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あと一歩

youtubeにトランペットの奏法についての考察動画をアップし始めたのは15年くらい前からです。その頃からダブルハイCには届いているのだけど、常に安定的にコントロールするところまで行かないのです。デモ動画は作れるけれど、これをいつでもどこでもやることができないんです。これはアドリブを吹く音楽性とは別なのですが、エンジンの性能は確認できてるのにムラがある感じです。一昨年くらいから上唇にかかる負荷を最小限にするスタイルにしているのですが、ハイEくらいからいきなりオクターブ上がってしまってその間が鳴らないようなケースが多くなりました。エアの圧とアパチュアのバランスが悪い感じです。唇は筋肉ではないのでエアのパワーとアパチュアのコントロールの感覚がわかりにくいのです。その感覚が掴めそうな気がしてきました。あと一歩、ともうずいぶん長いことかかっていますがはたしてどうなるか。

違和感

よく言われることですが、「ジャズは感情表現だ」というのがありますが、これにはどうも承服できないというか違和感があるのです。なぜってそこで言われる感情表現は喜怒哀楽の中でも「怒・哀」ばかりがフォーカスされているように思われるからです。作曲のモチーフがそういうものであることは多々あるけれど、演奏者はその曲を演奏するたびにそうした感情を表現するために演奏しているようには思えないのです。自分には演奏しているときにそうした感情に突き動かされた演奏をすることはほとんどないといって良いのではないかと思います。演奏しているときに考えているのは「ここでどういう音をチョイスしたら音楽的に『面白い/ユニーク/美しい』か?」でしかありません。音に集中しているときにそこに感情を織り込むことなんてできるかな?バラードだったらできるかもしれないけど、アップテンポの曲で反射的にフレージングを考えてたらそれは無理です。感情表現を「芸」ということ自体にそもそも無理がありそうな気もします。

脱ロマン派について考える

音楽は感情表現の一つの手段なので、いわゆる「ロマン派」的なものがクラシックでも支持されるのだと考えています。他方、ジャズもまたそうした感情表現の一つの手段としての側面はある意味クラシックよりも大きいと思えますし、1960年代の公民権運動時代の音楽には特にそうした要素が重たいように思えます。しかし音楽はそれだけではないようにも思われます。かつてタッド.ダメロンは「まずはスイングすること、そして美しくあること」と言う言葉を残しているのですが、この「美しさ」という基準をもっと重くかんがえるべきではないのかなあ、と。なぜなら最早エモーショナルな表現は飽和しているようにも思えるからです。翻って過去のジャズを色々聴きかえしてみると、過剰にエモーショナルにならないものがかなり多く、そこにはスタティックな美しさや、気品や寛いだ感覚があるのです。この辺りを見直すべきではないのか?という気持ちが個人的には近年ますます強くなっているところです。