冬のなごり
は、昨日で終わりを迎えた。
明日から気温が一気に上がり、週末はもっと暖かい。
しかし、外気温が上がって油断して軽装備のウェットで入水したら、えらい目にあうシーズンでもある。
理由は雪解け水が川を伝って海へ流れ込むのと南風が強く吹くシーズンでもある。
南風が強く吹くとコリオリの力で表面の暖かい海水が東の沖へ行き、それを補う為に深海の冷たい海水が上がってくる。
ゴールデンウィークでも、5ミリのフルスーツとブーツは用意した方いい場合もある。
話変わって、ウクライナ。
本当に悲しい出来事で、想像を絶する。
僕はただロシアが悪いという視点は封じて、なぜ?こんなことになったのか?という経緯を深く見ている。
ここ1ヶ月、知りうる情報を片っ端から勉強していろいろ考えてきたが、複雑な心境で答えが見つからない。
でも、やっぱり戦争を回避する唯一の手段だったのは、ウクライナがNATO加入を見送ることしか思いつかない。
ウクライナがNATOへ加入して、ウクライナに核兵器を置けば、昔のキューバ危機の逆ヴァージョンなところがあり、ロシアにしてみれば玄関の前に核兵器が置かれることになる。
そして、アメリカは核ミサイルが飛び交う第3次世界大戦を避け、軍を送らなかった。
送っていたら、核戦争に発展する可能性があると判断したことは言うまでもない。
でも、バイデン氏は戦争を止めようとしなかったのも事実で、むしろ ,煽っていた。
マネーゲームの人間のしたたかさが垣間見える。
戦争が起きた方がアメリカやバイデン氏にとっては得なんだろう。
戦争が始まる前に、ウクライナがNATOへ加入したら戦争になる可能性が大きいので、今は見送ろうと、アメリカや欧米の首相が助言しても良かった。
まさか本当にロシアがやるとは思わなかったと、多数の欧米の首相が思っていたように思えるけど、プーチンはある意味、一人で12か国も相手にしてきた経緯があって、最後は何するか?わからない。
これは社会主義対民主主義の戦いのところもあり、一筋縄ではいかないが、どんな方法を使ってもアメリカはじめNATO側が、戦争を回避するように動かなかったことに深く疑問を感じる。
ウクライナに核兵器は置かないとしていれば、戦争を避けることは出来たように思える。
中世温暖期
昨日書いたおよそ1100年前の温暖な時期。
なぜ?この時期は気温が高かったのか?
考えられるのは、マグマが活発な時期、あと太陽の黒点による影響や宇宙線量の大小、あとなんだろう?
ミラコビッチサイクル [太陽と地球の距離]はこの時期は関係ないかな。
あとこの時期の地球の歳差運動は、どうなんだろう?
ちなみにこの時期は、二酸化炭素濃度は関係ない。
僕は、よく思うのは地震が活発な時期と上のグラフを当てはめてはどうかと。
たぶん、2000年前以降の巨大地震はわからないから難しいと思うけど、確かなのは1100年前頃は世界中で巨大地震が頻発した。
まあ、もっと深く掘って津波の堆積物でわかるけど。
どこどこ大学の名誉教授が言っていたから信じるとか、国連のI PCCが言っていることが正しいとか、メディアが言っていたとか、そうゆう考えはやめて、自分達で考えてみよう。
かつて、アインシュタインが言っていたように、想像力は知識より大事である。
僕は温暖化の原因が二酸化炭素だったら、それはそれで受けいれるし、そうでなくても、長期的に見て地下から資源をバンバン採掘して燃やす方法以外のエネルギーを模索する時代だと思っている。
いろんなメリット、デメリットはあるだろうけど、持続可能な社会を目指すのは、人類の自然な流れである。
寒い冬
朝起きてトイレに行くと、時たま水が流れない。
あれ?壊れたと思いきや、水道管が凍っていることが温暖な勝浦の海辺でも10回ぐらいはあった。
水道管凍結は今までほとんどなく、今年は寒い。
寒い原因は偏西風の蛇行で、図に書いたように北極を上から見ると冷たい空気がいつもより南下している。
丸い地球の大気はつながっていて、空気は混ざるから、南北の温度差があればあるほど寒気は南に流入しやすい。
温度差を整えている。
去年の秋頃に気象庁が発表したように、ラニーニャ (西太平洋の海が暖かい) やインド洋の海水温が高い年は寒くなる傾向がある。
この温度差を整える自然現象によって、上空の偏西風も蛇行しているように思える。
そこに加えて、温暖化問題。
現在、温暖化は間違いなくしており、その原因は二酸化炭素による温室効果のみとなっているがいくつかの疑問がある。
まず、海水温が年々上がっているのだが、大気の熱のみで海を暖めたとなっている。
二酸化炭素は確かに温室効果の作用があるが、温室効果のみで、ここまて海水温が上がるのだろうか?と言うのが最大の疑問。
海を暖めている要因は他にもあって、世界中で建設された原子力や火力の大型発電所の温排水の総量を試算していないこと。
そして、じつは最近知ったことがある。
それは、およそ1100年前頃に気温が高かった時期があった。
1100年前と言えば、前回の記事で書いた巨大地震が日本周辺で頻発した時期。
当然、環太平洋のあちこちで巨大地震が発生したと推測するのが普通だから、現代みたいに世界的に海底火山や火山が活発に噴火していた時期で、マグマが活発に動いていたと思う。
かつて大陸は一つで、それが分裂して今があって、地球内部のマグマの動きが活発な時期と比較的活発じゃない時期があるという考えはないのだろうか?
誤解して欲しくないのは、温室効果のことを否定しているのではなく、温室効果のみが海を暖めているという定説に加えて、温排水と海底火山も一緒に考慮する必要があるということ。
話をまとめると、温室効果による影響、1950年頃から発電によって海に流したお湯の蓄積の量、そこにマグマの活発な時期が重なったのではないかと推測する。
元々、温室効果説を言い出したのは原子力を推進したい人達で、彼らは外部被曝や外部熱 【温室効果】 の説明だけで、内部被曝や内部熱 【温排水】 のことになると知らん顔をする。
外部と内部、かけて書いたけど、どうもこのことが頭から離れないんだよね。
不気味な共通点
東日本大震災からおよそ11年が経った。
地震のことをすべて人間が把握するのは不可能だが、わかることもある。
日本の場合、三陸沖と東南海沖と千島列島沖は、周期的に大地震が発生している。
東日本大震災の後、いろんな人に次はどこで大地震が起こりそう?とよく聞かれることがあって、僕はこう答えていた。
よくわからないけど、真ん中というキーワードが脳裏をよぎっていて、真ん中、真ん中と答えていた。
そして、熊本で大地震が発生した時、中央構造線上だったのを知り、真ん中とは中央構造上という意味だったのかなーと自分の中でそう考えていた。
正直、僕は地震の余地能力なんかない。
でも、震災の数週間前に超リアルな巨大地震の夢を見たとブログでもアップしていて、その内容は今でも鮮明に覚えていて、僕は小学校で英語の先生をしていて、教室内で大きな揺れに遭遇し、普通は揺れがおさまったら、校庭に避難するんだが、その夢の中は、何故か?屋上に生徒達と避難した、そしたら、あたりの家が全部潰れていて、いつもより高いところに避難したと書いた。
でも、その夢で津波のシーンは見ていない。
後にも先にも、ブログにそんな夢をみて、いつもより高いところに避難したと書いたのは、ブログを始めて17年にもなるが、その時だけである。
こうゆう体験をすると、やはり、次はどこなんだろうと自分でよく考えるのだが、ここ数年、正直、いろいろ嫌なことが重なり、直感が鈍っているのは確かで今はわからない。
僕の中で欲を出して、何かを当てようとか、何かを予言しようとか思うと、何もひらめきがなく、本当にただ純粋に震災前の反原発運動は無償の愛みたいな精神状態で活動していたから、そうゆう時に摩訶不思議なことが多々自分に起こることはなんとなく知った。
話を本題に戻します、バヌアツの法則と言って、南太平洋のあのあたりでマグニチュード6以上の比較的大きな地震が発生すると、日本近海で比較的大きな地震が一週間からニ週間後に発生するということが、だいたい確率6割以上で起きていて、震災前もニュージーランドで大地震が発生した。
火山噴火と大地震はリンクしているから、トンガの大噴火の後、バヌアツの法則のことを考えはじめて、1週間後ぐらいに日本で大きな地震が来そうと思っていて、実際、昨日も大分で起きた。
そして、バヌアツの法則というのをいったん置いといて、もっと大きな視野で周期的に来る大地震のパターンを見てみよう。
ポイントは貞観地震の前後、 【貞観地震とは1100年前に仙台平野の内陸5キロまで津波が達した巨大地震】。
東日本大震災が1000年に一度と言われた理由は、1100年前に起きた貞観地震以来、東日本にあれだけの広範囲を襲った津波がないからだ。
貞観地震と東日本大震災をほぼ同規模と考えた場合、貞観地震の後に発生した大地震を見ると、関東の相模、次に東南海ということで、この2つの地域が要注意ということになる。
これは僕が言っているのではなく、自然がそう言っている。
それと、忘れてならないのは北海道の千島沖で、千島沖は400年周期で発生していることがわかっていて、前回は1600年頃で、その時に八丈島も噴火して、それ以来、八丈島は噴火していない。
火山噴火と大地震がリンクしているのは間違いないことで、トンガの大噴火はバヌアツに近いし、今後、日本への影響が懸念される。
あと、東南海沖の大地震が発生する前は、西日本の内陸で大きな地震が発生することも分かっていて、もしかすると、西日本の内陸で起きる可能性もある。
話をまとめると、関東、西日本の内陸、東南海沖、千島列島が要注意だということは大きな自然のサイクルを見れば誰もがそう思うし、上げた地名が前後するかもしれないし、それは、今日かもしれないし、明日かもしれないし、一年後かもしれないし、10年後かもしれない。
地球の自然のサイクルを考えた場合、今、自分達は、最も危険な時期に生まれて、生きていると言っても過言ではない。
世界のジャッジの変化 3
20歳の時、重いシングルか?軽量スタビか?
世界のジャッジの変化は、だいぶ前に書いたが、続きを書きたいと思う。
ロングボードのジャッジングについては、過去、幾多に及び議論されてきた。
90年代初期はシングルフィンが主流だったが、93年頃からフランスのアパレルメーカー、オックスボゥが冠スポンサーについてから徐々に変わりはじめた。
なぜ?変わったかというと、試合を開催する場所が、世界の名高い1級ポイントで行われたからだ。
ハレイワやマカハ、レユニオン島のサンルー、フランスのサンセットと呼ばれるギタリー、南アフリカのジェフリーズベイ、メキシコのカボサンルーカス、メキシカンパイプライン等、、しかも、ハイシーズンでウェイティング期間も長く、波は当たる、当たる。
ダブル、トリプルというコンディションでの試合が多く、シングルフィンでは歯が立たなくなったからだ。
当然、選手達はそれを想定して試合に挑むわけだから、ボードはシングルフィンから軽量のスタビライザーになっていった。
ノーズライディング、ラウンドハウスカットバック、垂直リッピング、そして、チューブもあり、70年代初期に次ぐ、第2回目のロングボードレボルーションと言っていい時代だった。
やがて、ブラジリアンやハワイアン、カリフォルニア組の半数、オージー達が、ノーズに1回も行ってなくても3発当て込んで7点、8点がつきはじめ、選手達は困惑し始めた。
当て込みしかやらないならショートボードに乗ればいいじゃんとか、これは何のコンテストだ?とか、しまいにはショートボードロングのコンテストか?とまで揶揄されていろいろ議論された。
そして、90年代終わりから2000年初期頃に、1つの波で両方やったやつが凄いという評価になった。
両方とはノーズとマニュバー。
そして、2005年頃になると、オックスボゥがスポンサーから撤退したのと、主力だった運営スタッフや選手達が年齢と共に試合から離れ始め、ヨーロッパのスタッフやカリフォルニアのスタッフが増えた。
ヨーロッパやカリフォルニアのスタッフは、やっぱりロングボードはノーズライティングでしょう!という人達が多く、フットワークやフロウ(流れ)を重視しようということになった。
オックスボゥもスポンサーから降りたことにより、1級ブレイクから普通のビーチブレイクにコンテスト会場が変わり、小波での試合が増え、いいノーズライティングを評価するコンテストになり、それは現代にも至る。
では、いいノーズライティングとは何か?
簡単に言うと、体の軸がぶれないウオーキングから波が掘れる際どい位置でノーズに足をかけ、スピードもあり、しかも長時間ノーズにいて、その中にハングテンの完成度ってことで、そこにカットバックやエンドセクションのローラーコースターも綺麗にきまる。
こうして、90年代初期に始まったロングボードリバイバルから、軽量のロングボードレボルーショーン、そして、現代と、一通りいろいろやって現代の形に落ちついた経緯がある。
それとこうゆう話もあって、その人の身長に応じて、例えば、ボードの長さは身長プラス110センチに重さは何何以上とか、規定を定めようという話も20年以上前からあるが、そうなるとあまり面白くないのかな。
そんな規約での試合は今後ないと思うけど、究極を言うとそうゆうことになり、ブレイクもレフト、ライト、フェアで行われることが本当のフェアということになる。
それにしても、90年代のあのオックスボゥのコンテストは、同時はよくわからなかったが、今ではないね、ああゆうコンテスト。
ある意味、本当のウォーターマンが集まって、ダブル、トリプルで誰が一番うまいか?ってやったんだもんね。
南岸低気圧通過
あけましておめでとうございます
都心では多くて3センチぐらい積もる予報が、なんと?10センチも積もったんだね。
波の方は、低気圧の速度が早く、腰〜胸ぐらい。
最近よく隠れ低気圧という言葉を耳にするね。
本州の南を通過する南岸低気圧と関東の間に、前日には予報しにくい小さな低気圧が発生する。
この予報しにくい小さな低気圧を隠れ低気圧と呼ぶらしいが、じつはこの隠れ低気圧、黒潮の海水温上昇と蛇行が影響しているとも言われている。
ここ数年の南岸低気圧は、予報より半日早く雨や雪が降り始めることが多く、関東の南で小さな隠れ低気圧が発生しているんじゃないかと思う。
きのうの都心はまさかの積雪で面を食らった感じだね。
低気圧の動き
今年は太平洋上を進む低気圧の動きがおかしい。
普段は西から東へ進む低気圧が、ハワイとカリフォルニア間で東から西へ逆走している低気圧があったり、ベーリング海と北極海の狭間で低気圧が発達する。
なんとなくだけど、いつもより高緯度に低気圧の中心がある。
それと低気圧がひとつにまとまって大型にならず、中規模の低気圧が多い。
そう言えば、今年の初夏の台風も小型の台風が多かったね。
なんだろう?
海水温が高くなると、ごく稀な大型の低気圧が減り、中規模クラスの低気圧が増えるということ?
それと暖かい海水がじわじわと北極に寄ったから、低気圧の中心が北極地方に近ずいた?
まぁ、1月は大型の低気圧が発生すると思うけど、12月は変な動きの低気圧が太平洋上で多かった。
写真は鉾田で、スクールしながらサーフィン⭐️
高崎健康福祉大学講演
群馬県 高崎市役所 遠くに浅間山
サーフィンの先生の講演、原発の講演、パタゴニアストアでの環境講演、いろいろ自分なりに講演をやってきたが、今回のミッションは将来学校の先生になりたい大学生女子20名、男子1名に講演。
実は、日本の学校教育はアメリカより30年遅れていると言われている。
まぁ、一言で言えば、机上の教育ばかりで、実践タイプの教育が少なすぎるということだと思う。
今回、大学講演が決まり、僕は自分の中にひとつの課題を決めた。
それは何かと言うと、学生達のスマホの指を止めさせて、自分の話を聞いてもらうこと、もし、出来なければ負けと自分に言い聞かせた。
えっ⁈、授業中にスマホ使っていいの?と最初は驚いたが、学校によっては使って良いところ、ダメなところがあるみたい。
結果を先に言うと、皆さん、真剣に聞いてくれた。
何を話したかと言うと、サーフィンで世界を回った話、旅に出ると頼るのは自分一人で、日本に居る時とはまるで精神状態が違い、自分で考える能力が備わると。
ヨーロッパでは若い子には旅させろと言われていて、20歳ぐらいの学生達はリュックを背負って旅にでる。
そして帰ってくると、別人までとは言わないが、違う世界を観たことにより、いろんなことに気づき始める。
世界にはいろんな文化があって、みんな一生懸命生きている。
発展途上国も先進国も、それぞれから学ぶことがたくさんあり、いろいろと深く考えさせられることが多い。
そして、日本に帰ってくると、いろんな疑問や知りたいことが頭に残り、いろいろとその国のことを後から調べはじめる。
旅だけの話ではなく、なんでもできることなら先に実践して、ある程度興味を持ったあとに勉強することがとても大事で、何かに興味を持ち、疑問に思ったことを調べるとすんなり頭に入る。
日本の学校教育は、これが逆なことが多い。
それと子供の頃は何のために勉強するか?わからないから、中学生あたりから、この教科が得意だと、こういう仕事に向いているよとかあってもいいと思う。
もちろん、教室の中だから出来ることと、出来ないことがあるけど、そのなかで生徒さんたちに興味を持ってもらえるようなトーク術のテクニックが求められる。
興味のないものを覚えろ!と言っても、全然覚えないし、興味のあるものはすんなり覚えられる。
僕は、教育で一番大事だと思っているのは、興味を持たせ、その後に勉強することだと思う。
それが実践タイプの教育ということになり、アメリカなどは早くからその子が何に興味を持ち、何が得意なのか?をもっと早い段階で見つけさせ、得意な教科を伸ばすことをしているね。
好きなものに興味を持つと、どんどん自分から調べ、どんどん自分で考える。
じつは僕は、学校の勉強はほとんどしなかったが、流動する未来のことは分かることが多い。
教科書に未来のことは書いておらず、未来のことを予測するには視野を広げ、いろいろ経験しないとわからない。
6歳の時に日本に来て、日本語があまりわからなかったから、何を言ってるか?わからず、勉強にあまり興味がなかった。
高校生でサーフィンにはまり、不良のスポーツサーフィンというレッテルが貼られた時代で、学校をサボって海入ってて、遅刻して行くと、毎回、先生と大喧嘩で、親にも電話してきて、大揉めに発展。
しまいには、校長先生まで出てきて、サーフィンを馬鹿にしてきた。
もう、キレたね。
そこで僕は半分殴り込み状態で職員室に行き、先生達に、僕は将来試合に勝って、プロサーファーになるから邪魔しないでくれと訴え、最後は遅刻するなら休み時間中に教室に入るのと、出席日数だけは足りないと卒業できないから、卒業だけはしてくれと言われ、僕はわかった!約束は守るから、サーフィンだけは馬鹿にしないでくれと、、、その時に先生と親と和解した。
もし、あの時、まわりの意見を聞いてたら今の自分はなく、下手したら僕の野望だった世界を旅することも出来なかったかも知れない。
高校生の時の僕の教科書は地図帳のみで、数学だろうが、国語だろうが、すべての授業で地図帳しか見ていなかった。
おかげで地理だけは学年で一番になった。
やっぱり興味のあるものは楽しいから続くし、何時間でも地図帳は見てられた。
少し自分の話になったが、話を戻して、学校の先生になりたい生徒さん達に、なぜ?自分が講師と思うかもしれないけど、この話が決まった経緯は、自分のサーフィンスクールに大学の凄い先生が来て、自分が教壇に上がり話せば、生徒さん達が変わるかも知れないと思ってくれたからだ。
僕はその時に、それを見抜いたこの先生、凄いな!と。
兼ねてから、僕は大学講演がしたかった。
環境問題を訴えていると、大人は忙しくて自分のことで精一杯だから、なかなか聞いてもらえないけど、若い人達は本当によく聞いてくれるんだよ。
僕は大学には行ってなくて、世界を旅したことが僕の中の大学で、大きな学びだった。
コロナになって、世界の旅どころではないけど、若者の心を動かすことはとても大事なことで、これから、大学講演に力を入れようと思っている。
来週は気温急降下
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