「極北クレイマー」 海堂尊 | 映画物語(栄華物語のもじり)

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「映画好き」ではない人間が綴る映画ブログ。
読書の方が好き。
満点は★5。
茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。






★★★★☆

 産婦人科になりたくなくなるな~、という話。そもそもなれませんけど、ええ。


 本著は夕張市をモデルとしている。夕張市といえば、「夕張メロン」と匹敵するくらい有名なのが、地方公共団体なのに財政破綻をしたことである。地方行政が「倒産」するという前代未聞の事態に当時は非常に大きな話題となった。話題となったが、正直幼い私にとってはひとごとであった。いや、今でも対岸の火事的なところはあるのだが、「市行政」の破綻というのは、誰にとってもひとごとではないのである。特に世の公務員にとってはオオゴトであろう。公務員であることの大きな利点の一つに「リストラがない」という点が絶対に挙げられると思うのだが、ところがどっこい、ありえるのである。劇中の舞台である市立病院の事務長は、病院を廃止すると決定した市長の手により病院とともにあっさりとクビを切られかけた(ただ、直後の不測の事態により免れたが)。実際の夕張市でも、部長・次長クラスが全員早期退職している。希望退職とはいえこれを全て「望んだから」と見るのはとんだあまちゃんであろう。ほかにも3分の1以上の職員が退職しているのだから。

 というわけで、本著は現実の出来事を大きなモチーフとしているのだが、さらにもう一つモチーフとしているのが「福島県立大野病院産科医逮捕事件」である。この事件は、現実世界ではすでに無罪判決が確定している。端的に述べれば「出産時に帝王切開を施した妊婦が死亡したのは、医療事故なのか医療ミスなのか」を争ったものである。この事件が他の医療事故(あるいは医療ミス)と異にする点は、刑事裁判が開かれたことである。つまり、出産を担当した医師が逮捕されたのである。通常、事故かミスかを争うのは遺族が損害賠償を求めて訴訟を起こす民事訴訟によるものであるが、この「事件」は警察が逮捕し、検察が起訴した「犯罪」として扱われ、刑事裁判が開かれた。

 さて、劇中の極北市(夕張市をモチーフとした架空の市)の有り様であり顛末はまあ良いとして、後者の産科医逮捕事件をモチーフにした出来事に関しては、多分に扇動的であるのは否めない。妻と子を失った遺族の男の嘆き「俺は真実を知りたいだけだ」「妻と子を失った俺の気持ちはどうなるんだ」という心情には触れているものの、本著を読んだ九割九分の者は遺族に対して「ひどいやつだ」「お前のせいで逮捕されたんだ」という印象をもつだろう。作者の意図としてはもちろん「症例数が極端に少ない症例で予見が難しい事故が起こったことを、ミスだとして逮捕されてしまうのでは、もう誰も産婦人科になんかなりたがらない」ということを訴えたいのである。しかしながら、劇中で遺族の男はどう考えても「浅はかな存在」として描かれており、事実この遺族の男がしたことによるものがきっかけで起訴に至っている(利用されているのだが)。「産婦人科」と「小児科」の医師が近年激減している背景には、訴訟リスクの高さがよく挙げられる。訴訟リスクが高い→なり手が少ない→激務になる→より事故が起きやすくなる、という負のスパイラルがある。ただでさえ訴訟リスクが高いのに、「刑事事件」にまでされたのでは、本当になり手がいなくなってしまうという現役医師である作者の焦燥が見えるようである。

 それらのことは、事実なのだろう。

 しかしながら、海堂尊の小説が処女作『チーム・バチスタの栄光』とそれの純粋な続編以外はマルチメディア化されにくいのは、このような扇動的な部分が作品内に色濃く見えるからではないだろうか。読んでいるといつも感じるのは、現実社会で訴えたい医療問題が先にあって、それを主張するために物語を後付けしているという印象である。

 もちろん小説というものは歴史を紐解けば常にそうした社会問題や政治的な主張と密接に結びついてきた経緯がある。一番分かりやすいのが『蟹工船』でおなじみの共産主義的思想と結びついたの「プロレタリア文学」である。特徴としては、主張したい問題を取り上げるのが一番で、物語の純粋な面白さは四の次くらいであるという点である。一番大事なのは読者に訴えかけることであり、エンターテイメントとしての面白さは全く考慮されていない(ように思えるくらいつまらない)。主義主張を読み取る謎解きのような文学である。

 海堂尊の作品は、それと同じとは言わないが非常に通ずるところがある。医療問題を提起したいという作者の意図はそれはそれで良いのだが、問題なのはエンターテイメント作品としても非常に面白いところである。面白いゆえに、素直に扇動されちゃいそうだな~と思うのである。例えば海堂尊はことある作品ごとに「メタボ検診」を批判し、「メタボリックシンドローム」という概念自体を非難する。で、読者は恐らく職場で検診が行われると「メタボ検診なんて意味ねーよ」と言わずにはいられなくなるだろう。何を隠そう、私がそうだから。

 作品がエンターテイメントとして優れているというのは、惹きこまれた読者を盲目的にさせる一面があり、作者が掲げる主義主張に影響されやすくする。逆に作品が全く面白くなく物語自体に反感をもたれていれば、作品内で訴える自分の主張がどんなに的を射ていたとしても受け入れられないだろう。時代は大正時代とは変わり、エンターテイメント性というものが非常に重要であり、かつ主張のわかりやすさがものをいう。海堂尊作品はこの二つを非常に高いレベルで保持している。

 で。最初の話に戻るが、本著を読むと「福島県立大野病院産科医逮捕事件」の遺族に対して反感をもちやすくなる。最大限の配慮をした描写がされているとは思うのだが、医師としての立場からこの事件を述べるとどうしても遺族の感情には寄り添いにくくなるし、作者が真に訴えたいのは遺族への批判ではなく警察機構(あるいは司法)の横暴を糾弾することなのだろうが、上記の現実の事件を知っていてかつモチーフとされていることを知っている者が読むと、どうしても現実のものと結びつけてしまう。つまり、フィクションでありながら現実に存在する遺族への負の感情をもたせてしまうのはエンターテイメントとしてはどうなのかな~とちょっと思ってしまったということが言いたくて長々と駄文を書いてしまった次第。扇動的だ~と言いながら、面白いから結局読んじゃうんだけどね~。私のブログも、影響されるかは別として、多分にアジリエイティブだしね~

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