大ちゃん
大ちゃんを見始めたころ、そのころ高橋大輔選手のバランスの悪さ?と言うか不可解な魅力かな?が、大変に興味深く面白かったことを、今ごろ思いだしています。以前ブログにものすごーーーーくどでかい可能性を秘めた高橋大輔は「自分ではどれだけのものを持ってるかなんてことにはほとんど気が付いていなく、、、それを、無理!!!と言うほどの高いところから引っ張り上げてくれていたのがニコライ・モロゾフだと思う」と書いたことがあります。そして、「あまりの高さからの要求に苦しくなって、どこかに逃げて行ってしまいそうな不安な心を持つ大ちゃんを底辺のところで、いつ落ちてきてもいいよ。だからとことんやってごらん。とバーーーン両手を広げて見守っていたのが歌子先生だ」とそこに書き添えたことがありました。しかし、いつしか大ちゃんは顔は男前になって来て、しかもその顔があまりに堂々たるいい顔になってきたものだから、「凛々しい大人の大ちゃん」がそこにいる気になって、昔、自分がそう思っていたことなどすっかり忘れていました。どんなに理不尽なことが起きても黙々とただ自分のスケートの道を歩み続ける大ちゃんに「人格者高橋大輔」のような感覚を持ってしまったのですね。だからこんなにも一生懸命にただただスケートを愛している大ちゃんなのにどうして!!?と、辛くなり、苦しくなっていました。「神さまは大ちゃんのソチオリンピックをこういう形にしたことを後悔する日がくるかも、、、」などと不届きなことをフリーが終わった時にブログに書いたり、ジタバタジタバタしていた自分がいたのですが、、、昨日ツイに紹介されていたブログの方が、大ちゃんが“最後にまつわるエトセトラ”を考え始めると、女神様が全力で妨害に入るようだ(苦笑)と言う様なことを書かれてるのを拝見して、そっか~そうなのか~とも思い、、、。わたしの心は次第次第に大ちゃんの演技にハマってしまった2005年スケアメのその日に戻っていきました。そう、、、大ちゃんは大ちゃんだ!どんなに大人になったと思っても、その魅力の原点は変わっていないと思いました。誰かが付いていなければ揺れる心を静めることは出来ない。だからいつまでもいまでも歌子先生が付いている。見て来た限りでさえも、あれだけのものを抱えて、あれだけのダメージを受けて、なのにいつだって、SPもFSもEXも魅せることに一生懸命にあれだけの演技をして、私たちを魅了し続けていた大ちゃん。そんな大ちゃんの心は歌子先生がいなかったら壊れていたかもしれないな、、、と思いました。常識では推し量れない人のことを、常識の物差しの中で考えているから苦しいけど、それもまた大ちゃん大好きファンなんだし、、、仕方がないなσ(^_^;)と自分を甘やかしてる今日この頃ですwww大ちゃんは大ちゃんですものね。きっとこれからも変わりなく過ごして行くことと思います。なので、いついかなる場合でも、いついかなる時でも、応援していこうと、原点に立ち戻っている今日この頃でもあります( 動画お借りしました )【ニコニコ動画】髙橋大輔【るぶれたMIX】団体戦の時の応援に大ちゃんが入っただけで空気が明るく軽くなってよかったーーーと感じました。閉会式もここに大ちゃんがいるだけでこんなにも明るいですものね。貴重な存在ですね(^-^)/