背中で聴いたノーベル賞 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

ブログは本来「日記」なので、他人にとってはどーでもよいような日常の断片を綴ってもよいものだと思う。

おれは毎朝、会社のあるときは、5:45に起床している。
家族のなかでは一番早い。

起床後のトイレと手洗いのあと、最初の作業は松葉茶作り。愛用の土瓶に浄水器を通した水を汲み、松葉茶のティーバッグを入れて弱火にかける。

それから洗顔。

そのあと、電気シェイバーで髭を剃るのだが、剃っている時間、鏡に映る自分の顔をただ黙って見詰めつづけているのも退屈なので、何年も(10年以上)前から、髭を剃りながら「腹筋運動」をしている。

リビングで、ソファの座面の下に足をひっかけてのシット・アップ。

 

 


こんなにカッコよくないし、上半身裸になってもいない。

手にはシェーバーを持っているので、手を頭の上のほうにも挙げていない。


腹筋運動を始めるまえに、たいていテレビを点けるのだが、ソファに足をかけているおれは、家具の配置の関係でテレビに背中をむけている。髭剃りにかかる時間は、約4分間。おれはそのあいだテレビの音声だけを聴いているわけだ。


10月3日の朝、電気シェーバーを顎や頬にすべらせながら上半身を上下させているおれの耳に、今年のノーベル医学生理学賞が、惑沈開発に貢献したとの功績でmRNA技術の研究者に授与されたというニュースが聞こえた。

聴いた瞬間、「よりによってそこに来たか?」とも思ったが、腹筋運動を中断することなく髭を剃りつづけた頭のなかで、すぐに「なるほどね~」と納得した。

ノーベル賞というのは概ね、Deep・Sに貢献したものに贈るご褒美、あるいはこれから貢献してもらうための手付金であり、ひいては賞の威光に弱いシープルたちをさらに虚偽の海へ流し去るための有力なミスディレクションなのである。

人工多能性幹(iPS)細胞の開発者である山中伸弥も、当時はあれだけ颯爽として見えたのに、コロナ騒動の扇動者としてさんざん利用され、いまや無惨で見る影もない。

 

肝心のiPS細胞も、移植者に癌が多発しているという。

(もっと簡単に多能性幹細胞を作れるS***技術は、いまのところ闇に葬られている)

したがって、ノーベル賞を受賞したからmRNA惑沈が信頼に足るものだと解釈し、これまでの接種を正しい選択だったと考えた上で今後も安心して惑沈を接種する・・・、ということには、くれぐれもならないように。

 

2023年のノーベル医学生理学賞(Nobel Prize in Physiology or Medicine)を、新型コロナウイルスのワクチン開発につながったメッセンジャーRNA(mRNA)技術の研究で、ハンガリーのカタリン・カリコ(Katalin Kariko)氏と米国のドリュー・ワイズマン(Drew Weissman)氏に授与すると発表した。

 

 

 

ノーベル賞といえば、今年の文学賞は日本ではあまり馴染みのない(日本語訳の著書がほとんどない)ノルウェーの劇作家、ヨン・フォッセが選ばれた。

例によって村上春樹の受賞にはならなかったが、こうなったら、受賞することに本当に価値があるのかどうかも判らない。

あるいはノーベル賞にもDeep・Sの影響という点で賞ごとに濃淡があるのかもしれない。

科学や医療・政治の分野とちがって、文学には個々の文化を破壊し、グローバリズム化を促進するほどの力はない。仮にそういう方向性の作品があったとしても、(まさにそこにきちんと書いてあるので)情報操作や印象操作も難しく、黒を白といいくるめて高評価するのは比較的困難と思われる。

だからといって、ノーベル文学賞を受賞した作家だから非の打ち所がない、ということでは、もちろんないと思う。

大江健三郎がそんなにすごい作家か? 熱烈なファンが深読みしすぎているだけではないのか? と思うこともあるし、2021年の1月6日の合衆国議会議事堂での「暴動」をトランプが扇動したというフェイク報道に対して、カズオ・イシグロが反トランプの立場から非難している言葉を聴いて、「ノーベル賞作家だからといって調べもしないで的外れなことを言ってるんじゃないよ。末代までの恥になるぞ」と片腹痛く思ったこともある。(ノーベル賞作家だから担ぎ出された、というのが正解だろうが)

しかし、当時から反Deep・Sであるはずの三島由紀夫がノーベル賞の受賞を切望し、関係者に「是非受賞させてください」と活動(賞活というのか?)までしていた、というのは有名な話だ。また、三島由紀夫の師である川端康成が受賞した、という点から見ても、文学賞に関しては、それほど「酷い」ものではないのかもしれない。希望的観測だが。

一方で三島由紀夫は川端康成の受賞のあと、次に日本人が受賞するとしたら大江健三郎くんだろう、と予言していた。
それは大江健三郎の才能を高く評価していたのと同時に、三島が「賞活」を通じて「ノーベル文学賞の選考の基準・方向性」を悟ったからとも考えられる。

ああ、このような性質の賞ならば自分が受賞することはないだろう。日本人で受賞するとしたら文学的方向性から大江くんだな、と三島由紀夫が想ったかどうか・・・。


今回は、このブログとしては短いかもしれないが、ここまで。

いつも長すぎる、という自覚はあるので、でき得るならば、せいぜいこのくらいの長さでまとめられたら、と思う。
 

 

 

最近再読した一冊。あたらめて、現代的だ。
 

 

 

おれが読んだカズオ・イシグロは、いまのところこれ一冊のみ。

独特の構成が異様な雰囲気を醸成している。

これを原作とした映画もドラマも、DVDを借りて観た。

 

 

 

映画版。

 

 

日本語ドラマ版。三浦春馬も出演している。