ジャズのアドリブなんて鼻歌で構わない。
ジャズでアドリブ取りたいって言う人って案外潜在的な数が多い気がするのです。アドリブ自体はもうジャズじゃなくても吹奏楽のポップスの曲の中にもありますしね。ただ、何をどうやればいいのか?が難しく見えるんですよね。別に難しくないことなのに、インターフェイスが強面な気がします。
ジャズの理論は西洋音楽に立脚してるんだから、ダイアトニックスケール、すなわちピアノの白鍵のスケールの機能を理解していればそれだけで相当色々できるということが理解されていません。鼻歌で構わないんです。デクスターもゲッツもチェットもマイルス(時代によるけど)、みんな鼻歌ですよね。
ビバップスケールなどというものはない。
バリー.ハリスのワークショップでバリーさん自身がよく言っていた言葉です。彼はピアノのクラスでは6th diminishの説明しかしなかったし、管楽器のクラスではMajor scale, minor scaletという言葉しか使いませんでした(管楽器では6th diminishは一切出てこない)。管楽器のクラスで生徒の誰かがビバップスケールという言葉を口にすると、それを即座に否定するのがバリーさんでした。マーク.レヴィン(彼もバリーさんから習っていたはず)のセオリーブックにもBebop Scaleの解説はあるけれど、これはごく一部を切り取った表現に見えるのです(大事ではあるけど)。私は、ビバップは方法論であってスケールを定義する言葉ではないと思います。
西洋音楽の暗黙のルールの一つに「拍の頭にはコードノートが弾かれていなくてはならない」ということがあります。黎明期のジャズのアドリブは、ざっくり言ってしまうとほぼダイアトニックスケール上で演奏されており、ビバップ前のスイングスタイルや日本で「中間派(英語ではMainstreamで主流派なのだが)」言われている世代のミュージシャンはダイアトニックにブルーノートを加えた感じです。これはルイ.アームストロングやビックス.バイダーベック、ハリー.スゥイーツ.エディソンやジョー.ニューマン辺りとディジーやファッツやケニー.ドーハム辺りを比較していただければ感覚的に理解できると思います(ブルー.ミッチェルも実に分かりやすいです)。
やや乱暴な個人的な総括ですが、ビバップとは「拍の裏の経過音にクロマチックな半音階を加える方便」でしかないと考えられるのです。いわゆるビバップトニックスケールやビバップドミナントスケールとは、トニックやドミナントでワークする経過音を一つ挟んだ8音スケールに対しての便宜的な呼称に過ぎません。状況と必要に応じて随時に随所に半音階の経過音を織り込めるわけですから、ビバップスケール、と固定化することは大きな意味を持たないと思えるのです。バリーさんがビバップスケールという言葉を嫌ったのはそうした固定的なイメージを与えてしまうからではなかったのかなぁ、と。
バリーさんが6th diminishをピアノでしか説明しなかったのは、ディミニッシュは8トニックを暗示しているので、これが柔軟なヴォイシングに対応できることを主眼としていたからではないか、と感じられます。他方、管楽器では単旋律を紡げることがそのゴールなので、西洋音楽のデフォルトである長音階と短音階にこだわったのではないか、と。
核兵器は過去のものになり得るか? トランプのイラン攻撃から感じたこと
アメリカとイスラエルがイランに軍事攻撃を仕掛けた。国際法違反であり、極めて許し難い行為でしかないと見ています。が、同時に、軍事力行使というのが新たなフェーズに入ったとも認識しました。
戦争というのは国家主権同士のエゴの衝突です。そして20世紀後半までは戦闘には兵隊、即ち人的勢力が不可欠でした。帝国主義の時代、というか国家と国民の関係に臣民的な関係が深かった時代には、国家権力のエゴの行使のために一般国民が兵隊となって前線で戦うのが一般的でした。しかし、現在の国家においては国家と国民の間に従属的な関係があるわけでもありません。例えばベトナム戦争などのように、国家権力のエゴのために無垢な国民が戦地に送られて散華する、というような国民に犠牲を強いる方法を回避する課題が課せられたようにも思えます。時代が下がって軍事力の行使を無人で行えるものが増えてきました。これであれば国民に過度の負担をかけずに軍事力行使が可能です。ロシアとウクライナなどを見ていると、兵隊同士の戦いはまだ残っていますが、今回のアメリカとイスラエルの蛮行では遠隔操作のミサイルや無人の爆撃機など、人の力を介さない軍事力行使が主であるような印象を受けます。そして高精度なミサイルでピンスポットな攻撃を行うことで、国家権力を粉砕することができるところまで来てしまいました。戦争というものが国家権力のエゴの衝突であり、相手国の権力構造を破壊することが戦争の目的になるのであれば、核兵器などの大量破壊兵器はもはや必要としないことが今回の蛮行で明白になったようにも見えるのです。非戦闘員である多くの国民に過剰な危害を与えることなく対抗する国家権力だけを消すことが目的になるのであれば、大量破壊兵器はもはや不要とも言えるのではあるまいか?という印象を受けました。とはいえこれは、圧倒的な軍事力と情報収集能力を持つアメリカだからできることなのかもしれません。
いずれにしても、巨大な軍事力を持つ国家が「ならず者国家」であるとは国際社会にとって大きな問題ではあると思うのですが。