条理と不条理
このことについて最近よく考えています。果たして不条理って何なのかな、と。生まれてきた以上、死ぬのは条理なのだけど、老衰で死ぬことを妨げる要因は果たして不条理なのか、と。病気にかかるのは不条理なのかというと、決してそうはいえないような気もする。だから自分の身に降りかかることは全て条理なのではないかという気もしてきます。とはいえ、通り魔とか交通事故とか、他人の介在するアクシデントで命を落とすのは不条理な気はするけど、それですら、世の中にはそういうことが案外ある(通り魔とかは勘弁だけど)ということを考えると山に登ってて落石に当たるのと大差ないような気もしてくるから不思議なものです。まぁつまるところ、良寛が書いた「災害に遭う自分には…」っていうことなのだ、というところに着地します。
トロンボーンは低音楽器ではない?
トロンボーンというとジャズアンサンブルでは「低音金管楽器」という印象がつよいですが、果たしてそうでしょうか?古くはグレン.ミラーやトミー.ドーシー、時代が下がるとアービー.グリーンやビル.ワトラスなど、甘い音色の高音域が魅力的な楽器です。だから、ジャズでアンサンブルをアレンジするときにはトロンボーンをボトムに置かない方が良いことがよくあります。むしろトロンボーンにボトムを任せると、ともすると金管的なバリっとしたサウンドになってアンサンブルのサウンドから柔らかさが失われる恐れがあります。例えばトランペット、トロンボーン、アルトサックス、テナーサックスの4管であれば、一番下をテナーサックスに任せた方が柔和なサウンドが得られます。1950〜60年代のジョー.ニューマンのオクテットやサド.ジョーンズのセプテットではこれが多用されています。これはトランスクリプションをしてみて初めて気付いたのですが、もしかすると定石なのかもしれません。
ダイナミクスを味方につける
極めて個人的な見解ですが、日本の非クラシックなジャンルの音楽の音量のデフォルトは欧米のそらに比べてラウドなのではないかと感じています。バリー.ハリスのラージアンサンブルのリハーサルではビッグバンド+コーラス+ストリングという編成で生音でしたし、メル.ルイスは「演奏していて全員の音が聴こえなければ、それはキミがラウドすぎる」と言っています。音楽の現場でも自分が聞こえないとモニターの返しを上げることが一般的で、「どの楽器を基準としてアンサンブルを作るか」という視点が抜けています。昔の演奏動画を見ていると、密集して生音でやっていることがよくわかりますし、マイルスにしてもブレイキーにしても、「抑えるべきところは抑える」ができているように見えます。再生装置で好きな音量で聴けることが仇になっていて、「その録音はどのくらいのダイナミクスでえんそうされているか」が忘れられている感じです。私がジャスでアンサンブルをやる時の基本的なコンセプトは「ピアニシモを綺麗に響かせる」ことです。音を押し付けないためにPAは極力使いませんし、アンプを使うのはギターくらいです。音量を増幅する装置を使うと、ピアニシモで演奏することが極めて困難になります。ラウドに吹くと、同じフレーズでも粗く聴こえてしまいます。その辺りの視点が抜け落ちているように見えるのです。ダイナミクス、大事だと思います。