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ビバップスケールなどというものは存在しない。

ジャズを勉強している人にとってはビバップスケールという言葉は案外普通に出てきます。が、バリー.ハリスはビバップスケールという言葉を使いませんでしたし、むしろそんなものはない、と言い切っていました。彼のワークショップではピアノのクラスでは6th diminishだけで、管楽器のクラスではメジャースケールとマイナースケールという言葉しか使いませんでした。実はビバップスケールなんて存在しないんですよ。便宜的にビバップトニックとビバップドミナントが言われるだけの話で。

ルートからスケールとして音を並べた時、西洋音楽では拍の頭にコードノートが乗るという大原則があり、7音スケールだと字足らずになるので8音スケールにして4拍子の1拍目にルートの音が来るようにするわけですが、トニックコードに対応するにはG#一択で、ドミナントに対応するにはBb一択だからそういう呼ばれ方をするだけなのです。

 

ビバップとは何かというと、ダイアトニックスケールベースの音楽において、拍裏にクロマチックな経過音を挟み込む方便なのです。だから状況によってCメジャーの曲であれば拍のウラに随所に黒鍵の音を織り込むことが本領なのであって、ビバップスケールという特定は不可能なのです。ジャズのセオリーは西洋音楽理論、すなわちクラシックの理論に立脚しています。そしてクラシック音楽の和声の理論はアイオニアンスケール、すなわちピアノの白鍵で規定されたスケールのルールです(クラシックのセオリーでは短音階の理論はあまり語られていないような気がします)。基本的にはユーラシア大陸の民族音楽は全て「特定のスケールに拘束」された音楽なのですが、西洋音楽については和声の進化とともに「スケールに含まれない音を織り込む方便」がどんどん開発されました。ビバップ的なアプローチはその一つであり、非常に汎用性が高いものなのです。

動詞と助動詞の境界線

いい年をして英文法の学び直しをしています。旧態依然とした日本語で書かれた何十年も改定されない参考書よりも、英文で書かれた参考書の方がよっぽど明快で分かりやすいですし、原語で読む事で、長年改定されていない日本語の参考書にある多くの誤謬が英文法を無駄に難しいものにしていることも理解できます。何十年も改定されていないマニュアルを読んで勉強するなど効率的であるはずがありません。その中でも一番罪深いと思われるのが、言語の違いによる述語構造の違いを明確に説明できていないことです。英語で書かれた英文法の翻訳で手一杯になってて、日本語との比較がされていないんです。日本のお役所システムとよく似ています。

 

英語を含むインド=ヨーロッパ語族では、述語になるものは必ず「動詞」です(英文法の参考書は「述語」という表現は使われていません)。他方、日本語では術後になるものは「用言」と定義されていて、そこには動詞、形容詞、形容動詞、そして名詞+助動詞の4つがあります。つまり、日本語では動詞を用いないで文章が完結できるわけです。そして動詞を含まない文章を英文にする時にBe動詞が必要になる、ということなのです。つまり、日本人にとってBe動詞とは一般動詞とは違う「特殊動詞」なのです。そして英文法で一般動詞と呼ばれているものは国文法における「動詞」です。さらに厄介なことに、Be動詞と定義されていますが、状態や物を表す文でのBe動詞の役割は国文法では「助動詞」なのです。断定の助動詞である「です・だ」に当たるわけです。日本語で動詞としてBe動詞がワークするのは、存在を表す文の「ある」だけです。つまり、日本語の文で「です・だ」で完結する文章は英語ではBe動詞の文であるということができるはずです。

では一般動詞の文ではどうなのか?というと、実は日本語には連用修飾で動詞にしか使われないものがあるんです。それは「ます」です。つまり、日本語で文末を「ます」およびその活用形で終われるものは国文法的に術後の品詞は動詞、すなわち英語でいう一般動詞の文になるはずなのです。ここに気がつくと会話や作文の時の迷いがほぼ解消します。文の表現で「ですます調」みたいな表現をされるのでついついスルーしてしまいますが、「です」と「ます」は全く違うものであるということに気が付かないといけません。蛇足ながら、一般動詞の文で疑問文を作るために使う"Do"は英文法の品詞的には「助動詞」です。これもまた英文法では説明がありません。

 

つまり、英語と日本語という語族の違う言語の学習において、動詞と助動詞の境界線が曖昧であるのにそこに対する言及がなされていないことが、英語学習の大きな壁であるというように見えるのです。ここが整理できると主述の関係がクリアになるので、あとは修飾語をどう並べるのか、という話になります。英語の文型のパターンは5つしかないので、日本語に比べると非常に簡単に文が作れる、ということになるはずです。

公展を見に行く

中学の同窓生から、美術の先生だった方が新国立美術館に作品を出す、というので見に行ってみました。いわゆる公展というヤツです。果たして行ってみると、絵がヘタクソな私にはあり得ないくらい上手な作品がならんでいるのだけど、出展者はプロというわけではなさそうでした。その団体の中で審査されて良い作品が賞をもらえるようです。下手ではないけど鬼気迫るようなものとか作品から溢れ出るパワーみたいなものは希薄でした。この感じ、何かに似てると思ったのですが、しばらく考えてわかりました。誤解を恐れずに言うとアマチュアのバンドがホールやライブハウスを借りて演奏するのに似ているような気がしました。じゃあ私が演奏すると聴衆を圧倒する何かがあるのかと言われると微妙に心許ないですが。