歌伴の楽しみ
ヴォーカリストのサポートは楽しいのです。特に外国の方のサポートは楽しいのです。理由は「全然知らなかった曲もしくは過去に演奏したことがない曲に出会えることが多い」からです。そして私の場合、そうしたスタンダードの多くは一度聴いて構成を掴めてしまえば譜面がなくてもオブリガートをつけることにほぼ何の問題もないのです。音を聴けば曲のキーも分かるし、そもそもコードネームを読むのはさほど得意でないし、記号にしなくても音を聴けば困らないので。ずいぶん昔にピンキー.ウィンターズさんとやった時もそんな感じでした。知らない曲の方が多かったというか、日本でお馴染みのスタンダードの比率がめっちゃ低いです。この10年くらい、サンフランシスコのバーバラ.ハデンフェルドさんのライブにお付き合いさせてもらっていますが、一昨年くらいからmeaning of the bluesが歌われることが増え、今年はI've grown accustomed to see her faceが加わりました。前者はコードは難しくないですが、難曲です。マイルスやロイなどラッパでの名演が結構あってそれらとは違うものにしないといけないですし。I've grown…はマーティ.ペイチ版を良く聴きますが、実際に吹いてみるとコードの流れの中で色々気付きがあるのが実に楽しいのです。そうした曲を演奏しながら
「いわゆるスタンダードは本国アメリカでどれくらいスタンダードなんだろうか?」
と考えたりもしますし、何よりもスタンダードの数の多さ(それは1001という数で明らかなんだけど)に改めて驚きます。とはいえそれは「古賀メロディ全部知ってるか?」とか「古関裕而どれだけ知ってる?」みたいなものかもしれないのですが。
いずれにしても「知らないスタンダード」に触れる機会があるのは楽しいものです。聴いて漠然と覚えているものが演奏したら違う魅力が見つけられる、みたいなところが大きいのかもしれません。
オールド.ジャズの効用
先月くらいからオールド.ジャズというかビバップ以前のジャズを多めに聴いています。きっかけはいわゆる中間派の世代の音楽でした。こうした昔の世代のジャズって、いわゆるモダンジャズ以降の音楽に比べると音楽に「寛ぎ」があるように思えるのです。翻って自分が演奏の時に考えてることというと、「ここでどういうフレーズを組み込もうか」みたいなことが多いのですが、昔の人たちの演奏っていい意味で「鼻歌」なんですよね(モダンジャスではスタン.ゲッツが生涯鼻歌唄いだったように思う)。小賢しいフレーズをあれこれ考えるよりも音楽にゆったり向かえる感じがするんです。このあたりのバランスを自在にコントロールできると表現の幅がもっと広がるのではないかなぁ、と。1960年代以降のジャズ、公民権運動やコルトレーン的なものというか感情というか激情みたいなものをアドリブで表現するみたいなのが一世を風靡したことで失われたものっていうのが結構あるのではないか、と。おちゃらけるというわけではないけど、音楽にはエンターテインメントな部分も多いわけで、複雑で難解な演説を早口でまくしたてる必要はないのではないかと。そんなことを考えさせられています。
エリック.サティとエリック.トルファズ。
すエリック.サティ。いわゆる「家具の音楽」を提唱した人です。感情的なものを排除し、ただただシンプルなリピートが繰り返されるスタイル。当時の評価は大きくなかったようなのですが、個人的にはアンビエントの原点のようにも聴こえます。ラヴェルのボレロはサティへの強烈な当てつけにも聴こえます。ループさせてるけど毎回色彩を変えてる感じに聴こえます。
先日のライブでは、やはりフランスの音楽家であるErik Truffazの音楽を取り上げました。彼自身もピエール.アンリなどの作曲家との接点があったようです。彼の音楽は人力ジャジー.ドラムンベース的なものが多いのですが、採譜して分析してみると淡々とループする手口にサティと同質なものを感じます。エモーショナルなものに走らないところも通底するように思えました。他方、ジャズだと音楽の中にエモーショナルなものが多くて、それはある意味ロマン派的な要素ではあるのですが、トルファズの音楽はそこから少し距離を置いているように感じました。感情表現としてのジャズは既に飽和しているように思えるので、今更ながら彼のアプローチは面白いのではないかと思いました(20年以上前の音楽なのですが)。永年聴いている曲ですが、譜面化したことによって気づけたことかもしれません。これを書きながら、マイルスが晩年期に演奏し続けたHuman Natureの手口を思い出しました。この辺りのアイディア、少し膨らませてみようかな。