ccccd (2)

今回はこういうお題でいきます。宇宙について興味を持たれて
いる方なら、「ああ、あれか」とすぐにおわかりになるでしょう。
さて、まず登場してもらうのは、15~16世紀のポーランド出身の
神学者、天文学者、ニコラウス・コペルニクスです。彼はもちろん、
天動説に対して、地動説を唱えたことで知られていますね。

当時の一般的な認識は、天空そのものが地球に対して円運動
しているとする天動説です。そのほうが感覚的に理解しやすいですよね。
天動説は、地球が宇宙の中心にあるという「地球中心説」の別名も
あります。ちなみに、この時代、知識人の間では地球は球体と考え
られていましたが、一般民衆は平面だと思ってる人が多かったでしょう。

天動説
ccccd (7)

さて、コペルニクスの時代には天文観測が進んできており、
そこで得られる知見を天動説にあてはめるには、さまざまな数学的な
操作をしなくてはなりません。司祭でもあったコペルニクスは、
「神が創られた世界がそんなに複雑なものであるはずがない」と考え、
地動説の着想を持つようになります。

ですが、教会に遠慮したため、その著書『天体の回転について』が
出版されたのは死の直前のことでした。その後、17世紀に入り望遠鏡が
発明され、自作の望遠鏡で天体観測をしていたガリレオ・ガリレイは
コペルニクス理論が正しいことに気がつきます。そして、それを公言したため
ローマ教皇庁の反感を買い、裁判によって地動説を放棄させられます。

ニコラウス・コペルニクス
ccccd (8)

このあたりのことはよくご存知だと思いますが、この2人のビッグネームに
はさまれた存在が、16世紀のイタリアの哲学者、神学者である
ジョルダーノ・ブルーノです。ジョルダーノは天文観測もしていましたが、
主に神学的な考察から、「神が創造した宇宙が有限であるはずがない」という
宇宙無限論の信奉者になります。そしてそこから、

宇宙の時間と空間が無限であること、宇宙は地球と同じ物質でできていること、
地球上の物理法則は宇宙全体に働くこと、などを主張しました。
また、コペルニクスの地動説も、条件つきながらも認めて擁護したんです。
ブルーノはガチの修道士であったため、他の2人のようには許されず、
また自説を撤回することもなく、ローマ教皇庁によって異端審問され、

ガリレオ・ガリレイ
ccccd (1)

火刑に処せられたんですね。その際、ジョルダーノは刑を宣告する執行官に
対して、「これから死ぬ私よりも、あなたたちのほうが真理の前に恐怖し
震えている」と言ったとされます。もちろん現在ではジョルダーノの名誉は
回復され、1979年、カトリック教会は公式に異端判決を取り消しました。

さて、ここで話変わって、このジョルダーノの名前を取ってつけられた
月のクレーターがあります。地球から見ると、月の北端のすぐ向こう側の
裏にあり、常時観測することはできません。直径22kmで、
エッジなども鋭く、きわめて新しいもののように見えます。

ジョルダーノ・ブルーノ
キャプチャert

1178年に話は遡ります。イギリスの古文書『カンタベリー修道院年代記』に、
「6月18日の日没直後、5人の修道士が、年代記編者のジャーベイスに
月の角が2つに割れたと報告した。さらにジャーベイスは、割れ目の真ん中
から炎が噴き出し、月は心配するように身もだえ、私に報告してくれた
者の言葉では、月は傷ついた蛇のように脈打っていた。

この現象は何十回も繰り返し、炎は様々なねじれた形を描いた。
この現象が収まると、月は全体が黒っぽく見えた」と記されているんです。
何か異常な天体現象が起きたのは間違いありません。
で、1976年、地質学者のジャック・アートゥングは、
この謎の現象は月面への隕石衝突であり、

異端を宣告されるジョルダーノ
ccccd (3)

その衝突でできたのが直新しいクレーター「ジョルダーノ・ブルーノ・
クレーター」だと主張したんですね。なるほど、月の裏すぐに大隕石が
落ちれば、「月の角が割れた」という表現はうなずけます。しかし、
21世紀に入り、これに対する反論も出てきました。

そんな大衝突が本当にあったなら、飛び散った破片が地球にも降り注ぎ、
激しい流星雨が数週間は起きる計算になる。しかしそんな大流星雨の記録は
世界のどこにも残っていない・・・ まあそうですね。12世紀のことで
あれば、中国はもちろん、日本でも天体現象の記録を公式にとっていますが、
そんな記述は出てこない。これは世界のどこでも見られたはずなのに。

ジョルダーノ・ブルーノ・クレーター
ccccd (6)

で、ここでやっと出てくるのが、2007年に打ち上げられた日本の
月探査衛星「かぐや」です。じつは、かぐやの正式名称は「SELENE
Selenological and Engineering Explorer セレーネ」で、「かぐや」は
一般公募によってつけられた愛称なんです。ご存知でしたか。

2つの子機「おきな」と「おうな」を持ち、月面から高度100kmの
月周回観測軌道に投入されました。もちろん愛称のかぐやは、
『竹取物語』の主人公の姫の名前で、光り輝いて匂うほどに美しい
というような意味です。宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の研究者は、
かぐやの地形カメラで撮影した画像から、クレーター周辺に堆積した

かぐやとおきな、おうな
ccccd (5)

噴出物の上にできた新しい小さなクレーターの密度を調べ、その結果、
ジョルダーノ・ブルーノが形成されたのは100万年~1000万年前で
あると推定しました。それでも、直径10km以上では最も新しいものです。
では、1178年に修道士らが見たのは何だったのか。地球に向かってきた
流星が、たまたま月と重なって見えたという説が有力視されていますね。

さてさて、最後に超トンデモ説を。ジョルダーノ・ブルーノはなんと織田信長
だったという話で、根拠は肖像画の顔が似ているから(笑)。まあ、
そんなはずはないんですが、信長が本能寺の変で死んだのが1582年、
ジョルダーノは1548年生まれ、1600年に火刑にされました。
火につつまれた最期だったのは同じですね。では、今回はこのへんで。

ジョルダーノと信長 似てますかねえ

ccccd (4)