脱!マイナス思考。~私の母はパチンコ依存症~ -7ページ目

1年前を振り返る 

今、ホカーイドウでは夕方に「特命係長 只野仁」 が再放送されています。


う~ん、くだらないけど面白いw

でも深夜に放送していた「お色気ドラマ」を夕方に放送していいのか?(爆




昨日の記事にたくさんのコメント、ありがとうございました。

ちょっと私の説明が足りなかったばかりに、勘違いをさせてしまいましたね。



現在の私は健康体そのものです。

問題があるとすれば・・ちょっと?人よりエロいぐらい(笑



ですので心配かけちゃったこと、この場で誤ります。本当にごめんなさいね。




「病は気から」


という言葉がありますよね?これは本当だなと思います。


と、いうのは知っている方もいると思いますが

私は今年に入ってセカンドオピニオンを受け、「難病」というのが「誤診」だったと分かりました。


そう、難病ではなかったんです。


結果として考えてみると

難病でもないのに厳しい食事制限をしたり、薬を飲んでいたことになります。


この真実が分かるまでの間、私はたまにですがイライラが募って

食べてはいけないもの(ケーキとかお肉とか)を食べました。


そして案の定、具合が悪くなりました。




「ああ、やっぱり。

食べてはいけないものを食べたから具合が悪くなってしまった。」




でも・・その時点ですでに難病ではなかったんです。



つまり



自分が「難病」だと思い込んでいることで、体が「難病」になってしまった。



これは怖いですよ。



セカンドオピニオンを受けていなければ、私は今でも「難病」だと思い込んだまま

体もその思いを受けて「難病」になっていたかもしれないのだから。



事実・・



セカンドオピニオン時に「難病の可能性が低い」と言われてから

何を食べても平気になりましたから(苦笑

検査結果が出る前だったのに・・ ←気が早い


うーん、単純w



笑っちゃうでしょ?

でも当の本人はすごく嬉しかったですよ。


「私、難病じゃなかったよ!」って旦那様へ伝えた時

旦那様の声がかすかに震えていたのを今でも覚えています。



戦ったのは私だけではないのです。

旦那様も一緒に戦ったのです。



食事も私が辛い想いをしないよう一緒に食べる時は

まったく同じものを食べてました。

これはなかなか出来ないことだと思います。



今までの記事の中で

「難病」に触れた記事がいくつかあるので載せておきます。





ありがとう、ありがとう。


むしぱん と ケーキ


モブログ…


1人の時間


セカンドオピニオン


私の天敵です


私の雛祭り(*´д`*)


セカンドオピニオンのその後




今日はなんとも不思議な気分です。


「難病」と言われた1年前を

笑って振り返ることが出来る私は本当に幸せものだと思います。








もうすぐです。

暑い・・・


今日のホカーイドウは暑いです。


ちょっと前は寒くてストーブ出すか!?って感じだったのに。
こういう気温の変動が体調を崩す元となります。
皆様もお気をつけてw


さて。今日はちょっと真面目なお話。
エロじゃないのでエロを求めて来た人はお帰り下さい(笑






もうすぐ・・1年が経とうとしています。

去年の今頃、私は突然具合が悪くなり入院しました。


その入院生活は18日間と長くなかったのですが

「難病」と診断されたことは私の人生の中でベスト3に入るくらい衝撃的で。。


今でも思い出します。

主治医に「難病」と言われた時のことを。




なんで?

どうして?

えっ、私は死んじゃうの?




主治医の言葉が足りなかったばかりに「難病」=「死」と思ってしまったんです。

まあ・・絶食&24時間点滴でみるみるうちに痩せていってる状態だったので

普通の精神状態じゃなかったのかも知れません。


「死」を意識したのはこの時が初めてです。


まさに目の前が真っ暗になりました。


1番最初に気にかけたのは周囲のこと。






私が死んだら旦那様はどうしよう?


旦那様の両親にもどうやってわびよう?


子供が欲しいと言っていた旦那様の願いをかなえてあげられなかった。


でももし産んでいたら・・母のいない子になるのだから産まなくて良かったのかな?






これは自分でも意外でした。私、結構自己中ですから(笑



幸い、死ぬわけでは無いと言うことが分かり安心しましたが

「難病」という言葉の意味



1.治りにくい病気。難症。

2.特定疾患」の俗称。





この現代医学において「治りにくい」病気・・

一生付き合っていくということです。


これが私を苦しめました。


毎日飲む薬は「完治する為」の薬ではなく「再発防止」の為の薬。

「再発」を防ぐ為の厳しい食事制限。


スーパーへ買い物へ行っても

何も買わずに戻ってきたことが何度あったか。


手に取るものの殆どが「食べちゃいけない」ものだった。


スーパーで涙ぐんで・・今でも思い出すと辛いです。



「自分で何でも食べてみてダメなようなら次は食べるんじゃない。」

という栄養士と

「なるべくOKなものだけを食べなさい。具合が悪くなるといけないから。」

という栄養士がいます。



私を担当した栄養士は後者でした。


あんな苦しい思いを二度としたくないと思っていた私は

言われたとおりにOKなものだけを食べます。


でも・・やっぱりいろいろなものが食べたいんですよ。

お酒だって飲みたいしね。


イライラしている私を見て、旦那様が「ちょっとぐらい食べても大丈夫だよ。」と

食べ物を薦めたことがありました。



「貴方は私がどれだけ苦しい、痛い思いをしてきたかわからない。

だからそんなことが言えるんだ!」



酷いことを言ったなと思います。

でもあの時の私は、自分のことしか考えられなかったのですね。


不思議なものですね・・

「死」を意識した時は周囲を思いやったのに

「生」が見えたら自分のことしか考えられなるなんて・・



長くなりそう・・これから出かけるのに(苦笑

とりあえず一旦区切ろうかな。

明日もつまらない記事になりまーすw




私の居場所

泣~いて~♪

泣いてまたいつか泣~きやんだら~

ど~こか~おいしもの食べにい~きま~しょか~♪  




BY   B'z/「泣いて泣いて泣きやんだら」




こんばんは、ゆずです。


実は昨日ちょっとした「いざこざ」があり・・久しぶりに泣いてしまいました。


泣きすぎて頭が痛くなるなんて何年振りでしょう?


苛立ちから眠れなかったりして・・こんなこと、本当に久しぶりでしたよ(苦笑


それだけ最近は幸せに暮らしていたということですね。

何かあった時に実感する・・人間って愚かです、本当に。


そんな時に昨日書いた記事が「パチンコ」の記事だったこともあり、

たくさんの温かいコメントを頂いてまたまた泣いてしまい・・・





目がボンボンですよ、まったく。




ど、どうしてくれるんですか!なんてね。


皆様、本当にありがとうございます。コメント、本当に嬉しかったです。

泣いても状況が変わるわけでもないのでもう泣きません。


何があったかはちょっと書けないのですが、悲しくて悔しく虚しくて・・そんな感じです。

誤解がないように書きますが旦那様と喧嘩したわけじゃないですよ~。




で、なんか今日は気分が晴れなかったので

ブログも更新しないでおこうかな~なんて思っていたんですよ。



すると旦那様が突然「ドライブに行こう」と言ってきました。



独身で互いが「彼氏」「彼女」の時、遠くまでドライブしては

車の中でイロエロなことをしてたりしましたが(笑

結婚してから仕事が忙しくなったこともあり、なかなかそういう時間が取れなくなっていました。




「そんなに遠くまで行けないけど、いい?」


「うん。いつものコースでしょ?」




いつものコース。

それは独身時代から変わらない道筋。

坂を登りきるとちょっとした夜景が広がる場所があり、私はそこが大好きなのです。




「これ、会社の人が焼いてくれたんだよね。」


「あ、新しいアルバム?やった~聴きたかったの~♪」




アーティスト: ゆず
タイトル: HOME [1997-2000]
アーティスト: ゆず
タイトル: Going [2001-2005]


以前「欲しいCD」と言っていたものです。

買わずにすんじゃいました(汗







「この歌いいよね。」


「うん。」


「あ、これはLIVEで歌ったね。良かったよね~。」


「うん。」


「あ、歌詞間違えて歌ってたよ、今(笑」


「えっ!ま、間違えてなんかないよ(慌」




大好きな歌を2人で口ずさみながら約1時間のドライブが終了。




「元気だせよ」とか


「気にするな」とか



そんなことは一言も言わない。



帰ってきたら即行寝てしまいましたが(笑

私のことを思って気晴らしにと誘ってくれたのでしょう。




どうもありがとう、旦那様。




貴方がいるから今の私がいると言っても過言ではないのです。


再会の果て 3


「もしもし?」


「あ、お姉ちゃん。お母さんよ。」


「どうしたの?」


「あ、うん・・・久しぶりにうちへ来ないかなって思って。

ご飯、一緒に食べようよ。」


「え?」


「お姉ちゃんの好きなモノ作って待ってるから。ね?」


「お金かかることしなくていいよ。」


「お母さんが大丈夫って言ってるんだから!ねっ?」


「・・・・・うん、わかった。」




電話があったことを妹に告げると

「お姉ちゃん1人でいけば?」と言われた。思ったとおりだ。


前回の入院で少しは母に対して心を開いた妹だが、

自分が元気になってしまえば母のことなどどうでもいいのだ。


休みの前日、仕事先から実家へと向かう。




「よく来たね。今ご飯よそうから座ってな。」


「・・・うん・・・。」




妹が入院した時に迎えに行った時、家の中は荒れ放題だった。

自分の身の回りにまで気がまわらない・・それは生活がギリギリだったことを意味する。


綺麗に整頓されている家の様子に私は胸をなでおろした。




「この前の休みなんかね、暇で暇でうちにあるカーテン全部洗ったんだから!」





母のテンションはどこか異常で、しばらくぶりの来訪者に興奮していると見てとれた。




「あっ、ハンバーグだ!」


「そうよ~お姉ちゃんが久しぶりに来てくれたんだから!

いっぱい作ったからね。」


「お金・・出すよ。無いでしょ?」


「何言ってるの!大丈夫だから。ほら、早く食べなさい。」





母の手作りハンバーグは私の大好物。

久しぶりの母の味を堪能し、私は昔の・・子供の頃に戻ったような気がした。




「やっぱり・・人がいるっていうのはいいねぇ・・。

1人で食べるご飯より2人で食べるご飯の方がずっとずっと美味しく感じるよ。」


「・・・・・・・・・・・。」


「○○(妹)は・・やっぱり来たがらなかったか・・。」


「・・・仕様がないよ。ああいう性格だもん。」


「・・・そうね。元はと言えばお母さんがバカなことをしたからだものね。」


「・・・・・・・・・。」




不思議な感覚だった。

母の問題はまだ何も解決していない。借金だって残っている。

妹の貯金をパチンコに使ってしまった母に対する怒りだってまだ残っているというのに

私は母に同情してしまったのだ。


私達がいなくなって・・母は毎日1人で食事をしている。

私達がいなくなって・・母は毎日話相手もいない。

あんなに狭かった実家がこんなに広く感じるなんて・・




「お母さん、今困ってることはないの?」


「えっ?・・・仕事を2つもやっているからね。体はキツイけど・・・

でも早く借金を返さないといけないから頑張るしかないよ。」


「本当にお金、大丈夫なの?」


「大丈夫だって。」


「どこか延滞してるんじゃない?ガスとか電気とかきちんと払ってる?

家賃だってあるんだし・・・消費者金融からの借金だけ払えばいいってわけじゃないんだよ。」


「ガスや電気は少しくらい待ってくれるから・・・。」


「やっぱり・・・それじゃダメなんだって!

催促がきてから払うようじゃダメなの!口座から引き落としにしてないの?」


「引き落しの口座と給料の口座が別なんだよね。」


「・・・・・・・・・・・・・。」




私はサイフから2万円を抜くと母へと手渡した。




「!お姉ちゃん、ダメ!」


「だって、公共料金延滞してんでしょ?」


「大丈夫だから!」


「大丈夫だからじゃないよ・・いつもそうじゃない。先を見てるの?お母さん。

このお金で延滞している分を払っちゃいな。」


「・・・でも・・。」


「本当は困ってるんでしょ?こんなハンバーグ作ったり妹のパジャマを買ったり・・

そんな余裕が無いことくらい分かるんだよ。」


「・・・・・・・・・・・。」


「お金が無いのに・・大丈夫、大丈夫って。

また金融会社から借りるから大丈夫って意味なの?」


「違うよ!」


「あのね、はっきり言ってその辺は信用できないの。

大丈夫って言って、陰で借金を増やすくらいなら私に言って!

勘違いしないでほしいのは毎回来られても私だって困る。私もお金が無いんだから。

本当に・・どうしようもなくなった時は・・・ね・・?」


「・・・・・お姉ちゃん・・・。」


「このお金、あげたわけじゃないよ。貸したんだよ。

金融会社からの借金も、親戚からの借金も払い終えたら返してちょうだい。

それならいいでしょ?」


「分かった・・必ず返すから。ありがとうお姉ちゃん・・・。」




サイフにお金を多く入れておいて良かった。

いつもなら・・500円しか入っていないのだから。

またしばらくは金欠の日々が続くだろうけれど母に比べればどうってことはない。


あの綺麗に整頓されている家を見た時に、少しの希望が見えた気がしたのだ。


母がまだパチンコを続けているのならカーテンを洗濯したりはしないだろう。

整頓をする時間があるのならパチンコへ行っているだろう。


今回は今までとは違う。

このお金は・・立ち直ろうとしている母へ貸したお金は

いわば「生きたお金」になるだろう。と。



帰宅の際




「今の家はどの辺なの?ここから近いの?」


「それは言えないよ。

お母さんが借金を返し終わるまでは言えない。

早く返して、また一緒に住もう?ね、お母さん。」


「・・・・・・たまには遊びに来てね。」


「分かったから・・じゃあ行くね?」




車のミラー越しに母の姿が見える。

いつまでも見ている母の姿を見ているうちに涙がこみあげてきた。




「泣き顔で家に帰りたくはない・・我慢しなきゃ・・。」







翌朝、お弁当の準備をしていると妹が気づく。




「あれ?このハンバーグ・・・。」


「これ?昨日お母さんが持たせてくれたんだよ。

たくさんあるからお弁当にも入れるね。」


「・・・・ふ~ん・・・・。」




まんざらでもなさそうな妹。


少しずつでいい・・少しずつでいいから昔のような関係に戻っていけたら・・

そう思っていた。




つづく



再会の果て 2




「血液の病気ってどういうこと?」


「それが・・白血病とか・・・。」


「嘘っ!?」


「まだ結果が出たわけじゃないから。ねっ?」


「・・・・・・・・・・・・・。」




母を送り、家へ帰ると

自分しかいない家の状況に涙が出てきた。



「早くこの家を出て妹と離れたい。」

「妹がどこかへ行けばいい。」






ギスギスした生活の中で思い続けていたことが

現実になろうとしている・・?


どうしてもっと早く気づいてやれなかったのだろう。


無理やりにでも病院へ連れて行けば良かった。



自分の今までの行動に後悔し、泣き続けた。

結果が出るまでの間、心配で食事も喉を通らなかった私は痩せてしまった。


妹は相変わらずダルそうで、その状態を見るたびに不安が募った。



ある日仕事帰りに病院へ行くと

見慣れないパジャマを着た妹が母と談笑していた。



「ああ、お姉ちゃんお疲れ。」


「あれ、お母さん来てたんだ。

こんなパジャマ持ってたっけ?」


「お母さんが買ってきたの。」


「ええ!?お金ないのに何やってんの?」


「色違いもあるのよ。ほら!」



母は紙袋からもう1枚、パジャマを取り出した。

どう見ても妹が好きではなさそうな柄。今どきクマの模様はないだろうに・・。



「お金無いんだから、そんなことしなくていいって!」


「何言ってるのよ。病院で1日中横になってるんだから汗だってかくんだし、

可愛いパジャマ着てたら気分もいいでしょう?

大丈夫、これ安かったから!」


「で、でも・・・。」


「お母さんに出来ることはこれくらいなのよ。」


「・・・でもクマはないよ、クマは。」


「えっ?」



私と母のやりとりを見ている妹は、なんだかとても穏やかな表情をしていた。


母の元を離れて2人、暮らしてきた日々。

親からの干渉もなく自分勝手にしていた妹だったが、

心の奥底ではやはり母を求めていたのだろうか。。。


時間があればバスに乗ってやってくる母は

以前の、パチンコに依存する前の母と同じだったと思う。



その後、検査結果が出た。



幸いなことに「白血病」ではなく急性の肝炎だった。


「あの時の涙を返せ」と主治医に言いたいところだ。



妹はどんどん元気になり、見舞いへ行くと



「お姉ちゃん、雑誌買ってきて。ananじゃないよ、MOREね!」


「ねー、なんかケーキ食べたくなった。買ってきてよー。」


「あれ?また来たの?もういいよ。」



と言うようになってきた。元通りである。


あの時見せた涙は、きっと具合が悪かったからに違いない。


雑誌を買いに売店まで急ぐ姉がそこに、いた。



順調に回復し、退院した妹。


またケンカばかりの2人暮らしが始まった。


唯一、変わった点といえば・・

私が具合が悪くなったとき、気にかけくれるようになったことだ。


まあ、それが普通だと思うが・・。




それからしばらくして母から携帯に電話が入った。




「もしもし?」


「あ、お姉ちゃん?・・」




それがどんな電話なのかも知らずに・・



つづく。