009 お説教
昔から宗教と名の付くものは、例外なく戒律が主となっており、それをお説教によって教えたのは誰も知る通りであるが、我が神慈秀明会に至っては、お説教が非常に少ないのは信者も知る通りで、これに対し幾らかの疑問をもっている人もあるであろうし、また未信者から聞かれた場合その理由を話さなければならないであろうから、それを書いてみよう。言うまでもなく宗教の目的は、改過遷善にあるのだから、それには魂の曇りをとる必要がある。魂さえ清くなれば、悪い事はできなくなり、世のため人のために善を行なう立派な人間になるからである。 それに対し耳からの教えによって、魂を清める手段がお説教であり、目からと言霊からそうするのが、バイブルや経文、お筆先等であるのは勿論だが、本教は耳から目から、また言霊でも清めもあるにはあるが、それらは従であって、主とするところは浄霊である。何となれば五官を介して清めるのは間接的方法であって、見えざる魂に向かっての体的方法であるから、効果の薄いのは勿論である。ところが本教浄霊に至っては、直接魂に向かって霊光を注いで清めるのであるから、その効果たるやとうてい体的の比ではない。ちょうど病気の治り方と同様、他の療法をさんざん行なっても治らない病気が、短期間にわけなく治るにみても明らかである。 右の如くであるから、いつも言う通り本教は宗教ではなく、超宗教といってもいいのである。そうして宗教をは読んで字の如く、宗祖の教えであって、教えによって人心を済度するのが建前となっているが、前記の如く本教は、教えは第二、第三で浄霊によって人を善化するのであるから、第一手数も時間もかからずして、効果百パーセントというわけである。実に宗教以上と言っても敢えて過言ではあるまい。そんなわけで今は適当な名前が見当たらないので、仮に神慈秀明会と名付けたまでである。これも今までにこのような素晴しい救いがなかったから名称もないので、また止むを得ないといえよう。強いて言えば救いの光とでも言うより外に言葉はないであろう。