
古い音楽の著作権は誰を守っているのか?
つい最近、自分のライブの告知用の動画にHarry Warrenが作曲し、Marty Paichがアレンジし、Dave Pellが演奏した譜面を使った自分のバンドの音源を30秒ほど使ったら、著作権持ってるところから異議申し立てがありました。別に深刻な法的問題とはされていなくて、特定の国や地域では音を流せない、と言うことのようです。同じ告知で別バージョンのものは同じ曲を使いましたが(使った場所が違って時間は短い)、こちらはお咎めなしでした。一方的な告知で、権利として引っかかっているのは作曲者なのかアレンジャーなのか演奏しているバンドなのかは不明です。ちなみに我々が演奏で使うのは、Dave Pellから直接購入した譜面です。アメリカではどうなのかは知りませんが、1936年に書かれた曲がどれくらい世間に認知され、どの程度頻繁に演奏されているのか、あまたあるアレンジの中でペイチの書いたものがどれくらい認知されているのかは正直言って謎です。少なくともこのアレンジを知ってる日本人は千人もいないような気がします。こうして取り上げることで不特定多数の人に届くことで「あ、こんな演奏があるんだ」という認知がされる可能性も十分あるような気もします。
昨日この告知をもらって思い出した昔話があります。
もう多分10年くらい前なのですが、マリア.シュナイダーのアレンジしたThat Old Black Magicの譜面について彼女に問い合わせをした時にもやはり作曲家の著作権管理関係者からの許諾が降りないので販売できない、という回答をもらったことがあります。e-mailでのやり取りでしたが、彼女も「繰り返し演奏されることでその曲が世界に認知され続けるはずなのにそれが拒否されるのには納得がいかない」ということでお互いに愚痴を垂れあったものでした。ビル.ホルマンのアレンジしたタッド.ダメロンやモンクのアレンジでも同様の問題があって譜面が入手できないことがありました。ホルマンの譜面を出版しているSierraのBob Curnowからは”Go Figure!"と言われたことがあります。つまり「自分で起こせ!」ということでしょう。それなら問題ないのか、とも思いましたが、ビルのアレンジを完全にトランスくらい部するのは多分無理です。アレンジされた譜面にはそうした素晴らしいものがいくつもあります。が、それらが著作権フリーになる頃にはその音源を知る人はもう誰もいないでしょう。それは音楽にとって幸せな状況なのでしょうか?
もちろん著作権というものは相応に守られるべきものであるという理解はあります。しかしながら、音楽という表現芸術において、20世紀前半以降の音楽について著作権という権利保護のために曲の演奏が制限されたり、新しいアレンジが販売できないような状況というのは、音楽にとって良い状況とは思えないような気がします。なぜならば、音楽にしても何にしても、時間に淘汰されて残るものがクラシックとなるのであって、それが往時の古い録音でしか楽しめないというのであれば、それは生き残ることはないし、古い録音で残されたオリジナルアレンジを生で演奏するとそのサウンドの質感は録音とは違うけれども、当時生で聴いた人はこういうサウンドを聴いていたのだ、ということが追体験できるはずなのです。それが繰り返し演奏続けられることで個展として生き残ると思うのですが、現在の著作権制度(ここではアメリカのを問題にしていますが)では20世紀の音楽文化が後世に残るかどうか、ということについての障壁にもなりかねないのではないかという危惧を漠然と持っています。これがいわゆる鶏と卵的な話であることも理解しています。功罪ある問題ですが、アメリカの運用の仕方は自分の首を自分で締めているような感じであるような気がしてなりません。
日本で最初の高速道路の覆蓋化は流山市であるという考察
もう55年前の話ですが、流山市で分譲済みの新興分譲住宅地を貫通する形で常磐道の路線計画が発表されました。まだ公害問題が非常にリアルであった時代でもあり、沿線住民が反対運動を起こしました。絶対反対という姿勢から地下道方式という対案を出して粘り強く交渉を続けていましたが、1984年のつくば万博までの完成が道路公団に至上課題として突きつけられたことが幸いして、住民の要求の多くが認められ、住宅地隣接部分は覆蓋化して上部に公園を作るという方式で決着しました。この常磐道の反対運動は、高度経済成長期における住民運動の最も成功したケースとして知られています。私の実家も道路と目と鼻の先くらいにあり、父もまた否応なく反対運動に参画することとなりました。この活動の歴史を軸とした本を今年、2026年の1月に出版しました。
この本は住民運動史、地方史という意味合いだけでなく、地方自治と住民の関わりなどなど多方面に響く本になったと思っています。本のメインは父が書き残した文章で、それを再編集および若干の加筆をして書籍化したのですが、この作業をして改めて調べてみると、この常磐道のケースは「日本初の高速道路の覆蓋化とその上部の有効活用事例」であることがわかります。近年首都高などで高速道路の覆蓋化による有効活用がときどき新聞記事に出ますが、常磐道の完成が1984年ですから、今より40年前に覆蓋化が実現していたことになります。また、海外に目を向けてみると、アメリカではそうした事案が多少はあるようなのですが、沿線住民の要求によって実現したケースというのは見当たらないように見えるので、その意味では世界初の事案とも言えるように思えてきました。
21世紀になってから、というかつくばエクスプレスが完成してからの流山市の発展には目覚ましいものがありますが、豊かな生活環境をキープしながら市街地として発展するというところの原点に高速道路問題があったようにも見えます。都市の発展と自然環境の両立という見地からすると、流山であった高速道路反対運動とその成果というのは、将来の都市開発のあり方に大きな示唆を与えるものではないか、と改めて感じています。本のリンクを下に貼ります。特定のオンラインショップに偏らないように国会図書館のデータベースを貼りました。
新聞に載りました。
自分が新聞に載るのは3年ぶりですし、それは自分の演奏の現場の写真を抜かれることが大半なのですが、今回は名前も写真も新聞に掲載されました(犯罪で上げられたわけではないので問題ないのですが)。下記リンクを貼った記事に流山の常磐道を覆蓋化してその上を公園にした事例が記事の中で紹介されています。これは、新興分譲住宅地として販売された後の1971年に住宅地を貫通する形での高速道路計画が発表されたことによって起きた反対運動の果実としてできたものです。住民の強かで柔軟な反対運動と、筑波万博までに完成させる必要があった道路公団の譲歩によってできた日本初の高速道路覆蓋化とその上部の有効活用案件となったものです。この活動について私の父が残していた活動史を再編集する形で出版したもので、編集主幹を吉永明弘法政大学教授に務めていただきました(私は出版の企画提案と若干のコーディネイトを行いました)。この本を制作する過程で調べてみると、高速道路の覆蓋化としてはほぼ間違いなく日本初の事案であると同時に、住民の運動の果実として実現したというのは世界的にもここだけと思われるのです。これは調べるまで気がつかなかったことですが、改めて書籍化してきちんと記録に残して良かったと感じています。本は「行政法」のカテゴリーで専門書と並んでいるのでなかなか人目につきにくく、こうした形で露出するのは大変にありがたいことです。出版部数も些少なので、ネット販売がメインになると思うのですが、昨日から今まででも数冊売れていることが確認でき、メディアのありがたさを実感しています。出版社からはハーバード大学からも注文があったと伺っているので、地道ではありますが、上手く広がっていって欲しいと思っています。
本のデータと記事のリンクを貼ります。本は国会図書館のデータベースから引っ張ってきました。
