016 世界人たれ
これからの人間は世界人にならなければ駄目だ。これについて面白い話がある。終戦直後ある軍人上がりの人が私の所へ来て、憤懣に堪えない面持で「今度の降伏はどう考えても分からない。実に怪しからん」と言って、憤慨しながら話しかけるのだが、私の方はさっぱり気が乗らないので、彼は呆れたらしく曰く「先生は日本人ですか」と聞くから、即座に私は「日本人じゃない」と答えると、彼はぎょっとして、震えながら「では何処の国の人間ですか」と聞き返すので、私は言ってやった。「つまり世界人なんですよ」-その言葉に、彼はぽかんと気の抜けたような顔をして、その意味の納得のゆくまで説明してくれろと言うので、私も色々話してやったが今それを土台にして書いてみよう。 元来日本人とか中国人とか言って、差別をつけるのが第一間違っている。あの頃の日本人がそれで、日清、日露の二回の戦役に勝ち、急に一等国の仲間入りをしたので逆上せ上がり、日本は神国なりなどと、何か特別の国のように思ったり、思わせたりして、遂にあのような戦争まで引き起こしたのである。そんなわけだから、他国民を犬猫のように侮蔑し、その国の人間を殺すなど何とも思わず、思いのままに他国を荒らし回ったので、遂に今日のような敗戦の憂き目を見る事になったのである。そのように自分の国させよけりゃ、他人の国などどうなってもいいというような思想がある限り、とうてい世界の平和は望めないのである。これを日本の国だけとして例えてみても分る。ちょうど県と県との争いのようなものとしたら、日本内の事であるから、いわば兄弟同士のいがみ合いで、簡単に型がつくに決まっている。この道理を世界的に押し拡げればいいのである。かの明治大帝の御製にある有名な「四方の海みな同胞と思う世に など波風の立ち騒ぐらむ」即ちこれである。みんなこの考えになれば、明日からでも世界平和は成り立つのである。全人類が右のような広い気持になったとしたら、世界中どの国も内輪同志というわけで、戦争など起こりようわけがないではないか、この理によって今日でも何々主義、何々思想などといって、その仲間のグループを作り、他を仇のように思ったり、やれ国是だとか、何国魂とか、何々国家主義だとか、神国などと言って、一人よがりの思想がその国を過らせるのみか、世界平和の妨害ともなるのである。だからこの際少なくとも日本人全体は、今度の講和を記念として世界人となり、今までの小乗的考えを楊棄し、大乗的考えになる事である。これが今後の世界における最も進歩的思想であって、世界はこの種の人間を必要とするのである。話は違うが宗教などもそれと同じで、何々教だとか、何々宗、何々派などといって、派閥など作るのはもはや時代遅れである。ところが自慢じゃないが本教である。本教が他の宗教に対して「触るるな」なとというけちな考えは些かもない。却って触るるのを喜ぶくらいである。というのは本教は全人類を融和させ、世界を一家の如くする平和主義であるからで、この意味において、本教では如何なる宗教でも仲間同士と心得、お互いに手を携え仲良く進もうとするのである。