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マイルス.デイヴィスをそろそろ神棚から下ろしてあげよう。

今年はマイルス生誕100年なので、色々なイベントや企画があるようです。もちろんマイルスはジャズ史における巨大なアイコンなんだけど、色々尾鰭がついて過剰に神格化している気もしないではないので、そろそろ神棚から下ろしてあげた方が良いと思うのです。60年代のあのクインテットは別格だとは思いますが。

 

「白人の音楽は体に入ってこない」はウソだったのではないか?

 

マイルスの初期のアルバムに「Birth of the Cool」があります。ジャズ史的には「クールジャズ」のアルバムです。でもこれ、実はクロード.ソーンヒルのビッグバンドをダウンサイジングしたものです。白人バンドだし、アレンジもギル.エヴァンスやジェリー.マリガンによるものでした。録音メンバーだってソーンヒルのバンドとかぶっています。GodchildやJeruもアレンジも基本的にはソーンヒルと同じです。まぁ「白人の音楽は体に入ってこない」と言う一方で、「クールな音楽を作れるなら肌の色が緑色であろうが雇う」とも言ってるので、こっちが正解とも取れるのですが。このレコードのレーベルはキャピトル、すなわち西海岸の録音です。その意味においてこれはウエストコーストジャズとも取れるアルバムです。ビバップがブルースやリズムチェンジを土台にしてトライトーンサブスティテューションの48手を試すような音楽でテーマのアンサンブルは結構雑だったものにアンサンブル的なものを加えていくことでハードバップに移行していったと言うことで、大事なアルバムであるとは思いますが、これをもってしてマイルスをクールジャズやハードバップ黎明期のイノヴェイター的に見ることには少し違和感を持ちます。というか西海岸の動向に触れずにマイルス一人にジャズのスタイルの変化のキーパーソンという記号を集中させ過ぎている評論の現状に違和感を持ちます。

 

モードジャズのパイオニアはマイルスだったのか?

これも少し微妙な感じがします。実は1953年のアート.ファーマーのアルバムにMau Mauというトラックがあるのですが、これ、ベースがエレクトリックで、曲想は完全にモードジャズで、しかも中間部にコルトレーンのLove Supremeの一曲目の最後の方に出てくる有名なリフとほぼ同じものが出てくるんです。 作曲はクインシー。あまり知られていないアルバムですが、他はよく練られたアンサンブルが展開されていて、この曲1曲だけがモーダルな感じで異彩を放っているんです。1953年のライオネル.ハンプトンのバンドがヨーロッパツアーをした時にそのメンバーがヨーロッパで録音したアルバムがいくつかありますが、そこにはクインシー.ジョーンズ、アート.ファーマー、クリフォード.ブラウン、ジジ.グライス(この時期にフルブライトの奨学金でパリでオネゲルとかに習ってた)などがいました。ハードバップ的なもののあれこれはこの辺りも深く関わっているように見えるのですが、この辺りの動向も日本ではほぼ語られる事がありません。誰がパイオニアだったのかと特例することがそんなに大事とも思いませんが、1953年のファーマーはマイルスより先に行っていた気もしないではありません。

 

アイディアを切り取って自分のものにする上手さ

マイルスのこの能力は素晴らしかったのではないかと思います。本人自身が人の音楽的アイディアをパクってくることを容認する発言は多くありますが(クラーク.テリーなんかも言ってる)、50年代のクインテットでのアーマッド.ジャマルからの影響もそうです。ギルとのコラボで知られるNew Rhumbaに至っては、ジャマルのバンドの演奏をほぼまるっとギルにオーケストレイトさせたものに聴こえます。いかにマイルスがジャマルの音楽に心酔していたかがよくわかります。

 

考えてみると、マイルスの音楽に一貫していたものは「間をとることの巧みさ」でした。もしかしたらまだ早いフレーズが吹けていなかった彼がパーカーに雇われて経験したことのあれこれがトラウマみたいになってそのカウンターとしてスペースを活かした音楽にフォーカスしていったのではないか、という風に見えなくもありません。

 

マイルスはその音楽の着眼点の素晴らしさから、よくインタビューで「ジャズの未来は?」なんてことを聞かれていたようで、「そんなの俺にもわからないんだから聞くなよ」的な発言もよくしていたようです。彼自身が神格化というか音楽のイノヴェイター扱いされることを嫌っていたように思います。なので、生誕100年をいい機会として、マイルスを神棚から下ろしてあげたいなぁ、と感じるのです。

 

 

 

 

楽器を吹くのには少しのエアで充分。

管楽器、特にトランペットでは「エアを使え!」とよく言われます。そうすると、相当数の人はエアの「量」に目が行ってしまっているように思われます。これ、量の話じゃないんです。

循環呼吸のことを考えるとよくわかります。

循環呼吸は頬にエアを貯めてそれを絞り出す間に鼻からブレスを取る技法ですが、頬に入るエアの量なんてタカシレですよね?大量にエアを使う吹き方では循環呼吸はできません。ここからも量の問題でないことがわかります。

ではクラークのエチュードやキャット.アンダーソンのSilent Gではどうでしょうか?

これらは最小の音量でワンブレスでできるだけ長くやることが要求されています。私はSilent Gはワンブレスで1分吹いて30秒のインターバルで20分をデフォルトにしているのですが、私の肺活量が4200ccとすると、吐き出すエアの量は70cc/秒です。例えばくしゃみをするとエアは1秒かからずに大半を吐き出すことができますが、仮に少し長く取って2秒とするとエアの量は2100cc/秒になります。くしゃみするのの1/30のエアの量で充分なのです。

つまり量を使うのではなくて、エアの圧やスピードなどの「使い方」なのです。昔、ボブ.リーヴスは「楽器を吹いている時にエアは動いてない」と言ったことがあります(昭和の人は金沢明子が口の前に蝋燭を置いて歌っても炎が揺れない映像を見たことがあるかも)。ボビー.シューは「楽器を吹くプロでない奴の言うことなどアテにできるか」と一蹴しましたが、この禅問答みたいなところに折り合いを付けられるポイントが答なのだと考えています。

"May the force be with you." はトランペット吹きのための金言。

"May the force be with you"「フォースと共に在らんことを」

スター.ウォーズの有名な言葉ですよね。これ、管楽器奏者のための言葉なんです。フォースは楽器を鳴らすための力だけに集中するんです。トランペットについて言えば、エアを吹き出すための肺とアンブシュアを構築する唇辺り以外には余計な力は入れなくて良いということなのではないかな、と。全ての楽器がそうですが、振動体なり共鳴体を自然に響かせるためには余計なところに力を入れること、すなわち「力み」は御法度なのです。トランペットは「ガッチリ握りやすい」楽器なので、もうその時点で余計に力んじゃう。実は大半の楽器は両手が自由になっていて、楽器は体の一部やストラップで支えてるだけなんですが、トランペットではそこが見落とされてしまう感じです。私の友人の金言で

「力は入れるものではなく出すものである」

というのがあります。入れるポイント以外はリラックスしておくこと、が大事なのだと思いますし、ここを掴むのが実に奥深く難しいのだ、と理解しています。