宮崎トップジュニア合宿
先月の10月はじめに宮崎に行ってきた。
宮崎は2011年の震災以後、半年住んでいた思い出深い場所で、12年ぶりである。
世界チャンピオンのカリッサ ムーアの父でもあり、コーチでもあるクリスさんを招いて行われた合宿は 4泊5日 にも及んだ。
サーフィンが東京オリンピックで正式種目に決まり、次はパリ、ロサンゼルス、オーストラリアと続く中で、トップジュニアを育成しようというもの。
クリスさんの指示の元、僕は助手と通訳という立場。
朝は日の出と共に起き、ホテルの部屋に戻るのは夜の21時過ぎとハードスケジュールの中、皆さんとても頑張った合宿だった。
波もまぁまぁ当たり、終始胸から肩ぐらいのファンな波だった。
今回はショートボードのトップジュニアで、なんでロングの自分がと思うかもしれないが、かつて世界の強豪相手に戦った経験とタクティスはショートでもロングでも同じであり、特に外国人選手が何を考え、どのような試合展開に持って行くか?とか、セットの周期や良い波をどう捕まえるか?などは自分は得意だった。
そのような部分を評価され今回の合宿に呼ばれたわけだが、もう一つ、今後のロングボードの育成の準備というミッションもあった。
合宿中、クリスさんが強調していたことはごくシンプル。
まず保護者を集め、あまり子供達に押し付けるようなことはしないこと。
海外でも子供達に練習しろ!みたいなことが続いて、最終的に嫌になった子供達を多数見ている。
一番大事のはサーフィンが大好きで、やりたい、やりたいと気持ち続くことから始まり、やがて、良い結果出るとさらに向上心が芽生える。
次に試合の組立て方や自分が乗ったライティングの点数をジャッジコールなく、正解に知ること。
技術の面の指導はあまりなく、こういったことだった。
僕がトップジュニア達に一番強調したことは、絶対に自分達が欧米や南米選手に劣っていると思わないでくれと言うことだった。
野球の大谷選手、サッカーの三苫選手、久保選手、ボクシングの井上選手は立派に大活躍している。
かつて日本のサーフシーンでよくあった自分達は世界に勝てないとマインドセットすることが長年、日本にはあった。
僕はこれが大嫌いで、よく現役時代に他の日本人選手にお願いだから外国人選手に良い波を譲るのはやめてくれと何度も何度も言っていた。
サーフィンの試合で良い波をとられたら、絶対に勝てない。
今はプライオリティルールができ、以前とは違うところがあるが、気持ちで負けないようにというところを強調した。
奄美大島 3
今年、3回目の奄美大島
この3回目の訪島は8月中旬頃で、だいぶ遅れた記事になる。
遅れた理由は、スクールが多忙になったのと、あまりの暑さに頭が回らない夏だった。
ここ数年、ニュースで話題になっている避暑地、勝浦。
しかし、驚異の海水温上昇で変わってしまったのである。
冷房入らずで、真夏でも薄い布団がちょうど良かったのだが、これほど変わるとは、。
熱中症は血栓ができると聞き、来年は冷房を完備しようと思っている。
さて、3回目の訪島、今回は奄美大島の子供達のサーフィン大会を手伝いに行った。
2チームに分かれ、チームの合計点で勝敗を決めるイベント。
高学年のお兄さんは、低学年の面倒を見ないと点数が伸びない仕組みで、みんながみんなを助け合わないと点数が伸びない。
この仕組みは見ていて心が暖まる、実に気持ちいいものだった。
他には、生き物探しや環境問題クイズもあり、サーフィンだけではなく、この豊かな自然を守る大切さを教えたイベントとなった ( CAN NEN S URF 主催 )
大会なのだが本当の意味での勝者はいなく、みんなが主役。
あっ🎶 それとなんとも嬉しい話を奄美大島に住む両親から聞いた。
それは冬に奄美大島で行ったマイクロプラスチックの講演を聞いた一人の中学生が学校の課題論文でそれを書いたら、なんと最優秀賞を学校から頂いたのである。
それほど奄美大島ではこの漂着ゴミが問題となっており、大人達も共感したと言える。
次は鎌倉の腰越小学校で、サーフィンをしている先生が鎌倉教育委員会を説得して、午後の2つの授業に自分の講演が組み込まれることになった。
3回目の奄美訪島では波があまりなかったので、自由時間に友人のカメラマンのヨットに乗ることになった。
ヨットの基本動作を教えてもらい、とても新鮮な体験だった。
こうして少しづつ、水たまりに石を投げ、波紋していくように、人々の意識を高めていく役割を我々はしている。
なぜなら、自然あっての人間だから、人間あっての自然じゃないよ
おわり
パタゴニアサーフ会議 in 奄美大島 2
奄美大島を覆っている強烈な積乱雲によりほとんどの飛行機が飛ばなく、鹿児島港から急遽フェリーで行くことになった。
フェリーは超大型で船酔いの心配はなく、とても快適だった。
早朝から移動していた為、夕飯を早めに済ませた僕は21時頃には二段ベッドの下で寝ようとしていたが、船内はガンガン冷房がきいていた為、誰も寝ていない上段のベッドの布団も借り、布団2枚でちょうどいいぐらいの寒さだった。
あとからわかったのだが、海の上は湿気が凄すぎて冷房を入れることにより、湿気をとっているのだ。
早朝の5時に奄美の名瀬港に到着。
日の出が千葉より幾分遅く、まだ暗い空に雨が打ち付けていた。
到着が遅れたことにより半日スケジュールが押し、朝食の後、さっそくミーティングに入った。
じつは奄美大島は開発の大波が押し寄せている。
以前は、だいたい15年ぐらい前は飛行機会社の乗り入れが少なく、JALのみで、近くて遠い島だったが、ここ10年で変わり、いろんな航空会社が入ったことで、格安でチケットが取れ、近くて行きやすい島に変わった。
そして、自然を守る為に世界遺産に登録したのだが、それが逆効果になった面もある。
世界遺産に格安チケットで、人々の往来が盛んになってきたのである。
サーフポイントの前は大手の企業が買い占め、ホテル建設のラッシュが始まろうとしている。
正直、この流れは止められない。
自然の脅威を甘く見て、波打ち際ギリギリにホテルを建て、やがて高潮や津波で被害が発生して、護岸工事という展開にならなければいいのだが、。
そうゆうことを言うとサーファーは波だけを心配しているのか?!と思われがちだが、ぜんぜん違う。
日本だけに住んでいると気づかないかもしれないが、日本は世界でも類のないコンクリート海岸国家である。
例えば欧米なのでは危ないところに住んだ人が悪いという風潮だが、日本は人命にかかわる!じゃあ堤防を作ろう、テトラを入れようとなり、多額の税金を投入するシステムがあり、既得権益を動かせない。
必要のない公共事業を本当に必要な公共事業のみに限定し、危ないところから離れて住む努力が必要。
コンクリートのない海が世界では普通なのだが、日本ではコンクリートのある海が普通になっている。
それと海岸をいじったり、海の近くでよく考えないで開発が進むと、海が死んでいくのを毎日そこにいる人達は知っているのだ。
今、奄美で問題になっているのは、開発により赤土や農薬が海に流入しやすくなり、リアス式の湾の奥で留まり続け、やがて腐って硫化水素が多量に生まれる事態に陥っている。
そうするとアマモが死に、魚がいなくなり、ゴーストシーに変貌し、なんとも言えない硫黄の異臭が漂う海になっている。
じつは沖縄で同じことが過去に発生していて、沖縄では赤土の流入を阻止する条例が出来た。
その条例が出来る過程では様々な人達が勇気を出して声を上げ、何度も何年もかけて話し合いや検証を行い出来た条例だ。
奄美大島には今現在その条例はないが、この事態をたくさんの人達が気づくことが最初の一歩で、そこから行政を巻き込み、正しい選択が迫ってくるのは時間の問題と言える。
今、奄美大島は変わろうとしている。
昔のハワイみたいに開発の大波が押し寄せてきている。
つづく
パタゴニアサーフ会議 in 奄美大島
早朝に羽田空港から飛び立った飛行機は無地に鹿児島空港に到着。
ただここからが遠かった。
南西諸島は梅雨末期の為、凄まじい水蒸気が奄美大島に集まっていた。
温暖化により近年よく見られる例の線状降水帯が奄美大島の南側にあり、ゆっくりと北上していて奄美空港に近ずいていた。
前日に夕方のトップニュースになるほどで、僕は飛行機は飛ばないんじゃないか?と脳裏によぎっていた。
そして、奄美大島行きのフライトは視界不良の為、欠航とアナウンスされ夕方の便に託したが雨雲レーダーや衛星写真を見るとどうやら夕方も怪しい。
奄美大島の西側から次々と雲が湧き出ており、島は発達した積乱雲に覆われぱっなしだ。
お昼を過ぎ、出発2時間前にやはり欠航のアナウンス。
今回はスタッフとアンバサダー合わせて9名ぐらいで行動していた為、手分けして他の航空会社の様子をみんなが調べはじめた。
するとJALは飛ぶと言う情報をつかみ、空港のカウンターとネット、両方で皆が座席の確保に動いた。
七転八倒の末、どうやら4席ほどの席を確保。
僕はロングボード2本を飛行機組に預け、残りのメンバーと共にフェリーで向かうことになった。
じつは僕は内心喜んでいた。
理由は6歳の頃、カリフォルニアから鹿児島に引っ越し、鹿児島幼稚園に通っていた経緯があって、フェリーから鹿児島市内を眺めながら行きたかったからだ。
鹿児島幼稚園
鹿児島市内の小高い山肌に10ヶ月ほど住んでいて、鹿児島湾と桜島を毎日見ていた。
空港からようやくタクシーをつかまえ、鹿児島港までおよそ40キロ。
しかし、タクシー運転手に聞くと出港時間までギリギリだと言う。
この時点で鹿児島市内に一泊もあり得るなと思った。
僕はますます喜んでいた。
間に合わなかったら、鹿児島市内の居酒屋にでも行こうと考えていた。
タクシー運転手は70歳ほどで、もはやアイルトンセナ状態で飛ばしはじめ、助手席に座っていた僕は恐怖で緊張していた。
そしてまたもやハプニング発生、JALはプロペラ機の為、機内のコンテナは狭くロングボードは載らないとの連絡が入った。
これは自分だけ空港に引き返すと思ったが、アンバサダーの一人が起点を利かしてくれて、明日でもいいので別便で届けてくれと頼み込み、事は終えた。
大雨はジェット機よりプロペラ機の方が安全らしく、一度はチェックインを通ったものの、カウンターの係の人も人々が殺到した為、コンテナが狭いことを忘れてしまったのである。
タクシー運転手はレーサー続け、そこに車内のビーズの香水がやけに匂い、恐怖と異臭の中、運転手さんを信じるのみだった。
フェリーのチケット販売終了まであと5分と言うところでようやくギリギリの滑り込みセーフ。
船内に乗り込み、チケット番号を見た瞬間にすべてのハプニングが飛ぶほど僕は体が震撼した。
あーまた始まった!!!!!!
じつは今回の会議、サーフミーティングで環境とビジネス展開、両方を話し合う会議だった。
僕が今現在、一番興味があるのは震災以降どうやったら原発なしでも電力をやっていけるのか?と言うことで、今年は飯田 哲也氏とパタゴニアストアで一緒に対談形式でイベントをやりたいと考えているのを環境部に相談することが僕の今回の最大のミッションだったからだ。
じつは、原発なしでも電力は充分足りている。
実際に震災後、原発は全て停止した。
これは古い火力発電を緊急発動したからだ。
あれから12年が過ぎ、日本各地で再エネが格段に普及し電力は足りている。
ただ、再エネは不安定な為、送電網の周波数が狂い、ブラックアウト(大停電)のおそれがある。
ようは例えば、川みたいにある一定量が規則正しく流れないと洪水が起こることに似ている。
あちこちに大型のダムや小型のダムがあり、それを河川に流す際、調整が必要ということに似ている。
それに加え、電力の新規参入が増えれば既存の電力会社の儲けが減り、不良債権と言っていい原発の維持や廃炉コストがやっかいになる。
そこに温暖化が加わり、ベースロード電源になる火力発電の依存を下げないといけないので、原発再稼働と言うシナリオが電力会社にとって都合が良いということになる。
そして、ウクライナ戦争が始まり、燃料費のコストが上がり、ほら!原発は必要と世論操作を仕掛けたように思える。
まとめると、電力は足りている。
送電網のやり方が古いと言うことになる。
つづく
サーフィンの流体力学
ここ数年、サーフボードを作っている。
僕は20年かけてちょこちょこマイペースで自宅の古民家をリフォームした経緯があって、大工は嫌いではなかった。
今ではやろうと思えば家も建てられる。
サーフボードはプロサーファーになってから、数えてないけど、合計で200本ぐらいは乗ったと思う。
世界各国を旅しながら、世界各国から来るトップ中のトップのサーファーのボードを見てきた。
あのボードはああゆう形とロッカーで、この波に対してどのような動きをするんだろう?とか。
スピードのつき方やターンの切れ味やテイクオフの早さとかノーズのホールディング状態などごく普通に見てきた。
なので、サーフボードを作るにあたって、家のリフォームもそうだけど、すべてほぼ独学。
リフォームに関しては少しだけ人に聞いたことがあるんだけど、サーフボードのシェイプは独学で、なんとなくこうだろうと思ってやってきた。
そして、自分で削ったボードを水につけてパドルし始めた瞬間に、ある程度わかるんだよね。
水の流れが感覚でわかるんだよ。
沖について、波が来て、一本波を捕まると足の裏がセンサーになっていて、どこに水が流れて行くんだろうと、だいたい2、3本乗るとわかるんだよね。
削った最初の一本は、失敗したくないから、長い時間をかけた。
どのくらいかと言うと、頭の中で3年ぐらいはシュミレーションをした。
実際に削り始めてからは、ゆっくり、ゆっくりやって、1ヶ月ぐらいはかかった。
完成して、水につけて、パドルし始めた瞬間に、いけるぞ!と確信し、一本目からノーズが決まった。
ノーズの調子は、今まで乗った200本近いボードの中でも3本指に入るほど調子が良かった。
でも課題がカットバックだった。
でも、それもすぐさまになぜ?そうなったかを理解し、よし!次はテールをこうやろう、ああやろうとわかった。
そんな感じで、今はサーフボード作りが楽しくなってきて、朝起きたら1時間半ぐらいシェイプして、そのあと散歩に行って軽いトレーニングをしたり、スクールしたり、前よりも1日のルーティンが決まってる日々だよ。
次はミッドレングスに挑戦する。
サーフボード作りで大事なのは、乗り手の技量と体格と運動神経と、どういう波でサーフィンするのか? どうゆうスタイルでどうゆう技をしたいのか?ということで、サーフィンスクールで3ポイントシュートのようにバンバン良い波に乗せているからわかるんだぁー。
自信がついたから、ようやくお客さんの注文を今年から受けつけてて、ここ3年ぐらいはたくさんオーダーが来たけど、ずっと断り続けてたんだよね。
震災から12年
ひとたび原子力発電所の大事故が起きたら、取り返しのつかないことになると大部分の国民が知った。
そして、溶け落ちた燃料を冷やす為、ひたすら水を循環させ、そこに汚染水が生まれる。
この水の循環はこの先何十年続くのか?
それとも100年続くのか?
正確なことは、僕にはわからない。
汚染水を今年、海に流すらしいが、それはこの先未来、繰り返し、繰り返し、行われる。
問題のトリチウムは、安全、安全と言うが、ちょっとの毒も毒は毒である。
海は広いから、薄まって拡散するので、問題ない問題ないと言うお決まりのパターン。
少し考えれば誰でもわかるが、問題ないなら、なぜ1キロも配管を沖合まで伸ばす必要があるのだろうか?
再処理工場もそう、問題ないなら、なぜ配管を沖合3キロまで伸ばす必要があるのだろうか?
普通の水だったら、岸から流せばいいんじゃない。
なるべく岸にたどりつかないように、計る人になるべく数字を少なくみせる為に。
他の国もトリチウムを流しているから、問題ない、問題ない、、、その周辺では白血病が増えている。
嘘をつきながらしかできない代物、それが原子力だということを推進派も反対派も十分知っている。
たくさん発電できて、たくさんお金儲けができて、それぐらいは我慢しなさいと言う心。
しかし、震災前に何度も言ったように、大自然を甘く見すぎたね。
そして、それはこれからも続き、断層の真上にいくつ原子力発電所を建てたの?
僕が知っているだけでも、4つはある。
そんな中で日本で生活していて、放射性物質入りの食事を自分も含めてみんなしている。
反対運動をやりすぎて、いろいろ辛かったこともたくさんあったから、できればそんなことを知らずに鈍感に生きていたかった、あるいは無関心で自分の肥やしを増やすことや大好きなサーフィンの試合に勝つことだけに力を注ぎたかったと考えることが多々あるが後悔はないよ。
けど、世界40カ国も危険な海を石橋叩いて進んだ人生で、その旅の中で世界は再生可能エネルギーの普及を率先しているやなか、震災前の日本はというと再生可能エネルギーはほぼなかった。
もし、震災が起きなかったと考えると日本は今だに再生可能エネルギーのことを考えていなかったように思える。
物作り世界一、技術も世界一、貿易大国日本が。
ウクライナ戦争でエネルギ-のコストが上がり、ほれみろだから原子力は必要との声は今まで本気でエネルギ-のことを考えてこなかったつけで、日本の政府の舵取りが片寄ったやり方だということを認識した方が良い。
既得権益にしがみつき、年功序列で上のものに意見を言いにくいことがあだとなった結果だと思う。
もちろん、年功序列が悪いと言っているわけではなく、良い新しい技術はみんなで話し合うことが必要という意味で。
最近、首都圏60万人、ガンとか言う本があることを知ったから読んでみようと思っている。
おそらく、自分にとって驚く内容ではないけど、正確なデータは知りたい。
それと、どうやったら段階的に原子力発電以外で電力をやっていけるのか?ということに興味津々な自分がある。
ベースロード電源の確保をしながら、周波数の乱れがなく、大停電も起きなく、コストも納得する形で、どうすれば安定供給出来るのか?
写真は、2012年に植えた桜。
山から苗を取ってきて植えたんだよ。
桜の成長スピードには驚かせるね。
それと、去年の春から庭に居座り始めた黒猫。
この猫、以前いた片目、片足のトラの数少ない友達で、死んだトラの後継者って感じで、まだ2歳ぐらいかな?
朝からニャンニャンうるさいんだよ。
奄美大島
8年ぶりの奄美大島
奄美大島は日本で最も美しい大自然が残る島の一つで、もっと言えば世界的にも最も美しい島の一つである。
空港に着き、友人のゆうせいのサーフショップ、CAN NEN SURFに到着。
その時、不思議と西郷隆盛氏のことが脳裏に浮かんだ。
その瞬間である、なぜだがレンタカーのナンバープレートに目をやり、飛び込んできた番号が1219。
1219は僕の誕生日で、自分の中では勝手に言いに行くと解釈しており、あーまた始まったんだなーと、かつてのサーフィン連盟の革命や再処理工場のことを思い出しながら、この旅はきっと未来につながると予感した。
一見、数字がなんだと思うかもしれないが自分の人生はこうゆう偶然が多すぎる。
今回の訪島は、サーフボードの試乗会とマイクロプラスチックの講演で、特に子供達に講演することが目的だった。
島の子供達はとにかく元気で、どこか?都会の子供達とは違う目をしていて、生き生き強い目をしていた。
自分が泊まった宿のオーナーも川崎出身で、息子のぜんそくが奄美に来たら治ったので、家族でこちらに引っ越してきたと微笑ましい話をしてくれた。
真冬の奄美大島は初めてで、東シナ海側で腰ぐらいの波で子供達とサーフィンをし、夜はラスタビッチ主演の映画、ネバータウンを見た後に自分の講演をした。
夜9時過ぎだったので子供達は寝てしまうと思いきや真逆で、目がぱっちり開いているではないか!!
これには僕はびっくりして気合いが入ったね。
でも、気合いを入れすぎるとみんなが離れていく過去があったので、ゆったりと和やかに自然のリズムを感じながら講演を進めた。
話した内容は欧米の例を出し、まず、高波が来る海の前に住んで、税金で堤防をつくるなら、少し海から離れているところに住んだほうがいいと説明。
次に東日本大震災のその後のエネルギー普及の話や採算を合わす意味で原子力をやりたいことやベースロード電源をどうやったら確保できて、原子力以外でどのような電源供給がベストなのかを軽く説明した。
次にマイクロプラスチックを減らす方法をみんなで考えようと説明。
しかし、びっくりしたね、波打ち際は漂着ゴミが列をなしていて,特に中国から流れてくる漁具の多さにびっくりし、その多さは尋常じゃない。
誤解がないように強く言うが、日本のゴミはごく一部で、ほとんどが中国や東アジアの国々から流れてくるもの。
いくら毎日、毎日、拾っても、嵐の翌日は再び漂着ゴミであふれかえっているのだ。
この漂着ゴミ、実はスチレン油に変えることができる。
まず、高温焼却が可能な適切な施設で処理した後、スチレン油に対応できるように漁船のエンジンを改良すると言う新しい循環サイクルが存在する。
そうすれば、廃棄コストの削減にもつながり、離島の海岸美化にもつながり、食卓にマイクロプラスチック入りの魚や貝も減る。
しかし、スチレン油に変える施設は離島にはない。
税金をテトラポットや過剰な護岸工事に使うなら、護岸工事屋さんにスチレン油を精製する施設を作ってほしいものだ。
中国から流れてくる漂着ゴミはすぐには減ることはないので、臨機応変に新たな事業を考える時代に突入している。
たくさんの人達が協力すれば、いいアイデアが浮かび、そこにお金というものが落ちる仕組みを構築すれば、手と手を取り合うことにつながる。
もちろん、簡単には言ってないが、みんなにとって必要なことに税金を使って欲しいものだ。
最終日は運良く胸、肩ぐらいまでサイズが上がり、飛行機に乗るまでギリギリの時間までサーフィンしたよ。
そして、勝浦に帰ってきて、パソコンで漂着ゴミの活用と調べていたら、このスチレン油のことが書いてあった。
もちろんコストの問題もあると思うが、奄美の行政も少しずつこの漂着ゴミの処理に動き出していると聞いた。
8年ぶりの奄美大島は3泊4日だったが、5泊6日ぐらいに感じる内容の濃い旅となった。
前橋工科大学講演
近年、インターネットの普及により、物事をネガティブに考える若者が増えている。
心をワクワクして大学に入った途端、コロナ禍に突入し、ステイホームを強いられ、部屋の中でインターネットを見過ぎてネガティブな意見に反応しがちな若者が急増しているのだ。
これは若者だけに限ったことではなく、日本全体がそうゆう雰囲気になっている。
一番いいのは、いらない情報は見ないこと、それに限る。
でもそこは人間、人の意見が気になるのは普通のことで、特に日本は恥を嫌う文化が強かったり、歩幅をみんなに合わせなきゃいけないみないな文化もあり、どこか?人の意見を気にしすぎなところが多々ある。
人は失敗するのは当たり前で、失敗から学び、次はうまくやろうと思うことだろう。
しかし、どうも何かをやる前から批判されるかもしれないという精神状態に陥っている若者が増えている。
人は生活が充実していれば、ネガティブな意見を払拭する力があるが、生活が充実しなくなると精神的に弱り、よりネガティブな意見に反応しがちだ。
そんな大学生を励まそうと、自分の体験談を元に講演をしたのだ。
サーフィンから学んだことや旅の大切さ、自分より10歳も20歳も年上のいい先輩に出会うと的確なアドバイスをもらえたり、正しい道が見えたりして軌道修正する。
大切なのは何かに夢中になること。
そうするとネガティブな意見は無視することができる。
酒は飲んでも飲まれるなじゃないけど、ネットを見ても呑まれるな。
他には世界を旅したことや環境が急速に汚れて来ていることも話した。
それと、いい職場に出会うようによーく観察してから選ぶことをすすめた。
アメリカでも半数の人が人間関係で悩んでおり、嫌な人がいると本当に体力を消耗する。
ある人類学者が言うには、人の幸せは、お金があろうとなかろうと、良質な人間関係につきると言っていて、僕もそう思う。
もちろん、必要最低限なお金は必要だが。
そんな話もした。
大学生達には変わった授業だったように思えるが、少しでも生き生きしてくれれば、それでいいのだ。
話変わって、来週はじめは記録的大寒波。
月曜日頃は、関東で雪が降るのかな。
Big low
ビッグロウ。
上の天気図が語っていることは、北太平洋全体において反時計回りに回る巨大な低気圧が形成されたこと。
こういう気圧配置は年に一回、二回程度。
一般的には負の北極振動と呼ばれ、北極に高気圧が形成されたことにより、中緯度に巨大な低気圧が形成される。
九州、四国では40年から80年ぶりぐらいの大雪になり、北陸地方ではこれからが峠を迎える恐ろしい大雪。
考えてみれば、12月はじめに20度近くもあった日本列島。
中緯度と北極地方の温度差があればあるほど低気圧は発達するので、極地方の寒気が一気に南下して記録的大雪になることは12月はじめにある程度は予測できた。
来年の12月も暖かいと思うから、こうゆう極端な気象変化は今後も続くと思う。
海水温は相変わらず最高値を叩きだしており、びっくりするぐらい海は暖かい。
温室効果のみが海を暖めた説から、温室効果➕温排水➕海底火山が海を暖めている説に移り変わる時代が来ることだろう。
このビッグロウにより、幾分、極地方と中緯度の空気がかき混ざり、丸い地球が温度差を整えたので、今後、極端な大雪はおさまると思われるが、1月もちょっとわからないね。
感動のワールドカップ
小学校6年生、少年時代はサッカー小僧だった
日本代表の決勝リーグ進出は、本当に感動した。
ヨーロッパの強豪、ドイツ、スペイン相手に勝利したことは世界中が驚いたと思う。
僕は、20年以上前から日本は強くなると思っていた。
理由は静止時から10メートルまでのダッシュでは、日本が世界最速だからだ。
しかし、弱点としてはヨーロッパや南米の選手はサッカーの歴史も古く、自分達よりも優れているという思い込みがあった。
これはサーフィンの世界でも昔よくあったことで、戦う前から弱気で波を譲ったりしていて、精神面で負けていた。
ここ20年、ヨーロッパのクラブで活躍する日本人選手が増えたり、海外選手と一緒にいることでいろんな事に気づく。
思っていたほど、たいしたことはないと。
これは自分にも起きたことで、世界の強豪と一緒に生活したり、遊んだりすると、いろいろ長所、短所が見えてきたりする。
そうすると、勝てるんじゃないかと思うようになってくる。
精神面で同列に並ぶことにより、持っているパフォーマンスが発揮できるようになる。
それと長年、日本代表の監督は外国人が多かった。
これは日本サーカー協会の逃げだったように思える。
日本人が監督をやると代表を選ぶ時にひいきがあったり、内輪で固めたり、いろんなクレーム対応がやだから、外国人監督にしようということになっていた。
実際に日本サーカー協会がそう言っていた。
もちろん、ベテランで実績がある外国人監督はメリットもたくさんある。
でも、どこか?選手と意思の疎通が曖昧なところが多々あり、うまく機能しないこともある。
日本人監督になったことにより、選手と監督の意思の疎通がはっきりし、ビジョンが明確化する。
ビジョンが明確になったことにより、よりパフォーマンス性能が上がり、日本人のダッシュスピードと組織力が生きてきたように思える。
そこに海外でプレーしている日本人選手がほとんどだから、自分たちは負けてないという精神面が構築されたことが今回の結果になったと思う。
もちろん、コスタリカ戦でベストメンバーを選ばなかったことは頂けないが。
スポーツの力は凄まじいもので、日本中を感動させたスペイン戦は元気のない日本に活力を与えてくれたね😃




























