完全5度
音楽は独学です。ピアノもろくに弾けないので、和声法や楽典の譜例を弾いて確認するのも結構大変で、かなり直感的に感じたり考えたりしていますが、同時に世界各地の民族音楽なんかもリサーチしながら「何故音楽(音楽上のインプロバイズ)が難しく見えるのか,について考えてきています。私には奥が深いけど難解なものには見えないからです。コードの読み書き、特に書くのは今でも苦手です。
少し前の話なのですが、私が書いたジャズのアレンジのコードの記譜(よく間違える)で、守屋純子さんから「オルタードを意味するなら完全5度は要らないよね?」みたいな指摘を受けたことがありました。それについて気付きがあったので、備忘録として書いておきます。
完全5度って倍音列で見ると、基音から見て「第3倍音」にあたります。オクターブの次だからかなり拘束力の強い倍音です。それに対してオルタードスケールはルートに対する完全5度のインターバルがないんです。守屋さんの指摘はそういうことと漠然と理解しましたが、つまり完全5度は拘束力が強いので、コードの中で大きな柱みたいになるのではないか?完全5度がないと柱がない代わりにモビールのような不自然に見えるけどバランスが取れているようなものになるのではないか?という直感を得ました。果たしてモビールを検索してみると、音楽周辺ではフェルドマンやザッパの名前が見えます。ザッパはスロニムスキーの本(コルトレーンもこれを読んでいたのは有名)も研究してたのですが、音楽を幾何学的に分析して捉え直すような本なので、オルタードのように完全5度という柱を持たない音響構造はモビール的ではないのか?ということを考えたのでした。この視点でもう少し掘り下げてみようと思っています。
日本人がジャズのアドリブの習得や外国語会話の習得で抱える共通の問題点とは?
ジャズでアドリブを取りたい、という人って、楽器をやっている人の中ではかなり多いと思っています。そして外国語会話、特に英会話ができるようになりたいという潜在的な人口がめっちゃ多いのは、ネット広告の英語教材アプリの氾濫っぷりをみると相当すごいです。でもどっちも大きな壁があってなかなかできる人が増えません。7年前に久しぶりに行ったニューヨークで、たかだか5泊の滞在で複数の人から「日本人は喋らないから何を考えているかわからない」と言われたのには驚きました。
こういう状況になってしまっているのにははっきりした理由があると個人的には考えています。一つは日本人の「学ぶ」ということに対する意識の中で、
「間違ってはいけない」「間違ったら恥ずかしい」という強迫観念が強いことが挙げられます。学びの上達のプロセスには
①ルールや原則、定石を学ぶ
②練習する
という2つを無限ループすることが必須ですし、スポーツやゲームではそれができるし、失敗しても気にしないのですが、学びや自己表現になるとこうした強迫観念が全面に出てしまうんです。間違うことを恐れて喋ったり演奏したりしないということは「練習しない」ということなので、上達することはあり得ません。これが非常に大きな阻害要因になっています。それと大きなものがもう一つあります。これも深刻です。それは、
「学校で学ぶことなど役に立たない」的な先入観です。
英語で言えば中1で学ぶ程度の主語述語の構成の仕組みであるとか、音楽で言えば長音階と短音階の仕組みとか、そうしたことについての振り返りをしない状態で教材にあたって撃沈するというケースもまた非常に多いのです。
そうした学校でも学ぶ基本的なところをスキップして学ぼうとするからアプリやスクールにお金は払えども上達せず、そうしたところが大儲けするだけ、という状況になっているように思えてなりません。
日本の義務教育は案外重要なことを教えてくれています。まずはそこをきちんと振り返ること、上達に失敗はつきものだから、失敗を怖がったり恥ずかしがったりしない、という2つを徹底するだけで全然世界が変わってくると思うのです。
アドリブについて言えば、「間違え方すらその人の個性」なんですよ。
Mario = Castelnuovo Tedesco
マリオ=カステルヌォーヴオ.テデスコ。
ほとんど知られていない作曲家ではないかと思います。イタリアの作曲家で20世紀前半にファシズムを嫌ってアメリカに亡命した人です。シェーンベルグを筆頭に、第二次大戦前夜にはこうしたヨーロッパの作曲家が複数いました。ダリウス.ミヨーも。彼らはロサンゼルスに居を構えたのですが、彼らの存在が、ジャズの和声のアカデミック化に大きな影響を与えたことが案外忘れられているように思われます。ミヨーの存在はピート.ルゴロとの師弟関係で多少は知られているとは思うのですが、いわゆるウエストコーストの有名なアレンジャーの多くがウエストレイクカレッジでシェーンベルグの授業を受けていることは知られていません。
さて、テデスコです。この人はギター関係の作品が多く、ギター関係者にはかなり知られているようですが、シェーンベルグやミヨーに比べると知名度的にはかなり見劣りをしています。しかし、この人は映画音楽に大きな足跡を残し、また彼の多くの生徒が映画音楽で名声を博しました。ラッセル.ガルシア、ヘンリー.マンシーニ、ジェリー.ゴールドスミス、アンドレ.プレヴィン、そしてジョン.ウィリアムズ。ガルシアはクラシックとジャズと映画音楽のコーナーストーンというかミッシングリンクではないかとも思えます(別途改めて書きます)。テデスコとガルシアはアメリカンミュージック史において非常に重要な存在に思えるのですが、アメリカ国内でも十分な評価がなされていないように思われます。ここはもう少し深掘りしたいところです。