「極北ラプソディ」 海堂尊 | 映画物語(栄華物語のもじり)

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「映画好き」ではない人間が綴る映画ブログ。
読書の方が好き。
満点は★5。
茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。

★★★☆☆

 『オペラ座の怪人』以来の、あっちにふらふらこっちにふらふら女子がいる話。人の心とはかくも移ろいやすいものであることよ。

 

話が大きくなりすぎてもう覚えてないよ問題

 

 海堂尊作品は、たとえ医療に関係ない話でも必ずと言って良いほど繋がりがある(『夢見る黄金地球儀』とか)。そのため、全ての著作を読んでいないと「楽しみが減る」どころか「何の話をしているのかもわからない」という女子の話を注意力散漫で聞いているときに起こるようなケースが往々にしてあり、「マーヴェル・シネマティック・ユニバース」の世界観に似ている(海堂尊の方が先だけど)。そんなもんで、私のように特別にファンなわけではないがブックオフで100円(税別)で売っていたら購入して読む程度の読者であると、次に海堂尊作品を読むころには他の話の細かい部分は忘れていることが多く、「なんかそんなこともあったような、なかったような……夢?」みたいなシーンが多々生まれる。

 

 ただ海堂尊は筆力が非常に高いので、それでもどんどん読ませる力があるんだけどね~。
 前作『極北クレイマー』を読んでから数年の時を経て読んだもんで読みながら前作の話を思い出すという状態であったのだが、それなりに楽しめて読めた。財政破綻した市の市民病院はどのような運営になるのかや、ドクターヘリが抱える問題等相変わらずリアルな医療現場の問題を「非常に扇動的に」描写していてこれが面白い。読んでいて「こういうことが言いたいから、こういう物語を後から考えている」というのが見え透いているにも関わらず楽しく読めるのだから、すごい筆力である。ラブレターとか書いたらすごく情熱的な作品になりそうである、海堂尊。ラブレターなんて今どき書く人がいるのかどうかは別として。
 
 いろいろな作品の登場人物や事件もチラチラと登場していて、この辺を把握しているかどうかで面白さがだいぶ変わるのではないかと思われる。『ジーン・ワルツ』『マドンナ・ヴェルテ』の高齢出産お母さんとその子供がチョイ役で登場したり、『モルフェウスの領域』の主人公とやっちゃった不眠男がネット中継の機材を用意する係で出てきたり、そもそも話の中心となる病院再建請負人・世良医師は『ブラックペアン1998』『ブレイズメス1990』の主人公だったりと、まさにマーヴェル作品状態である。この物語において、主人公は狂言回しでしかない。しかも、主人公は読者が知り得る様々な他作品から連なる要因を全然知らないので、本当にただの狂言回しとなり果てているのが、本著の特徴であるといえる。しかし忘れてはならない。超情けない男のように描かれているが、彼は医学部を卒業したエリートなのである。世の中に1ミリも貢献することのない学問を学ぶ学部「文学部」出身の私とは、たとえ情けない状況であったとしても、そのレベルは圧倒的に違うのである。なんだかんだ言っても、彼には金と地位があるのである。合コンでどちらがモテるかは推して知るべしであろう(そこ?)。
 

想い続ければ必ず実現する! のか!?

 海堂尊が思い描く医療の未来もとても巨大なものになってきており、「ドクターヘリ」ならぬ「ドクタージェット」を構想し、物語内ではほぼ実現までこぎつけることになる。ちなみにこれは現実世界でも北海道で実際に実現に向けて予算が付いたらしい。ジェット機で患者を輸送するという構想をいちはやく小説に取り込んだのは現役医師ならではかもしれない。北海道は広いのでヘリではカバーしきれないというのが実現の目的であるらしい。物語的にはそこでもすったもんだがあるのだが、それは本編内に譲る。重要なのは、海堂尊の構想が実現に向けていろいろと動いているという点で、この調子でいくと、「Aiセンター」やら「医療庁」やらも本当に誕生してしまうかもしれない。別に誕生しても良いんだけども(良くわかっていない)。
 フィクションを通して世の中の問題をあぶりだし、自分が考える解決法を作品内で提示することで民衆の共感を得るというのは言論・表現が厳しく規制されていた大正・昭和初期の近代文学でよく見られた手法であるが、その頃の作品と似たような匂いを感じるのは私だけだろうか。海堂尊は現在の医療に関して危機意識をもち、それを改善しようとしているわけであるのだが(たぶん)、なんか「作品が面白いせいで扇動されてしまう」という感じが無きにしも非ずでちょっと怖い。
 本著の中でいえば、たとえば「医務院つぶし」が本当に妥当なのかどうかというのは、是非をよく考えなければならないと考える。もちろん物語の中の医務院は極悪非道な施設で闇の組織そのものだったわけだが、本著を読んだ後だと、「医務院=ろくでもない」みたいな図式が植え付けられていそうである。読者は「医務院」と聞くだけで「ろくに解剖をしないくせにやたらと権威」みたいなイメージを間違いなくもつと思うのである。そして海堂尊は現実世界でも「監察医制度」には批判的であり、まじで「Aiの普及」を目指しているので、海堂尊ファンはあっさりと
その方向になびくような気がするのである。
 何が言いたいのかというと、海堂尊は医務院や監察医制度を批判したい(なんならぶっ潰したい)という想いがまずあり、それをフィクションというフィルターを通して訴えるために一連の物語を創り出したきらいがあるような気がするのである。
 これって昭和初期の「共産主義って素晴らしい」と訴えていた左翼小説群とやっていることは結構似ている気がするのである。
 まあ海堂尊が訴えていることがもしかしたら全て事実で正しいのかもしれないのだけれども、それを鵜呑みにすることになんか抵抗があるんだよね~。好きな女の子の話すことは迷わず鵜呑みにするのに。むしろ騙されたい!
 

ラストが超がっかりなのはきっとみな同じ

(以下ネタバレ)
 病院再建請負人の世良医師が、速水医師の女を(結果的に)奪って、お医者さんとナースの夫婦二人三脚でこれからも地域医療に貢献していきます、というのがラストである。
 なんじゃそりゃ
 というのが偽らざる本音である。海堂尊は恋愛パートに関しては恐ろしいほど才能がない。1ミリもないのではないかと思う。
 私がフィクション史上最大のふらふら女と認定しているのが『オペラ座の怪人』のヒロイン・クリスティーナなのだが、それの次くらいにびっくりの心変わり様であった。しかも、全員もう結構ないい歳(40半ば前後?)なのに一体何をやってるのだね? と所さんもびっくりなほど目がテンになってしまった。『ジェネラル・ルージュの凱旋』で「あなたのことをずっと待ってました」的なことを言って速水医師の胸に飛び込み(学生の青春のようなことをしているがこの時点で二人ともよいお年である)、速水医師に付いて北海道まで来て、本著内でも速水から「俺のサポートはお前じゃなきゃダメなんだ」的なことを言われていたにも関わらず、あっさりと世良君のもとに舞い戻り(元鞘?)、速水も「それがお前の本当の幸せだ」みたいなよくわからない納得をしていて、こいつらみんなバカなんじゃないかとマジで思いました。。。しかしこれは彼らのせいではもちろんなく、海堂尊が悪いのである。四十代の男女に20歳前後の恋愛模様を描かせてしまう「恋愛パートのセンスの無さ」がこのような悲しい結末を導いてしまったのである。本当に「一体何を見せられていたんだ」と全てを台無しにするかのような結末であった。財政破綻した市の市民病院――その立て直しが夫婦の愛によって成されるという「愛こそすべてエンド」は、ある意味では度肝を抜く終わり方であった。いや、まじで唐突で、広げた風呂敷をたためなかったのかな~となんとなく思った次第である。
 
 いろいろと述べたが、まあそれなりに面白い一冊ではあった。ラストの恋愛エンドがなければ★4つだったね!
 
↓最後の恋愛パートで全てががっかりになるけども、いろいろな医療問題を取り扱っていてまあまあ面白い

 

↓主人公のイメージは瑛太ではないんだよなぁ……

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