世の中の人ばかりじゃない、信者でもそうだが、よく行き詰りという言葉を発するが、これはものの真相を弁えないからで、何事も行き詰りがあるから発展するので、つまり行き詰りじゃないわけで、ちょうど駈け出しすぎては息が続かないから一休みするのと同じわけで、いわば節である。これは竹を見ても分る通り、伸びては節ができ、伸びては節ができるから丈夫に育つので、伸びるばかりで節がなければ、あの強靭な竹とはならないのである。従って節の少ない竹ほど弱く、節の多いほど強いのはそういうわけである。このようにすべては自然が教えているから、何事も大自然をよく見つめれば物事はたいてい分るはずである。  右は自然の行き詰りについて書いたのだが、困ることには人為的に行き詰らせる人も少なくないので、これこそ叡智が足りないためで、こうすればこうなるという先の見通しがつかないからである。こういう人こそ壁に突き当たって二進も三進もゆかなくなるのであるから、これを読んだらよく心の奥にしまっておき、行き詰った際、振り向いてよく考えてみれば分るはずである。それによって何処かしら間違っている点に気が付けばいいので、人間は不断からせいぜい知恵を磨いておくべきで、それにはできるだけみ教えを拝読すべきである。