子猫使いのやすしの日々 -12ページ目

人間そうそう変わらないね

 変わらないものには不安も覚えるけど、同時に安心感も覚えます。それは自分自身もそうだし、自分以外もそう。
 それがはたしていいことなのか、よくないことなのかとかそんななんの実りもない議論はうっちゃっちゃって、今はこの高揚感をただ綴りたい。

 若い頃は常に変化を求めていた。変わらないといけない、変わらなきゃダメだと強迫観念に駆られていた時期があった。もちろんそんな自分に満足なんてできるわけなく、ぼくという自分なのに、自分以外の何者かになろうといつも考えていた。耳元にはいつもEvery Little Thingの「いつかさいこーのじーぶーんにー音符」という歌が流れていた。
 それは尊敬している人や、好きな人に直接言われたことによりそう考えるようになったり、自分の不甲斐なさや、かっこ悪さをもろに目の当たりにしたことからそう考えるようになった。
 そしてぼくはほんとうに変わったのかも知れない。でもその変化は自分も含めたすべての人が満足するような変化ではなかった。
 履き違えていた。好きな人は「昔はそんな人じゃなかった」と言う。あなたのために変わったのに。もうあなたが好いていてくれた昔の自分はどこかへ行ってしまった。もう昔のような関係には戻ることができなくなっていた。
 今ではそれもこれも全部自分の撒いた種だと消化することができるほどの年月が経って、もう昔のように変化を求めるようなことはなくなった。それでも「昔の自分」と思わしきことを電車に乗っていたり、仕事しているときにふと思いだすことはある。恥ずかしいような嬉しいような不思議な気持ちになる。一番近い感情は「昔の自分」をぶん殴って、その後に抱きしめてやりたい。
 
 まあそんなこんなで自分に関しては、変わったことがよかったのか、変わったことが悪かったのか、ほんとはなにも変わってなんかいないのか、今となれば判断することはできないが、自分と親しい人には変わらないことに安心感を覚える。
 「あー、やっぱお前だよ!」って最高に笑える。今日は酒がこりゃうめーわ。

 

リアル5

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 まあ、いい。ぼくに用があるのならまた電話の主は電話してくるだろうし。
 
 お腹も空いてきたことだし、パスタを茹でることにした。そういえばいつからぼくはパスタをスパゲティと言わなくなったのか。そうでもないか、ミートソースはスパゲティだな。
 ぼくはこのパスタを茹でる作業が好きだ。鍋に水をたっぷり入れて、コンロに火を付け、キッチンタイマーを7分30秒にセットする。適量の塩を入れ、水が沸騰したらパスタの束を入れる。こんな単調な作業だけど、どれか一つでも欠けるとおいしいパスタは出来上がらない。茹でる時間が長過ぎても短すぎてもダメだし、水以外ではダメだ。完成された流れなのだ。完成された流れは安心できる。過程と結果が一本に繋がる。
 水が沸騰したから、パスタを入れたところで電話が鳴った。箸でほぐさないと固まりになってしまうから迷ったけど電話に出ることにした。
 「もしもし、あたしだけど分かる?」
 少なくとも彼女ではない。声が完全に男だ。以前仕事をしないかと電話してきた怪しい男だった。
 「前に電話してきた人ですよね?仕事をしないかって」
 「そうそう、よく覚えててくれたわね。嬉しいわ。どうビジネスする気になったかしら?」
 茹でているパスタが気になった。もうほぐさないと固まってしまう。
 「今パスタを茹でているんで、また電話してくれませんか?」
 「またあなたはそんなもの作ってるの。たまにはゆったりしなさいよ。コンビニでお弁当買ったりしてさ」
 勝手なことを言わないで欲しい。ぼくはコンビニ弁当なんて食べたくないからこうやってパスタを茹でているのに。第一、コンビニ弁当なんて食べてたら人間ダメになる。ぼくはまた後で電話して欲しい旨を丁寧に伝え、電話を切りパスタへ走った。どうにかまだ固まってはいなかった。
 キッチンタイマーのアラームを止め、ザルに流し、ミートソースと混ぜ合わせた。
 そこでまた電話が鳴った。後でがこんなに早かったら、あっという間に年を取ってしまう。
 「もしもし、あたしだけど。もう食べ終わったかしら?」
 まだ箸すら付けていない。なんてせっかちなオカマだ。
 「それで、仕事の話しってなんですか?」(続)



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 もうこの話しやめましょうかね。飽きたわwww



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今(ナウ)を感じろ

 「ダーリンラムネを買ってきてー、一緒に飲みましょ帰り道♪」ときたもんだ!やっぱJITTERIN'JINNはいいですな。プレゼントといい、夏祭りといい、日曜日といい。すげーピクニック気分になれますもんね。別に今聞いていたわけでなく、電車乗ってて思い出しただけなんですが。

 では改めまして、本の紹介です。JITTERIN'JINNはなんにも関係ありません。

池袋ウエストゲートパーク/石田 衣良
¥570
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少年計数機―池袋ウエストゲートパーク〈2〉 (文春文庫)/石田 衣良
¥570
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骨音 池袋ウエストゲートパーク3/石田 衣良
¥570
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電子の星 池袋ウエストゲートパークIV (文春文庫)/石田 衣良
¥540
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反自殺クラブ―池袋ウエストゲートパーク5 (文春文庫 い 47-9)/石田 衣良
¥520
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赤(ルージュ)・黒(ノワール)―池袋ウエストゲートパーク外伝 (文春文庫 (い47-7))/石田 衣良
¥540
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(もうパート7まで出ていますが、まだぼくが読んでいないので紹介してあげません)

 出ました、IWGPこと池袋ウエストゲートパークです。
 主人公マコトが「今(ナウ)」の池袋の事件に巻き込まれたり、首を突っ込んで、基本的に解決したり、基本的に結果オーライになったりする本です。
 石平さんが書いた時点での「今(ナウ)」だから、今一作目とか読むとちょっとした昔話のように感じます。カラーギャングとか出てくるし。暴力全盛期の時代って感じです。そんな時代を感じさせる本ですが、今一作目を読んでも「今(ナウ)」を感じられるから不思議なもんです。
 一作目では高校を卒業したばかりで、やることもなく池袋をプラプラしていたマコトですが、五作目までくると立派なコラムニストになってます。この辺もかなり時代を感じます。「おまえも年を取ったもんだ」なんて笑ってると、自分の方が年を取ったことを思い出し、寒くもないのに震えてきたりします。
 ジャンプで連載していた「スラムダンク」の主人公、桜木花道も連載が始まった頃はぼくより年上でしたが、連載が終わる頃には年下になってました。
 つくづく年を取ったなと実感します。そして自分の歩いてきた道を振り返ったときに愕然とします。なにがそこに残っているのかと。
 たいしてがんばることもしないで、上ばかり見ているからこんな風に思うんだけど、この現状に満足できてはいないことにまだ安堵します。これで満足なんてしちまったら人生終わりだとすら思います。
 
 どれだけ時代が移り変わっても、IWGPやスラムダンクやJITTERIN'JINNのように色褪せることなく心に残り続けるものもあります。こういうのってなんかいいですよね。



 

夏はまだ終わらないみたいだ

 3連休終わってしまいましたね。これからなにを楽しみに生きていけばいいんだ・・・としょぼくれてたのも束の間、来週も3連休じゃねーかよ。わお
 東京も9月とは思えない暑さで残暑を盛り上げてくれている、まだ夏は終わらない!レッツエンジョイまだサマーってことで本の紹介します。


ボロボロになった人へ/リリー・フランキー
¥1,470
Amazon.co.jp
(文庫化されてます)


 「東京タワー」でおなじみのリリーさんの本です。
 ぼくは東京タワー読むまでリリーさん好きだったんですよ。
 リリーさんの作品は「美女と野球」とか「誰も知らない名言集」とかそういったエッセイ?は好んで読んでいました。東京タワーも早く読みたいなと、文庫化を心待ちにしていたところ、友人から借りることができ、読んでみると「なんだよこれ、ノンフィクションじゃねーかよ」となにか沸々と怒りが沸いてきました。読み終わる頃には「あーもう!」ってなってました。
 面白いんですよ、東京タワー。そりゃあれだけ売れるわって思います。感動もするでしょうし。でもぼくは読んだタイミングが悪かった。ぼくが東京タワーを読み始めた頃に、親族が病気で入院しだして、読み終わる頃にその親族は亡くなりました。だからきっと東京タワーがフィクションだったら好きな作品になれたんだとは思うけど、ノンフィクションだからむかつきました。こんなことを小説にするんじゃないと。
 ぼくなんかがどうこう言えるようなことではないですから、ぼくなんかがどうこう言えるんですが、本当に悲しかったのならそれは心にしまっておけとか思ってしまうんですよね。自分の中で二番目以降に大切なものならどんだけ誇張しようが、同情を求めようがいいとは思うけど、一番大切なことは書いたらいかんと。
 まあ、ぼくの場合負の感情ではあるけれど、読み手にこれだけ余韻を与えるというのはすごいことだと思います。
 で、本題のこの「ボロボロになった人へ」ですが、まあまあ面白いんじゃないですか。ぜんぜん紹介になってないですし、ムジョムジョしててぜんぜんレッツエンジョイまだサマーじゃないですが、こんな日もありますよ。
 じゃあなんでそんな本読んだかって?そんなもん面白そうだからに決まってるじゃないですか。





憧れの男性像

 やっぱり豚はいいですね。惚れちまいそうです。
 
 もちろん豚は豚でも松屋とかで食べられてる豚じゃなくて、この豚。


紅の豚
¥3,701

 
 飛べる豚こと「紅の豚」です。今日だけで2回も連続で見てしまいました。

 たしか「紅の豚」が公開されたのが小学5年か6年くらいのときだったんですよね。あの豚の名台詞「飛べない豚はただの豚さ」が小学校でも蔓延していて、当時ちょっとした肥えた豚予備軍だったぼくは、その台詞に対して憤りというか、嫉妬というか、複雑な感情をもっていたような気がします。
 そりゃあんたは飛行機で飛べるからいいさ。でもぼくはしがない小学生なんだから飛ぶことなんてできないよ!なんて青臭いことを。
 だから見ていなかったんですよ。
 で、中学のときくらいにテレビで放送されてたからなんの気なしに見たんですよね。泣きそうになりましたよ。豚がかっこよくて。「おれはなんて小さな男なんだ。これからはあの豚のような大きな男になろう。」と考えたんだと思います、当時のぼくは。それくらい豚はかっこよかった。

 豚の初見から早、10年以上の時が流れ、再びブラウン管上で豚との再会を果たしました。基本的にジブリ作品は好きなんで、たぶんすべての作品を3回以上は見ていると思うんですが、この豚だけはあの中学のときに見た以来一度も見ていなかった。
 正直少し不安でした。中学生のときはあんなに惚れ込み、夢中になった豚だけど、今あのときのような情熱が蘇るのかどうか。もしもめちゃめちゃつまんなくて冷めた眼差ししか向けられなかったら嫌だなとか。
 そんな心配は杞憂に終わりました。むしろあのとき以上の情熱がぼくのハートを焦がしてます。かっこいいんだ、あの豚マジで。エンドロール流れたときちょっと泣きそうになりましたもん。

 これからもあの豚のような男を目指そう。中学の頃とたいして変わってない自分に安心と哀れみと愛情を感じました。