第41回 豊田有恒『韓国が漢字を復活できない理由』 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

読後感銘を受けると(あるいは読書中受けていると)、
是非、「この本」をブログに取りあげたいと思う。

しかしそう思いながらも、
まとめる時間が取れないでいるうちに、
次の本を読み始めてしまって、
前に読んだ「あの本」については、
「いまさらブログに・・・?」
と思ってしまう。

・・・その繰り返しだ。

通勤したり、出張したりして、
そのあいだも本は欠かさず読んでいるのだが、
しかし、ブログの更新からは遠ざかる・・・。

・・・といった言い訳はさておき、

今回、久々に取りあげるのは、

豊田有恒 著『韓国が漢字を復活できない理由』

だ。

現在、韓国語表記の主流を占める「ハングル」というのは、
ご存じのように表音文字で、
本来(というべきなのか)必要に応じて漢字を混ぜたほうが、
格段に意味が通じやすい(はずだ)。

それはひらがなばかりのにほんごがよみづらいのとおなじりくつだ。

しかし、現在の韓国では、
漢字を使用することは、かつて日本に統治されたことがあるという
歴史的事実を認めることにつながるため、
極力漢字を排し、ハングル表記一辺倒に突き進んでいる。

学校で漢字教育を受けていない世代が増えているため、
漢字に対する識字率も低下している。
(正確には、漢字教育を受けた世代と受けていない世代が
重層構造になって存在しているらしい)

でも、どうして漢字の使用が日本による「支配」につながるのか?
(だって、漢字って元々「中国」のものなのに・・・)

そして、「漢字」を封じるがゆえに発生している、
韓国語自体への悪影響・・・。

このあたりの事情を、
SF・歴史小説家であり、希代のコリア・ウォッチャーである
豊田有恒氏が、詳しく、執拗に(!)解説している。

本書で解説されている「韓国語」事情を、
時系列でまとめてみると、次のようになる。

現代韓国語は、統一新羅の言葉が基本となっているそうだが、
この時代の「古代朝鮮語」は、もちろん、漢文で表記されていた。
(仮名に相当する文字など無いのだ)

韓国(朝鮮)の場合、中国の影響・呪縛は、
地続きであるゆえに日本の比ではない。

時代は下り、李氏による朝鮮王朝時代、
名君・世宗王(在位1418~50)の治世にハングルが創製された。

しかし、せっかく創製した「ハングル」も、
当時は蔑視と非難を受け、長らく(本当に長らく)普及しなかった。
まだまだ、漢文至上主義が大多数派で、
ハングルを当時の知識階級が使うことはなかったのだ。

その後、漢字・ハングル併用を強烈に推進したのが、
かの福沢諭吉である。

福沢諭吉の慧眼は、漢字・ハングル混用が、
韓国の教養・見識を高めることに不可欠であると見定めていたのだ。

しかし、ここで「漢字・ハングル併用」を日本人が推奨した、
という事実が、のちに独り歩きしてしまう。

第二次大戦後、(中略)漢字・ハングル併用は、日本帝国主義の残滓のように誤解され、排斥の対象とされるようになった。

このあたりの事情が、ちょっとこみ入っている。

国号を韓国(大韓帝国)とあらためていた朝鮮が
1910年、日本(大日本帝国)に併合される。

この時代、日本は朝鮮を「植民地化」したのではなく、
「併合」したのだ。

植民地化なら、そのまま現地語を赦したのかもしれないが、
そうではなく、併合、統治である。

当然、そこで使用されるのは日本語であり、
教育されるのも日本語である。
(この時代、日本は京城に帝国大学を設立した。
もし植民地化なら現地の知的レベルを低いままにしておいたほうが都合がいいので、
けっして大学など作らない)

この時代、「『日本製の漢語』が大量に流入する」。

日本製の漢語とは何か?

それは日本が文明開化の時代、
欧米の用語・概念を取り入れるために、
刻苦勉励して翻訳・訳出した漢語のことである。

韓国で使用されている漢語の多くが、
この「和製漢語」がなのである。

しかし、第二次世界大戦における日本の敗戦により
大日本帝国は崩壊し、韓国は日帝支配から「解放」された。

しかし、そのときすでに「日本語」「和製漢語」は、
韓国語を変容させるほど深く浸透してしまっていた。

「和製漢字」「和製漢字熟語」抜きに、
「世界」を表現することはできなくなっていたのだ。

しかし、ここに韓国の強烈なナショナリズムがからんでくる。

日本に「統合」されていたという「屈辱の歴史」を否定するために「漢字」を排し、
韓国初代大統領の李承晩が1948に「ハングル専用法」を公布するなど、
ハングルのみの表記を推し進めているのだ。
この「漢字を排する」という方法が一筋縄ではいかない。

実例は本書にわんさか載っているのだが、
ここでは無理矢理、
この「漢字排斥」が日本で起こった場合に置き換えて説明してみる。

たとえば日本で漢字を排した場合、
ひらがなとカタカナだけで表記することになる。

韓国が漢字を復活できない理由

   ↓

かんこくがかんじをふっかつできないりゆう

   ↓

かんこくが かんじを ふっかつできない りゆう


これだけでも、日本語表現が崩壊してしまうだろうが、
しかし、ここでさらに「ひとひねり」が加わる。

例えば(ホントに例えば)の話だが、
仮に、「復活=ふっかつ」という熟語が、
日本にとって、憎っくき○○国が作った言葉であるとする。
だから「復活」をそのまま仮名にしただけの「ふっかつ」も
○○風だからNGとしてしまうのだ。

すると、こうなる。

かんこくが かんじを よみがえらせることができない りゆう

・・・という不自然な表現になるわけだ。

以上はおれが即興で作った下手な「例」にすぎないが、
これとほぼ同様の「漢字狩り」・・・というより、
そんな漢字などなかったかのような工作が、
実際に韓国語で大々的に、
国を挙げて推し進められているのである。

漢字を排するといっても、
ただそれまで漢字で書いていた単語をハングル表記にするだけではない。
日本語風と思える単語そのものを「韓国風」の表現に置換してしまうのだ。
(この置換を、「純化」と呼んでいる!)

この「国策」を推し進めるにあたって、
「ハングル」は世界でもっとも優れた表記である
というスローガンも底にある。

そして、背景には、いうまでもなく、
韓国人の「性格」と、それゆえの強烈な「反日イデオロギー」が存在している。

豊田氏いわく、

(戦前の日本統治時代を体験した)世代も、反日には違いなかったが、実際に生身の日本人を知っているから、かならずしも無条件の反日ではなかった。併合にいたったのは、朝鮮王朝時代の陋習、腐敗など、自分たちの責任であることも、わきまえていた。彼らが日本人の良さも知っていたからだ。
しかし、現在の韓国では、多様な日本観は許されない。

(中略)
現在の反日は、彼らが観念的に作り上げた、いわばヴァーチャルな日本人を念頭においたものである。悪逆非道、残忍無比な日本人を想定して、その架空の日本人像に対して、さらに反感を募らせているのである。

(フランスでの英語排斥を例に引きながら)外国語排斥は、フランスに限らず、いろいろな国で起こっているのだが、韓国のケースは、常軌を逸している。韓国は国是として、日本の影響を排除することが、伝統となっている。それ自体は、一国の政策であるから、批判の余地はない。しかし、実際に日本の影響を受けたケースでも、受けなかったことにしてしまう。いわゆる「日本隠し」という現状が問題なのである。

またいわく。

つまり、日本とは、こういうものだという、彼らだけの定義があって、そこからスタートするから、彼らの日本イメージと合致しない事実が出てくると、すべてご破算になってしまい、また、彼らが考える日本イメージに立ち戻ってしまうのだ。その場合、実際の日本がどうだったかは、まったく検証されない。あくまで、彼らが考える日本イメージだけが優先される。


豊田氏の指摘は、韓国人全員に適用できるものでもなく、
もちろん「解っている」韓国人も少なくないだろうが、
(韓国人全員が反日である、というのは逆に「反韓イデオロギー」だろう)
こうした反日感情、反日イデオロギーを背景とした漢字排斥によって、
「教養の低下、語彙の貧弱化、言語の伝達の不足など、多くのマイナスを抱え込んで」
しまっている韓国の現状を、豊田氏はまさに我がことのように憂いている。

もし、仮に、韓国が初めから、
アルファベットやキリル文字表記の国なら、
なんの問題もなかっただろう。
「表音文字」だけで高度な知的体系を築いている国が、
現に世界中にあるのだから。
(厳密には、数学の「記号」などは、ある概念を表す「表意文字」だが)

漢字を使わない言語がダメだといっているわけではない。

そうではなく、もともと漢字国であり、
漢字の裏付けのある単語が主流を占めているのに、
漢字表記だけを排斥してしまうとどうなるか・・・。

象徴的な例が、開巻早々に載っている。

상 상 상 

同じ「文字」が三文字。これは「サング サング サング」と読む。
(ただし「グ」鼻濁音。実際は「サーン サン サン」に近い)

これは「想」「像」「上」の韓国語読み(=ハングル表記)だという。

「想像上」という漢字にハングルで「ふりがな」をつけると、

상 상 상 

になる。
日本語なら「そう」「ぞう」「じょう」だが、
韓国式の発音だと三文字とも同一音、すなわち同一ハングル表記になるわけだ。

そして、この 상 상 상 だけを表記されると、
ほとんどの韓国人でも、どういう意味なのか見当がつかないという。



・・・・・・・・・。

ところでだが・・・、

おれは、ハングルが、なんとか「読める」。
正確で微妙な発音までには至らないが、
ハングルを発音することは、なんとか、できる。


しかし、自慢ではないが、韓国語は解らない。
憶えている・知っている単語はたぶん2桁だ。
だからまるでちんぷんかんぷん。
でも、いまのところ、韓国語を本気でマスターしようともしていない。

かつて読んだ本のなかで、呉智英が、
半切表(横列に母音、縦列に子音を表記した組み合わせ表)を見て、
「ハングルを一日でマスターした」と豪語していたので、
それからしばらくして、おれもハングル入門みたいな本を買って、
(まったくの独学で)挑戦してみたのだ。

しかし、半切表を見て「ああ、こんなもんか」と理屈をマスターするのと、
ハングル文字をぽっと出されてそれが瞬時に読める段階は、
まったくの別物だ。両者には雲泥の差がある。

「泥」から「雲」までの遠かったこと!

半切表の理解はともかく、本当に「読める」ようになるには、
呉智英がいかに強靭な記憶力を持っていたにしても
一日では(たぶん)無理だ(と思う)。

おれは、なんとか「読める」ようになったので、
通勤時に駅などに表記されている「ハングル」を
いちいち読むのも楽しみのひとつだ。

見慣れた地名・駅名も、
ハングルで表記されていると、イメージががらりと変わる。

でも、いくら駅名を(ハングルで)読めても、
それは所詮「日本語」だから、
韓国語のマスターとはとてもいえない。

ま、「改札」とか「方面」とか「出口」という
駅でよく使われている単語はかろうじて憶えたけど・・・。








韓国が漢字を復活できない理由(祥伝社新書282)