Snapple
ドワイルドな仲間たちと海外旅行へ行くと若干1名くらいお酒を飲めない人物がいるんだ。
俺たちが浴びるようにビールをくらってる中でいつもソフトドリンクを飲みながら相手をしてくれている(*^_^*)
時にはアリゾナティーで、あるいはコークで、その中でもよく飲んでたなぁって印象にあるのが「スナップル」だ。
保存料などを使用しない飲料のプレミアムカテゴリーでアメリカNo.1を誇るブランド。
こと東海岸では人気の飲み物だ♪
ビンのラベルに付いたコーシャー(Kosher)を表す「K」のマークが“KKK”の印だとウワサされたり、ボストン・ティー・パーティーを描いた絵が奴隷売買の様子だと言われたり、何かと話題の多い飲み物だったりする(^o^;
このスナップルは、マンハッタンのロウアー・イーストサイドで健康食料品店のマネージャーを務めていたアーノルド・グリーンバーグ、同じくマンハッタンで窓拭きの仕事に就いていたレオナード・マーシュ、ハイマン・ゴールデンの3人によって1972年に設立された。
アーノルドとマーシュは幼なじみで、マーシュとハイマンは義理の兄弟という関係だ。
まず3人は健康食料品店用に、フルーツジュースの会社「アンアダルテレイテッド・フード」を興した。
それまでの仕事を辞めずに、余った時間を費やしながらね^^
'78年、彼らは炭酸入りのリンゴジュースを売り出し、その新製品に「スナップル」と名付けたんだよ♪
いよいよ事業は軌道に乗りはじめ'79年には初の社員としてセールスマンを雇い、販売路の拡大を図り、翌年にはジュースの種類を更に増やした。
スナップルはその当時で1本1ドルと決して安くはなかったが、'80年代初頭までにはニューヨーク、ボストン、ワシントンDC地区でよく売れる製品としての地位を確立していったんだ。
そして'87年、商品ラインに夏用の飲み物を入れる必要があると思った3人は“アイスティー”を考え出した。
スナップル=アイスティー♪皆さんもこの印象が一番強いのでは?
それまでのビン入りアイスティーは、濃縮した紅茶に砂糖と防腐剤を加えるというモノだったが、3人は熱い紅茶をそのままビン詰めし、防腐剤を使用しない製法を編み出したんだよ♪
そうやって初めて薬の匂いのしないビン詰めのアイスティーが市場に出回ったのが、'88年のコト。
以来、スナップルのアイスティーは人気を博し、夏が過ぎても売り上げが落ちず、この時期を境に急速な勢いで成長を遂げていったというワケだ。
さらに'89年には53種類ものフレーバーを取り揃え、炭酸入りじゃない飲料からの売り上げは6倍にも増えた。
'92年、ブルックリンにあった本社をロングアイランドに移す。
その頃は、ミント味、クランベリー味、カフェイン抜きのアイスティーなど、強い味の製品がよく好まれたそうだ。
看板商品であるアイスティーの市場には、コカ・コーラがリプトン、ペプシがネスティーと組み参入を図っているが、これらジャイアント企業に対抗して次々と新製品を発表し、トップの座に君臨してるスナップルはとってもドワイルドなブランドなんだ☆
dowild.s
Work Boots
昨日は、普段履いてる愛着あるブーツたちのメンテナンスにずいぶんな時間を費やした♪
汚れを落とし、オイルを擦り込んでやり、日光浴させてと^^
考えてみると、1年を通して俺が外出時に着用してる靴のほとんどは「ワークブーツ」と呼ばれるモノばかりだ^^;
もちろんウエスタンブーツもその括りに入ります(^.^)b
スニーカーやサンダル系はもっぱらご近所用だし、イタリー製のオシャレなのも持ってたりするが前回履いたのはいつだったっけって感じ(笑)
無論「ワーク」と言えどもアメリカンカジュアル的なファッションアイテムの1つとして楽しんでいるんだけどね♪
そのアメリカのワークブーツを語るうえで外すコトができないのが、やはりアメリカという国の歴史だろう。
15世紀にコロンブスによって新大陸が発見され、その後アメリカンドリームを求めヨーロッパ各地から多くの移民たちが入ってきた。
そしてフロンティアスピリッツのもと開拓を進め、やがて現在のような移民族国家であるアメリカ合衆国を形成したワケだ。
開拓の歴史が終わる頃、強いアメリカの原動力ともいえる工業化が進み、重工業を中心とした労働者たちの足元を支えたのがワークブーツだった。
たとえば1920年代、1950年代は、多くの新しい産業が発達した時代。
自動車の大衆化はクルマの生産に必要な鉄、ゴム、石油などの産業を活性化し、間接的には道路建設にも影響を与えた。
同じく電化製品の誕生によって様々な職業も次々に活性化していった。
もともとソコで働く人たちの足を守るために生まれた質実剛健なアメリカン・ワークブーツだが、用途目的に合わせ必要な機能が備わりそれぞれに発展を遂げていった。
いろんなカテゴリーのブーツがあるが、言っちゃえばソレは仕事の数だけ存在する。
ファイヤーマンブーツ、ロガーブーツ、ミリタリーブーツ、ポストマン、ポリスetc.…
それらのブーツにはイギリスにあるようなドレッシーさは無用だったが、同じような技術(グッドイヤー・ウエルト製法など)は取り入れ確かな作りでありながら、まったく新しい発想のブーツを生んでいったんだ。
労働中のアクシデントから足を守るコトが最も重要であり、その上でいかに効率的に動けるかとして考えられたブーツたちなんだよ。
ソレは最高級の分厚いオイルドルザーを用いたり、頑強なステッチを採用したりと、よりタフな作りを目指した。
機能性追求型シューズこそがアメリカン・ワークブーツであり、最大の魅力だ♪
アメリカが生んだ偉大なる労働着ジーンズと同じで、自ら履き込んでマメなメンテナンスを加えながら自分流のスタイルへと仕上げるのも醍醐味でね^^
何故ハードなブーツを履くか?
大袈裟かもしれないが、しっかりと足元を見つめ直し、男としてのあきらかな夢や目的を持ち、共に厳しい人生に耐えるコトができるのがブーツなのかもしれない…
本当にカッコいい男とは何か、男として生きていく過程の中で、悩み、落ち込み、失敗しながらも自分探しの旅を続けるコトの大切さ、そして夢や希望を持って生きるコトの大切さを知る意味もある。
そんな本来の“ワーク”という目的とはいささか異なるが^^;俺の足元にはいつもドワイルドな相棒が誇らしげに輝いているんだ☆
dowild.s
HANDPRINT
三船敏朗さんの手形とサインが刻まれたプレート。
とある広場に、たくさんの著名人たちの手形プレートがずらっと並んでいるんだけど、どこだか知ってるかな?
ちょうど喫煙所になっていてベンチもあるんだけど、この三船敏朗さんの前が俺の特等席なんだ^ ^
その場所で空を見上げながらタバコを吸う・・・
そんな気持ちの良いひとときに、フッとした思いが頭をよぎる事がある。
「俺は何処に向かってるのだろう?」
自分を見つめ直す余裕も無く、ただひたすら突っ走っている現状に現れる疑問。
そんな時に足元を見ると、三船敏朗さんのプレートがそんな迷いもパッと吹き飛ばしてくれるんだ。
この立体的な手形が黙って男気を語りかけてくれるようでさ。
"役者"を極めた天才、世界のミフネ。
彼は目標をはっきりと定めていたのだろう。
俺の目標も定まっている。
ドワイルドがドワイルドである為に・・・。
dowild.m
HUB
忙しない日々が続く中、一人になって唯一安らぎがリラックスできる場所、それは英国風パブ・HUBなんだ。
ここ最近では毎日のように、1日の予定が全て片付いた夜にフラッと通ってしまう^ ^
大型TVで映し出されるスポーツ番組、店に響き渡るBGM、外国人の姿も多い・・・
はっきり言って騒がしい店内なんだけど(笑)、不思議と落ち着いてビールが飲めるんだ♪
そこには歩き疲れて、そして喋り疲れた身体を癒してくれる生ビールがある。
サイズはもちろん1パイントで(笑)
そこで、たった1杯のビールと3本の煙草を味わってから家路に着くのが今の習慣。
スタッフの温かいホスピタリティーと心地よいスペース、そして美味しいビールが身体と頭をリフレッシュしてくれる、というか・・・
キャッシュ・オン・デリバリーだから気兼ねなく入りやすいしね^ ^
以前はしょっちゅう仲の良い女の子とここで飲んでいたんだ☆
この騒がしい中だと、普段話さないような事まで話せたりしてさ。
この店で過ごす時間はあっという間に過ぎていく・・・、で飲みすぎちゃったり(汗)
HUBのメンバーズカードも、もちろんフル活用してちょっと得した気分♪
1人でも、仲間とでも、HUBは俺にとって特別な場所。
ドワイルドな日常の中において、素の自分に戻れる貴重なオアシスのような店なんだ。
dowild.m
Champion -T Shirt-
アメリカを代表するアスレチックウェア&ユニフォームメーカーのチャンピオンだが、とかく昨日書いたスウェットシャツの代名詞ともいえるリバースウィーブのイメージが先行してしまいがちだ。
実は定番アイテムであるTシャツにも新しいアイデアを盛り込み多くの商品開発が成されてきたんだよ♪
たとえば、糸自体を染色した色とりどりのTシャツが登場した'50年代には、大学のアスリートたちが他の大学の選手と色でも差別化できるようにとチャンピオンが開発したモノなんだ。
それまでのカラーリングといえば肌着から脱していないような白か霜降りグレーが大半だったからね。
またTシャツにレタリング加工で学校名やチーム名を入れたモノ、ナンバリングが施されたフットボールの練習着である“フットボールT”や、海軍の訓練用にと“リバーシブルT”などを初めて作ったのもチャンピオンだった。
同社の前身である「ニッカー・ポッカー・ニッティング・カンパニー」をニューヨーク州のロチェスターに設立したのが1919年のコト。
その代表サイモン・フェインブルームの没後、息子のエイブ&ウィリアムス・フェインブルーム兄弟が「チャンピオン・ニッティング・ミルズ社」として事業を受け継いだワケだ。
当初、彼らはニットを扱っていた背景を活かし、Tシャツやソックス、スウェットシャツの原型であるウールの下着を屋外労働者の防寒用として販売していた。
やがてミズーリ州のウェントワース・ミリタリーアカデミーの訓練用ウェアとして採用されるコトになって以降は昨日、記述した通り。
スウェットシャツ、Tシャツ、アスレチックソックスなどの開発に乗り出し'24年、最初の顧客であるミシガン大学とのビジネスがスタートしたコトがチャンピオンのターニングポイントであったのは間違いないだろう。
コーチからコーチへのクチコミにより全米の大学に広がっていったコトから「One Coach Tells Another」というチャンピオン・プロダクツ社のスローガンも生まれた。
Tシャツやスウェットにナンバーや大学名を染み込みやラバー、フロッキーといったプリント手法でレタリングしたアイテムも学校側に高い評価を受け、'34年に校内のブックストア(生協)における販売も開始している。
大学や米軍などの公的な場所とのビジネス展開は功を奏し、次々とオファーが舞い込み事業は拡大していった。
そのスタンスは、後世に残る数々の名品を残したワケだが、中でも俺も好んで集めたのが「ランナーズタグ」と呼ばれる'50~'60年代のTシャツかな^^
いわゆる巷で言うウ゛ィンテージなモノで、もちろんヘウ゛ィコットン、生地は斜行するし、襟もベロッとしてしまう^^;
けどそんなヤレ具合がまた、たまらないアジでもあったりね♪
時代的にはちょうどスポーツがレジャー化された頃で、まさにアメリカの豊かさを象徴した逸品だと思う。
年代によっても多少生地の性質は異なるが、アメリカンコットンのゴツゴツした肌触りが心地いいし、着込んで生地がよじれようが、気持ちよく着られればソレでいいんじゃない?みたいな、すべて満点を取りにいかないところなんかも実にアメリカらしくて良い^^
大量生産に移行しつつも、オリジナリティに溢れ、低価格で高品質な“肌着じゃない”Tシャツの市民権を獲得したドワイルドな立役者がチャンピオンなんだ。
dowild.s
Champion ‐Sweat Shirt‐
デイリーウェア的な存在のスウェットシャツ(トレーナーと言った方が分かりやすい方はその解釈で^^)を着たコトない人っておおよそまずいないよね?
外出時にはもちろん、部屋着としても普段から俺もよく着てるアイテムだ♪
中でもアメリカが誇るスポーツブランド「チャンピオン」のスウェットシャツが保有枚数も一番あるし、大好きなブランドかな^^
同社のルーツは、1918年にニューヨーク州ロチェスターで創業した小さな工場に始まる。
当初はニット製品だけを扱っていたが、'20年代前半にミズーリ州ウエントワースのミリタリーアカデミーにスウェットシャツの原型となるウール製品の訓練用ウェアが採用されると、その品質の良さが気に入られ、他の商品も製造・販売して欲しいとのオファーを受けたんだ。
そこで考えたのが、当時は洗濯するのに費用と技術が必要とされたウールの代わりに、洗濯しやすくて安く売れる素材を使うコトだった。
そして選ばれたのが安くて丈夫なコットン素材だったというワケ。
いかんせん当時、アスレティックウェアは高価だったので、チャンピオンブランドによるコットン素材の“ウォームアップ用スーツ”は革新的アイテムとなった。
その評判がスポーツクラブのコーチからコーチへとクチコミで広がり、'20年代後半までにチャンピオンは全米の大学へと浸透していったんだ。
しかし、ユーザーが増えるにつれ、軽視できない問題が大学側から寄せられた。
まずは「体育の授業で貸し与えたウェアを生徒が私物化しないように、管理しやすいウェアができないか?」という要望だった^^;
当時は、洗濯しても消えにくい文字をスウェットのような起毛素材にプリントするのは困難だったんだよね。
それでも学校相手のビジネスこそ事業拡大の大きな足掛かりになると信じていた同社は研究開発を重ね、その結果、数字や大学名などをプリントできるレタリング加工を'30年に開発した。
すると今度は「スウェットは洗濯すると縮んで困る」という苦情が…(´Д`)
さらに研究を重ね'34年に誕生したのが「リバースウィーブ」というアイテムだ。
俺も持ってるチャンピオンのスウェットのほとんどがコレ♪
当時、セールスマンをしていたサム・フリードランドという人物が顧客との商談中、相手が冗談交じりに「生地の縦と横を逆に使えば、丈は縮まないし、横にも伸びるコトがないのでは?」と言った。
コレを聞き逃さなかったフリードランド氏は歴代大統領のスーツ作りを行っていた店で、裁断の経験があるコトも手伝って、すぐに縦織りの素材を横向けに使い、新しいサンプルを作り上げた。
4年後には特許出願も行い、このリバースウィーブの登場によってスウェット人気にもより拍車がかかっていったというワケ♪
学生たちはアスレティックユースの枠を越え、カジュアルウェアとしてもスウェットシャツを着るようになり、そのスタイルは大学を飛び出し街中にも広まっていった。
やがて終戦からしばらく経ち、'50年代になると、大学のロゴネーム入りのスウェットが再び大人気となる。
カジュアルウェアとしての需要はブームで終わるコトなく伸び続けたので、商品ラインもタウンユースのキャンパスラインとアスレチックラインの2つにも分けた。
ハッキリ言って70年が経過した現在でも、コレを上回るスウェットシャツが登場していないのが事実だろう。
チャンピオンというブランドネームも凄いが、与えられた称号(愛称)「キング・オブ・スウェットシャツ」をその歴史が証明している。
スウェット生地の特性を見極め、その欠点を長所に変えた、まさに逆転の発想♪
この世紀の発明は、まるでドラマのようなドワイルドな話から誕生したんだよ☆
dowild.s
PEN CASE -Orobianco-
皆さんはペンケースってどんな物を使っていますか?
ペンケースは実用品、使いやすくて持つ喜びも味わえる物って探してもなかなか見つからないもんだよね。
ボールペンだけじゃなくマーカーやらサインペン、消しゴム、定規など、色々な物が必要じゃない。
程よい容量があって丈夫で軽量、そして大人が持てる洗練されたシルエット・・・
色々ありそうで、でも探すと気に入ったものが見つからなかったんだ。
そんな時に、大切な仲間dowild.883tさんがプレゼントしてくれたのが、このオロビアンコのペンケース。
オールブラックのボディにクロコ型押しのレザーが引き締めている、端正で洗練された雰囲気が実にクールなんだ♪
ちょっと長めの筒型をしたこのケースは、イタリア・リモンタ社製ナイロンのボディをレザーがトリミングをしている異素材コンビネーション。
しっかりとした革で補強されているので、ファスナーを開けて置いても自立している。
そして細身の割に収納力が高いのは柔らかいナイロンのおかげだね。
毎日持ち歩いているんだけど、必要な筆記用具は全て入れられるんだ。
細かいディテールもさすがは縫製技術に名高いオロビアンコ、小物でも手を抜かずに非常に丁寧に作られている。
ホント、これは小さい鞄だよ♪
鞄ブランドとしては珍しく、オロビアンコは素材やパーツまでオリジナルで製作し、セミハンドクラフトといえる手法で仕上げているんだよね。
1996年にイタリア・ミラノで設立された新進ファクトリー・バッグ・ブランド"オロビアンコ"
その品質と洗練されたデザイン・ワークによって生み出された高感度のアイテムは、世界中で高く評価され多くの支持を得ているんだ。
-カバンは「持って移動する家やオフィスである」-
883tさん、粋なペンケースをありがとう^^
今は毎日持ち歩いてるし、これからもずっと愛用するよ。
dowild.m
ADVANCE
ここ数ヶ月に渡り、とても慌ただしい日々を送っているdowild.mです^^;
何だろう?
人付き合い、人間関係、遊び(笑)、仕事、家族・・・
新しい環境への転換期だったのかな?
ずっと毎日、朝も早くから夜も遅くまで、何かと忙しなくて。
たくさんの人と話をし、たくさんの酒を飲み交わしてさ・・・、ずっとしゃべり続けてている(笑)
新たに学ぶことも多いし新しく出会う人も多く、正直言って多少疲れてはいるんだけど、何ていうのかな?とっても"新鮮"な感覚で毎日が楽しくってさ♪
時間が過ぎるのも早くて、あっという間だし。
思わず、まだ若い時にがむしゃらになっていた頃を思い出しちゃったりして(笑)
友人から「めったに経験できないから、この時間を楽しんで!」って言われてさ。
確かにそうなんだよね・・・。
歳を重ねるごとに、経験を積むごとに、日常の新鮮味って失われていく気がするんだ。
前に向かって進んでいく、自分自身に課したステップ・アップへの挑戦。
これからも、たくさんの苦労があるだろうけど必死で頑張るよ^^
幸せなことに、俺にはshigeをはじめドワイルドな仲間がいる。
彼らは俺が挫けそうになっても励ましてくれ、温かく見守ってくれる。
この忙しい日々に見出した答え、それは「大切なことは何よりも"人"なんだ」ということ。
dowild.m
Native American
昨日、久しぶりにまた「ダンス・ウィズ・ウルブス」を観た。
大好きなんだよね、この映画♪
いったいこれまでに何度繰り返し観たコトやら^^;
アメリカ人にとってフロンティア・スピリットは永遠の憧れだ。
見渡す限りの地平線、ひとっこひとりいない草原、どこまでも続く広大な土地…
果てしなきフロンティアが映像を通して見事に描き出された、壮大な西部劇叙事詩と言っていいほどの最高傑作だと思う♪
白人が人間ならばインディアンもまた人間、自然があって人間がいるという本来の姿をこの作品は伝えてくれている。
この「インディアン」の語源は、クリストファー・コロンブスがアメリカ海域に到達した時、ソコをインド周辺の島々であると誤認し、その地の先住民をインディオス(インド人)と呼んだコトに由来する。
彼らのコトをアメリカでは“ファーストネイションズ”“ファーストピープル”“アボリジナルピープル”などと呼んだりもするんだ。
今日のタイトルを敢えて“ネイティウ゛アメリカン”としたが、中には「インディアン」と呼ばれるコトに誇りを持つ部族もいるので、一概にその呼び方が差別用語だとはみなされないんだよ。
19世紀に連邦政府の枠組みに取り込まれていったネイティウ゛アメリカンの歴史は、困難と危険に直面し続けてきた人々の歴史でもあった。
そんな中で彼らは、勇気、自制心、無心、犠牲心などを自ずと養ってきたワケだ。
たとえば、映画にも出てくるシーンで、彼らが必要以上にバッファローを殺さない習慣は自制心によるモノだろうし、動物たちとの共存すなわち自分たちと自然界の現在と未来を見据えての行為なんだと思う。
今作でアカデミー助演男優賞候補に上がったネイティウ゛アメリカンを代表する俳優グラハム・グリーン氏はこう語っている。
『私たちほどシンプルでナチュラルな生き方をしている民族はいないのではないか。
家(ハウス)のために心労が絶えないような家族は家(ホーム)ではありません。
来客のため夫も妻も忙しくなるような家も、家ではない。
私たちにとって本当に必要な家とは、そこに住む人の幸せや健康のためにあるもの。
家族の人生に直結するものでなければならないのです。
私たちは、自分で困難を解決してこそ自信がつくことを知っています。
失敗した時にそれをどう克服するかという心理的基盤を作れます。
困難は、自分を飛躍させる機会。
それが子供への教育にも繋がる。
私たちは子供たちに対して責任を負う機会を与えます。
本来自分が背負うべき責任を誰かに押し付けることは敗北を意味すると教えます。
それが私たちの独立(インディペンデント)にも繋がっています』と。
ネイティウ゛アメリカンは、いつも「真実」に直面して生き、そして真実に直面するコトを通じ、ソレに打ち勝とうとする意志を持っているんだろうね。
北米大陸の植民地化が進む中、白人社会との生活圏交渉を余儀なくされた彼らは、サバイバルの歴史のなかで「変えられるコトを変える」という真理を生み出した。
変えられるコトを変えず、ただ不平を言って現実に直面するコトを回避して生きるのはそりゃあ楽だろう。
しかし、ネイティウ゛アメリカンは、19世紀末からの白人社会との戦争を経て、ソレだけでは種の保存をできないコトを知った。
居留地の中で生活し始めた彼らは、白人社会の想像を絶するスピードのなかで先祖の教えに導かれ現代社会の波に溶け込んでいったというワケだ。
ときに変えるコトは創造を必要とする。
たとえば1800年代の強制収容所で生み出されたと言われるシルバー製品は、本来、白人社会との共存を余儀なくされたなかでの創造物だった。
普遍的な空や大地と共存するのと同じように現代社会と共存しなければ生きていけなかったんだからね。
その「真実」に直面したとき、彼らのなかに「変えていこう」とする勇気が湧き起きたんだと思う。
そしてリザベーション(白人によって強制的に住まわされた場所)に戻った彼らは、自らの伝統を創造物に込めるコトによって歴史が途絶えないように努めたんだ。
そういう意味でもネイティウ゛アメリカンとは、実にクリエイティウ゛な人たちでもあるんだよね♪
幸せになるために我々の多くは金や権力を求めるが、いつの間にか幸せを犠牲にして金や権力を求めるようにもなりがちだ。
気がつけば最愛の人や最愛の趣味なんかも失くし、世の中の流行にばかり気を取られ、自分を見失ったりと…
そうじゃなくもっと自然で純粋に生きるコト、自分らしいドワイルドなライフスタイルでいていいんだというコトをネイティウ゛アメリカンが教えてくれた。
dowild.mファンの皆さんごめんなさい^^;
本日も引き続きdowild.sでした☆
DON ED HARDY
ここ数年のうちに世界各国で大ブレイクしたLA発のセレブファッション・ブランド「エド・ハーディー」
ブラッド・ピットやレオナルド・ディカプリオ、ブリトニー・スピアーズにパリス・ヒルトンらもそのアイテムを愛用し、ファッションに敏感な方ならよ~くご存知のブランドだろう。
俺はそのブランドよりもタトゥーアーティストとしての「ドン・エド・ハーディー」の方に興味があり、ずいぶん昔から知っていた。
巷でもキャップやTシャツなどを身に着けてる姿を目にするいわゆるアパレルの「Ed Hardy」は、あのリーバイスやディーゼル、ウ゛ォン・ダッチの元デザイナーであったクリスチャン・オードジェー氏がエド・ハーディーのライセンスを得て2004年からスタートしたブランドだ。
タトゥー柄のそのアイテムたちはどれもポップでクールな感じがイイ♪
その基盤となった絵柄“トラディショナル・アメリカーナ”と呼ばれるタトゥースタイルは、水夫(セイラー)によって広く全米に伝わったと言われている。
有名なハワイのタトゥーアーティスト、セイラー・ジェリー・コリンズ、オウエン・ジェンセンなどがそのオリジネーターと称されており、彼らが描いたタトゥーフラッシュ(デザイン画)は、クラシックスタイルとして21世紀のタトゥーアーティストにも多大な影響を及ぼしているんだ。
トラディショナル・アメリカーナの聖地サンフランシスコ、中でもドン・エド・ハーディーが主宰するタトゥーパーラー「TATTOO CITY」は特別な存在だ。
日本が世界に誇る伝統文化の和彫とクラシックアメリカンをミックスし、独自のスタイルを創造したハーディー氏。
和彫の真髄を極めるために'73年、28歳の時に単身来日し、岐阜の彫秀に入門した。
太く力強いアウトラインが一般的だったアメリカンクラシックスタイルに“浮世絵”など日本古来のデザイン、水彩画のように繊細な“ぼかし”といった技法を修得し取り入れたハーディー氏のスタイルは、アメリカのタトゥーシーンに強烈なインパクトを与えたんだよ。
また、いち早くカスタムデザインを取り入れたコトでも有名でサ。
限られたデザイン画の中から自分の気に入ったデザインを選んで彫るのが一般的だった時代に、顧客1人1人のためにオリジナルの下絵を起こしていた彼のパーラーには世界中から多くのファンが集まり「ドン・エド・ハーディー」の知名度は一気に世界レベルへと達していったワケ。
スカル(骸骨)やダガー(剣)などクラシックなアメリカンモチーフを繊細なぼかしとポップなカラーリングでアレンジし“トラディショナル・アメリカーナ”スタイルを構築したエド・ハーディー。
そのドワイルドなアートの数々はタトゥーのみならず、冒頭で触れたアパレル、あるいはポスター、書籍など様々なフィールドでファンの心を掴んでいるんだ。
dowild.s




























