B級パラダイス -22ページ目

B級パラダイス

健康優良不良中年が、映画、音楽、読書他好きなことを気まぐれに狭く深くいい加減に語り倒すブログであります。

と言うわけで休日出勤後、腹ごしらえして、頭空っぽで楽しめそうなこれを観てきた。

ターミネーター:ニュー・フェイト2019)

TERMINATOR: DARK FATE


監督 : ティム・ミラー 製作・製作総指揮・原案 : ジェームズ・キャメロン 原案・脚本 : デヴィッド・ゴイヤー、ジャスティン・ローズ 原案 : チャールズ・イグリー、ジョシュ・フリードマ 脚本 : ビリー・レイ 製作 : デヴィッド・エリソン 撮影 : ケン・セング 編集 : ジュリアン・クラーク 音楽 : ジャンキーXL、トム・ホルケンボルフ

出演 : リンダ・ハミルトン、アーノルド・シュワルツェネッガー、マッケンジー・デイヴィス、ナタリア・レイエス、ガブリエル・ルナ、ディエゴ・ボネータ


「ターミネーター」は1作目と2作目をその昔劇場で観て大いに満足した。ただその後「3」はTVで少し観たくらいで「4」と15年の「再起動:ジェネシス」に至っては存在さえ忘れていたくらいだ(笑)。


よってキャメロンが「3以降は無かったことにする!」と言ったかどうかはわからないが「2」の正統続編という謳い文句のこれ、それなりに期待して久々に劇場ターミネーターを拝むべく臨んだのであった!


で、うーん、困った()

約30年ぶりのリブートでは無い「続編」として、懐かしさも含めて嫌いじゃ無いし、全編アクションのつるべうちも、特に前半のメキシコシークエンスは怒涛の展開で大変好みなんだけど、冒頭から「あれれ?」がちょっと多いんだよなあ。


(以下ネタバレ多し。ご勘弁を!)


2」でサラたちが回避できたと思ったスカイネットが支配する未来は、やっぱり機械(今回はAIの「リージョン」)が人類を敵とみなして戦争を仕掛けてくるという、別の未来が待っていただけだという設定は、まあ、良しとしよう。


ただ、せっかく守り抜いたジョンが新たなT-800の襲撃にあうという冒頭がね…。

2」で自分を無償で守る存在であり、相棒かつ父親代わりにもなった「心」を通わせたT-800と涙ながらに別れたのだから、いきなりの「再会」に、サラはともかく、ジョンは一瞬でも嬉しそうな顔をしても良いはずなんだよね。それもないままってのがまず「うん?「2」の続編だよね?」と疑問符がついてしまったのだ。(ちなみにあのジョンのエドワード・ファーロングも若い顔のシュワもCGなんすかね?)


予告編で観て「ああ、また「3」みたいな女型のターミネーターが来るんだな」と勘違いしていた、未来からの女戦士グレースは、無茶苦茶美人でなくとも俺好みの微乳で(笑)、凛々しくて好みだし、新たな敵ターミネーターREV-4も憎々しくもずる賢くて悪くない。T-1000の不気味さには負けるけど。


ただ、ひたすらこいつから1作目のサラ、2作目のジョンの立場になるダニー(思えば彼女も酷い目にあっているよなあ)を守る、という作劇は、結局12と一緒じゃん、と途中で気付いてしまうのだ()


話はそれるけどタイムワープ物って大体「未来からやって来る」のは男なんだよね。「時をかける少女」から「君の名は。」、そして俺が大好きな「ある日どこかで」などのラブストーリーもそうだし、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」もまたしかり。

「君を守るために未来からやって来た」なんて言われたら、そりゃ惚れるわ!」と1作目を一緒に観た当時の彼女(現かみさん)が言っていたのもうなづけたのだった()。


と、1作目は未来から来たカイルとサラのラブストーリーも絡むのだが、今回は女同士だからそうはならない()。2作目のジョンを守る前作とは違うターミネーターというこちらの予想の上を行く設定もない。


実は未来のリーダーを生む「サラ」ではなく「リーダーそのものになる「ジョン」の立場であるダニー。彼女を守るために未来から来た女戦士グレースは、前述の通り俺好み&機械強化しても時間が経てばヘロヘロになるって描写もいいし、そのヘロヘログレースを救おうとするダニーとの信頼関係が増す描写も好みだ。


ただいくら強化していても「人間」のグレースの「自己犠牲の仕方」がちょっとねえ。彼女というより「ダニーの選択」なんだが、ここ、大いに不満なのだ。

未来から「そうなること」を知ってダニーが過去に送ったかと思うと、ちょっと複雑な気分になってしまうのだ。


この2人の枠組みに、世間的には基地外のお尋ね者、ある意味本作の主人公サラ・コナーズが絡むのだけど、老けても尚リンダ・ハミルトンは無茶苦茶カッコいい。これは認める。

だけどかつての「タフな母親」から「危ないおばちゃん」に見えてしまうのが、これまたなんとも…()


最初のREV-4の襲撃で危機一髪のグレースとダニーを助けるシーン。REV-4に「トドメを刺せなかった」ならまだしも、トドメを刺す前に「あの2人、車盗みやがって!」と回れ右しちゃう(笑)という「あれれ?」に始まり、ダニーが狙われていると分かると「かつての私」=「ターミネーターから狙われる普通の女性」の先輩風吹かしているように見えるのもちょっと引いてしまうのだ()

まあ、目の前で息子殺されてやさぐれ続けターミネーター狩りしていたのも理解するが、「私が人類の未来を救った」自負が強すぎるのもちょっとね(笑)。

結局別の未来になっただけなんで、徒労感が半端ないのもわかるんだけど、そうなったことが分かると余計に「ただの危険なオバさん」に見えてしまうのが難点なのだ。


で、サラ共々再登場のシュワルツネッガーだ。

予告編で観た時から老けていたから、よもや「ターミネーター」としての登板じゃ無いと勝手に思っていたのだが、なんと冒頭ジョンを殺したT-800と同一の個体だとは!サラと同じく驚いたなあ()


もちろん「目的」を果たし、さらに未来が変わって「新たな指令」が来ないまま人間社会に溶け込んだってのはまあいいよ。「人の気持ちを理解」する学習能力もあることはわかる。ただ「家族」を得て、正体隠して同居生活するのは少し無理がないかねえ。

「ジョン抹殺」以外は誰かが教えなければ、人間世界では無茶するT-800が、困っている女性とその息子に「自ら寄り添う」というのができたってことに違和感を拭えなかったのだ。


何より「ロボットだよね?老けるのか?」ってのが、シュワ登場から最後まで拭えなくて()

「生体組織被っているけど、これは人間同様経年劣化する」ってのを本作で全く言及してくれないから(俺が見落としただけ?)記憶する限り、1でも2でも台詞や描写でそんな設定を言ってないと思うので、「ロボットなのに老けた」が、事あるごとに呪文のように立ち上がってしまって楽しめないのなんの()


とまあ、書き出したらツッコミだらけになっちゃったな()

とにかく車工場の激闘から大型トラックで追いこみかけてくるカーチェイス(あ、ここも「2」みたいか)、など、エンドタイトルでも流れていた哀愁あるギターの調べも含め、メキシコシークエンスはほんと好みで良かった。

舞台がアメリカに移ってからも、夜の不法移民収容所から空軍基地、そしてラストのダムと、それぞれアクションもたっぷりで飽きない。

ただ、どこもスケール感があまりない「箱庭」ぽくて(笑)。やはり「街中」で周りの迷惑顧みずに追いつ追われつ、壊しまくりの大アクションが観たかったなあ、という不満もやはり残るのであった。


それにしても「女戦士」ばっかりってのは時代だよなあ。

ほんとアクションものは男女機会均等法以上に女性上位になってる気がしますな。


サブタイトルの「ニューフェイト」、原題通り「ダークフェイト」で良かったんじゃない?と、タイトルまでケチつけてますが()、観ている間は休日出勤のモヤモヤは景気良いアクションで払拭されたけど、別のモヤモヤが後からどんどん湧いてくる一本でした()


キャメロン、本当にこれやりたかったのかな?

1作目の、低予算でも痺れるストーリー、2作目の1作目の裏をかいた設定と、それを活かしたドラマの面白さ、アクションのスケールアップ、見たこともない「液体金属」の敵!と比べると、おおおお!と燃えるシーンが無いのが痛いところ。

ダダンダダンダダッダンのテーマもこれが最後になるのかな?



うう、仕事が終わらねー今週。
来週頭の企画書提示と、今月末のイベント準備に加えて諸々あって、連日帰宅が深夜で、日曜に観た映画の記事がまだアップできてないままだわいな。

昨夜も日付変わってから帰宅で、ぐったり、
なんか深夜までダラダラしてGYAO!やDVDも観ないで空が明るくなってしまったし。

今朝はゆっくり起きたけど午後から休日出勤。
もうやるだけやるしかないのでお気に入りかけながら勢いつけて取りかかったのであった。

今日はこちらにきてから「女版BACKHONE」みたいな昭和歌謡風哀愁のメロディにハマって、アルバム買い揃えたUNLIMITSを。






もひとつ白状すると、恥ずかしながらいい歳こいて何だか最近お気に入りなってしまったBiSHもかけまくってた(一応アイドルだったのね(笑))






などなど、かけながらガシガシ作業して、ようやくなんとか見えてきたが、もうほんとに我ながらよくわからんものにハマってしまったもんだ。
これ聴いて仕事もなんだかなあ。でも勢いはついたのだった(苦笑)。

さて、それでも休日出勤だけだと悔しいから、もう少しだけやったら切り上げて、レイトショーで映画観て帰ろうかと思案中なのでありました。

三連休ゆっくりしたなあ。

土曜は字幕版が観たくて福島までこれを観に行ってきた。

IT/イット THE END “それが見えたら、終わり。 (2019)

IT: CHAPTER TWO 


監督 : アンディ・ムスキエティ 製作 : バルバラ・ムスキエティ、ダン・リン、ロイ・リー 製作総指揮 : リチャード・ブレナー、デイヴ・ノイスタッター、ゲイリー・ドーベルマン、マーティ・ユーイング、セス・グレアム=スミス、デヴィッド・カッツェンバーグ 原作 : スティーヴン・キング 脚本 : ゲイリー・ドーベルマン 撮影 : チェコ・バレス プロダクションデザイン : ポール・デナム・オースタベリー 衣装デザイン : ルイス・セケイラ 編集 : ジェイソン・バランタイン 音楽 : ベンジャミン・ウォルフィッシュ


出演 : ジェームズ・マカヴォイ、ジェシカ・チャステイン、ビル・ヘイダー、イザイア・ムスタファ、ジェイ・ライアン、ジェームズ・ランソン、アンディ・ビーン、ビル・スカルスガルド、ジェイデン・マーテル、ワイアット・オレフ、ジャック・ディラン・グレイザー、フィン・ウォルフハード、ソフィア・リリス、チョーズン・ジェイコブズ、ジェレミー・レイ・テイラー


あれはもう30年くらい前になるのか。スティーブン・キングの原作は文庫になってすぐ読んだ。分厚いのが全4巻。読み終えて少し泣いたのを覚えている。


キングの作品は初期の短編集から「キャリー」や「シャイニング」などいくつか読んだものの、「IT」が一番好きだった。もっともこれ以降はほとんど読んでいないのだけど()


元々キングはモダンホラーの旗手と呼ばれ、丹念な日常の描写の中に少しずつ不穏な空気を忍び込ませ、日常のすぐ裏側に「異なるもの」がいることを描写するのが新しかった。さらにその「異物」が、すでに当時は手垢にまみれた、かつて恐怖の対象だった幽霊や吸血鬼だったりしても、その存在に新たな魅力と説得力を加え、丹念な日常描写から登場人物の存在感も増して、彼らの恐怖や不安にこちらも容易に寄り添うことができたのだ。


余談だがキングの「シャイニング」を読むと、キューブリックの「シャイニング」は、映画としての凄さは認めるが、話の中の「登場人物の切なさ」がすっぽり抜け落ちていて、キングが「気に入らない」と言うのも肯けるのだ。


さて、そんな「IT」。当時から気にはなっていたがティム・カリーがペニーワイズを演じた90年のテレビドラマ版も観てなかった。

この頃からドナルド・マクドナルドをはじめピエロが苦手なのを自覚してたな()


そんなわけで2017年の一作目は初めて触れる映像化だったわけだ。

ありゃ、ちょうどブログ書いていない時期だったからレビューしてなかったな()


原作では過去と現在を行ったり来たりしていたのを、思い切って子供時代のみでまとめたのは、わかりやすくて良いなーと思いながらの前作は、ルーザーズクラブの面々がほんと愛おしくて。

彼らの不安、恐怖につけ込むペニーワイズに、子供たちが勇気を振り絞って戦う姿もさることながら、それぞれが辛い現実を抱えながら、絆が増していく様が微笑ましくもちょっと切なく「スタンド・バイ・ミー」のような青春映画の手触りを感じたものだ。またビル役のジェイデン・マーテルとビバリー役のソフィア・リリスの瑞々しさ(&そこはかとないエロティシズム)が良くて、原作を読んだ時の気持ちを思い出したものだった。

この1作目は静岡で観たのだが、鑑賞に付き合ったかみさんが「ビックリはするけど怖くなかったねえ」と言っていたのを思い出したぞ。

うん、それは今回も同様。


それが見えたら、終わり。」なんてサブタイトルはついているし、ペニーワイズは凶悪かつ不気味で、確かにひゃあひゃあ言いそうになる演出はある。「来るぞ」と分かっていてもバーン!となる演出にはやはり自分も含め場内「うわわ」となっていたけど、予算がかかっているショック描写や、何より犠牲者も多いから「ホラー」であることは間違い無い。

かつての子供達との対決を楽しみに、27年後に復活、「帰ってこい」という1作目以上に禍々しいペニーワイズ。

変な婆さんの動きなど、ところどころユーモアも差し込みながら、再会場面のフォーチューンクッキーや、遊星からの物体Xかよ!的クリーチャーなどショック場面も飽きさせない。


だが、この続編にして完結編も、1作目同様、“ルーザーズクラブ”の面々の「絆」の物語だった。


再び現われたたペニーワイズに立ち向かうべく再結集した大人になったルーザーズ・クラブの仲間たち。

ペニーワイズに引導を渡すためのそれぞれの「思い出の品探し」=「過去の恐怖の克服」があるから、前作より過去と現在が交錯して原作に近い感触があるのも好み。

当然尺は長くなるけど、それを持ち寄ることでかつての絆をどんどん思い出すところなど、掃いて捨てるほどある盆百のホラー映画と「キング原作」印との違いなんだろうなあ。


「彼らが大人になったらこうなる」に、なんの違和感もない、ジェームズ・マカヴォイをはじめとするキャスティングには拍手。若干一名劇的変化がいるが、こういうことは実際にあるからねえ(笑)。こうした違和感のないキャスティングへのこだわり、日本映画も見習って欲しいぞ。


「過去との対決」で、改めて彼らが幸せな子供時代を送っていなかったことを思い出すが、大人になった今も尚、問題がある連中ばかり。そう言えば誰一人「子供」がいないんだよね。彼らの「子供時代」に決着がついていないが故にってことなんだろな。


ホラー的要素を含んでいるが、やはり本作は原作通り、子供時代のトラウマを乗り越え、仲間と共にペニーワイズとの対決を経て本当の大人へと成長していくドラマと言える。

ああ、そうだ。いじめられっ子だった皆が人を嘲り笑わせる「クラウン」であるペニーワイズを「笑われる」方の「ピエロ!」と罵っていじめるのは痛快だったぞ()

ビルの救えなかった弟への想い。街に戻って吃音症も戻ってしまったビルが、かつて自分が乗っていた自転車を見つけて購入(余談だが、キング御大のカメオ出演も楽しかった)、かつての感触を思い出しながら街を走るシーンの開放感。

大人になってもDVから逃れられないある意味一番過去が重いべバリーの、心の拠り所だった「詩」の存在と未来への選択。(原作のようにDV旦那が追っ掛けて来なくてほんと良かった()

そのべバリーへの秘めた恋心を持ったまま大人になった、内気なベンの決着。

子供の時のまま変わらぬ眼鏡のリッチーと神経質なエディ2人の「らしさ」もいい。橋の横の木にリッチーが彫るイニシャルも泣ける。

一人街に残り、ずっと「その時」のために準備していたマイクの解放と旅立ち。

そして皆の元に駆けつけることのできなかったスタンリー。彼が残した、仲間の絆を深める秘密基地で見つかる物とラストの2つの「置き土産」が泣けるのだ。


原作と違うところはいっぱいある。何より「町自体がペニーワイズに囚われている」描写が少ないが故に大崩壊にはならなかったがこれは自分としては全く問題なし。

かつての子供時代を50年代から85年にしたのも、こちらも思い入れが寄り添い易くて大正解。

「シャイニング」や「メグ・ライアン」「エルム街の悪夢5」など、原作ばりにオリジナルオマージュもいっぱい2時間50分。俺には決して長くはなかったな。


原作を知らなくても映画好きなら楽しめること請け合い、何より「怖くないホラー」であり、過ぎ去った日々を思い出すような切ない物語であることも太鼓判を押しておく。

できれば、もし観ていないようなら1作目も観て、鑑賞前にはトイレに寄ってからご覧になることをお勧めします(笑)。


おお、10月はマカロニウエスタン記事を書けておらなんだ。
マカロニバイブル哀愁編よりこいつを取り出して鑑賞。

ガンクレイジー (1966)

THE BOUNTY KILLER/EL PRECIO DE UN HOMBRE/THE UGLY ONES


監督・脚本 : エウヘニオ・マルティン   製作・脚本 : ホセ・G・マエッソ 脚本 : ドン・プリンドル 撮影 : エンツォ・バルボーニ   美術:フランシスコ・カネット 編集:ホセ・アントニオ・ロホ 

音楽 ステルヴィオ・チプリアーニ

出演 トーマス・ミリアン、リチャード・ワイラー、エラ・カリン、マリオ・ブレガ、ヒューゴ・ブランコ、ルイス・バルブー、マヌエル・ザルゾ


その筋が好きな方は室賀厚監督の同名映画を思い出すかも知らないけど、これは珍しくマービン・H・アルバートの同名小説を原作にしたマカロニウエスタン 

必殺シリーズや「荒野の用心棒」の「さすらいの口笛」じゃない方のタイトルサントラと並べても違和感のない哀愁のトランペットのテーマ曲が以前から大好きだったのだ。

加えて「ガンマン大連合」や「血斗のジャンゴ  」、「情無用のジャンゴ  」他、お気に入りのトーマス・ミリアンがポスター等でも大きく出ているからてっきり主役で原題の「バウンティキラー」をカッコよく演じているのだろうと期待しながら観だしたら


まずオープニングのタイトルバックが馴染みのあの哀愁のメロディじゃない!(笑)

確かに主役は「賞金稼ぎ」ルーク・チルソンなれど、こちらはリチャード・ワイラーが演じていて、ミリアンは彼に追われる悪党ホセ・ゴメスを演じていたのであった()

かように観る前の予想がことごとく覆されるも、なかなか面白い一本であった。


悪党ホセ一味を追うチルソン。メキシコの良家の息子だったのだが、両親を盗賊に殺されグレてしまったホセの昔を知る村(といっても雑貨屋と宿屋だけ)の人々や、好意を抱く宿屋の娘エデンは「ホセの賞金目当ての殺し屋」として、チルソンを快く思わない。


エデンは護送中のホセの脱走を手助けするべく、休憩所で銃を密かに渡して去る。脱走に成功したホセは、メキシコへの逃亡の前にエデンたちのいる村に向かう。


一方、保安官たちが殺されたことを知り、先回りして村に向かうチルソン。待ち伏せしてホセを捕まえるものの、村人の加勢でチルソンは逆に囚われ、やがてやってきたホセの仲間によっていたぶられる。


宿に泊まっていた客が旅立つのを、役人に密告されるかと殺すホセ。さらに集まるホセの仲間は村でやりたい放題。

自分が渡した銃で、ホセが護送の連邦保安官たちを脅して脱走したと思っていたエデンも、彼らを皆殺しにしていたことを知り「やむにやまれず悪党になったはずのホセ」が、人殺しも辞さないただの悪人に成り下がったことを知る。

エデンは囚われのチルソンを解放し助けを請うのだった


と、まあ、中盤からずーっと縛られている主役の賞金稼ぎリチャード・ワイラーより悪党ホセのトーマス・ミリアンの方がすっかり主役を食っている()

のちの作品での「愛嬌」はまだ乏しいが、流石アクターズ・スタジオ出身だけあって、破滅に突き進む迫力と虚無感は、これがマカロニウエスタン初出演とは思えない存在感なのだ。

ちなみにただの悪役だったホセに「良家の息子だった過去」を設定して物語に組み込ませたのもミリアンだったそうだ。

キューバ出身のトーマス・ミリアンは、この後も前述の通りマカロニウエスタンに数多く出演しているが俺の記憶している限りこの作品が一番小綺麗な格好だ()

メキシコの盗賊だったりアウトローだったり、とにかくいつも無精髭に小汚い格好だったミリアン。本人が好んだのか、いずれも頭の切れる一匹狼のクールなガンマンではなく、仲間思いでよく笑い、だが運命に流されていく「マイノリティ」を演じていた印象が強い。


フランコ・ネロのクールな陰や、ジュリアーノ・ジェンマの爽やかさはないが、変なユーモアと「カッコ悪いことはなんてカッコいいんだ」を体現していた彼も、2017年に鬼籍に入っていたのだった。


冒頭チルソンのシーンのタイトルバックにはかかっていなかった、カッコいい主題曲はホセのテーマのように彼のシーンに多く流れており、その他の劇伴も、必殺仕置人や必殺仕事屋稼業の劇伴と入れ替えてもいいくらいカッコ良かったことも付け加えておきたい。

ではアメリカ版予告編と哀愁の主題曲をどーぞ!



ふとブログを見たら「振り返り記事」として出ていた。
これを書いたのが4年前か。
まさか、今も郡山にいることになるとは当時は全く思ってなかったな。

毎日数件のアクセス数をいまだに稼ぐこの記事。よもやこうまで息長く読まれ、Google検索でこの映画を検索すると、ウキペディアやAmazon通販の次に検索結果で出てくるようになるとは、これまた夢にも思わなんだ(笑)。

でもまあ、出来が悪くても可愛い子供のような記事の数々のうち、他にも密かな自信作の記事や、もう何作書いたかわからぬマカロニウエスタンの記事の数々を押し除けて、未だにアクセスされていることを考えると、今や我がへっぽこブログを代表する記事になっているとも言えるのかもしれぬなあ。

まさに「B級パラダイス」のタイトル通りだからそれもそれで良しだな(笑)。

これよりへっぽこな「ブルース・リー/死亡の塔」と共に、新たなフォロワーさんへの名刺がわりに、振り返りとして再掲出しておきますか(笑)。


「ジョーカー」を観て以来、呼応するようにどうも気持ちがやさぐれ気味の日々が続いていた。

この土日も連日半日仕事もあって、さらにささくれそうであったけど、これを連日観て癒されたのであった(笑) 

ちはやふる -上の句- /-下の句-  (2016)

監督:小泉徳宏 製作:中山良夫、市川南、鈴木伸育 、加太孝明、薮下維也、石川豊、弓矢政法、高橋誠、宮本直人 エグゼクティブプロデューサー:門屋大輔 、安藤親広 プロデューサー:巣立恭平 ゼネラルプロデューサー:奥田誠治 企画・プロデュース:北島直明 原作:末次由紀 脚本:小泉徳宏 撮影:柳田裕男 美術 : 五辻圭  編集:穗垣順之助 音楽:横山克  主題歌 : Perfume


出演: 広瀬すず、野村周平、真剣佑、上白石萌音、矢本悠馬、森永悠希、清水尋也、久家心、山田瑛瑠、加部亜門、坂口涼太郎、田村健太郎、上村海成、萩原利久、三村和敬、津嘉山正種、松田美由紀、國村隼

下の句出演/つみきみほ、松岡茉優


以前ネットで1巻を読んだことあって、絵柄は苦手なれどなかなか面白いなあと思っていたが、素敵な王道青春映画だった。


かるたと言え実家にも小倉百人一首のかるたがあり、ほとんど坊主めくりしかしていなかったけど()、何回かはちゃんとカルタとして遊んだ記憶はある。何首かは意味もわからず覚えたが、今となっては読み人と歌も覚えているのは蝉丸くらいか()


競技かるたもニュースで見た記憶しかないけど、こんなにシビアな戦いだとは知らなんだ。そんなド素人が見ても「かるたの魅力」がしっかり伝わる作りなのがまず親切でよろしい。


広瀬すずの綾瀬千早、野村周平の真島太一、真剣佑の綿谷新の3人の幼馴染みのカルタを通じての絆が良く、成長してからの三角関係も、物語がそちらに走り過ぎないいのもおっさんにはちょうど良い加減で()


上の句は千早と太一の再会から、寄せ集めのかるた部の創部、その中での軋轢から、東京大会優勝までの戦いの中、仲間としての絆が深まる様が本当に清々しかった。

下の句は、上の句よりちょっとクローズアップされる三角関係もあるものの、個人個人のかるたへの想いもまた強く描写される前半から、仲間の信頼を取り戻し、最後の「個人戦」で、前作の団体戦以上にその絆が深まる描写はグッドでしたな。


物語としては上の句の方がシンプルで好きだし、部員の上白石萌音、矢本悠馬、森永悠希の描写も楽しく、笑えるシーンも多くて好みだ。

下の句は幼馴染み3人のわだかまりが溶ける様や、出番は減ってしまったが前述の3人の脇を固める様、そして何よりクイーンの松岡茉優の存在でドラマティック度は増してましたな。


千早への隠せぬ想い、友人でもあるライバルの新に千早の気持ちが向いているのを自覚しながら接する太一の姿は、俺が若い時に観たらかなり共感しただろうなあとか思える俺も歳をとったもんだ()


原作漫画のままなのかもしれないが、ある意味怪演とも言える松岡茉優の「一人の強さ」の美しさと、仲間に囲まれてより輝く広瀬すずの美しさの対比も堪能できてそれだけでもご馳走様でありました()


そうなのだ、広瀬すずがお気に入りで、これまたお気に入りの中条あやみも出るぞってんで、「チアダン」一人で観に行ったくらいだったのだ。

家族には大いに笑われたが()


特に下の句は第3のお気に入り松岡茉優も出てたのに二部作ということで躊躇している間に観逃していたのだった。

これが観たいと言うとまた家族に笑われそうなので、一人暮らしの間にそーっと借りてこようと思っていたのだが観れて良かった。GYAO!ありがとう(笑)


と言うわけで土日も半日ずつ仕事でさらにやさぐれそうなところを、広瀬すずのキラキラした姿に、王道の青春ストーリーに、このところのやさぐれ気分も軽減、清々しい気持ちで明日を迎えるのであります()

吾妻ひでお氏が逝ってしまった。

世間的にはアニメにもなった「ななこSOS」や、最近ではアル中から失踪しての「失踪日記」が有名なんだろうが、その昔夢中になった身としてはもう寂しい限り。

80年代は彼と大友克洋が自分の中の2大漫画家だった。
大友克洋は「AKIRA」で、超メジャーになったが、その前の「グッドウェザー」から「ショートピース」「ハイウェスター」「さよならニッポン」「気分はもう戦争」そして「童夢」など、とにかくどれも傑作のコミックを何度も読んだものだった。映画のようなコマ割り、キャラの「日本人顔」、絵も台詞も物語も最高だった。

そして、負けずに好きだったのが吾妻ひでお。
彼は「ビッグマイナー」と呼ばれていたが、所謂「オタク文化」が世間的にも認知されてきた80年代初期にはアンダーグラウンドではちょっとしたブームになっていたのだ。

SF、ファンタジーを中心に美少女キャラを配したシュールなギャグが大好きで、当時復刊された旧作も含め片っ端から集めたものだった。
「不条理日記」や「メチル・メタフィジーク」、「贋作ひでお八犬伝」に「やけくそ天使」や「スクラップ学園」などなど、とにかく笑わせてもらったものだ。
紀伊國屋書店で並んでサインしてもらった「陽射し」や「海からきた機械」など、シュールでエロティックなコミックも大好きだった。

大友克洋は全て今も持っているが、吾妻ひでおはかなり数が多かったこともあり、結婚した時だったかに特に初期のギャグコミックはかなり処分しちゃったのが今更ながらに悔やまれる。

不気味、ナハハ、三蔵などのキャラが手塚治虫の漫画の如くいろんな作品で登場するのも好きだった。もっとも、ほとんど「異常な性格」のままだったけど(笑)。
何より吾妻ひでお自身(「あじましでお」表記も多かった(笑))が、キャラとしては最高だったかもしれないな。

美少女キャラの可愛さとエロティックさも特筆もの。今の「萌え」の元祖などと言われるのもうなづける。もっともSFテイストやギャグが中心の作品ばかりだったから、日常生活をまともに営んでいるキャラクターは誰もいなかった気がするけど(笑)。

普段は忘れているのだが、発作的に読みたくなることがあり、自宅に置いてあるのに古本屋で文庫になっているのを発見して「不条理日記」を含む短編集「アズマニア」シリーズなども買っていたのだった。


実は愛読ブロガーさんの記事で2006年に亡くなられた「石川賢」熱がすっかり上がってしまっていたのだ。ゲッターロボシリーズはわざわざ家から持ってくるほどお気に入りなんだが、上がった熱のまま、ついオークションに手を出し、子供の頃読んだ「魔獣戦線」に、存在さえ知らなかった「真説 魔獣戦線」、そして未読だった「虚無戦記」を一気に手に入れたのだった。
激しいアクションと時空を駆け抜ける展開、そして風呂敷広げて畳んでくれない展開(笑)を、ウハウハ読んだばかりだったのだ。

そう言えばこれまた2016年に亡くなってしまった望月三起也。ワイルド7正編は自宅に置いてあるが、これまた中古屋で見つけた「新ワイルド7」などは見かけたら購入していたりする。

自分は一度好きになったものはずっと好きな性質なんで、ガキの頃や若い頃触れたこうした漫画もついつい手元に置きたくなってしまうのだ。

SFやホラー、バイオレンスアクションにコメディ系と見事に映画と好みが一致しているわい(笑)。
手元にあるだけでこれだけあるってことは、DVDのみならず漫画もこちらにきてからちょこちょこ増えていたのだなあ。ということは自宅に置いてあるのと合わせるとやはりそこそこの量になるというわけか(汗)。ま、いいや(笑)。

もう何度も書いているが、こうして好きだった作家やアーチストが亡くなるのは本当に寂しい限り。
まだ残された作品は、入手しにくいものがあっても、こうして読んだり観たり聴いたりできるのだが「新作」はもう、無いんだもんな。

吾妻ひでおも「失踪日記」で表舞台に帰ってきたとは言え、心身ともに万全ではなかったのはその後の著書でもわかっていた。それでも、かつてのようにメジャーとマイナーを軽やかに行き来して、まだまだ活躍して欲しかったし、あのシュールなギャグをまた読みたかった。
まだ69歳だったのに残念無念。どうか天国で好きな酒を思う存分飲んでください。俺はまだ読んで無い後期作品をまた探すとしますよ…。
改めて楽しませてくださったことに感謝。合掌。






先週金曜日、出向元の会社の連中と飲んだ。上司でもある役員の物言いにカチンときて、俺にしては物凄く珍しく、酒の場で言葉を荒げてしまった。驚いた向こうが詫びを入れてきたが許しもしなかった。


「約束」の軽さへの苛立ち。5年過ぎたここでの俺の生活を舐めんじゃねえぞ。

そんなやさぐれ気分と、これを笑って受け流せなかった、てめえの度量の狭さへの自己嫌悪が抜けずに過ごした土曜は、ブログを書く気もせず、映画を観る気もせず、少し出かけて買い物した以外は、ヤフオクで届いた漫画を読み漁り(これはまた日を改めて書きたい)、意味なく夜更かしして過ごした。


空けた昨日日曜。天気の良さに台風の後片付けのご近所には申し訳ないが散歩がてら出かけ、これを観てきた。

ジョーカー JOKER(2019)


監督・製作・脚本:トッド・フィリップス  製作: ブラッドリー・クーパー 、エマ・ティリンジャー・コスコフ 製作総指揮:マイケル・E・ウスラン 、ウォルター・ハマダ、アーロン・L・ギルバート、ジョセフ・ガーナー 、リチャード・バラッタ、ブルース・バーマン 脚本 : スコット・シルヴァー   撮影:ローレンス・シャー   編集:ジェフ・グロス   音楽:ヒルドゥル・グーナドッティル


出演 : ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ、マーク・マロン、ビル・キャンプ、グレン・フレシュラー、シェー・ウィガム、ブレット・カレン、ダグラス・ホッジ、ジョシュ・パイス、リー・ギル、シャロン・ワシントン、ブライアン・タイリー・ヘンリー、ハンナ・グロス、エイプリル・グレイス


これは観る日が違ったらまた違う印象だったろうが、前述のやさぐれ気分が抜けていない今の俺には痺れる一作だった。


いつかレビューしようと思いつつ未だ書けていない「ダークナイト」。映画そのものも素晴らしかったが、あのヒース・レジャーの凄まじさとは別の、ヒリヒリするような「ジョーカー」が、ここにいた。


観たい映画だったからいろんな情報シャットアウトして臨んだけれど、すぐに思い出したのが「タクシードライバー」だった。

何のことはない、パンフにも記されていたが、監督も意識していたようで、大納得。

映画自体の醸し出す70年代の映画の手触りのみならず、演じるホワキン・フェニックス(最高!)の表情が、鏡の中の自分に語りかける姿が、日記のように書かれたネタ帖が、あのデ・ニーロのトラビスと重なって仕方なかった。ついでに言えば彼の長髪はあの映画のハービー・カイテルを思い出させてもくれたけど(笑)。


今よりもう少し過去の、ゴッサムシティはまさに70年代のニューヨークの雰囲気。

この薄汚れた大都会の片隅でスタンダップコメディアンを目指すアーサー。彼のどん底の生活が、様々な要因で更に坂道を転がり落ちて「ジョーカー」になっていく物語。


いや、側から見れば悲劇的に転がり落ちたのだろうが、彼は彼の意思で「ジョーカー」になったのだ。


「ダークナイト」のヒース版ジョーカーは絶対悪として、対するバットマンというコインの裏表のような「相手」がいた。

共に「法の外」の立場。その善と悪のせめぎ合いは凄まじく、ジョーカーの揺るぎない狂気に対し、「闇の騎士」として自らの正義を貫くバットマンの凄みも引き立つ、正に「ダークヒーロー」の映画だった。


だが本作のジョーカーにはそんなライバルはいない。敢えて言えば敵は「社会」そのもの。だが、その「社会」は彼を「相手」にさえしてくれない。


悪ガキに悪戯されたあげく暴力を受け、行政の予算削減でソーシャルワーカーとの面談も向精神薬も打ち切られてという理不尽。

それまでの不満をなんとか飲み込んでいたのに、またも暴力にさらされて暴発的に反撃してしまうアーサー。その高揚感に戸惑いながらも、そこからは、信じていた母の嘘がわかり、アイデンティティさえ崩れ、観ている我々にも唯一の救いだった女性ソフィーと関係さえも幻だったという絶望が待っている。


人を笑わせたくてピエロを演じ、コメディアンを目指しているのに、自らは本当に笑えることのない彼は、上のパンフの表紙のように、自ら口角を押し上げなければ笑顔になれない。

一方で、皮肉なことに、彼は脳神経の損傷で緊張すると笑いが止まらないのが、本当に哀しい。


その「笑い」のせいで失敗した舞台の様が、憧れていたマレー・フランクリンの番組で取り上げられる望まない仕打ち。マレーをデ・ニーロが演じることで、「キング・オブ・コメディ」を思い出してしまうのは無理ないところだ。


やがてアーサーが意図しないところで、彼の「ピエロ」の扮装がシンボリックに社会の不満の吐口として加速をつけて立ち上がっていく。

「何者」でもなかった彼が、その暴動のうねりに、初めて自分の価値を認め、自ら「笑う」哀しさ。


そして、アーサーはマレーの番組で自らが「ジョーカー」になることを選ぶ。

そこでの彼の暴発は、彼の「敵」が社会そのものが「相手」であることを確定させてしまう。


悲劇は喜劇と紙一重。悲しい物語も立場が変われば喜劇だ。その逆も然り、こんなのは歳食えばいくらでも経験があるが、なんか改めて身につまされた。

「笑顔」が張り付いたアーサーの姿に流れる、モダンタイムスの「スマイル」の調べが、こんなに哀しく響くとはね。



てっきり絶対悪のジョーカーの誕生譚かと思ったのに、負け犬がのたうち回り、涙を流し、それをピエロのメイクの下に隠して、狂気に踏み出す哀しい話だったのだ。


ああ、これはまさに俺が惹かれる「私的映画ジャンル其の四 負け犬暴発映画だったのだ。


アーサーは現実では正直近くにいて欲しくない種類の人種だ。トラビスと同じように。


家族をはじめ、世界のあらゆることが愛しいと思う自分がいる。

だが、この哀しき狂人の暴発と、引き起こされた混乱の物語に堪らなく惹かれてしまう俺もまたいる。


また違う日に観れば嫌悪感を覚えるかもしれない。しかし、麻薬のように痺れ浸れる一本であることもまた間違いない。


色んな意味で家族と観ないで一人で観て正解だった。


因みにやたら多かった若い観客が始まる前はお喋りが酷かったが、終わった後は皆黙りこくっていたのも正解だ()

若いうちからこうした「毒」や「理不尽」まみれの映画をたくさん見ておいた方が、これからの人生に耐性がついていいと経験者は強く思うぞ(笑)。

前の記事と落差が激しいけど、今の想い記しておく。

今朝、あ、日付が変わったから昨日の朝、部屋を出たらアパートの管理会社から派遣された清掃の方がいた。
「無事で良かったですね」なんて声をかけたら、なんと駐車場まで水は来ていたようなのだ。
なるほどよく見れば隅の方にいかにも流れてきたような落ち葉と砂の跡が。

そのまま出かけて、近所の方がいたので挨拶がてらどのくらいまで水が来たのか尋ねたら、昨日自分が予想したよりもっと高いところまで押し寄せていたことがわかった。

昨日、被災と無事は紙一重と書いたが、正にその通り、いや、もう間一髪だったのだ。

あと数十センチ水位が上がったら、何も備えていなかった我が部屋は浸水、ロフトに敷いてある布団こそ無事だったろうが、マカロニウエスタンをはじめとするDVDや本などこの5年間で増えた「大切な品」が全て泥だらけになっていたことになるのだ。

アパートまでの坂を降りたところの今朝の写真がこれ。

ツイッターで見つけた冠水から一夜明けた13日の風景がこれ

俺が撮った位置より少し後ろからのカットだが、奥のマンションの形、電柱のところに見える家の窓や緑の建物から考えたら、間違いなく、同じ道だ。

ほぼ窓上くらいまで水没している。
坂の上にあった我がアパートの部屋まで水がこなかったのは、ほんと奇跡的に運が良かったということだったのだ。

今日アポを入れていた行政の方との打ち合わせはキャンセルになった。
市町村の役所の現場の皆さんは、公務員だから当たり前かもしれないが、自分たちだって被災者なのに本当に頑張っている。

それに対してこの被害が「まずまず収まった」だのほざいた二階のバカ。
てめえはさっさと腹切って詫びろ。
「被災地の皆さまに誤解を与えたとすれば、表現が不適切だった」とかぬかしてんじゃねえ。

政治家の言葉は本当に軽い。
軽過ぎるにもほどがある。
報道を見ているのか?
そこに人が暮らしていることが見えていないのか?
この泥水、一口でも飲んでから物を言え。

俺の「大切な物」は無事だったが、帰り道に違う道を通ったら、たくさんの家庭の「大切なもの」のみならず「必要なもの」「使えたであろうもの」が山のように被災ゴミとして積まれていた。郡山ではそれを処分するセンターも被災して再開の目処が立っていない。

台風が過ぎたら一気に寒くなった気がする。
布団や毛布や 暖房器具などこれから使いたいものもたくさんあっただろう。

自分は幸いなことに今までこうした自然災害の当事者になったことがないままこれた。
こんなに危険が身近に迫っていたのは初めてことだ。
もう少しだけ何かが違ったら完全に被災者になっていた今、これまで被災者のことを思っても想像の域は出なかったことを実感する。
震災後に赴任したこの地での5年間。今回のことも含め本当に貴重な経験づくしだった気がするよ。

時間が経つごとに犠牲者の方も増えていく一方だ。
被害に遭われたり、まだ避難中で不便を強いられている皆さんの生活が早く戻りますよう…改めてお祈りします。



え、今更?とか言われそうだが、まだ観ていなかったこれ、台風騒ぎでアップしていなかったけど、そーっと記しておきます(笑)

ジョン・ウィック  JOHN WICK2014年)


監督:チャド・スタエルスキ/デヴィッド・リーチ(クレジットなし) 製作: ベイジル・イヴァニク、デヴィッド・リーチ、エヴァ・ロンゴリア 、マイケル・ウィザリル   脚本:デレク・コルスタッド   撮影:ジョナサン・セラ   音楽:タイラー・ベイツ/ジョエル・J・リチャード


出演:キアヌ・リーブス、マイケル・ニクビスト、アルフィー・アレン、エイドリアンヌ・パリッキ、ブリジット・モイナハン 、ディーン・ウィンタース、イアン・マクシェーン、ジョン・レグイザモ、ウィレム・デフォー


伝説の殺し屋ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)は裏稼業から足を洗い、表世界で妻と平穏な日々を送っていたが、妻は病死。喪失感に呆然とする彼を癒してくれた、彼女が残してくれた愛犬と愛車をチンピラに奪われてしまう。


彼の全てを奪ったチンピラは実はロシアンマフィアのボスのバカ息子だった。怒りを胸に復讐に立ち上がるジョン。かつてジョンに仕事を依頼したボスは、彼の復帰と復讐の意思に戦慄し、ジョンの抹殺を命じ、カムバックした殺し屋とロシアンマフィアの全面戦争の火蓋が切って落とされる…てなお話。


もうね、「犬を殺されてブチ切れた殺し屋の話」と聞いて(まあ、そう言っちゃえばそうなんだが(笑))流石に「んなアホな」とスルーしていた本作、やはりもう一段深い「愛する者」の存在があって、うん、納得。


その愛犬デイジーの愛らしさが、深く沈んで閉ざされたジョンの心を解きほぐす描写は納得なれど、もう少し物語の時間的にも、全体の尺の分量的にもあっても良かったかと思うのだ。

亡き妻への深い愛情の描写もまたしかりでかなり短い。殺し屋の足を洗わせるほどの彼女の「価値」はこちらの想像力に委ねられた、最低限の描写に留められているが故に、こちらは復讐の「動機」に都度寄り添う事なく、ジョンの「絶対許さねえ」と言う「固い意思」と殺しのスキル発揮そのものに早々と浸る事になるのだった(笑)。


そう言う意味では人物描写の深みは無くとも思い切りがよく、アクションに次ぐアクションで飽きさせない。

台詞も、ジョンは勿論だが、出てくる連中がみんな口数が少なく、ハードボイルド加減がアップしているのも好みだったな。


加えて「ディナーを予約する」と電話すると、「ニキータ」のジャン・レノみたいな“廃棄物処理屋”御一行がやってきて、転がってる“ボディ”もその辺の“汚れ”もテキパキとお掃除してくれたり、殺し屋御用達の立派なホテル、コンチネンタルの描写も面白く、ホテル内での殺しは重罪なんてルールも含めた「裏世界」の取り決めがあるところなど、「新必殺仕置人」の「寅の会」をちょっと思い出したりして(笑)。

これらの裏世界の事柄は全て共通の金貨でペイするっていう拘った世界観も好きなんだよな。


ホテルの支配人である殺し屋のフィクサーや、ホテルのバーテンやフロント、それにウィレム・デフォー演ずる殺し屋の仲間などのジョンへの言動を見ても、彼が如何にプロフェッショナルで、腕が立ち、仕事ぶりも信頼されていたかが伺える。


そのレジェンドぶりを過去の仕事を一切描かずに語るところは好きなんだが、肝心の「今」が、結構ヨレヨレで(笑)。

まあカムバックしたばかり、ということなんだろうが、危ういところだらけなのも、俺はOK。傷だらけの復讐ってのはほんと燃えるのだよ(笑)。


一点、解説にあった「ガン・フー」アクションってのはちょっと肩透かしだったな(笑)。

どうしても「リベリオン」の「ガン=カタ」をイメージしちゃったけど、屋内コンバットシューティングに近接戦用格闘技を組み合わせた、もうちょっと実戦的な雰囲気を醸し出してた。

あまり腕を突き出さずに胸の前あたりで構えるから格好良さはちょっと落ちるが、1発で止めて1発でトドメっていうのは殺伐として好きなスタイルだった。


とにかく敵がジョンにビビりまくり、これでもかと人も武器も投入しまくるのに、せっかく捕まえてもすぐに始末しなかったり、最後の最後は肉弾戦だったりと、「おいおい」シーンはあるものの(笑)、総じてハードボイルドタッチで、お久しぶりのキアヌ・リーブスのやさぐれ感もよろしく、公開中の3を観るために早目に2も観ておこうと思うには充分の快作でありました。