブルーとか。子どもは好きなものを好きなように選んでいくのだから、それを大切にしてあげなくちゃね。娘の幼稚園に、いつも娘と一緒におままごとをしたり工作をしたりしている男の子がいる。彼は赤ちゃんの人形をあやしたり一般的に女の子が好むような遊びをしている。それを、女の子みたいと言うのではなく、「彼らしい」と言えるのが、いい社会なんだろうなーと思うの。でもその前に、私たち大人が気づくべきことは、男性も女性も、違う理由でとても傷ついていて、それを癒してほしいと願っているのではないかな、ということ。だから自分を癒しながら、相手の中にある傷を癒してあげられるような関係を持てることが私たちの次のステップになるのではないかな。今日もお読みくださりありがとうございました!

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  • 27Apr
    • 女子力って、一体なんなんだ?

      こんにちは。ドラマセラピストの中野左知子です。このブログに訪れて来てくださり、ありがとうございます。「女子力って結局何なんですか?私にはそれが足りないから、なかなか結婚ができないのでしょうか?」という相談を頂きました。その時に私も思ったんです。しばらく前から女子力って言葉がよく使われるようになったけど、結局、女子力って一体何なんだ!?と。。。そこで色々調べてみました。女子力といわれるものは、大抵の場合①自分を美しく見せる力②家事などの能力③優しさ、気配りなどの内面性④人生の充実度を指しているようです。確かに、どれもとても重要だと思います。でも、なんとなく、私、この「女子力」という言葉が正直言うと、好きになれないんです。私はドラマセラピーの中で、「女性性を楽しむためのワーク」を進めていますが、それとはちょっと違うような気がします。私がこのワークをしているのは、女性として生まれてきたからこそ、女性としての自分を楽しむことだけでなく、男性性のパワーが強いこの社会にいかに「女性的力を育てていくのか」が、これからの時代、とても重要なテーマだと思っているからです。でも女子力は男性性のシステムの中での「女性」って感じがするので好きになれないのかもしれません。言葉の捉え方の問題かもしれませんが。。。上に上げた女子力は、どれもとっても大切なことではあると思いますが、なんだかんだ言って、楽しみながらできることだけを取り入れたらいいのではないかな、と思います。その人を一番輝かせてくれるのは、「好き」という気持ち。私は別におしゃれが嫌いと言うわけではないですが、買い物が苦手だし、お化粧品もブランド品も全然興味が持てないのです。それを無理に頑張っても長続きはしないでしょう。もう少し流行を取り入れたファッションをしていたら、少しはモテたかもしれませんが、でもそれって私にとっては決して居心地のいいものではないんです。自分が自分らしく、居心地よくいることが、一番その人を輝かせる状態ではないでしょうか。自分でいることが、居心地がよければ、自分にも自信を持てるようになるし、リラックスできているから、相手も一緒にいて、心地いいはず。でも、これは何も努力しないで、怠けている状態とは全く違います。何もかまわず、何もせず、ぼけーっとダラダラするのも、ある意味居心地がいいかもしれませんが、もっと精神的な意味で、自分が自分らしくあることを楽しめることを言っています。いわゆる女子力アップ!という考えが自分に合っていることならともかく、そうでないのなら、この言葉に振り回されすぎず、自分らしくいるために、自分が好きなことを大切にすること、いかに自分を好きになれるかに集中するのか、が、一番の早道じゃないかな、と思います。今日もお読み頂き、ありがとうございました!もっと自分を好きになるために!1年かけてじっくりゆっくり味わうドラマセラピーを8月に開始します。いろんなものを合わせていますので効果的だと思います。詳しくはこちらをご覧ください!私の本が発売中です! ドラマセラピーで40代から人生のヒロインになる-あなたの中の美人が目覚める- 1,280円 Amazon

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  • 25Apr
    • 恋愛経験が少なくて自信が持てないとき

      こんにちは。ドラマセラピストの中野左知子です。このブログへ来てくださりありがとうございます。私のワークを受けてくださる方には、「恋愛経験が少ないから自信が持てない」と話される方がたくさんいます。恋愛経験が多いと、何がいいでしょうか?男性を見る目を養える?男性とのつき合い方がうまくなる?でも、それなら、恋愛の場面じゃなくてもできることです。仕事や勉強の失敗は次に生かせるのに、なぜか恋愛では同じ失敗を繰り返してしまうものです。恋愛経験があっても、同じパターンを繰り返していては「経験豊富」とは言えないでしょう。同じ失敗を繰り返した20代を終え、私は「恋愛を引き寄せられないパターン」に陥りました。誰かとつき合うことが、「恋愛経験」になるのではなく、「恋愛できない」ことも経験なんです。孤独を味わったり、自分とのつき合い方を学ぶことは、必ず「結婚生活」に役立つことです。アメリカの有名な恋愛、結婚のセラピストであるドクター・パット・アレンが言っていました。恋愛や結婚がうまくいかないのはね、自分が「I(私)」になれていないから。WE(私たち)になるためには、I になれないといけないのよ。すべての人間関係は自分から始まります。だから、自分をよーーーーく知らなければ自分に合った幸せな恋愛なんてできないのです。今、もしもお相手がいないのなら、それは、自分との関係をちゃんと学ぶべき時だから。それが、あなたの「恋愛経験」です。私のようにシングル時代が長いとしたら、なぜそんなパターンを作ってしまったのか、その意味を考えることも重要です。たくさんの人と恋愛できても、たったひとりと結婚できなければ、意味ないですものね。。。せっかくシングルでいるのなら、自分との関係を作る時期としてその時間をいかしてくださいね。それに、本当は楽しいシングルライフは、結婚したらなくなっちゃうのですから、この時代をたーくさん楽しんでくださいね。今日もお読み頂きありがとうございました!私の本が発売中です。運命の人はいくつになっても現れるー恋愛ドラマセラピーで35歳からの理想の結婚を手に入れるー/じゃこめてい出版¥1,404Amazon.co.jp

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  • 23Apr
    • 結婚できていない自分を愛してあげること

      こんにちは。ドラマセラピストの中野左知子です。私のブログをお読み頂きありがとうございます。「やっぱり結婚できない自分を恥ずかしいと思うし、どんなに頑張っても、自分のことを好きになれないんです。どうしたらいいでしょうか?」こんな質問を頂きました。婚活を頑張っても、なかなかうまくいかないし、せっかくお見合いパーティに行っても、全くカップルになれずに、落ち込んでしまう・・・。そんなことが続けば、ますます自信がなくなってしまうでしょう。自分のことを好きにならなくちゃいけない。分かってはいるけれど、どうしてもそうなれない。そしたら、ますます自分はダメだと思ってしまう。。。それなら、結婚ができていない自分、自分が好きになれていない自分を愛してあげましょう。 私たちは本当は愛でできているんですものね~自分を好きになるというのは、どんな状態の自分も受け入れてあげることです。自分を好きになるために、今の自分を変える必要はないんです。そのままの状態を受け入れることなんです。だから、結婚ができていない自分を自分を好きになれない自分を受け入れて、抱きしめてあげてください。自分だけでも、そんな自分の味方になってあげてほしいのです。それが自分を好きになるということなんです。今日もお読み頂きありがとうございました。私の本が発売中です。運命の人はいくつになっても現れるー恋愛ドラマセラピーで35歳からの理想の結婚を手に入れるー/じゃこめてい出版¥1,404Amazon.co.jp

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  • 21Apr
    • 子どもは子どもの世界でいっぱい頑張って生きている

      娘が幼稚園に行くようになって2週間。初日から一度も泣くこともなく、楽しそうに通っていってたから、よかったなーと思っていた。でも、その日の朝、幼稚園に送っていった時のこと。早速園庭で遊びだした娘を見ていると。娘はどうやらちょっとボス系の強いタイプの女の子と遊びたいらしい。娘はバイリンガルで育っているせいか日本語が同月齢の子と比べるとあまり上手くない。英語のほうが意思疎通がうまくできる。そのせいで、お友達とうまく繋がれないこともあるし、ボス系の子にしてみると、言葉がうまくできない赤ちゃんみたいに見えるのかもしれない。普段娘は、私やダディといるとき、色々仕切って、自分考案のいろんなゲームを繰り広げ、「私の勝ちー!」と喜ぶ遊びをよく展開させている。そして間違って私が勝ってしまったりすると、泣いて怒ってしまうこともある。私が勝ちたかったのに!って。でもその子がボールを蹴って「私の勝ちー!」と言ったのを前にして、「あの子が勝ったんだよね?」とそばで見ていた私に言ってきた。てっきり「私が勝ちー!」と言い出すと思ったのに。単にサッカー蹴ってただけだし、勝ち負けなんて本当はないし、「そんなことないよ、二人とも勝ったみたいよ」と私は娘に言った。強いものを前にして、その子に合わせてしまう姿。娘はもっと自信のある子になっていると思っていたけれど、とても小さくて、遠慮しながら、お友達に関わっているように見えた。そしてそのボス的な女の子は私の目の前で、もう一人いた男の子に「ねえ、二人で遊ぶ?」と話しかけた。娘はそんなことは知らずに、彼女が蹴ったボールを取りに行き、その子に渡す。すると、その女の子はどこかに走って行ってしまった。私は、残された娘としばらく一緒に遊び、そして帰らなくてはいけなくなってしまった。なんだか寂しくて、悲しくなってしまった。この子を、ここにおいていくんだな、、、って。それから、私も、そうだったんだろうなって。今でも、時々「強い人」のように、私には見えてしまう人を前にすると私はすっかり小さくなってしまうところがある。人間には上下の関係なんてないと信じているし、ワークを受けてくださっている方にも、みんなに教えているけれど、でも私の奥底にまだある、「強い人への恐れ」。強い態度を示してくる人に対して、自動的に小さくなってしまう、私の中の何か。私は、もうある程度自信があるし、ほんの少し残っているだけなのかもしれないけれど、でも、まだ確実にある恐れ。小学校の頃、ボス的な強い女の子に気に入られようとしていた私。でも上手く立ち回れなくて、結局その子には意地悪をされてばかりだった。別にその子のことなんて決して好きじゃなかったのに。でも、なぜか強いものに好かれないといけないと思い込んでいた私。娘が自信を持って生きていけるように育ててあげたいと思っていたけれど、私の中にこの思考があったら、それは当たり前だけど娘にも伝わってしまうよね。娘が傷つかないように、その子と遊ぶのやめなよって言いたい気持ちもあるけれど、でもそれが本当に娘を守ることにはならないことも私は分かっている。それにこの「意地悪な子」だってどこかで意地悪をされた経験があるのかもしれない。だから、それを自分でもそうするようになってしまったのかもしれない。人間なら誰だってきっと持っている意地悪な気持ち。それを表現する必要だって、成長のために、その子にはあるのかもしれない。だから、相手を「悪い子」と思う気持ちはない。娘はその日幼稚園から帰ってきてから「日本語で話したよ。あの子と遊んだよ。また明日も行きたい」と言った。こんなに小さいのに、娘はもう人間関係の中でのたくさんの学びの中にあり、そしてめげずに楽しく頑張っている。でももしも、「幼稚園行きたくない」と言ったりしたら、私は娘の気持ちを尊重してあげたいし、娘がまたもう一度頑張ってみようと思うまで、ゆっくりと私の腕の中で休ませてあげたいな、とも思う。だから、もし自分の子どもが学校に行きたくないと言ったら、「学校に行くことが当たり前」と思うのではなく、一生懸命頑張って生きようとしている子どもをちゃんと受け止めてあげて、そして、自分の中にある傷を見つけて、それを癒すことを考えてみてほしいなと思う。大人が癒されなくては、子どもを癒すことなんて、できないのだもの。私はその時に決めた。今日娘が帰ってきたらいっぱい、いっぱい遊ぼう。娘の傷を少しでも癒せるように、たくさんエネルギー療法もしてあげよう。それから私も「強い人」に対する恐れをもっともっと癒さなくちゃ。そしてもう一つ決めました。小さな子どもを持つママさんたちのために、ドラマセラピーを子育てに活かせる講座を作ります。ママさんたちが、子どもと遊びを通して、子供の傷を癒してあげられるように、その知識をプレゼントできたらなーと思います!!今日もお読みくださりありがとうございました。

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  • 20Apr
    • 自分のミッションに繋がる方法

      こんにちは。ドラマセラピストの中野左知子です。前回、音が未来の薬になることについて書きましたが、声を出すことについて、もう少し。ヨガとは、統合を意味し、自分と本来の自分をつなぐことを意味するそうですが、声のヨガも、自分の本来の声を目覚めさせ、その本来の自分とつながることで、今抱えている怖れや不安などから自由になることを目的にしています。先生は私がドラマセラピーのプログラムを卒業したカリフォルニア統合学大学院CIISで、サウンドヒーリングを教えているシルビア・ナカッチ。私もドラマセラピー、ポーランド演劇、シャーマニズムの研究から声のワークをするようになりましたが、彼女のワークは私が大学時代から影響を受けている、ポーランドの演劇者グロトフスキの考えにも似ています。グロトフスキは、私たちの中の「古代の身体」を、動きや歌を通して目覚めさせることで、常に「今を生き生きと生きる」ことを教えています。シルビアも古代の音楽とつながることで、新しい歌の命を今感じることを話していました。インドでは芸術とは「古代と今をつなぐもの」なんだそうです。今の私が古代とつながること。これは頭で考えてできることではなく、声を出したり、歌を歌ったり、身体を動かすことがキーとなります。だから私はドラマセラピーにこの要素を取り入れているんです。「古代の身体」とつながることは、直感を磨くことや、自分の人生のミッションや生き方、本来の自分の姿について気づく助けになります。本当の自分にオープンになることは、知りたくないことを見つめることも伴うかもしれませんから、少し怖いことかもしれません。でも自然に 「身体を開き」「声を開くことで」、怖れることなく、自分を見つめ、私たちは本当に自由を味わえるのではないかなと思います。自由って、どこかに飛んでいくことではなくて、自分が自分の周りに作っているたくさんの思い込みや「こうあるべき姿」という考えや、社会からの期待などの「檻」を取っ払うことだろうなーと思います。声を出すって気持ちいい!そうやって、心から楽しみながら、深いところで自分とつながっていると、少しずつ、本当の自分が見えてくるのではないでしょうか。やっぱり、楽しい!と感じるとこに、本当の自分がいるんですよね。シルビアのワークショップが6月に開催されます!興味のある方はこちらをご覧くださいね!私が訳したシルビアの本です。 声を自由に!!―歌うことであなたの人生を豊かにする声のヨガ 3,240円 Amazon

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はじめまして。ドラマセラピストのSACHIです。 このサイトであなたと出会えたことに感謝します。 ...

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