097 信仰の醍醐味
私は信仰の味について世人に告げたいのである。天下何ものにも味のないものはない。物質にも、人間にも、生活にも、味のないものは殆どあるまい。人生からこの味を除いたら、文字通り無味乾燥全く生の意欲はなくなるであろう。従って人間が生に対する執着の根本は、味による楽しみのためである――といっても過言ではあるまい。信仰にも味のある信仰と味のない信仰とがあるのは当然である。ところが世の中は不思議なもので、恐怖信仰というのがある。それは神仏を畏怖し、戒律に縛られ、窮屈極まる日を送り、自由などは全くなく、常に戦々兢々たる有様で、こういう状態を私は信仰地獄というのである。 本来信仰の理想とするところは常に安心の境地にあり、生活を楽しみ、歓喜に浸るというのでなければならない。花鳥風月も、百鳥の声も、山水の美も、みな神が自分を慰めて下さるものであるように思われ、衣食住も深き恵みと感謝され、人間は固より鳥獣虫魚草木の末に至るまで親しみを感ずるようになる。これが法悦の境地であって、何事も人事をつくして後は神仏にお任せするという心境にならなければならないのである。 私は常に、どうしても判断がつかぬ難問題に逢着して時、神様にお任せするという事にして、後は時を待つのである。ところが想ったよりもよい結果を得らるる事は幾多の体験によって明らかである。殆ど心配したような結果になった事は一度もないといってもよい。また種々の希望を描くが、その希望よりも必ず以上の結果になるから面白い。こういう事もある。何か悪い事があるとそれを一時は心配するが、きっとよい事の前提に違いないと思い、神様にお任せしていると、必ずよい事のための悪い事であった事が分り、心配したのが馬鹿らしくなる事さえ往々あるので、実に感謝に堪えない事がある。要するに私は奇跡の生活者と思っている。私が言う信仰の醍醐味とは即ちこのような次第である。