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エヴァンス派の源流はビル.エヴァンスではない?

最近あんまり言われませんが、モダンジャズピアノの流れの中でいわゆる「エヴァンス派」と言われるスクールがありました。まぁ要するにビル.エヴァンス的な耽美なコードを弾くグループとでも言ったら良いのでしょうか。でも、それの源流にあるのはエヴァンスではないんですよね。エヴァンスや若き日のハンコックが研究したピアニストがいるんです(その人はなぜかエヴァンス派の中で括られています)。その人の名はClair Fischer。みんなロスアンジェルス出身のピアニストです。ハンコックがフィッシャーを研究していたのは案外有名ではないかと思うのですが、彼がドナルド.バードのバンドメンバーになった時に、ドナルドがクレアと学生時代にルームメイトだった話を聞いて仰天したというようなエピソードが確かバードのRoyal Flashにあったような気がします。クレアは和声的なことに非常に精通していたみたいで、当時のコーラスグループのThe Hi-Lo'sのアレンジにも参画していたみたいだし(ここにGene Puerlingもいる)、彼の1960年代のビッグバンドのアレンジを聴いていると、秋吉俊子さんのルーツが聴こえるような瞬間も多々あります。エヴァンスやハンコックはマイルスのところで名声を博すわけですが、クレアは生涯西海岸から動かなかったようで、それで知名度的に損をしているような印象を受けます。私は幸運なことに1999年にアナハイムで彼のソロピアノを見ることができました。いわゆるエヴァンス派的なピアノではなかったですが、端正でとても美しいソロでした。日本でのジャズの情報って、昭和のジャズ評論家が東海岸ばかり見ていたこと、マイルスバンドに引っ張られた人など、フォーカスされるミュージシャンに偏りが大きかったように思われます。日本とアメリカで評価の違う人が案外多い印象を受けます。クレア.フィッシャーもそうしたミュージシャンの一人と言えるような気がします。

1950年代のアート.ファーマーとマイルス.デイヴィスを検証してみる。

アート.ファーマーとマイルス.デイヴィス。どちらも終生ほぼコンスタントにアルバムを出し続けた巨匠です。特にマイルスはそのスタイルの変遷と作り上げた音楽からジャズ界屈指の巨匠のイメージが定着しています。アートは逆に常に変わらないスタイルで通した人でした。なんとなくイメージからするとアートの方が格下に見られがちですが、1950年代は案外そうではなかったのではないか、と思われるのです。当時は互角、もしかするとアートの方の評価の方が高かったのではないか?と思われるのです。マイルスの方は語り尽くされているのでアートの動きを見てみましょう。注目すべきは1953年です。彼はライオネル.ハンプトンのヨーロッパツアーに参加しています。トランペットセクションにはクインシー.ジョーンズとクリフォード.ブラウンがいました。当時、アルトサックスのジジ.グライスがフルブライト留学金でパリに行き、オネゲルらに師事していた時期です。この時のヨーロッパでのセッションが複数録音で残っていますが、これらの録音がアンサンブルを重視したサウンドで、ハードバップ胎動期に大きな影響を与えたのではないか、と感じるのです。またこの年にアートが発表したセプテットのアルバムでは、そうしたアンサンブルのしっかりした演奏に混じって1曲だけですが、モードジャズが録音されているのです。書いたのはクインシー。その後もホレス.シルヴァー、ジジ.グライスなど知性派との仕事が多く、1955年にはジョージ.ラッセルとの仕事が増えます。また、参加したアルバム群を見てもRCAなどのメジャーレーベルが多いのです。ブルーノートやプレスティッジはインディーズレーベルなのです。とすると、1950年代半ばくらいまではマイルスよりもアートの方がプレゼンスが高かったようにも感じられます。日本のジャズジャーナリズムはマイルスを軸にジャズの歴史を書きますが、実はそうではなかったのかもしれません。典型的なのが日本で「中間派」というカテゴライズがあることです。実は「中間派」はアメリカではMainstreamと呼ばれていました。つなり当時の終流派だったのですが、この辺りの情報が日本では極めて少ないのです。この辺りはもう少し検証され直しても良いような気がします。

「難しいこと」は本当に難しいのか?

もうこのタイトルから結論は見えていますよね。

人が「難しい」ということって本当に難しいんでしょうか?私は難しくないのではないかと考えています。難しいのではなくて「慣れていないから難しく見える」というのが大半なのではないかと感じられます。スポーツでもゲームでも初めてやる時はルールや理屈などがわからないから混乱します。技術が身についてないから上手にできません。でもそれは「難しい」ことではないはずです。練習することによって慣れてくると普通にできることに変化するはずです。つまり、難しいのではなくて慣れないことをやるから難しく見える、だけのことなのです。学校の勉強も同じで、いきなり難しいことをするのではなくて、少しずつステップが高度化して難しいものになってくるわけですが、新しく学ぶことが今までとどう違うのか、これができるとどういうことができるようになるのか、がわかってしまえばもうそれは難しいことではないのです。特に学びの現場でここを見落としている人が非常に多いような気がします。慣れるまでは難しく見えるしたくさん間違いもするけど、それが普通です。物事の上達には練習と失敗がつきものなのです。でもなぜか「学び」ではこれが忘れられてしまうのです。これ、案外大きくて深刻な問題だと思っています。