
There is の文は倒置!
いい年をして英語の学び直しをしています。仕事では割と普通に英語は使いますが、高校の頃に日本語の参考書の文で混乱してドツボにハマったので、文法には心許ないものがあります。なので、英語で書かれている文法書をメインにしながら学んでいます。そうすると長年改定されていない日本語の英文法の参考書にある誤謬がたくさん見えてきます。その中で今日は"There is…"の文についての発見を書いておきます。これ、日本だと「訳さないthere」などと言われます。'There'を見ただけではbe同士を単数にするか複数にするかがわからないのです。英語の文系で一番納得のいかないものです。で、とある時にひらめきがありました。「これはもしかして第二文型の倒置なのではないか?」と。
最初に気づいたのはウチにあるCDでShirley Hornが歌っている"Wild is Love"という歌でした。これ、本当は"Love is Wild"ではないのかな?と。第2文型(SVC)を強調の倒置で「CVS」にする手法、すなわちよくある例文"Happy are the people in the village."と同じではないか?と。そうして考えているうちにこの言い回しを思い出しました。
"Here comes the bus." これも同じような倒置で普通の文であれば"The bus comes here."です。ちょっと待て。hereは副詞ということはthereも同じなのではないか?と。"A book is there"が "There is a book."も同じではないか、と。
アカデミックな裏付けが欲しかったので色々と検索したらケンブリッジのウェブサイトにこれを発見しました。
これ、English Grammar in Useのadvanced editionにも書いてなかったので見つけて小躍りすると同時にもう一つ気になることが出てきました。
最後に前置詞句で場所を表すときにおかしなことになりはしないか?とも考えました。つまり
"There is a book on the desk." は "A book is there on the desk."って書いていいのか?と。deeplでは何の問題もありませんでした。で、ネットのどこにあったかを失念したのですが、
"A book is on the desk." →"There is a book on the desk."というのがありました。"there"を置ける文法的根拠はきちんと見ていませんが、これもまた納得のできるものでした。あ、今思い出しましたが、さっき例文にあげた"Happy are the people in the vilagge."が問題ないならば、"A book is there on the desk."も問題ないのかもしれません。いや、問題にはならないとしか思えなくなってきました。
日本語で書かれている既存の英文法の参考書を読み返していて、日本語の説明に腑に落ちないところって結構たくさんあるのですが、それをどんどん掘り下げていくとこうした誤謬であるというケースをかなりの件数で発見しています。そして日本語で書かれている英文法の参考書は私が10代の頃からほとんど変わっていません。おそらく戦後ほとんど改定されていないのでしょう。昭和10年の谷崎潤一郎の文章読本を見ると戦前から変わっていないのではないかとさえ思えます。日本人の英語コンプレックスは何十年も変わらないマニュアルで「使える英語を」と言っている日本の英語教育業界の怠慢にもあるような気がします。
単語と文節
いい年をして英文法の学び直しをしています。学びながら「英文法と国文法での用語の意味の不一致」などなどが色々気になってきたので、国文法と照らし合わせるという作業も始めました。実際、英語における「形容詞」と国文法の「形容詞」では意味が違うので(英文法の形容詞の定義は国文法的には「連体詞」です)。そうして考えてみると、英文法と国文法の大きな違いに「付属語、もしくは助詞」があるように思えてきました。日本語では助詞を使って文章の組み立てをかなり自由にすることができますが、英語の文型は5つしか存在せず、構造はかなり限定的です。そして助詞がほぼ存在しない(一部の前置詞くらいではないかと思われる)ので、英語では「単語=文節」であり、「句=連文節」と解釈できそうに思えてきました。ここにも何かわかりやすく理解できるヒントがあるような気がしています。まずは備忘録として。
ジャズは「音談」。
囲碁のことを「手談」と表現されることがあるようです。すなわち一手一手に意味があり、対話のようにしてゲームが展開されるからではないかと思われます。ならばジャズは「音談」とでも言えるのかなぁ、と。曲という枠の中で発せられる音の一つ一つに意味があるわけですから。囲碁将棋の類はそこで勝ち負けを競うので力の優劣というのがはっきり出るし、勝負の世界なのでプロアマの区別がつけやすい(アマチュアのタイトルホルダーでもプロの高段者には勝てないようですが)のですが、音楽は勝負の世界ではないというか集団で一つの音楽の世界を作るので、そこにプロアマの敷居を作るのは難しいのかもしれません。
でも色々な方と演奏していると、「この人はこのあたりはご存知なさそうだなぁ」みたいなものは感じられますし、楽器の鳴らし方に対する研究度合いみたいなことにもプロアマ問わず様々に差がある様に感じられるのですが、いずれにしても勝負の世界ではありません。まぁ音楽の場合はアマチュアでもアイディアが面白いとそれがヒットすることもままあるわけですが、そもそもそういう路線を志向していないので、それはまた違う世界の話なのかなぁ、と。ともあれ、私としては良い音談ができればそれで良い、と。