ホレス.シルヴァーを「ファンキー」の一言で片付けてはいけない。
ホレス.シルヴァーは「ファンキージャズ」の大家として語られることが多いようです。確かにその部分も大きいのですが、それだけでは片手落ちだと長年考えています。なぜなら作曲家としての功績が大きいからです。
個人的見解ですが、ホレスはジャズの作曲において「メロディックマイナースケールから派生するコードを作曲に持ち込んだパイオニアの1人」と思われるのです(もう1人はジジ.グライス)。1953年あたりの、ホレスであればnica's dream、ジジであればminorityあたりがその曲に当たります。ビバップ期の作曲はメジャースケールでのトライトーンサブスティテューションの48手の試行錯誤みたいなものなのですが、ホレスとジジは一歩先を行っていました。メロディックマイナースケール、すなわちオルタードドミナントを多用したコードチェンジは非常に魅力的なのですが、そこに着眼している評論家は皆無と思えます。これでは彼の音楽の魅力の半分くらいしか伝わりません。とても残念に思います。
ちなみにジャズトランペット吹きをチェックするときにはメッセンジャーズとホレスのバンドをチェックするとあらかた揃います。
主と属って?
音楽理論の日本語で書かれた本を読んでいると、日本語に訳された用語の意味で「?」となってしまうことが多いのです。典型的なのが主和音に対する属和音。dominantって英単語で見ると「支配的な」という形容詞ですが、なぜその意味なのに漢字の「属」が使われるのかがわからないのです。「属」という漢字の意味に支配的という意味があるとは思えないのです。下属和音はsub dominant即ちdominantのsubということみたいだけど、中音に上下があるのもまた分かりにくいし、中音ってのはmeantoneをそのまま訳しただけだし(これに上下があるのがまた一瞬混乱する)。海外の演奏家と音楽談義をするのであれば別に日本語で理解する必要はないので、面倒になって英語で書かれたセオリーの本を読んだらめっちゃ楽でした。
これと同じことが英文法学習でもあるんです。
国文法と英文法での定義が違ったりしてるんです。例えば形容詞。コイツは英文法ではadjective即ち主語や目的語に加えるものという意味合いがありますが、これって国文法では「連体詞」なんです。国文法の形容詞は「用言」ですが、英語で用言の形容詞としてワークさせるためにはBe動詞(一部一般動詞も含む)とセットでないと機能しないんです。これがおそらく戦後一度も改訂すらされていません。
他にもあるのかもしれませんが、西洋音楽と英文法のマニュアルってろくにアップデイトされてないんです。これで使えるようになれというのは、特に外国語学習では無理筋です。でも今教えている人はこの古いやつで理解できたのでこれを改善するという発想がないみたいなんです。外国語会話の習得とジャズインプロビゼーションの習得プロセスは全く同じなので、この2つをよく並べて考えているのですが、同じ理由でなかなか上達できない状況にあると思います。来年あたり、この辺りに一つ石を投げて見ようと考え始めています。
ミャクミャク人気の裏にあるもの
関西万博のキャラクターのミャクミャク、あれ、最初の頃はめっちゃ不評だったのに、万博が終わる頃にはなぜか人気キャラになっていた。
この現象を見て思い出したのは出川哲郎氏。彼ってテレビに露出し始めた頃は気色悪い、みたいな印象の方が強かったけど、露出が増えるにつれていわゆる「キモカワ」的な感じでいつの間にか人気者になっちゃった。このパターンに酷似しているなぁ、と。まぁ面白くはあるけど品はない感じ。とは言え、街中でミャクミャクぶら下げて歩いている人は見たことないので、ミャクミャクのケースは報道が印象操作で国民をリードしようとしているだけなのかもしれませんが、こうした手法が社会的なスローガン的なもので使われかねないことに危惧を感じます。ネット言論の中ではかなり具現化しているように見えることにも若干の懸念を持ちます。
杞憂であれば良いのですが。