私が、この本で納得したり、反省したり、勉強になったなぁと思うこと、三つ目。
大人であるから必要なこと
当事者である人は、自らの特性に気付いて、自ら工夫していこうという動機を持って行動することが大事なのだそう。
自分で工夫して行動していくのを「自助」というそうだ。
共助という周りの人からのサポートを引き出すためにも自助は必要。
色んなことが思った通りに進まなくても、期待した通りにならなくても
当人が一生懸命努力しているからこそ
周りも「何か協力してあげられることがあったらやりたい」と思えるのだから。
そして、そういった自助に取り組み続けることが、当事者自身と、周りの人間の生きづらさの軽減に繋がっていく。
自助、共助に取り組む時にいつだって、忘れちゃならないこと。
それは苦手なことは人間なら誰にでもあるということ。
自分自身であれ、自分以外の人間であれ、その苦手なことのために自己評価を低くする必要はないということ。
自助・共助が必要であるような、つまづきがあっても、
それは「周りの人間が悪い。おかしい。」のであって、
自分は悪くないと思って、自助に取り組もうとしない人も中にはいるそうで…
そういう人たちに対しても
「その人にしか分からない何らかの事情があるのかもしれない」
という視点で見るようにして、自分自身の価値観で相手を決めつけないように注意する。
そういう人たちの中には、幼少時の経験とかにトラウマがあって、
色々とうまく出来ない状態になっていることもあるみたい。
そりゃ、傷付いた自分の心の状況を自力では解明するのは、簡単ではないだろうしねぇ…
その場合は自助の前に、自分の心のケアが必要だろうね…
実は、私の夫も、
私が「あなたの言動は少しおかしい。私は不快に感じている」と言っても、
私が怒っていると分かっていても、
「俺は悪くない。」と言い張り、
自助の必要性なんてまったく感じないし考えてもいなくて…
この辺りの話は、すごく考えさせられた。
自分自身が「自分はなんで、こういう考え方になっちゃうのかな?」って自分のことをもっと見つめようとしないと、周りの人がどうこうできる話じゃ、やっぱりないんだなぁ…と改めて思った。
ここ数年は、夫の反応に「どうして、ここまで自己中になれるんだろうか…」とずーーっと憤慨してきたんだけどね…
義父母の発言では、これまでチュンの特性に関して
「それくらい子供ならみんな、あるわよ。そんなもんじゃない?」
と、あくまでも「普通」の子供でいさせようとする発言が割と多かったんだよね…
夫は大人になったから、悪目立ちしてるってのもあるのかもしれないけど、
こんなにも、はっきりと特性が見えているのに
「そんなの普通」
「そんなのよくある」
って「普通」であることを夫にも期待して育ててきたのかなぁ…と。
そのせいで、ひねくれちゃって自分の内面がよく見えず、周りに責任転嫁するしかないんだとしたら、幼少期を紐解かないと現状を好転させるのは無理そうな感じするし、当人の頑張りだけでは、どうにもならないんだろうなと納得。
カウンセリングでも
「本人が必要を感じなかったら、いくらこちらから働きかけても意味がないんですよ」
と言われてきたし、まあ、確かにそうだよねぇ…とは思ってはいたけど。
それなら、「自分をよく知ることが必要だ!」と当人に思わせるようにするにはどうしたらいいの???
何が、その気にさせるのか…は、神のみぞ知るなのかな(^^;;;;
④に続く・・・
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