最近、ブログさぼりました。

 

3月に新学年に改まり、生活リズムが変わってから、つい忙しくなり、ブログ書くのを遠ざかりました。

 

 

 

先週は、塾生たちと一緒に、花見をしました。

 

花見をして、みんなで人狼ゲームをやりましたが、みんなのウソつきっぷりが秀逸でしたw

 

いつもと違う塾生の様子ってのは、新鮮でした。

 

 

 

 

 

先週のお花見の様子です。

 

今年は、雨が少なくて、桜がいつもの年よりも長く楽しめました。

 

今日は城山に登ったのですが、さすがにもう桜は散っていました。

 

 

また、ブログを適当に更新していきますので、よろしく。

 

 

以下は、新聞の一部抜粋です。

朝日新聞社説 2月15日
 
 領土問題に関する書きぶりを見ても、たとえば「尖閣諸島は我が国の固有の領土であり、領土問題は存在しないことも扱うこと」などとなっている。政府見解を知識として生徒に伝えることは大切だ。だが「これを正解として教え込め」という趣旨なら賛成できない。相手の主張やその根拠を知らなければ、対話も論争も成り立たない。他者と対話・協働して課題を解決する。それが新指導要領の理念ではなかったか。
 
愛媛新聞社説 2月18日
 
 改定案が、愛国心の強調や領土教育の重視など、安倍政権の意向を色濃く反映しているのも気がかりだ。「現代社会」に代わる新設科目の「公共」は、学習目標に「公民として自国を愛し」を掲げ、「歴史総合」「地理総合」でも「国土や歴史に対する愛情を深める」と記している。「愛」という人の内面に関わる問題を押しつけるのは「主体的」に学ぶことと矛盾する。国民の「あるべき姿」を強調するあまり、異なる考え方が排除される懸念が拭えない。
 
 

以上。引用終わり。
 
 
 
言いたいことは、2点。

1.
私は塾で子どもたちに英語を教えるとき、原則を強く教える。
 
数学とは違い、言葉だから、論理的でないもの、矛盾、数多く存在する。
 
しかし、例外から入るのは、教育法としては良くないと私は確信している。
 
まずは原則を叩き込むことが大切だと考えて教えている。
 
 
だから、「尖閣諸島は我が国の固有の領土」と子ども相手にはっきりと教えるべきだと思う。
 
子どものうちから相対的な価値感を知らせる必要はない。
 
人は殺してはいけない、と教えるのが普通であって、殺してもいい場合がある、などと教えないのと同じだろう。
 
相対的な価値観は、学校を出た後で自ら学んでいけば良い。
 
 
2.
例えば、朝日や愛媛新聞は、南京事件だとか、慰安婦とか、そういったことで、日本の立場、日本の意見にどれだけ耳を傾けてきたと言うのだろうか。
 
例えば、オリンピックでも、フィギュアで金メダルを取ったことに対して
 
「日本人がすごいわけじゃない、羽生がすごい」
 
と言っていた江川なんとかというジャーナリストがいたが、
 
彼らは日本人が悪いことをしたときには、決まって「日本人が悪い」としか言わない。
 
良いことは、「日本人が良いわけじゃない」
 
悪いことは、「日本人は悪い」
 
まったく、ダブルスタンダードにあきれるばかりである。
 
 
要するに、朝日新聞は、尖閣の領有権において、中国の言うことが大事と言いたいだけなんだろう。
 
客観的に見て、そんな相対化は全くいらないにも関わらず。
 
私は、中国は南沙諸島を侵略したという事実を、いつ何時でも忘れることなく中国を論じることにしている。
 
よくもまぁ、そういうところを不問にして、こんなことをぬけぬけと言うものだとあきれるばかりである。

 

 

 

以下の2つの動画を見て、すごいと思いました。

 

中学生・高校生は必見です。

 

 

 

▼予習と復習

 

▼模試の復習

 

 

うちの塾では、受験勉強とは「復習の連続」にその本質があると言っていますが、

 

私だけでは説得力に欠けると感じることもあり、

 

たまには東大生のブランドパワーを借りるのも良いかと思い、

 

塾生たちにこの動画を見せているところです。

 

 

復習とは、

 

「補完、補って完全にすること」

 

「復習で100点にすること」

 

「復習が最後の砦である」

 

「復習は逐一やること」

 

 

などと上記の動画で言っていましたが、

 

全くもって、その通りです。

 

 

よく、勉強やっていますが伸びません、とか言う人は、

 

復習を本当に徹底しているのか、自分に問うてみてください。

 

どうせ、やっていないというのが関の山でしょう。

 

 

学力を上げるのは、決して難しいことではなく、

 

あたりまえのことをあたりまえにやる、

 

予習と復習を普通に繰り返す、

 

これだけです。

 

 

上記の動画は塾生全員に見せるつもりでおりますが、

 

この動画の東大生は、さすがですね。

 

復習に対する責任感、それと思考力、

 

それらがよくわかる動画でした。

 

 
おかしいな、腰がいたい、と思ったら、どんどん痛くなり、
 
ついには歩けなくなるほど痛くなり、
 
先週はさんざんでした。
 

階段に登れないので、それこそ這って登るしまつ。
 
文字通り、這う這うの体ってやつでした。
 
今は腰にコルセットをつけていて、調子いいのですが、
 
普通に歩くことができるというのがいかに素晴らしいことか、
 
しみじみと思いました。
 

昨年は、思い切って掃除をやったら、けっこうドッカンドッカン捨てられたのですが、
 
ぜい肉ってやつは、なかなか減らないんですね。
 
今は運動不足というか、運動ゼロなので、
 
本当運動しなくっちゃと思うのですが、くそ寒いし…
 

時給1000円くれるのならジム通ってやっても良いかと思うけど、
 
なんでジムに金払わなくちゃいけないんだ、と思っているくらいなので、
 
そうとう重症かと。
 
でも早死には嫌なので、本当に運動しなくては。
 
 
さて、塾の屋号を変えてみました。
 
これまでは英数塾、でやってきたのですが、ついに英語塾、にしました。
 
というのも、塾生募集かけるときに、やはり英数塾じゃあまりよくないからです。
 
英数塾だけど数学やってません、はさすがにマズイかと。
 
それでも、数学の先生はほしいんですけどね。
 
劉備玄徳みたいに、三顧の礼を尽くす価値がある数学教師がいるにはいるけど、
 
住所がわからないんだよね、これが…。
 

いつかまた数学を復活させたいなぁ、と思いますが、
 
英語の塾なんて面白くないから、
 
というか将来性に疑問を感じるので、
 
数学の先生を雇ってそれこそ数学塾にしてしまって、
 
自分は経営だけやろうかな、なんて思ったりします。
 

こんなこと書いても、また口先だけだと言われてしまう。
 
 
 
 
当塾では、高1生と高2生は、東進で実施しているセンター同日模試(無料)を受験することを義務づけています。
 
そして、その成績表をいま塾生から回収し、データを集めて分析しておりますが、
 
今年も、うれしいことがありました。
 

成績が良いというのは、それ自体非常にうれしいですが、
 
成績が伸びたというのも、非常にうれしく思います。
 

塾生K 65点 → 164点
塾生O 72点 → 153点
塾生T 47点 → 146点
 

左が1年生の時のセンター英語(筆記)のスコアで、
 
右が今年実施したスコアです。
 
 
正直、昨年は一抹の不安を覚えたのですが、
 
今年のスコアを見て、十分に戦えるという確信が持てました。
 
99点伸びた子が2人いるというのは、今までなかったことなので、
 
すごく自分自身、元気がもらえました。
 
この元気を授業を通じて塾生に還元しなくては、と思います。
 

2月末から新学期です。
 
また頑張ってやっていきたいと思います。
 
 
 
 
PS
 
某平成という学校は、高2の生徒にセンター同日模試を受験させています。
 
これ自体、非常に喜ばしいことですが、
 
これに対して、生徒たちがこんなことを言っていました。
 
「ワンチャン生徒を東進に行かせたくないから、学校でやってる」
 
まさか、とは思うのですが、
 
考えてみると、けっこう自分でも思い当たるフシがあり、ピクっと来ました。

 

 

極めて不愉快である。

 

 

 

 

こういうのを見ると、思い出すのが、兵頭会長の一言。

 

以下に引用をコピペします。

 

人間というのはいよいよとなればいくらでも頭を下げるのは世の常。しかしそういう土下座する人間に本当に誠意があるかどうかは別の問題。両手両足額を床にこすりつけながら謝っているうちに「こんなに謝っているのにこいつは許してくれないのか?」などと心底被害者を非難し冷血漢呼ばわりし逆恨みをする始末。それが本当に申し訳なく思っている人間のすること?そうさそれがあいつらの現状さ。申し訳なく思っているのは上辺だけ。当然そんな人間の詫びに誠意など1微塵すらあるわけがない。人の命を奪い、人の衣食住を奪った事における誠意なんていうものはこれはもう、誰が考えてもひとつしかない。どんな手を使ってでも死んだ人間、殺した人間、人々の暮らしをそっくりそのまま返すこと。殺した人間を生き返らせること、奪った生活を返すこと。それ以外に誠意はないわけだ。しかし人間にそれができたらお互いに苦労はない。そうだそれができない時点で誠意など皆無。本来できるはず。「本当に謝りたい。被害者がかわいそうだ。自分のせいでこんなことになってしまったんだ」という気持ちで胸がいっぱいであるならどこでだって土下座ができる。たとえ肉焼き骨焼く鉄板の上でも。

 
 
 
焼き土下座のルール
体の両つま先、両膝、両手、額 7つの部分全部を鉄板の上に付けた瞬間からカウント開始、もし土下座が10秒を越えなかった場合はやりなおし。10秒の土下座が達成されるまで 何度でも 額の皮 肉 頭蓋骨を焼く事になろうと。
 
 
はれのひの社長は、成人式当日は、友人宅で「待機」していた、とか…。
 
待機って、雲隠れとは、違うのかい?
 
これはもう、誠意なんか、微塵もないね。
 

 

謝罪なんか、無意味。

 

人の言葉なんか、いっさい信じてはいけない。

 

信じられるのは、行動だけだ。


 

 

センター試験の「世界史」で“満点“だった女子高生 「工夫と努力の天才」と称賛されるワケ

 

今年の大学入試センター試験で、ある女子高生が世界史に挑みました。自己採点の結果、見事「満点」。彼女がすごいのは、たゆまぬ努力が実を結んだから。1冊の問題集が、努力の大きさを物語ります。

 

写真をTwitterに投稿したのは、オンライン予備校「学びエイド」世界史講師の鈴木悠介さん。次のように言葉を添えて、ツイートしました。

“今年のセンター世界史で満点を取った生徒の「東進一問一答」。もはや原形をとどめず、凄まじいオーラを放っている。“

 

付箋やマーカー、書き込みがいたるところにあります。表紙には地図を貼り、彼女の努力と工夫が一目で伝わってきます。

この一冊さえあれば、世界史の復習は大丈夫。自信にも繋がったことでしょう。

彼女は、鈴木さんが出張講義で出向いた高校の生徒でした。

満点だったと報告を受けると、鈴木さんは「それは凄い!おめでとう!自分の勉強法が正しいと証明されたようで嬉しいだろう!」と声をかけた、とBuzzFeed Newsに話します。嬉しそうに、はにかんでいたそうです。

問題集を見ると、真似をしたくなる人もいるはず。しかし、作業自体が「目的化」すれば、悪い方向に進む、と鈴木さんは忠告します。

「特に几帳面な女子生徒に多いのですが、勉強から無意識に逃げるあまり、作業自体を目的化してしまうことがあります」

「しかし、この生徒は作業に溺れず、ストイックに暗記という苦行から逃げなかった。その精神力や勉強への意欲は称賛に値します」

 

 

以上。引用終わり。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180117-00010006-bfj-soci

 

 

これ、ニュースにする? ってちょっと思った。

 

これくらいのことは、かなり多くの受験生がしていると思うけど…

 

 

でも、ひとつ確かなのは、

 

その人が使っている本からは、その人の人となりというのがわかりますね。

 

その意味で、この女子高生は素晴らしいと思います。

 

 

実際、私も塾で、塾生が使っているターゲットを見せてもらうことがあります。

 

もちろん自分もターゲットは持っているので、本の内容に用はないわけです。

 

どういう勉強をしているのか、様子をうかがうためです。

 

本に何を書いているかで、その人の本への関与の仕方や度合いというはわかるものです。

 

そして、学習への姿勢がわかります。

 

 

まぁ、学習姿勢というのは人さまざまなので、一般化はできないかもしれませんが、

 

一冊のターゲット、または参考書が仮になくなったとして、

 

その場合、「また買えばいいや」と言えるような人は、

 

学力は伸びない、と断言できそうな気がします。

 

 

本に書き込むという行為は、

 

著者との対話であり、

 

自分のために残す重要な記録であって、

 

それは、取り換えのきかないものです。

 

自分用にカスタマイズしていない参考書があるとしたら、

 

それは、自分の学習態度を見直してみると良いでしょう。

 

 

もちろん、上記記事にあるとおり、

 

本に書きこみすることは、目的ではなく手段であることを間違ってはいけません。

 

 

 

ターゲットには、

 

発音・アクセントの矯正は、自分のために赤を入れておくべきです。

 

そして、派生語を加えるとか、

 

英英辞典で調べた意味を書くとか、

 

おぼえた単語とおぼえていない単語を区別するとか、

 

そういった工夫をするべきです。

 

それがない人は、あまりに消極的な学習としか言えないので、

 

伸びないと思います。

 

 

 

ps

 

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私個人的には、このワンちゃんの表紙が気に入っているのですが、

 

塾生は、この表紙を退けている人が多いですね…。

 

なぜ、そんなかわいそうなことを! ( ;∀;)

 
概評は書きません。

感想を書きます。
 
英語の先生としてはクソ情けないのですが、

私のスコアは筆記188点でした。
 

言い訳しますが、
 
毎年何かしらミスするので、今年こそは満点を、と、

実は超気合いれて、このザマです。
 
通常、問2まででミスしているので、

今年はそれがなかったので、満点かな、と思ったら、
 
長文を2問も落としました。
 
怪しい問題がいくらかあったので、

ミスしたくないので、入念に読んだつもりで、

それらに関してはミスしていなかったのですが、
 
全く思いがけない問題で1問落としました。
 
あと1つは、これは事前に「宇宙人の日記がでた」というニュースを見ていたので、

それに左右された感もあるのですが、そこで落としました。
 
確かに、設問の

「looks like a human」の部分で、根拠をどこにも探せなかったので、

それを不審に思いつつも、正当としてしまったところで、

これはミスと言われても仕方ないです。

本文をちゃんと読めば、十分にクリアできる問題でした。
 
 
 
普段塾生に言っていることがブーメランになって

自分に突き刺さりました。
 
要するに、センターの長文で1つミスをするというのは、

実は同時に2つのミスをしているのです。
 
選択肢の正解を不正解とみなしたことが1つ、

そして、不正解を正解とみなしたことが1つ、
 
その2つのミスを同時にしなければ失点にはならないのです。

通常、解答の根拠を明確にしていけば、2つのミスを同時にやらかすことは決してないのです。
 
特に、センター試験は客観的な問題しか出ないので、

この原則は絶対です。
 
その意味では、やはりリーズニングがキチンとできていなかったから、

2問もミスしたわけで、これはもう猛反省が必要です。
 

今年こそミスをせずに、と思っていたら、

例年よりもひどいスコアをとってしまい、情けない限りです。
 
しかも、例年、長文で失点なんてまずないことなので、

かなりショックです。
 
長文で2問ミスするというのは、

相当ヤバイことだと思うので、猛反省し、

日々英文読解に取り組んでいかねばと思います。
 
 
 
で、今年は難化だったんじゃないかなぁ…

宇宙人の問題なんか、最後の最後でどんでん返しがあったりするから

けっこう読みにくい感があるし、

問3の要約問題も、選択肢が絞りづらいものもいくらかあったので、

受験生は大変だったんじゃないかと思うのですが、
 
自分の気のせいかな?
 
同日模試を終えた塾生は、「簡単だった」って言ってたけど、

スコアがどれくらい出ているのか、気になります。
 
 
 
面白い動画を見ました。
 
その動画がどこに行ったか分からなくなってしまったので、
 
簡潔に紹介したいと思います。
 
 
ある東大生が「5分勉強法」なるものを紹介してくれました。
 
それによると、
 
「勉強しなくちゃいけないのにやる気が出ないときは、とりあえず5分だけやってみよう!」
 
というものです。
 

やり方は、
 
机の上でタイマーをおいて、5分間勉強する、だけです。
 
5分たってタイマーがなって、もしも休憩したかったら、5分休憩しても良いです。
 
5分たってタイマーがなったら、また5分間勉強します。
 
これを繰り返していると、
 
結局、最後はタイマーに関係なく勉強をやっているようになる、とのことです。
 
 
その科学的根拠は、
 
ドイツ人のクレペリンという人が説いた「作業興奮」というもので、
 
人間は何か作業に手を出すと、次第に脳が活性化してきて、
 
ドーパミンがドバドバでて、やる気が刺激されるみたいです。
 
  
勉強というと、ン時間はやらなければいけないと思うかもしれませんが、
 
それがやる気が起きない原因でもあるようです。
 
まずは5分間でいいから、やってみよう!
 
と良い意味で自分を騙して、とにかく手を動かしてみるという事ですね。
 
 
自分も仕事する前にやる気がなくて、ついだらだらとすることがあるのですが、
 
仕事でも勉強でも、始める前にもたもたしたり、
 
あれこれ考えるのはよくないのだと思います。
 

時間になったから勉強とか、
 
今からとりあえず5分だけ勉強とか、
 
とにかく作業を始めてしまえばしめたもの、
 
あとは少々例外はあったとしても、案外続くものなので、
 
始める前に躊躇しないで、えいっ、と始めてみちゃってください。
 
 
東大生の言っていたことは、
 
自分の経験に照らしても、おおむね正しいと思いますので、
 
勉強やる気がないとか、気が進まないとか、
 
そんな人は、試してみると良いでしょう。
 
 
社会的に大騒ぎになっている2つの事件、
 
「はれのひ」と、「ドーピング」騒動について。
 
どちらの事件も、許しがたい不祥事だが、おちついて考えてみたい。
 
 
これまで自分は、人殺し以外は全て許してあげてよい、だった。
 
それを当てはめるのなら、「はれのひ」も「ドーピング」も、どちらも許せるということになる。
 
 
しかし、なんかおかしいと思った。
 
とても許せる事件ではないからだw
 
 
そもそも何で「人殺し以外は全て許す」のかというと、
 
それは現状回復が可能な罪は、償うことができるから、である。
 
人殺しはどうしたって償えないから、だから人殺しは許せないのだろう。
 

「現状回復が可能」という基準で考えるのであれば、
 
私的には、ドーピング事件の鈴木選手は許してあげていい、と思う。
 
自分の心がまえとしては、ドーピング事件の鈴木選手は、
 
「償った」という一点をもって、許せる事件だ。
 
ただし、鈴木選手は、自分の子どもに対しては、一生かかって償う必要があると思う。
 
子どものことを考えると、それは哀れでならない。
 
自分のオヤジがそんなことをしたら、と思うと、
 
そんな思いを一生ひきずっていかなくてはならない子どもがあまりにもかわいそうだ。
 
もっとも、子どもにどう償えばよいか、なんて私にはわからない。
 
 
 

「はれのひ」は、どうかというと、
 
心情的にこれは絶対に許せない。

漫画カイジの利根川のセリフに、
 
「金は命より重い」
 
というセリフがある。
 

お金というのは、ある意味その人の命の一部だと思う。
 
それを奪ってトンズラというのは、
 
償えない、償わない、ということだから、
 
結論は許せない、ということになる。
 

北朝鮮の拉致だって、
 
実際に死者が出ているかもしれないが、
 
人の人生から数年を奪ったというのは、その数年分の命を奪ったことと同じ行為である。
 
過ぎた時間は取り戻すことはできない。
 
やはり、許せない、ということになる。
 
 
あまり大きな声では言えないのだが、
 
「はれのひ」の社長は、それこそ自分の臓器を全て売ってでもして償うべきだろう。
 
「てるみくらぶ」と同様に、日本社会における大切な価値観、「信用」を大きく損ねる事件である。
 
社長は、死をもって償うべきである。
 
私は、命は無条件で大切だとは思わないから、こんなクズ社長は臓器だけ残して死ね、と言いたい。
 
被害者ではないものの、本当に胸糞悪い事件である。
 
 
 
さて、私はキリスト教徒ではないが、
 
基本的には、全て「許す」ことから始めたい。
 
これまでもそうしてきたつもりだが、
 
これからも、どうしても「許す」ことができない時点で、
 
はじめて「許さない」を消極的に採用していきたい。
 

それにしても、鈴木選手の件は、残念だ。
 
事件を起こして、あとで正直に謝ることの方が、
 
オリンピックに出られないよりもよほどつらいってことがわからなかったのだろうか。
 
冷静に考えることができないくらい、追い詰められていたのだろうか。