以下、産経新聞の引用です。

 

 

 

次期指導要領 土台となるのは国語力だ

 

 学習指導要領の改定作業が進められている。中央教育審議会の答申を受け、考える力や表現力を重視するという。

 

 その土台となる国語力強化を忘れず、指導を進めてもらいたい。

 

 次期学習指導要領は、小中学校について今年度中、高校は平成29年度中に文部科学省が告示する。教科書が一新される全面実施は、3年後の東京五輪・パラリンピックの年以降だが、学校の判断で先行実施することも可能だ。

 

 気がかりなのは、早ければ30年度から小学校の5、6年生で英語が教科化されることだ。

 

 現行では「聞く・話す」を中心に英語に親しむ「外国語活動」が週1コマ導入されている。それを3、4年生に早め、5、6年生では週2コマとなる。その指導に気を取られ、肝心の国語の授業がおろそかにされては困る。

 

 英語ができるにこしたことはない。国際化の中で保護者などから英語習得への要望は強まっている。しかし、小学校から学べば上手に話せると考えるのは安易ではないか。教える先生の英語の実力はどうか、逆に英語嫌いを増やしかねない、など専門家の中でも反対論は根強い。

 

 中学で学ぶ英文法が身についていれば、日常会話に十分応用できるとの指摘もある。小学校から努力しても、中学以降の教育がだめなら無駄になりかねない。

 

 国際化というなら、何を話すかの中身が重要だ。話したいことや学ぶ目的が明確でないのに、英語で何を伝えるのか。

 

 教える教師の態勢が整わず、理念先行で失敗した「ゆとり教育」の二の舞いとなる懸念はある。

 

 一方的に講義するやり方を見直し、討議や課題探究など能動的に学ぶ「アクティブ・ラーニング」という授業スタイルが求められている。果たして受け身の授業で育った先生たちが変われるか。

 

 次期指導要領は先の10年を見通し、人工知能(AI)の飛躍的進化の中、AIに代替できない力を育むことを念頭に置く。その点でも、国語力を含む基本的なものの考え方を身につけることは、コンピューターを使いこなす上で欠かせないだろう。

 

 国語力は思考や表現と切っても切り離せない。すべての学力を支える。子供たちの語彙力低下が心配される中で、国語の授業こそ充実させるべきである。

 

 

 

以上。引用終わり。

http://www.sankei.com/column/news/170116/clm1701160001-n1.html

 

 

 

上記の記述に賛成です。

 

小学生から英語を教えるのは、国民の愚民化です。

 

学力の基礎は、漢字力と計算力です。

 

小学生は漢字力と計算力を鍛えるべきですが、

 

その時間を奪って英語をやるなんて、全くもってバカバカしいし、腹立たしい。

 

 

英語塾の教師だけど、はっきり言う。

 

私は、英語の早期教育に賛成しません。

 

 

 

先日、こういうのが物議醸した。

 

 

 

 

9.0でバツをつけるのはよくない、とか。

 

 

 

他にも、例えば50円×3人=150円、というように、掛け算は計算の順番に意味があるのに、

 

これを3×50=150 にしてバツにするのは、どうなのか、とか。

 

 

日本の算数教育は大丈夫か、みたいなことが言われていた。

 

 

自分としては、掛け算の順番なんかは、結構大切かな、という気はするものの、

 

それほど目くじらを立てることでもないかと、

 

その程度に感じた程度だった。

 

 

 

 

でも、自分の専門分野(?)になると、話は変わってくる。

 

木曜日に生徒が英語の答案を持参した。

 

そこには、

 

When I came home my father was drinking tea.

 

で、なぜかバツをもらっていた。

 

正しくは、

 

My father was drinking tea when I came home.

 

なんだとか。

 

 

どうやら、コンマがないから、前者の英文は間違いになるのだとか。

 

そして、2点配点なのに、0点とされていた。

 

 

問題文を見ると、これは並び替え英作文だった。

 

つまり、単語を並び替えて英文を再現する問題なのだが、

 

並び替える物の中にコンマがないので、後者のみ正解とされたらしい。

 

 

ちなみに、これは、某平成中学、1年生の問題だ。

 

 

正直、これでいいのか?、という気がした。

 

というのも、コンマがないとバツ、というが、

 

じゃ、今までこの先生は英語長文の中で、コンマなしで副詞節と主節を並べている文を見たことがないのか、と思ってしまった。

 

確かに、英文中にはコンマをつけなくてはならない場面というのがある。

 

しかし、上記作文においては、コンマをつけなくてはならないのかと言われたら、

 

あくまで「つけたほうがわかりやすい」にとどまる。

 

 

 

あと、百歩譲ってコンマが必要だと教えるにしても、

 

配点2点で0点つけることもないんじゃないか。

 

0点というのは、白紙答案と同じ評価をつけた、という意味である。

 

会話なられっきとした英文で、文として成立しているにも関わらず

 

ここまで答案作成した子を評価しないというのは、

 

どういう採点基準か、と思う。

 

まして、相手は中学1年生。

 

不憫すぎます…

 

 

 

生徒の親から高い高い授業料をいただいている私立の学校なんだから、

 

もうちょっとマシにしてやってください、って思います。

 

これではさすがにかわいそうだし、

 

メリットよりもデメリットの方が大きいと思います。

 

 

 

 

もっと早く読んでおけばよかった、と後悔しております。

 

 

 

 

 

子どもの学力を気にする親や、

 

そういう仕事に従事している人は、

 

ぜひ読んでみたらよい本だと思いました。

 

必読書と言えそうです。

 

子どもたちにも読ませたいと思える内容でした。

 

 

「ほめて育てる」などといった世間に出回っている俗説が、

 

どれだけ正しいのか、間違いなのか、

 

それが統計学によりはっきり証明・説明されていています。

 

 

科学的手法に基づいているので、説得力もありますし、面白いです。

 

 

 

 

今日中学一年生の授業の時に、

 

そろそろテレビを見る習慣をやめようね、

 

録画して週末に倍速でまとめて見ようね、

 

なんて話をしたのですが、

 

次回は、

 

「テレビやゲームは平日1時間までならいいよ」

 

「でも、2時間を超えるのはやめようね」

 

と伝えようかと思います。

 

 

 

 

 

以下は、産経新聞からの引用です。

 

韓国紙、日韓関係維持へ韓国政府にも対応求める

 

韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦被害を象徴する少女像が設置されたことへの対抗措置として日本政府が駐韓大使を一時帰国させたことなどについて、韓国各紙は10日、日本側の強い姿勢を批判する一方、韓国政府にも日韓関係維持へ対応を求めた。

 

東亜日報は社説で、安倍晋三首相がNHK番組で日本側は元慰安婦を支援する資金を既に拠出したとして韓国側に少女像撤去を迫る姿勢を示したことについて「(安倍氏が日韓合意で表明した)おわびの誠意を疑わせ、外交的な礼儀を欠く」と批判した。

 

朝鮮日報は社説で、市民団体による釜山の少女像設置は「合意の趣旨と合わないのは事実」と指摘。一方で「だからといって(設置により)韓国政府が合意に反したとは言えない」とし、日本の強硬姿勢をたしなめた。

 

 

以上。引用終わり。

http://www.sankei.com/world/news/170110/wor1701100023-n1.html

 

 

 

今回のこの騒動、韓国にはいかにリーガルマインドが欠けているか、よくわかった。

 

相手にリーガルマインドが欠如しているのだから、これはもう基本的なベースを共有していないわけで、

 

それでは、話し合いにならない。

 

 

例えば、

 

「10億円は返すべき。」

 

「日韓合意を破棄すべき。」

 

などと言う野党議員がいるようだが、

 

国内事情を援用して国際法の変更を一方的に迫るなどというのは、もってのほか。

 

そんな、国内事情をいくらでも言えるとしたら、国際法秩序がめちゃくちゃになるじゃないか。

 

そのくらいのこと、客観視さえできれば、すぐにわかることだと思うのだが、

 

リーガルマインドってやつが、すっぽり抜けているようだ。

 

 

また、

 

「日本は、日韓合意を次の政権にも強要すべきか」

 

とも言っている。

 

これは、ハンギョレ新聞が言っているようだが、

 

耳を疑う発言である。

 

強要、というのは語弊があるが、

 

前政権の合意を次政権が引き継ぐというのは、極めて当たり前である。

 

ウィーン条約法条約の内容だが、

 

国家承継・政府承継の基本的な考えである。

 

 

さもなくば、わが国も前政権が合意した1965年の条約は破棄で、

 

屈辱的な額である8億ドルは全て返済してもらう、という議論にもなる。

 

もっと言ったら、大日本帝国がやったことを日本国に強要するな、とも言えるではないか。

 

 

 

さらに、

 

市民団体による釜山の少女像設置は「合意の趣旨と合わないのは事実」と指摘。一方で「だからといって(設置により)韓国政府が合意に反したとは言えない」

 

とあるが、

 

やはり国家責任を逃れるために、国内事情を援用することはできない。

 

 

この問題をもう蒸し返さないという完全かつ不可逆的な合意をしておきながら、

 

1年やそこいらで、他国の公館の真ん前に新たな像を設置して、

 

ウィーン条約違反、日韓合意違反という2重の国際法違反をしておきながら、

 

民間団体がやりましたから、国家の責任ではありません、などといって、

 

通るわけがない。

 

 

大使公館周辺の安寧・威厳の維持は、接受国の大切な義務ではないか!

 

この人たちは、

 

基本的なこともわかっていないから、やはり議論にならない…

 

アホな一国民が言っているのではなくて、メディアが言っているから、なおさら驚きである。

 

 

中国も、北朝鮮も全く同じだが、条約とか、約束とか合意とか、

 

そういうものを守るという発想がない、

 

破っても、自分は悪くないし、むしろ相手が悪いと言い張る、

 

これはもう、まともな近現代を経てこなかった結果なんでしょうね、

 

言うと怒られるかもしれないけどw

 

 

 

さて、

 

個人的には、一時の感情で全てを破壊してしまうような愚かなことはしてはいけないと思っている。

 

これまでそう生きてきたし、今もそう。

 

 

しかし、韓国という社会は、まさに今、感情的にふるまって、日韓関係を破壊しようとしている。

 

感情がジャマをして、国際法上の義務を怠り、

 

像の撤去をいつまでもしなければ、この国は信用をすっぽり失うだけのこと。

 

 

それで損するのは自国ではないかというのが、国民もメディアも政治家もみんなわかっていないようで、

 

それならそれで、もうどうしようもない。

 

信用できないのだから、今後の合意もすべて破棄される可能性がある以上、

 

もう話し合いはムリ、法的な合意もムリという結論になる。

 

話をさかのぼれば、そもそも1965年日韓基本条約の時点で、

 

戦後処理は完全かつ最終的に解決していたわけだから。

 

 

日本は困らないので、高見の見物といきましょうw

 

ただし、半島で何があっても有事の際は自国を守れるようにしなくてはならないです。

 

半島の情勢に左右されない国家安全保障を考えなくてはなりません。

 

 

 

 

以下、産経新聞から引用。

 

 

「なめんなよ!」「やってやるぜ」 ステージ乱入を制止…茨城・つくば市で式典が一時中断

 

茨城県つくば市で8日に開かれた成人式の式典「つくば市成人の集い」は、ステージに駆け上がろうとした新成人が進行を妨害し、式典が約8分間、中断するなど混乱が生じた。県警つくば中央署は警備を担当した警察官の職務を妨害したとして、公務執行妨害の容疑で、新成人の会社員の少年(19)=同県土浦市=を現行犯逮捕した。

 

以上。引用終わり。

http://www.sankei.com/affairs/news/170108/afr1701080013-n1.html

 

 

▼ステージに上がろうとして取り押さえられる新成人

 

 

 

「なめんなよ!」「やってやるぜ!」

 

うーん、

 

体力が有り余っているみたいだから、

 

地方自治体がその発散の場を与えてあげるべきでは…www

 

 

 

パプアニューギニアではバンジージャンプが成人になるための通過儀礼なので、

 

日本でもそれをやるとよいのでは?

 

 

私が市長なら、

 

バンジージャンプ大会やるかもw

 

ジャンプ中に、新成人の主張を叫ぶことができ、

 

そして、みんなでそれを聞く。

 

これはこれで、話題になりそうだし、

 

結構面白そうな気がする…w

 

 

 

あと、暴走行為とか、議事進行妨害は、

 

これは許せないので、捕まえてオリに入れますね。

 

目立ちたいのであれば、やはり市がちゃんとその場を用意してあげて、

 

大街道にでもおいて晒してあげますよ。

 

食べ物もオリにちゃんとおいてあげて、ね。

 

 

 

さてさて、

 

成人式前に、卒塾生の双子ちゃんが、久しぶりに来てくれました。

 

マイカーで塾に来るなんて、なんて羨ましい!!

 

2人とも医者のたまごで、来年はカナダ留学だとか!

 

 

塾生はすくすく育っていきますね~

 

私も負けずに読書して、この年になっても成長を続けなければとおもいました。

 

 

以下、産経抄からの引用です。

 

 

韓非子のいう国が滅ぶ兆候…韓国は大丈夫か

 

中国・戦国時代の法家思想の大成者、韓非子は国が滅ぶ兆候の一つに、こんな例を挙げる。「無礼な態度で隣の大国を侮り、貪欲のへそ曲がりで外交もまずいという場合」。国民感情が実定法に優越する「国民情緒法」が横行する韓国は、隣国日本は法治国家だということを忘れていたようである。

 

▼堪忍袋の緒が切れたということだろう。菅義偉官房長官は6日、韓国・釜山の日本総領事館前に昨年末、慰安婦を象徴する像が設置されたことに対し、慰安婦問題を最終的かつ不可逆的に解決する日韓合意と、国際法に照らして「極めて問題だ」と強調し、対抗措置を発表した。

 

▼駐韓日本大使と駐釜山総領事の一時帰国や、韓国側が求める通貨交換(スワップ)協定協議の中断など、弱腰といわれてきた日本外交としてはかなり強烈な中身である。新たな慰安婦像設置に、安倍晋三首相が激怒していたことも後押しとなった。

 

▼外務省幹部は「韓国側は『そこまでやるのか』と驚いていた」と語る。一方の韓国外務省は6日、「非常に遺憾だ」とコメントを出したが、像設置を事実上、黙認していたのだからそれをいう資格はない。自国民の情緒は偏重しても、日本人にも感情があるという当たり前のことは理解していなかったらしい。

 

▼米国のバイデン副大統領も早速、日韓合意を支持し、着実な履行を強く期待する旨を表明し、日本側に立つことを明らかにした。既に貪欲に10億円を受け取っている韓国は、外交的にも追い詰められた。

 

 ▼問題は、像設置の背景に、親北朝鮮勢力の暗躍が指摘されることだ。にもかかわらず、北が暴発しかねない今、像の撤去一つできない韓国は大丈夫なのか。韓非子のいう「亡徴(ぼうちょう)」を見るようで恐ろしい。

 

 

以上。引用終わり。

http://www.sankei.com/column/news/170107/clm1701070003-n2.html

 

 

 

像を撤去すると、国民が火病る、

 

撤去しないと、日韓関係がズタズタになる、

 

進むも地獄、引くも地獄で、見ていられないですね。

 

 

でも、こうなったのも、そもそも国家ぐるみで反日をあおってきたから。

 

自業自得というやつです。

 

 

韓国がどうなろうと、あまり興味はないのですが、

 

ただ国家安全保障の問題が絡んでくるので、

 

本当にはなはだ厄介な国だなと思います。

 

 

 

 

 

以下、産経新聞より引用。

 

 

 

 

韓国・釜山の慰安婦像設置

菅義偉官房長官「ウィーン条約から照らして極めて大きな問題」

 

 

菅義偉官房長官は5日の記者会見で、昨年末に韓国・釜山の日本総領事館前に新たな慰安婦像が設置された件について「日韓関係に好ましくない影響を与えるとともに、領事関係に関するウィーン条約に規定する領事機関の威厳を侵害する。条約から照らしても極めて大きな問題がある」と述べた。

 

菅氏はまた、一昨年末に日韓両政府が慰安婦問題の最終的かつ不可逆的解決を確認したことを強調。その上で「日韓合意を責任を持って実施することが極めて重要であり、韓国側に少女像の問題を含めて合意の着実な実施を強く求めていく」と語った。

 

韓国・釜山の慰安婦像をめぐっては、昨年12月に韓国の市民団体が日本総領事館の前に慰安婦問題を設置しようとし、地元自治体が一度は像を撤去した。だが、世論の反発を受け一転して設置を容認、大みそかに像の除幕式が行われた。

 

 

 

以上。引用終わり。

http://www.sankei.com/politics/news/170105/plt1701050019-n1.html

 

 

 

ウィーン条約という一般国際法違反、

 

そして、日韓合意という特別国際法違反。

 

二重の違反ですねw

 

 

日本の周りには約束を平気で破る国があります。

 

平気で約束を破る。平気でウソをつく。

 

本当にお話にならないし、

 

外見は似ているかもしれないが、

 

日本人とは価値観が全く違う。

 

 

約束違反には、「遺憾」の表明ではなくて、

 

具体的な行動で報復するべきです。

 

コトバはいらないので、

 

というか残念ながら役に立たないので、

 

行動でコミュニケーションを図るしかないと思います。

 

 

 

 

英数塾DJの塾生、保護者の皆さま

 

新年あけましておめでとうございます。

 

 

平成29年(皇紀2677年)

西暦2017年

 

 

新しい年が皆様方にとりまして

幸多き年なりますよう

心からお祈り申し上げます。

 

本年もよろしくお願いいたします。

 

 

塾長の今年の目標

・運動する

・読書する

 

真面目にやらないと、急成長する塾生に追いつきませんので、

自分も日々成長させないとなりません。

 

さもないと、老いは急にやってきてしまいますw

 

学問の良さは、いつでも遅くはないことと、成果を奪われないこと、

これは本当だよなぁと思います。

 

 

 

以下は、愛媛新聞・地軸より引用です。

 

 

 

ネット出願に思う

 

 

 出願をインターネットでのみ受け付ける大学が増えている。24時間いつでも可能で、画面の指示に従えば記入漏れのミスを自動チェック、検定料金もすぐさま計算できます―と、いいことずくめのよう▲

 でも、気にかかる。対応できる十分な環境が、どの家庭にも整っているとは限らない。合理化の下で取り残される生徒が出ないよう、大学や高校はきめ細かな支えを▲

 政府は、経済的理由で進学を断念する高校生を後押しするため給付型奨学金を創設する。来年度は児童養護施設出身者らに、翌年度からは1学年約2万人を対象に本格実施するという。アルバイトで家計を助けながら学ぶたくさんの生徒の夢をかなえるきっかけに、と願う▲

 大学入試の本格シーズンに入った。わが子の出願を前に、はたと立ち止まる。自宅の古いパソコンの調子が良くない。大丈夫だろうか▲

 ただ、対象となる住民税非課税世帯の進学者は1学年約6万人いるとされ、まだまだ不十分。制度を大きく育てていけるよう政府に求めるとともに、社会全体で支援できる仕組みも考えたい▲

 子どもの貧困対策をテーマにした集会での生活保護世帯の高校生の言葉を思い出す。「衣食住は保障されても、社会参加にたくさんのお金がかかる仕組みになっていて、周りと同じように進学や就職ができない。これが貧困の姿」。生まれ育った環境に関わりなく教育が受けられる、そんな当たり前の社会に。

 

 

以上。引用終わり。

https://www.ehime-np.co.jp/online/column_chijiku/

 

 

おそらく、塾生や保護者の皆さまとは考えが違うとは思うのだが、あえて言わせていただきます。

 

私は、給付型奨学金というのに、強く反対します。

 

なぜなら、国にそんなお金がないからです。

 

 

大学受験をする子たちを毎年見てきていますが、不思議なのは、

 

なぜ家から通える距離に国立大学があるのに、そこをめざさないのか、ということです。

 

ここで言う国立大学というのは、もちろん愛媛大学です。

 

愛媛大学なら、すごく安上がりでしょう。

 

私が知る限り、9割以上の子たちが、愛大を目指せるのに無視します。

 

 

 

でも、人それぞれ選択は自由なので、別に県外の大学に行くのは自由でしょう。

 

しかし、それで給付型奨学金をあてにするのは、虫が良すぎる、

 

自分で借金覚悟して県外に行くのなら、あとは自分の財布でやりなさい、というのが、私が考えるところです。

 

 

卒業の時点で借金を抱えているから、晩婚化・少子化につながるとか、

 

そんなことを言いますが、そんなもん、こじつけた理由だと思います。

 

それだったら、地方の大学に行こうとしない学生の発想を変えることから始めなさい、と言いたいです。

 

 

私は、今の時代、留学は違うと思うのですが、どこで学んでも同じだと思っています。

 

環境はあまり関係なくて、要は学ぶ気があればどこで学んでも同じだと思うのです。

 

難関大学入っても、勉強しないやつはダメだろうし、

 

Fラン行っても、真面目に研究つづけた子は素晴らしいと思います。

 

 

もし優秀な子が家の近くの大学を選ぶようになったら、

 

それこそおかしな学歴社会なんてのはすぐなくなるだろうと考えます。

 

 

愛媛出身の子が、愛媛大学に魅力を感じない、

 

わざわざ県外の大学を目指す、

 

そんな風潮がすごくイヤですし、

 

給付型奨学金というのを実施するのであれば、家から通える距離に大学がなかったのかどうか、

 

そういう点も考慮に入れるべきだと思います。

 

 

 

私の時代には、そんな甘い発想はなかった。

 

そして、私自身、働いてから借金を返すことになった。

 

でも、それは自らの選択の結果であり、当然だったと思います。

 

 

以下、産経新聞より引用。

 

 

俵万智さん「『死ね』が世の中動かした」「こんな言葉を使わなくて良い社会に」

 

「2016ユーキャン新語・流行語大賞」のトップテンに「保育園落ちた日本死ね」が入ったことについて、審査員を務める歌人の俵万智さん(53)が11日までにツイッターを更新し、「良い言葉ではないが、世の中を動かした。そこには言葉の力があった」と選考理由を自ら説明した。

 

「保育園落ちた日本死ね」は、匿名のブロガーが保育園の抽せんに落ちた怒りをつづったもので、大きな反響があった。また、この言葉が新語・流行語大賞に選ばれ、ユーキャン(東京都新宿区)に街宣活動があるなど、賛否両論があった。

 

俵さんは「『死ね』が、いい言葉だなんて私も思わない。でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。世の中を動かした。そこには言葉の力がありました。お母さんが、こんな言葉を遣わなくていい社会になってほしいし、日本という国も日本語も、心から愛しています」(原文のまま)とつづった。

 

俵さんは、この文章をツイートする前に「ちょっと見ないうちに、何か書かないと次に進めない雰囲気になっていました。だから一回だけ、その件について、私の思いを書きますね。お騒がせ&ご心配おかけしました」(原文のまま)と前置きして、自らの思いを述べた。

(Web編集チーム)

 

 

以上。引用終わり。

http://www.sankei.com/life/news/161211/lif1612110050-n1.html

 

 

 

 

日本人って、アホだなぁ、と思う。

 

というのも、どこの外国人でもいいんだけど、自分の国を「死ね」とは言わないだろうから。

 

中にはきっとそういう人もいるだろうけど、でもそれが流行語や支配的になることは決してないだろう、まともな社会なら。

 

 

ひとりの塾生が言っていた。

 

「こういうのが議論になること自体おかしい。」

 

幼い純粋な精神を失っていない子たちは、真っ当なことを言う。

 

アホなことを言うのは、アホなインテリぶってる大人たちだ。

 

 

 

はっきり言って、「保育園落ちた日本死ね」なんて、

 

そんなもん、ヒステリー女の狂った発言としか思えない。

 

自分も、塾を作るまえのことで、経済状態が厳しいときに、息子が保育園入園できなくて、

 

仕方なくすぐに幼稚園を探すことにしたのだが、

 

世の中にはもっと大変な人たちがいるのかもしれないと少し想像するだけで、あきらめはつく。

 

社会はそんなに自分に都合よくできているわけではないから。

 

普通は、こんな発言自体スルーできるはずなのだが…。

 

この発言を利用したメディア・政治家、そしてユーキャンは、最低だ。

 

 

 

 

私は、日本に生まれただけで、はっきり言って宝くじに当たったくらい運がよかったと思っている。

 

日本に感謝しているし、命をかけて日本を守ってくれた先人に感謝しているし、そして、何よりこの日本を後世に残さねばならないと思っている。

 

一国民として、日本のことには、過去にも未来にも責任を負うべきと考える。

 

国を守るために死んだ人がたくさんいたが、自分もいざというときには、そういう覚悟を持たねばならない、そう思う。

 

 

だから、「日本死ね」というコトバを吐くことができる人は、日本から去ればよいと思う。

 

憲法上、国籍離脱の自由は認められているのだから。