大学のセミナーで話して気がついたこと。
先週の土曜日に法政大学での「次世代に向けた市民自治の再構築」というセミナーで話をしてきました。私以外は全員学識経験者ということでアウェイ感満載でしたが、楽しくやってきました。そもそもこれに呼ばれたのは、今年、父が関わった常磐道反対運動の本の制作に携わったこと、このセミナーの仕切りを一緒に本を作成した教授がされていらっしゃったからでした。持ち時間の中で、長年考えていたことである「住民運動とは果たして左翼的なのか?」ということに重きを置いて話しました。常磐道の反対運動は既存の政党によらず、自らのグループから市議会議員を出して行政に直接手を突っ込んだ活動で、もちろん成田のような左翼セクトとの関与も皆無だったのです。政治の左右で言うならば中道でした。でも世間のイメージは左翼的なのです。住民運動の多くは国家権力と個人の権利との間に起こる個人側の不利益に対する抗議活動です。つまり、日本国憲法で保障されている国民の権利の問題なのです。政治的左右はほぼ関係ありません。なぜかこの国では個人の権利を主張すると左翼的なレッテルが貼られてしまうのです。これはおかしなことではないかと。
世間一般の左翼的なイメージを象徴する言葉に「アカ」と言うのがあります。戦前の社会主義や共産主義に共鳴した人たちの活動がその名称のルーツにあります。大日本帝国憲法時代には個人の主権は限定されていましたし、国家権力、すなわち現人神である天皇に反することは論外であったわけですが、現行憲法では国民主権であり、個人の様々な権利は保障されています。私が子供の頃に見ていた常磐道の問題は、新規分譲住宅地が販売された翌年に国家プロジェクトである常磐道の計画がその住宅地を分断される形で発表されたことに対する沿線住民の抗議でした。これは国民に保障されている生存権の主張でしかありません。が、これが国家権力への抵抗=左翼という安易な解釈に落としこまれてしまうのです。これはマスメディアが使う活動家や運動家という言葉にも象徴されている気がします。個人の権利を守るための行動は政治思想的左右とは異なるものであるはずです。こうした行動を左翼的というのであれば、例えばもし国が国民保険制度を撤廃して医療費100%になるとか、預金封鎖をして個人の財産が凍結されるようなことを政府が決定した時にそれに反対することさえ左翼的と言えてしまうように思えるのです。国家権力の決定に反するわけですから。
自分たちの生活を守り、良くしていくために政府などに意見を言うのは政治思想的左右に関係ないことです。ここのボタンを掛け違えていることに気づいていない人がマスメディアを含め、日本国内に数多くいると言うのがこうしたことを引き起こすのではないか、と。
エニーキーで弾けるようになるのが大変なのはなぜ?
クラシックでもそうですが、ジャズでアドリブを取るためには12のキー全てでダイアトニックスケールができないとダメ、と言われます。なぜ難しいのでしょうか?
答えは簡単。
規則的な並びではありますが、非対称だからです。例えば対称的な並びのホールトーンスケールを考えてみましょう。これはインターバルが全音なので、1オクターブを6分割することになるので、12÷6=2、2つしかありません。Cから始めるのとC♯から始めるのの2つだけです。コードを弾くとどこから弾いてもオーギュメントしか弾けません。動きが作れないのです。
他方、ダイアトニックではMaj7,m7, dominant7,φ7という4つの7thコードが弾けます。非対称だからこそこうした動きが作れるのです。そのうち書きますが、この非対称スケールに対称的なスケールを持ち込むことでコードチェンジにより柔軟に対応できるのです。
いずれにしても、ジャズは西洋音楽理論、すなわちクラシックと同じでピアノの白鍵のスケールがベースなので、そのキーを移動させても同じインターバルを持つスケールを弾けることは必須なのです。
マイナースケールについての考察
マイナースケールについてはクラシックのセオリーではあまり触れられていないように思えます。ナチュラルマイナースケール(エオリアンスケール)とドリアンマイナー(ドリアンスケール)はアイオニアンスケールを開始するポイントを変えるだけで良いので、長音階での規定をそのまま当てはまることが可能であると考えられます。ですが、メロディックマイナースケールはアイオニアンとは違うスケールなので、長音階と同じ考え方を当て嵌めることはできません。ここを考える必要が出てきます。私見ですが、メロディックマイナーにはオルタードスケールが内包されています。つまり、ミクソリディアンスケールがドミナントコードをメジャースケールから見たものだとすると、オルタードはドミナントをマイナースケールから見たもの、とも考えられるのです。こうしたことを常に両睨みできるようにしておくことが大事だと思われるのです。