脱!マイナス思考。~私の母はパチンコ依存症~ -8ページ目

再会の果て 1

妹との共同生活。


顔を合わせばケンカばかりの毎日にうんざりしていたある日。



「お姉ちゃん・・。病院、連れてって・・」





風邪のような微熱・倦怠感が2週間以上も続き、会社を1週間も休んでいた妹。

病院嫌いの妹がこんなことを言うなんて・・よほど具合が悪かったのだろう。

日曜日だった為、当番医となる病院へ2人で行った。



「黄疸が出始めてますね。すぐ、入院して下さい。」



医師の言葉に私達は驚いた。



「た、ただの風邪じゃないんですか?」


「詳しくは検査をしてみないと・・

体がかなり衰弱してますので。ご両親はご一緒ですか?」


「・・いえ。私だけです。」


「ではご両親に連絡してください。入院の手続きをしますので。」


「・・・・・・・・・・。」



両親じゃなきゃダメなのだろうか。

いっそ「両親は他界しました」とでも嘘をつこうか。

私は突然の出来事に動揺した。



「お姉ちゃん・・。」



病院に掛かったことなど今までほとんど無かった妹は不安がっていた。



「分かりました。連絡してきます。」




病院のロビーから懐かしい電話番号を押す。

呼び出し音が鳴ると同時に私の胸の鼓動が早くなるのが分かる。



「・・はい?」



9ヶ月以上聞くことの無かった母の声はどこか怯えていた。



「・・もしもし?お母さん?」



私の声を聞いた瞬間、母親の勘とでもいうのだろうか。



「どうしたの?何かあったの!?」



こう言ったのだ。私は母が卒倒でもしたら大変だと、妹のことをゆっくり話した。



「今から行く。場所は何処?」


「仕事は?終わってからでいいから迎えに行くよ。」


「自分の子供が大変な時に仕事なんて行ってられないでしょ!

場所は?すぐ行くから!」


「落ち着いて!お金無いんでしょ?

車で迎えに行くから。ね?無駄にお金を使わないでよ。」



この慌てぶりじゃ、母の方が心配だ。

私は実家まで母を迎えに行った。


久しぶりに逢った母は・・細かった体が更に痩せ、骨と皮のような状態だった。

髪はボサボサで血色も決して良いとは言えない。

この逢わなかった9ヶ月間の生活が垣間見れ・・私は泣きそうになった。



「・・・・・・・。」


「・・・・・・・。」



何から話せばいいのだろうか。

思ってもいなかった再会はお互いを無口にさせる。



病院へ着くとすっかり病人となった妹に、母はすがって泣いた。



「私が・・私がいけなかったんだ。

私がこんな母親だから・・だからこんなことになってしまったんだ・・。

ごめんねー、ごめんねー。

貴方達をこんな目に遭わせたのはお母さんのせいよー・・。」



医師や看護士が大勢いる中、母は叫ぶようにして言った。

プライドの人一倍高い母が病院中に聴こえるかのような声でわんわん泣く。

私は胸がいっぱいになり、母を黙って見るだけだった。



入院の支度をしなければならない私は一旦家へ帰ることになった。



「お母さんがいるから、安心して寝てな。

また戻ってくるから。」


「・・・・・・・・・・・。」


「お母さん、悪いけど宜しく。」


「分かったよ。」



その時、妹の目から涙がポロポロとこぼれ出した。

普段から意地っ張りで泣くことの無い妹が見せた涙に驚く私。



「ど、どうした?痛いの?」


「お姉ちゃんがいなくなるのが心細いんでしょ。

大丈夫だって、また戻ってくるんだから。ね?」


「・・・・・・・・・・。」



とめどなく溢れる涙。



「な、なーに泣いてんの!大丈夫だって!」




照れくさくなって病室をそそくさと出た私。


私のことをそんな風に思ってたの?

私がいないと不安だなんて・・。


嬉しい反面、そんな心境にさせるほど体の状態が悪いのかと心配にもなる。


そして私の心配は現実のものとなるのだ。



「お医者さんに言われたんだけど・・

あのコ、血液の病気かも知れないんだって・・・。」




つづく。


神様の悪戯

新しい職場に、似ている人がいた。



…母に。


えっ?

なんでここにいるの?

お母さんなの?ねぇお母さんなの?




…そうか。

今までの出来事はみんな夢で
私はお母さんと仲良く同じ職場で働いてるんだ。



なんて思ったりして。
そんな訳ないのに。

バカだな、私。

笑顔で話せる日が来ないこと、
一番よく分かってるのは
私自身なのだから。

すれ違う母娘 10

妹との2人暮らしはうまくいかなかった。

もともと顔を合わせばケンカばかりしていた2人。

妹は俗に言う「内弁慶」だった。


「食事のこととか、これからどうする?」

「えーー?当番制にしたら?」

「いいけど、どういう風にする?」

「お姉ちゃんは仕事終わるの遅いじゃん。
だから夕食は私が作るよ。そのかわりお姉ちゃんは朝とお弁当。」


「朝ごはんとお弁当のおかずがほとんど一緒でもいいの?」

「あーーいいよーー。」


ところが数日経つと


「お姉ちゃんってさ楽でいいよね。」

「え?なにが?」

「だってお弁当のおかず、冷凍食品ばっかじゃん。
こんなの作ったうちに入らないよ。」


「そんなこと言ったってアンタが好き嫌い多いから仕方がないじゃない!
時間だってないんだし・・。」


「晩御飯は冷凍食品じゃ済まないもんなー。いいな、お姉ちゃん。」

「・・・・・・・。」


そのうち妹は機嫌が悪いと夕食を作らなくなる。


「ただいま・・あれ?ご飯は?」

「あ゛っ?食べたよ。」

「食べたって・・私の分・・。」

「知らない。勝手に食べれば?」

「・・・・・・・。」


食料や灯油の買出し、雪かきも


「私、車持ってないんだから重いもの持って帰ること出来ない。
お姉ちゃんが買ってきてね。」

「雪かきって駐車スペースだけでしょ?
私の車じゃないんだから関係ない。やらないよ。」



自転車しか乗れない妹は、卵1パックでも買ってこれないのか?

車は自分に関係ないってその車があるから買出しに行けるんですよ?


そんな妹だから私が彼氏を家に招いたら何を言うか目に見えてる。
だから私は妹に気を使って彼の家に遊びに行っていた。
ところが彼の母親が


「今、2人暮らしなんでしょ?
遅くまで妹さんを1人にするのはちょっと・・早く帰りなさい。」



彼にそう言ったらしく、
私は24時までに彼の家を出なくてはいけない状態になった。
しばらくすると妹に彼氏ができ、頻繁に家へ来るようになった。


「ねぇ、こう毎日家に来られるとさ・・。」

「なにさ!自分の部屋で会ってるんだからいいじゃない!」

「だって・・23時過ぎに来るのは非常識でしょ?
一体何時に帰ってるの?」


「朝に帰ってるよ。いいじゃん、うるさいな!!」


どうして他人に対する配慮が足りないんだろう。
私がお風呂からあがった時に彼氏がトイレに来たら?
鉢合わせする可能性だってある。


とても居心地の悪い家になってしまった。


「もうこんな時間だね。帰るね・・。」

「うん・・悪いな。じゃ・・。」


彼の家からの帰り道。

いつも空港まで寄り道した。

家に帰りたくなかった。

空港までの道路は両脇にたくさんの外灯があって
「おかえり」と言っているような気がした。



なんでこうなっちゃうんだろうなぁ。。。。




母と離れ、妹とはうまくいかず・・
あんなに仲の良かった家族が確実にすれ違っていた。


つづく。。

すれ違う母娘 9


ガタガタガタガタ・・・・


「え?地震!?」


電車が通る度に揺れる家。
新居での最初の夜は地震と間違え飛び起きたが、
数日もすると気づきもしなくなる。

会社から家への帰り道。
引越し当初は頭の中で「帰る家」が母の待つ家だったが、
数日もすると新居へすんなり帰宅することができた。


思ったより早く今の状況に慣れている自分がいた。


新しい生活は楽なわけがない。
今まで家に入れていたのはわずか25,000円。
こんな額で2人、暮らしていけるはずもなく
話し合った結果、お互い月40,000円ずつ家にいれることにした。
あわせた80,000円で家賃・食費・光熱費・電化製品のローンを賄う。
赤字にならないようにするのが精一杯だった。

「お金が無い」

この言葉が口癖となり、会社の同僚からの誘いも断ることが多くなった。

喉が渇いたから自販機で飲み物を買う。
今まで当たり前のようにしていたこの行為さえ、

「今本当に喉が渇いてるの?まだ我慢できるんじゃない?」

そう自問自答を繰り返し、躊躇する。

実家を出て出費が多くなった私は
自由になるお金が月10,000円しかなかったのだ。

給料日にそれを500円玉20枚にくずし、
サイフに1枚だけ入れる。
その500円玉が無くなったら次の500円玉を入れる・・
月に17万の給料を貰っているとは思えない生活。

「金が無いって言ってるくせに実家を出たりするからだ。
実家にいたら楽だろうに・・。」


私の事情を知らない人は皆、口々にそう言う。



「実家にいたら何時またお金を奪われるか分からないんです」

「母は私の給料を当てにしているんです」

「お互いの為にも今は離れたほうがいいんです」



ココロの中で・・そうつぶやきいた。


母からの連絡は1度もなかった。
新居の住所を知らない母にとって、私達との連絡手段は携帯電話のみ。
連絡=お金の無心と決まっているので
連絡があるのも困るが全く無いのも心配だった。


家で倒れたりしてないだろうか・・
へんな事を考えたりしてないだろうか・・


「お母さん!」

心配になって実家の前まで何度も行った。

だが


「ここで中に入ってしまったら
私達が取った行動は意味が無くなってしまう・・」



実家の前を通過した。

いつか笑って話せる日がくることを祈りながら・・。


つづく。。



すれ違う母娘 8

「いつ、引越しするの?」


突然だった。

夜9時からの出勤に備えて起きた母から出た言葉。

母に悟られないよう、こっそり引越しの準備を進めていたのだが・・

やはり私達の母親。気づいていたようだ。


「く・・9月の連休を使って出ようと思う。」


母に背を向け、テレビを見ながらそう答えると


「そう・・。」


母はそれ以上何も言わずに家を出た。


「なーんだ、お母さん知ってたんだ。
じゃあこれからコソコソ準備しなくてもいいね。」



母から聞かれた時の私は、母の方を見ることが出来なかった。

母を見たら泣いてしまいそうだった。

「引っ越す」と言えない気がした。


「ねーお姉ちゃん聞いてる?」

「・・テレビ見てるから話かけないで。」

「なにさそれ。」


テレビを見ながら考える。

母は私の言葉を聞いた時、どんな顔をしていたのだろう。

ショックだったかな・・いやショックだったに決まってる。

今まで苦労して育ててきた娘が自分を捨てるなんて思いもしなかっただろう。



今、どんな思いで仕事場へ向かってるのかな・・。




「あはははは・・。」


テレビの中の芸能人は大口を開けて笑っていた。
妹も一緒になって笑っていた。





それからまもなく母は新しい仕事を見つけた。
仕事を増やさなければ食べていけないことに気づいたようだ。

自分の罪の意識が軽くなった気がした。



引越しの日、母が私にこう言った。

「お母さんが仕事から帰ってきたら、もういないんでしょ?
あんた達のことだから食器とかまだ揃えてないかと思って・・」


紙袋を私に手渡す。

「なにこれ?」

「お茶碗よ。お母さんお金が無いから
お茶碗ぐらいしか買ってあげられなくてごめんね。
可愛いお茶碗にしたからご飯も美味しく食べられるよ。」


さくら色のお茶碗と水色のお茶碗。私達に2つずつだった。

「・・・なんで2つともお茶碗なのさ。
どうせならお椀とセットにすれば良かったのに。」


「あんたドジだから割った時の為にさ。
でもお椀のほうが良かったかもね。」


「ドジなのはお母さん譲りだよ。」


母は笑った。

私は涙が止まらなかった。

笑ってる母の目にも涙が溢れていた。


母は仕事へ行き、妹は先に新居へ行った。
最後の荷物を車に積んだ。


「もうこれで最後かい?」

「・・・ちょっと待ってて!」

手伝ってくれてる彼を車に待たせ、家へ戻る。

テーブルの上にあるチラシの裏に手紙を書いた。



これから私達は出て行きます。

2人で頑張って暮らしていきます。

お母さんもこれからは1人で頑張って下さい。

私達が出て行ったことが、後で良かったと思えるように・・

そう思えるようになってください。

私はいつまでもあなたの子供です。

お母さん、大好きだよ。    ゆず






新たな居場所も告げずに私達は家を後にした。



つづく。。