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日本人のジャズ、アメリカ人のジャズ、ヨーロッパのジャズ。

今のご時世、白人だの黒人だのというのはレイシズム的なので控えるべきではないかという気もしないではないですが、20世紀後半くらいまではジャズでは演奏する人種の違いがハッキリ聴き分けることができました。今でもその痕跡は残っています。明文化、定量化は困難ですが、差があるのです(そこに優劣をつけられないので差別にはならない)。そして多くの人が「黒人のようなジャズをやりたい」という意識を持っています。この意識を持つのは非黒人です。その意味において、アメリカの白人も日本人も異人種ルーツの音楽を演奏するという点では同列です。ならば、白人のジャズのアプローチは日本人にも親和性が高いのではないのか?と思えるのです。個人的な経験からすると、ベイシーが演奏した譜面をベイシー的に演奏するよりは、ウディ.ハーマンの演奏した譜面を演奏する方がオリジナルっぽく演奏するのは容易であるように感じられます。日本人というアメリカ人でない人がアメリカ黒人由来のジャズを掘り下げるには、アメリカ黒人ではないアメリカ白人のアプローチというか「白人のジャズ的なるもの」をディグすることもまた有益である、と。音楽は言語のようなもので、スタイルなどの違いは方言の違いに似ているものです。日本人の古いジャズが「和ジャズ」と言われるのはその音楽のアーティキュレーションがアメリカと異なるからでしょう。でもアメリカのオリジナルアートファームを演奏するならば、「アメリカ音楽のアーティキュレーション」で演奏できなければいけないと思います。それを体得するのに、黒人に憧れてジャズをやろうとした白人のアプローチは我々日本人にもヒントになるはずなのです。


ジャズはブラックミュージックが持つヒプノティックなビートの感覚にヨーロピアンな音楽理論が加わることで洗練されてきました。お互いが手を取り合って発展してきたのだと思えます。だから、特定の地域や時代に凝り固まることなく、幅広く先入観を持たずに音楽に接することが大事なように思えます。もっと大きく俯瞰すると、アメリカン.コンテンポラリーミュージックとして見るならばもはやジャズとクラシックという垣根も邪魔なのです。エリントンにはクラシックの印象派の影が見えるし、更に時代が降りるとバルトークやシェーンベルグなんかも入り込んで来るように思えるからです(個人的には20世紀のアメリカ音楽には東欧やスラブ系の音楽家の影響が重いと感じています)。最後に突き当たる壁はビートとアーティキュレーションの問題になると思われるのです。

1957年のJohn "Star Wars" Williamsの譜面。

私の手元には、1950年代にウエストコーストで人気を博したThe Dave Pell Octet"の譜面がたくさんあります。バンマスのペルがレス.ブラウンのビッグバンド出身ということで、いわゆるウエストコーストジャズの紳士録からは漏れている人なのですが、アレンジを提供しているのがショーティ.ロジャース、マーティ.ペイチ、ビル.ホルマン、ボブ.フローレンスと錚々たる面々なのです。その中の一人にJohn T Williamsという人がいます。彼のアレンジも数曲あるのですが、一番古いのが1957年の譜面なんです。彼がLAに転居してジャズや映画音楽の仕事を始めて割とすぐの頃なのです。もうデイブも亡くなっていますし、ejazzline.comも復刻しなかったので、博物館に入ったのか、それとももう散逸したのかもわかりません。日本には恐らく私の手元くらいにしかないでしょう。 

ジャズの譜面なんて使い捨てが当たり前で、素晴らしいアレンジでも音は残るけど譜面が残らないんです。ヒットしたビッグバンドの譜面は出版されて世界中で演奏されていますが、中規模編成のものは本当に使い捨てでオリジナルが残らないんです。でも音楽は「音のデザイン」であり、そこには時代やスタイルがハッキリ残っているので、譜面の残っているものはベートーヴェンやブラームスやマーラーの譜面がそうであるように、再演されるべきなのです。何十年も前のオリジナル録音でしか聴くことのできない音楽なんて残らないんです。音によるミッドセンチュリーモダンデザインを楽しく演奏したいです。明日8/18、西荻窪のCoco Palmで演奏します。

災害って何だろう。

日本という国は数年に一度くらいのペースでM7クラスの地震が起きるところです。震源が陸地に近いと結構な被害が出ることがあります。私自身も阪神大震災を東灘区で経験して、瓦礫の中での生活を余儀なくされたこともあります。東日本大震災の時は部屋の本棚が全部倒れて破壊されましたが、神戸に比べたら被災というほどではありませんでした。そうした経験を通過して
「災害とは何だろう」
とあれこれ考えていましたが、結論としては
「自然現象などにより自分の生活環境が破壊されて不自由な状況を一定期間甘受せねばならないこと」
という理解に達しました。被害がなければ単なる自然現象で終わりです。
神戸の時は、当日勤務していた銀行の支店のビルが5Fあたりで潰れていて、支店の立て直しというか経済の血液であるお金の流れを復旧させることに尽力していましたが、その時に自分の中にあったのは、
「最悪の状況は過ぎたので、ここからどう立て直すか」
ということだけでした。それからかなり経って東日本大震災と福島原発事故、特に原発事故に対してどう対処するかがわからなく不安であった時に、ひょんなことから江戸時代の僧侶、良寛のエピソードを見つけました。曰く
「災害に遭う時分には災害に遭うが良く候。死ぬ時分には死ぬが良く候。これはこれ、艱難辛苦を乗り越える妙法なり」、と。
つまり「現実を現実として認識、甘受し、その中で最善を尽くせ」ということである、と。この言葉を知って随分気が楽になったものでした。滅多に経験できない非日常なのだからその中で楽しんでしまえば良いのだ、と。また、神戸での自分の考え方が案外それに近いことも発見でした。後にコロナ禍で家族が罹患して禁足令が出た時も、時間と手間のかかる料理を作って楽しんで生活したりしました。今ある現実の中で一所懸命に最善を尽くすというのは禅宗仏教の教えのようでもあり、イスラムの「神のご加護を」にも少し相通じるように感じています。だから、もしまた神戸のような経験をしても死ななければこの調子でやれるのではないかと思っています。もう神戸みたいなのは経験したくはありませんがね。