昔名刀をつくるには火で焼を入れ、鎚で叩いては水に突っ込み、これを繰り返す。所謂鍛えるのである。この理は人生にも当てはまるが、実に面白いと思うのである。  本教が開教後日を経るに従って、毀誉褒貶、叩かれたり煮え湯を浴びせられたり、ひやっというような冷水に突っ込まれたりする事がたびたびある。  これは何故かと人から聞かれる。私は右に対し名刀の例えを言うので、相手はよく了解するのである。  この事は昔から人並外れたような仕事をする者は、例外なく名刀的苦難を嘗めるものである。これを宗教上からいうと、神は使命の大きい人ほど大きい苦労をさせるとの事であるから、寧ろ喜ぶべきである。