そして、ちょっとだけ続き…
この本の最後の最後には、カサンドラ症候群についての記載もあった。
配偶者としての共助とは何か?
共感性、情緒面での相互交流に乏しい。これはASDの特性であって改善することは不可能。
その点の「理解と受け入れ」がもっとも重大で重要な共助(サポート)なのだ。
理解はまだしも、「受け入れ」これがすごく時間がかかるし、難しいところだと。
まあ、そうだよね。
自分の求める形での愛着、労い、気遣い、その他、察したり推し量ったりする事柄が配偶者から一生与えられることはない。ってことを「不快」ではないところまで自分の中で落とし込まなければいけないのだから。
「こういう時は、こう声を掛ける」とか、
ある程度ルール化できるところは、そうしていけば、
少しは生活面でイラついたり悲しい気持ちになったりすることは減らせるかもしれないけど。
私には、やっぱり不愉快さを拭うのが難しい感じがする。
「それでもいいよ」って思えない…
少なくとも、今の私には無理だ。
そういう特性なのだから、それでいいじゃないか。とは、少しも思えない。
それに考えようとすると頭がフリーズする…
よく知らなかったとはいえ、わざとじゃなくても、その言動に傷つけられたという事実は、
そう簡単に思いに上らないように、まるでなかったかのようにはできないなぁ…
でも、これは、ASDに限ったことではないよね。
どんな特性でも生まれ持ったものは、治す、変える、そういうことはできないのだから、
「こういうものなのだ」って理解して、
「良い」というところまではいけなくても、せめて「不快ではない」常にイライラしない。そういう状態にならないといけない。
それが、配偶者としてのサポートで、お互いの生きづらさを軽減する方法ということなんだものね…
やっぱり、結婚するなら、本当に心から愛している人とするべきなんだなぁと、今更思う。
私、死ぬまで続く毎日の中で、
「好き」よりも「楽」な方が大事なんじゃないかなって思って、
大好きってわけじゃなかったけど、
(その当時は)一緒にいて、細かいこと言わないから楽だと思って、
生涯一緒にいるとするなら、「楽」を取ろうって、結婚したんだよね…笑
鬱の治りかけ状態だったから、なおのこと、「楽」を選んでしまった。
でも、今、こうなってみると、楽だと思っていたものは、そう見えただけで、
全然、楽じゃなかった。
大して好きじゃないから、それのために、頑張る気にもなれないし、
負担を負ってでも一緒にいようと気持ちがこれっぽっちもない…![]()
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よく、分かった。
これから結婚しようと思っている人たちへ。
一緒にいて楽しいとか、楽とか、その程度じゃなく、
その人のために自分が死ななきゃいけないとしたら、迷わず死を選ぶくらい
死ぬほど好きな人とだけ、結婚した方がいいよ!
ま、恋愛してる時は、死ぬほど好きな気がしちゃうもんだけどねwww
以上、読了後の覚えておきたいメモ4点+αでした。
お付き合いいただきありがとうございました![]()
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