この星に光を分かち合いに来た仲間たちへ

どんなに素晴らしい教えも、囚われると制限となり、真理が観えなくなる。
すべてを受け入れ、超えて行け!!
何事においても、
これだと思うものが見つかったら、
脇目も振らず、
一心にそれを深める事。
そうしたら、
それがもうこれ以上先に導けない地点に到達する。
すると、
その先に導くものが現れる。
そうしたら。
一心にそれを深める事。
そうしたら、
それがもうこれ以上先に導けない地点に到達する。
すると、
その先に導くものが現れる。
そして、
辿り着くのは、
ハートの奥に在る本来の自己。
無限なる意識・光。
9月に入ってから、
オステオパシーの限界を感じ、
新しい整骨院に通っています。
そこで、
体のあちこちを深く観てもらい、
再統合のプロセスが始まっています。
そして、
この数年、
エネルギー的な再統合に
深く取り組んできた結果、
体の再統合に導かれてると感じます。
この星で、
人間として楽しむためには、
エネルギーだけでなく、
体のケアもとても大事だと
改めて感じています。
エネルギーはシンプルですが、
体は、いろんな筋肉や靱帯や内臓が
複雑に絡まり合っているので、
それに精通してる人は、
素晴らしいと感じます。
新しい整骨院で体験する施術で、
この1年半、オステオパシーに通っている間に感じていた
いろんな違和感や疑問の答が、
明かされています。
正直、
この1年半は、何だったんだ!!
という思いもありました。
そして、
その思いの下にあった
怒りや悲しみや無力感に氣づいて、
受け入れ癒したら、
どんなに素晴らしい教えも、
それに囚われると制限となり、
真理が観えなくなる。
という事を
改めて氣づかせてもらいました。
それは、
OSHOの教えについてもそうでしたし、
サトルボディヒーリングについてもそうでした。
私は、
1997年頃から受け始めた、
リバランシングというボディワークが、
OSHOの世界の入り口でした。
セラピストが、
瞑想の境地から体に触れ、
自分でも、
触れられてる場所に意識を向け、
呼吸でエネルギーを送ることで、
頭に集中したエネルギーを体に戻すよう
導かれました。
その時、
寝てるでもなく、起きてるでもない、
不思議なスペースに誘われ、
これは大事なものだ。
いつもこの状態で居たい。
そう感じたものでした。
しかし、
日にちが経つと段々と失われ、
元に戻ってしまう。
そこで、
隔週でセッションに通いました。
1年ほど経過した時、
セラピストの人が開催している
瞑想会に誘われました。
そこで初めて、
OSHOクンダリーニ瞑想を
体験しました。
そして終わった時、
あの寝てるでもなく、起きてるでもない、
不思議なスペースに導かれてるのを
体感しました。
そして、
その瞑想会に参加する内、
都内のあちこちで、
同じような瞑想会が開催されている事を知り、
参加するようになりました。
当時は、調布に住んでいて、
国分寺や三鷹などで、
開催されていたのでした。
当時は、
インターネットも普及していらず、
瞑想会の情報がFAXで送られてきていたのでした。
そして、
1999年の秋、
タントラ瞑想会に参加し、
ノリノリの音楽で思い切りダンスして、
深くゆったりした音楽で、
早く深い呼吸をして、
男女がペアになり繊細に触れ合うことで、
生きてる喜びを体験したのでした。
そして、
さらに頭に集中したエネルギーを
体に戻すことが深まったのでした。
それから、
途中ブランクはあるものの、
東京を離れる2018年春まで、
参加し続けました。
OSHOの世界に入って、
それまで体験していたスピリチュアルな事が
頭の中の概念に過ぎないことを感じ、
とても幼稚に案じたものでした。
そして、
2001年1月、
インドのプーネに在る
OSHOのアシュラムに瞑想しに行き、
この内なる魂の道を進むという覚悟で、
テイクサニヤスし、
Deva Ambhoと言う名前を貰ったのでした。
Devaは、divineで、
神聖という意味であり、
devilの語源でもある。
そう聴いて、
天使のように生きた生もあれば、
悪魔のように極悪非道に生きた生もある
自分にとってピッタリな名だと感じものでした。
Ambhoは、lotusで、
蓮です。
当時の自分は、
暗い水の底の泥の中を這いずり回るような
苦しい人生を生き続けていたので、
そこから、
暗い水の中を進み続けて、
やがて水面から顔を出し、
嵐にも負けずに進み続けたら、
やがて花開くのだろう。
これもまた、
自分にぴったりの名だと
感じたものでした。
今にして思えば、
他のサニヤシンのように、
OSHOの弟子にならなくて良かったと感じます。
とは言え、
当時からずっと、
スピリチュアル=OSHOで、
他のものは頭で考えて作り出した取るに足らないものだと感じ、
OSHOワールドに集中して、
脇目も振らずに専念していました。
でも、
氣がついたら、
その世界からはみだしていました。
OSHOの世界には、
私を救うものは無かったのでした。
その時、
OSHOのサニヤシンなったのではなく、
内なる魂の道を進むという覚悟で、
テイクサニヤスした良かったと
感じたのでした。
また、
サトルボディヒーリングもそうでした。
2008年8月、
体が壊れ死に掛けた後、
サトルボディヒーリングに出会い救われ。
2009年7月、
自分自身を癒すため、
トレーニングに入りました。
そして、
2011年3月、卒業した後も、
天命を生きるや、
エッセンシャルライフ・コンサルティングや
ハート瞑想ティーチャートレーニングなど、
アドバンスなトレーニングに参加し続けながら、
サトルボディヒーリングの再受講もし続け、
深め続けました。
8年癒し続け、
楽になり、
楽しくなりながらも、
手も足も出ないものがありました。
そして、
もう一度内側深く瞑想するよう導かれ、
サトルボディヒーリングも手放すよう導かれました。
その後、
ハートの奥に在る本来の自己に目覚め、
ハートチャクラを中心とした
サトルボディヒーリングでは手も足も出なかったものが
父親への恨みだとわかりました。
そして、
酷い事をされ続けて育ったから、
恨んで当然だと思っていたけど、
この恨みは自分の中にある。
という事は、自分の物だ。
これを持ち続け恨み続けるも、
これを受け入れ癒すも、
自分の責任だ。
そう氣づいた時、
溶けて消えていたのでした。
そこから、
ハートの奥に在る本来の自己から、
サトルボディヒーリングの手法を使って、
自分自身を癒すことが始まりました。
そして、
クライアントさんにヒーリングする際も、
ハートチャクラではなく、
ハートの奥に在る本来の自己から、
ヒーリングするようになりました。
そして、
クライアントさんに対しても、
私を信じるのではなく、
あなたのハートの奥に在る本来の自己に
戻り目覚める事が一番大切な事
と言うスタンスで、
関わるようになったのでした。
あなたの現実を作っているのは
あなたで
あなたの人生の主人公も
あなたです
無意識に
悩み苦しむ現実を
作ることもできれば
感情を癒して
自由で楽しい現実を
創造することもできます
あなたも
過去の傷や感情を癒して
愛に満たされて幸せな
本来の自分に戻りませんか?
いつも応援しています
愛と感謝と共に
Deva Ambho
自分一人では
どうしたらいいのか
わからない
そんなあなたには
サトルボディヒーリングの
一つ一つ丁寧に
ガイドしていくので
安心してお任せください
◆ダメな自分を認めたら、得意なことを頑張れるように、みんなが手伝ってくれるようになりました。
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◆【感想】傷つくことを恐れてすべてを無くしていたけど、今は、傷ついてもいいから愛したい愛されたい。
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ここで提供しているセッションは
対面・電話・Zoomで
世界中どこにいても
受けることができます
本氣で変わりたい人のための継続セッション
思考との同一化に戻るのを防ぐため
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フォローアップを組み込んで
継続的に進化していく
ハート瞑想の個人セッション
内なる感性を目覚めさせ
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7つのチャクラを
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大地から宇宙へつなぐ
真我覚醒セッション
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ディヴァイン・ロータス
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サトルボディヒーリングはこれまで、
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