10日前の2025年10月18日は、中華民国台湾省(通称:台湾)の国民党党首選挙の投開票日でした。
元立法議会議員(日本でいう国会議員)の鄭麗文が当選し、対中への融和を方針として示しておりました。
国民党といえば、常日頃からしょっちゅう視聴している香港の国際ニュースチャンネル『鳳凰衛視(Phoenix News)』をいつものように見ていた今月5日、時期的に中秋節ということもあり「两岸同胞迎中秋联谊活动(両岸の同胞が中秋節を一緒に祝う)」茶話会交流をしておりました。

「國民黨堅持反台獨促兩岸和平(国民党は台湾独立に反対し、両岸の平和を推進することを主張している)」との意思を国民党副主席の宋涛興が表明した、といった報じられ方(画像の青地白抜き文字の部分)でした。

まあ、国民党が台湾独立に反対...と言われても歴史的経緯から見れば個人的には腑に落ちます。
孫文や蒋介石の行動とその動機などからして、彼らの悲願は台湾島の独立ではなかったわけですから。
蒋介石と生前に複数回会ったことがある岸信介にも「大陸反攻」の意思を開陳していた様子。
孫文や蒋介石の悲願を汲むならば、国民党が台湾独立に同意しないのは無理もないと思います。
こういった歴史的経緯の概略すらまったく知らない過半数の本邦民の場合、「最初から独立国だった台湾を中国が手に入れたがっている」という勘違いをしている(米国人にもホワイトハウスにもこういう人が多そうなのがまた困る)様子もちらほら見受けられるのですが、乱暴に端的に言えば「中台どちらが”中華の国の盟主となるのか?」といった頭目争い的な流れと解釈したほうがよいでしょう。
現に台湾の憲法は「中華民国憲法」ですし、
https://www.roc-taiwan.org/jp_ja/cat/15.html
スポーツの国際大会では台湾の出場チーム名は「中華台北(Chinese Taipei / チャイニーズ・タイペイ)」です。
この名称は、1990年の第11回北京アジア競技大会を前にその前年度に中台が話し合って決定したものだとのこと。
今月10月5日の茶話会には台湾の民間人も参加していた模様。
台湾島の先住民である民族を除くと、基本的には中国大陸から渡っていった人が多くを占めており、そうなると家族親族は中国ルーツ。
家族親族と会いたいときに会えて先祖のお墓まいりがしたい人は、中台両岸がせめて喧嘩せずにいてほしいのは人間の感情としては当然のことだと思います。


一方の中国側はどうか?というと、20年前の2005年に「反分裂国家法」という法律を制定しており、同法の趣旨は「台湾との再統一は平和路線を基本とし、友好的交流と相互理解に努める」という感じの内容。
(↓は同法の邦訳全文。出典は「李登輝友の会(李登輝は元中華民国(台湾)総統」Webサイト)
http://www.ritouki.jp/wp-content/uploads/2015/02/20050326.pdf
上記のことを踏まえ、さらに米国の対外工作史の放埓な暴虐さの数々を調べている身としての目線では、経済学者ジェフリー・サックスが言うように「中台当事者たちの話し合いを邪魔しないように米国の介入を止めなくてはならない」が我々日本人がするべきことで、それと同時に米国に煽られて日本がへたに介入しないようにしないといけないのですが、米英目線の情報しか従来のマスメディアで流れない我が国日本では政治家も国民も「米国が言えばデマでも何でも信じる」傾向は割と濃厚。
困ったものだなあ...と思います。(ため息)
ちなみに。
「台湾有事」なる概念を創造し、日本をも煽り続けていた米国のランド研究所が直近で出したレポートには
https://www.rand.org/content/dam/rand/pubs/research_reports/RRA4100/RRA4107-1/RAND_RRA4107-1.pdf
・アメリカは中国に勝てないと理解し、共産党の正当性を認めて共存しないと滅びる。
・アメリカは台湾独立派を抑え、共産党の統一に協力すべき。
といった内容が記載されるようになりました。
今日も鳳凰衛視(Phoenix News)のニュースライブ配信を見ていたら、「国連で台湾光復80周年をめぐる会議」がちょうど開かれたばかりだという報道。
この場合の「光復」という言葉が意味するところは「日本の植民地支配から解放され、主権や領土を取り戻すこと」です。
我々日本人は、米国が創造して煽り続けてきた「台湾有事」のおとぎ話に夢中になるのではなく、「台湾の光復(植民地支配からの解放)は日本からのそれだった」ことをまずしっかり認識する必要があるのだと考えます。
そして、米国や英国をはじめとする西側エスタブリッシュメントの煽りにただ乗るのではなく、どのような選択が我々日本人自身の平和で安寧な生活のためになるのか、と考えるべきなのだろう、と個人的には思う次第です。
※おまけ
1980年代後半の香港映画『プロジェクトA2』、監督・脚本・主演を務めたジャッキー・チェン演じる主人公が「英領香港下の警察官でありながら、知り合った革命党員たちに対して各人の選択だからと孫文の革命精神を一方的に否定しない」くだりがあります。
さまざまな歴史的背景を鑑みてそこへの考察を深めていくのも、鑑賞としてはまた興味深いことなのかもしれません。
シンプルな二項対立のストーリーに煽られると、見えるものも見えなくなってしまう...と、幼少時や若い頃の自分を振り返ると痛感させられるからです。
昔の自分を他山の石としたく存じます。