music-geek
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

ダイナミクスを味方につけよう。

晩年のスタン.ケントンのビッグバンドのリードトランペットだったMike Vaxがケントンのバンドサウンドについて次のように語っていました。


「ケントンのサウンドはWall of Soundと呼ばれていたけれども、ラウドに吹いた時はもちろんそうなんだけど、ソフトに演奏している時がまた素晴らしかったんだよ。」と。


ベイシーもそうです。ベイシーの暗黙の了解は演奏していて「フレディ.グリーンのギターの生音のカッティングが聴こえていること」だったそうで、その生音は非常にソフトだったということです。


ソフトに演奏できているからこそ、フルボリュームで演奏した時とのコントラストが明瞭に出るのです。ところが、日本のジャズライブの現場ってアンプやPAで増幅するのがデフォルト、みたいな環境なんです(ギターはアンプ必須ですが)。そうするとピアニシモの音量が作れなくなっちゃうし、そもそも楽器の音は大きいので、お客さんに対して「音の押し付け」になってしまうとおもうのです。人間の聴覚の敏感さを度外視しているようにしか思えない

です。古くはキース.ジャレット、最近ではブラッド.メルドーなどがクラシックの大ホールでソロピアノのコンサートをやったりしますが、生音で成立しているはずです。ならば普通のジャズクラブで増幅なんか要らないはずです。そんな感覚が忘れられてるのは良くないのではないのかなぁ,と思うのです。ちなみに私が仕切るバンドでは基本的にはギター以外は生音です。300人くらいのキャパのホールであれば10人編成くらいまでは大丈夫です(ビッグバンドだとベースを少し増幅します)。音楽のジャンルに関係なく、ピアニシモはピアニシモなのです。私はそこは大事にしたいと思います。


Thad Jones- Mel Lewis Jazz Orchestraの原点を振り返る

Thad Jones-Mel Lewis Jazz Orchestra. 今もVanguard Jazz Orchestraとして存続しているビッグバンドです。設立は1966年ですが、サドとメルが初めて出会って意気投合して「いつか一緒にバンドやろうぜ」という話をしたのは1955年のことでした。ベイシーとケントンのダブルビルのライブ(!)っていうのがデトロイトであって、そこで出会って意気投合してアフターアワーズなどでデトロイトのミュージシャンとセッションして…ということがメル.ルイスの伝記に書かれています。この時サドが聴いたケントンのサウンドはビル.ホルマンのアレンジによるものでした。メル.ルイスは「ビッグバンドのドラミングにジャズのスモールコンボ的な奏法を持ち込んだパイオニア」と評価されており、彼が参加した1955年のケントンのContemporary Conceptはいわゆるコンテンポラリービッグバンドのスタイルを表出させたアルバムという位置付けなのですが、このケントンの音楽に対する認識が非常に低いのです(このアルバムについて書かれた日本語の文章は見たことがありません)。アレンジは前述のビル.ホルマン。おそらくはビッグバンドのアレンジメントにリニアライティングを導入した大家です。それまでのリズミックなフレーズのコールアンドレスポンス的なものが主体のビッグバンドアレンジメントとは全く質感の違うサウンドに聴こえたはずです。サド自身もアレンジャーとしてベイシーに譜面を提供していましたが、ベイシーは彼のアレンジを自分のバンドのコンセプトには少し合わないと考えていたはずで、当時ケントンが演奏したビル.ホルマンのアレンジはサドに大きな刺激を与えたのではないか、とも思うのです。ホルマンと同時代からその少し前だとピート.ルゴロやジェリー.マリガンや、マリガンと一緒にソーンヒルにアレンジを書いていたギル.エヴァンス辺りがいますが、日本ではマイルスとのコラボで名を上げたギル以外はほとんど語られないのが現状なのではないかと思えます。もちろんサドとメルの1955年のエピソードもほとんど知られていないでしょう(出会いがあったことはライナーなどに時々書かれていますが、詳細な話はメルの伝記が出るまで憶測でしかなかったのです)。語弊のある書き方かもしれませんが、日本の昭和のジャズ評論家には音楽の守備範囲が狭くて1950年代のウエストコーストをきちんと評論できていなかったと感じています。おそらくはケントンはArtistry in Rhythmあたりの認識しかなくて、その辺りの情報不足が1950年代のジャズの展開の面白いところをずいぶん見えにくくしてしまったのではないかと感じるのです。

1940年代のアメリカにはファシズムを嫌ってヨーロッパから亡命した人が大勢いました。ミヨー、テデスコ、シェーンベルグなどなど。彼らがジャズの和声のセオリーをよりアカデミックでモダンなものにすることに大きな貢献をしていたのです。彼らの大半はロスアンジェルス在住でした(ボストンにシリンガーがいましたが)。もちろん大勢の人がいるのですが、実績と活動期間の長さから考えるに、ホルマンの存在が語られないのは非常に残念な気がします。彼は96歳まで現役で97で亡くなったので、来年生誕100年になるのですが(時間が短すぎて印象的な感じがしない(笑))、来年は彼のセンテニアルイヤーなので、彼の音楽をインスタレイトしようかなぁ、と考えています。メルを軸にしてビルとサドの譜面を並べるのもいいかな、とも。

ということで1955年のケントンの音源を貼っておきます。多分みなさんがイメージする50年代的なノスタルジックなビッグバンドサウンドではないと思います。

 

 

変奏曲とオリジナル

少し古い話ですが、確か10年少し前にブルーノートレコードの75周年企画ってのがありました。さらにその前に60周年の企画があって、それはビデオも持っているのですが、それに合わせて大抵企画盤のアルバムが作られます。それは過去の名曲の若手ミュージシャンによるリアレンジによるものです。それはそれとして意義のあることなのかもしれませんが、クラシック的に言うと「変奏曲」をやったに過ぎないですよね。変奏曲が出ることで却って「オリジナルも悪くないよね」ということになるし、オリジナルが演奏されなくなることもありません。例えばルトスラウスキーの書いたパガニーニの主題による変奏曲。面白いですが、それは「オリジナルとの対比」でしかないので、結局「オリジナルも良いよねぇ」ということになるはずです。なぜなら音楽は音によるデザインなので、そこにはその時代を反映した意匠があるからです。ジャズであれば、いわゆるベニー.ゴルソンの「ゴルソンハーモニー」に手を加えたらそれはゴルソンハーモニーではなくなるということです。つまり、オリジナルアレンジをきちんとやることにははっきりと意義があるということです。ジャズのアレンジの譜面なんて録音限りで使い捨てがほとんどで、譜面に残るのは流行ったビッグバンドのアレンジくらいですが、そういうものを演奏すると「ゴーストバンド」とか「レパートリーバンド」という呼び方をされてポジティブな評価がされません。そんな現実が自らの首を絞めていることになっているのではないのかなぁ、と思わずにはいられません。書かれた部分をきちんと演奏すると当時のサウンドは再生されますが、演奏者が違うので、アドリブの部分は決して同じにならないのです。クラシックが「再演され続けることでその様式を生きながらえさせる」ことができているのにジャズはなぜオリジナルを大切にしないのだろうか、と。古い録音でしか楽しめない音楽は時代と共に風化して残らないはずです。ジャズの人はここを見落としているように思います。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>