大地の里blog

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北の大地から、徒然なるままに・・・

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十代の後半にひょんのことから、コーリン・ウイルソン著「アウトサイダー」に出会った。一読して目から鱗がおちた。当時世間的に評価されず、不遇な生活、変人・奇人と見放されていた、ドストエスキー、ニーチェ、アルチュール・ランボー、ゴッホ等を取り上げ「アウトサイダー」こそ世の光となり、人の道しるべとなるとした。時代から排斥されたのは余りにも彼らは世界をみえ過ぎたからだという。

「正統と異端」、彼らはその狭間に生きた。否、苦悩した。

著者のコーリン・ウイルソンは小学校も碌にでていず、拾い仕事をしながらあの大英図書館に閉じこもりこの本をものにした。独学だが恐ろしいほどの博学である。

当時小生もおこがましくもそんな生活にあこがれ、日比谷公園にあった日比谷図書館によくいった。ただ老いた司法試験受験生の惰眠を眺めているだけだったが・・・そして小生もまた惰眠。

英国といえばまた、大英博物館が知られている。別名知る人ぞ知る「大泥棒博物館」、大英帝国の植民地政策を世界中に推し進め、収奪と搾取を繰り広げ、金銀財宝、世界遺産を持ち帰った。

貧乏国であるが世界で一番幸せな国を国是としているとブータン王は自ら王政を廃止した。

今日は子供の日、子供は自分の生まれた環境を知らずしてこの世にあらわれる。

メデイアは英国のロイヤルベビー誕生と大騒ぎしている。王室に憧れを持つことは何ら否定はしない。ただあの奇怪な家族環境に思うに何が幸せなのかと思うだけである。

巷では環境権、加憲だとか、ヘイトスピーチへの法規制だとか、国民の義務をもっと強調したほうが良いという声があるらしい。

だがそれらは「9条の戦争放棄」への憲法改正にいたる、ニンジンである。各党は今になって国民的議論を丁重にすると言っているが可笑しな話だ。もうすでに体制翼賛会のしんがりを務めているのに気がつかないのか。

先ほども若者とチト、「憲法って何?」と問いかけてみたがまるで無関心。自分らに関係ないって表情をしていた。議論そのものをさける。そうやって育ってきた。こういう話はダサいというということなのだろう。

きっと偏差値教育一辺倒のなかで、真の日本の文化、過去の歴史にたちかえり、自分の現在、未来として考える。こういう議論をなされてこなかったせいだ。

憲法、一言で言うならば時の権力者を縛るもの、国家国民を守るものだ。

気を付けねばならないのは権力は必ず腐敗する。いま、反権力を唱えている某政党もいざ権力を握ると長期化を策謀し、ファシズム化する。

そういったものを含めて権力の手を縛る。それが憲法である。
このひと月間の世の動くさまは驚くばかりだ。

右をみても、左をみても暗澹たる想いばかり、募る。

1989年冷戦構造が壊れ、世界は平和に向かっていくだろうといわれたのに・・・ますます世界は混迷を深め、第3次世界大戦へ向かっているようでならない。世界の警察官を自認していたアメリカはアフガン、イラクに介入、撤退をせまれた。国内問題も深刻である。そこへきてのイスラム国の台頭である。かってフランスが撤退を決めた後、ケネデイが「共産ドミノ」阻止といってベトナムに介入した。結果は歴史のしめす通りである。当時指揮をとったマクラマン国務大臣は「この戦争は間違いだった」と回顧碌でかいている。主義としては共産運動であったかもしれないが、他国に虐げられた民族解放の戦いだったというのである。

ベトナムは300万余の犠牲を出しながら何千キロもの地下トンネルを掘り、大衆という海を自由自在に泳ぎまわり、ベトナム人殲滅の北爆に耐えた。昨日は勝利記念日であった。

平成19年12月、船でダナンに降り立った。そこはアメリカの海兵隊が基地としていたところだ。港から少しいくとベトナムの農村風景があった。どこか懐かしい。真っ青な空の下100人ほど農民が稲刈りをしていた。農家民宿、夕食が終わると何処ともなく子供たちが集まり、火祭りとなった。

後半の町村の選挙はとうとう棄権してしまった。まるで選択枝がないのである。これも社会への意思表示だと思いたい。在京時、こんな選挙で世の変革は望めないと選挙に行ったことがない。34年振りの棄権である。

永田町の世界をみるに為政者:はやりたい放題。「平和の党」を名乗る某宗教団体も今や、下駄の鼻緒ならぬ、泥まみれの雪、いちど手に入れた権力は美味しいらしい。

全国の知事、市町村の組長はもと役人ばかり、いづれ体制翼賛化される。
仕事も行き場の失った若者に「シリアの紛争地に仕事がある。帰ってきたら大学に推薦入学できる。勿論授業料はなし、生活費もだす」・・・こんなことになる。

新帝国主義戦争のはじまりであり、世界の警察官だったアメリカの肩代わりなのだ。

ネパールで大地震があった。日干し煉瓦を積み重ねただけの世界遺産の建物が粉状になってかたまっている。エベレスト街道、アンナプルナトレッキング、そして「世界ホラ吹き大会」開催と三度行った。知り合いのダヌーさんは大丈夫であろうか。
四畳半の窓辺にも

朝がきて

わたしは

常呂川の流れに

〈 ある愛をよせている 〉


靄が〈 仙女 〉に囁いて

「 カレハ 存在せず無なり 無なりて 存在している 」


水魚〈 ヤマメ 〉よ

水の流れに身を任せよ

あの光の中に飛んでいけ





エアバスの航空事故。飛行ルートもはずれず急降下、そしてアルプスの急峻な谷間に粉々に散った。航空専門家は墜落ではない、理解しがたい。

→ 様々な死がある。中でもむこうから不意にやってくる様々な事故、国に強要される戦争(「積極的平和主義」という言葉は、かっての大東亜共栄権構想の焼き直!アベちゃん!)
こんなことで生を全うできなかったらゴメンだね。脱国して世界を放浪し世界人になりたい。

イスラム国に若者が行くのはとんでもない「貧困」を創りだした「格差社会」、「新帝国主義の覇権争いという現実なのだ。米英有志連合軍のイラク侵攻がイスラム国を誕生させたといっていい。

今朝は『五月晴れ』のピーカーン。サクラでも咲きそう天気だ。
移植した旧民宿大地の『エゾヤマザクラ」、函館からもってきてもらった『ソメイヨシノ』

今年は咲くだろうか。ぜひ一輪でも花をつけて欲しい。一輪咲いたら紐で縛っておこう。枯れてもいいのだ。

ふと、オーヘンリーの名作『最後の一葉』を思い出す。
以前のような長文はかけません。
文字通り・・・ツレズレ、キレギレブログです。ご勘弁ください。

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以下、気になりました。

「沖縄県知事の辺野古埋め立て中止命令」 
 → 政治家の矜持あり、琉球人の魂を覗いた。

「理研の野依理事長の辞任記者会見
〈責任とって辞めるのではない。不祥事は責任者だ〉
 →このひと、ノーベル賞をとった「ガクシャさん」だからね。愕然とした。これでは自死した笹井さんも浮かばれまい。ヨ~ク・・・野依理事長の顔をみるといい。悪徳総会屋さんの顔、酷い顔だね。

 アベちゃんの参議院での答弁
「わが軍は・・・」 → ヒットラー並み?それより恐ろしい。

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昨日、今日の十勝は時折の淡雪です。

今年の「名残雪」はホンの少しで良いからあって欲しい。
 昨年、11月24日のトークセッションでなかにし礼はこんな詩を朗読した。

「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう」その3

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世界史上類例のない
六九年間も平和がつづいた
理想の国に生まれたんだもの
平和しかしらないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ
平和ぼけ?なんとでも言わせておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
人殺しどころか喧嘩もしたくない
たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は臆病なんだ
俺は弱虫なんだ
卑怯者?そうかもしれない
しかし俺は平和が好きなんだ
それのどこが悪い?
弱くあることも
勇気のいることなんだぜ
そう言って胸をはれば
なにか清々しい風が吹くじゃないか
怖れるものはなにもない

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 今朝からの雨が
 夕方には雪に変わった。
 北の大地は暴風雪のようだ。
 でも春は必ずやってくるだろう。
 誰の頭上にも平等にやってくるだろう。
 こんな世でも
 季節の移り変わりだけは信じられる。
 また感じていたい。
 昨年、11月24日のトークセッションでなかにし礼はこんな詩を朗読した。

「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう」その2

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ああ、若き友たちよ!
巨大な歯車がひとたびぐらっと
回り始めたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる
しかし君に戦う理由などあるのか
国のため?大義のため?
君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人をさせるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか
若き友たちよ!
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争にむいてないからだ
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今日は通院日、帯広にいく。メーンの国道はすっかり乾いているが一歩わき道に入ると融雪の塊でぐしゃぐしゃである。明日はまた暴風雪が舞うという。春はまだか。