ジャズの理論が難しく見えるわけ(2)
少し前のブログでジャズの理論が難しく見える理由について少し書きました。続きを書きます。前回書いた通り、ユーラシア大陸の伝統民族音楽は全てモードミュージックです。どのスケールを使うかで音楽の地域性が決まります。そして「スケールから逸脱することは許されない」のです。「呂律が回らない」という言葉はそれを象徴しているように思えます。
ジャズの理論は「西洋音楽理論」がベースになっています。つまりイタリアからドイツ辺りの民族音楽で、ダイアトニックスケール、すなわちピアノの白鍵のスケールについての理論です。実際、モーツァルトがハ長調で書いた曲はほぼ白鍵だけで弾けるはずです。このスケールから派生する和声の機能性を理解することが最重要課題になります。この理論が複雑化したのは、平均律によって転調の自由が獲得されたことと、和声の拡大解釈に伴って、スケールに含まれていない音が使えるようになっていったことです。実際、ビバップ前のジャズではトニックはMaj6add9で、ソロもダイアトニックにブルーノートが加味される程度でしたが、ビバップ以降はトライトーンサブスティテューションを活用した裏コード、12音を均等分割してできるホールトーンやディミニッシュを組み合わせるなど、ダイアトニックスケール外の音を取り込む仕組みができていきます。
「それでもなお音楽の軸足はダイアトニックスケールにあるのです。」
これが忘れられているように思われます。いわゆるクラシックのセオリーは主に長音階の規則について書かれており、短音階についての説明が希薄であるように思われるのですが、ジャズのセオリーではマイナースケールから派生する和音の機能性についてもかなり詳しく言及されています。
つまり、ダイアトニックスケールとマイナースケール(メロディックマイナー)という2つのスケールの機能性を理解してそれを全てのキーで使えるようになること、が重要なのです。そして多くの人がここを見落としているように思えるのです。長音階と短音階は義務教育、中学辺りで習うことなのですが、多くの人が「お勉強としての音楽が嫌い」であるためにここを見落としているように思われてならないのです。
逆に言えばこの辺りを整理するだけで、相当簡単に見えるはずなのです。
理論は難しくありません。奥が際限なく深いだけなのです。
常磐道反対運動の本を出します。
私の実家は流山市にあって、50年前に常磐自動車道建設に際して大きな反対運動がありました。新規に分譲住宅が販売された翌年にその住宅地を横断するカタチでの建設計画が発表されたのです。恐らくは行政の大ボーンヘッドが原因でした。反対派は特定の政党などに依存せず、自らのグループから市議会議員を出して行政に直接参画して行政と連携した活動を行いました。1985年につくば万博が開催されるというタイムリミットが公団に課せられたこともあり住民の要求が相当受け入れられて、住宅地はフタかけ構造となり、その上に公園が作られるという結果となり、住環境の破壊を最大限に回避しつつ高速道路という社会インフラの構築を両立させました。恐らくは戦後住民運動で最も成功したケースと言われているものです。
私の父もこの運動に参画していて、広報関係をほぼ仕切っていたこと、またこの活動の詳細な記録を文章として残していたこと、資料もほぼ完全に保管していたこともあり、この活動について改めて再評価しつつ世に問うておこう、ということで書籍化をしました。私は企画立案およびコーディネーター的な立場で少しだけ原稿を書きました。編集統括は吉永明弘法政大学教授、父の残した原稿の再編集主幹は言叢社スタッフで龍谷大学特任教授でもある大矢野修の両氏です。この活動を改めて細密に振り返ってみると、この手の住民運動とは、国家権力と個人の権利とのせめぎ合いであり、いわゆる政治的活動とは異なる印象を持ちました。個々人の権利を主張するために政治的なことに介入せざるを得ない、ということで、政党を作って国を変える、みたいなものとは全く異質のものだからです。政治的な左右ではなく、国民の権利行使の中央突破であったのではないかと思えます。単なる住民運動の記録ではなく、地域住民の地方自治への参画のあり方などについて大きな示唆のある本にもなっていると思えます。
また、この運動の終了した80年代半ばにこのグループからNPOのプロトタイプのような活動が法律制定の10年以上前に起こされており、会社の仕事中心のサラリーマンが地域でできることにも大きな示唆があり、高齢化社会が問題となりつつあった80年代半ばの活動でありながら、現在の社会状況を考える上でも有益な活動を行ったことも併せて紹介しています。現在印刷中で、書店に並ぶのは年明けになるかと思いますが、多くの方の目に触れることを祈っています。
Gordon Goodwin
ゴードン.グッドウィンが亡くなってしまいました。70歳は早いと思いますが、膵臓癌では仕方ないのか、とも思います。
特に2000年以降のビッグバンドアレンジメントはグラミーを取るバンドの流れとしては、ひたすらコンテンポラリーな路線を直走るか、トラディショナルな方向に行くか、が大きな流れであったような気がします。ゴードンはそうではなく、「エンターテイメント性を重視したポップなアレンジ」にフォーカスしたように思われます。ものすごく難しいけど楽しいので、学生や社会人のビッグバンドから大きな支持を得ました。語弊を恐れずに言うと、21世紀のサミー.ネスティコみたいな仕事をした人ではなかったかと。ビッグバンドの楽しみを存分に味合わせてくれる、という意味合いにおいてそのように感じます。
私は自分のバンドで彼のアレンジを取り上げる事はありませんでした(理由はあります)が、人のバンドで彼の譜面を吹くのは楽しみでもありました。音楽全体が袋小路に入っているような状況ではありますが、やはり人海戦術で作る音楽には他には変えられないものがあります。ゴードンが出てきたように、これからも素晴らしいアレンジャーが輩出されるのだろうということを信じています。このアートフォームがこれからも長く続くことに期待したいです。
