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大地の里blog

北の大地から、徒然なるままに・・・

〈海猫が鳴くからニシンがくると〉
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 北原ミレイの名曲である。作詞はなかにし礼。満州で生まれ、戦後大変な思いして両親の故郷小樽に引き上げた。その頃の漁師町の風景がこの歌詞に映し出されている。

 昨年、11月24日のトークセッションでなかにし礼はこんな詩を朗読した。

「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう」

 二〇一四年七月一日火曜日
 集団的自衛権が閣議決定された
 この日 日本は誇るべき
 たった一つの宝物
 平和憲法は粉砕された
 つまり君たち若者もまた
 圧殺されたのである
 こんな憲法違反にたいして
 最高裁はなんの文句もいわない
 かくして君たちの日本は
 その長い歴史の中の
 どんな時代よりも禍々(まがまが)しい
 暗黒時代へともどっていく
 そしてまたあの
 醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
 戦争が始まるだろう
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『石狩挽歌』この歌には特別な想い入れがある。在京時、とある立飲み屋の片隅でこの歌を耳にした。妙に胸にこたえた。「田舎に帰ろう~」と思った。田舎に帰って何をするか。何の手立てもなかったが決めた。
作家 魚住 昭が書いている。一部を引用したい。
http://uonome.jp/article/uozumi-wakimichi/2930

 年配の方なら覚えておいでだろうか。かつて伊丹万作という優れた脚本家・映画監督がいた。後にやはり映画監督になる伊丹十三と、大江健三郎夫人になるゆかりさんの父親でもある。 彼は敗戦翌年に病死する前、今も広く読み継がれる『戦争責任者の問題』というエッセーを書いた。 

 当時の人々の多くは「今度の戦争ではだまされていた」と言ってすませていた。そんな風潮に「だまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはない」と異を唱え、こう述べた。〈いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいない(略)

 だますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らない〉 

 そして〈あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失」った自分たちの罪を問い、「だまされていた」と言って平気でいられる国民なら「今後も何度でもだまされるだろう」と語った。 

 彼の予言は恐ろしいほど的中したようだ。集団的自衛権をめぐる安倍政権の振舞いと世論の反応を見ると、そう思わざるを得ない。「だますもの」と「だまされるもの」がそろって戦争になだれこもうとしている。あと何年、私たちは平和を享受できるのか。 ジャーナリズムにとっては崖っぷちの正念場だ。

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 夕方よりまた粉雪がおりてきた。そのなかを〈ぴーぼ~ぴーぼ~〉と焼き芋屋がいく。遠い昔の子供頃の音でもある。皆貧しかった。が円卓を囲んだ家族があった。いったい繁栄とは何なのか。(川崎の少年事件について・・・ふと思う)

 我々は『病気・貧困・戦争』とたたかってきたはずなのに・・・社会の不条理が弱い子供たちに押し寄せる。
 昨日、収賄の罪に問われていた美濃加茂市の藤井浩人市長に対し裁判所は「無罪」の判決を言い渡した。

 裁判長は「贈賄側の供述の信用性に疑問があり、現金授受があったと認めるには合理的疑いが残る」とした。

 また裁判長は贈賄側の供述に一貫性がなく、事件が作られた可能性も疑えないともした。
 
 昨日の新聞記事を読んで吃驚したのは実は贈賄側の人間が別件の詐欺事件で捕まっており、その中での供述だという事だ。

 当時は最年少市長が逮捕されたことの話題性が先行して、贈賄側のこの話はまったくでなかったと記憶している。想像するに記者クラブでの警察・検察の話をうのみにして報道したメデアの責任も重い。警察・検察の顔色を窺えながらヒラメ記事ばかり書いているのである。

 そこで思い出すのが「石川知裕事件」である。小沢一郎宛てに5,000万円をホテルのロビーで渡したと供述した水谷建設の社長の話だ。当時社長は別件で勾留中であった。

 今、一連の検察の不祥事(村木事件等)から全面可視化の検討されてきたが一部の可視化と司法取引(つまり複数の事件あるいは共犯が絡む事件で率先して供述すれば自分の罪が軽くなる)の流れが作られようとしている。

 これは冤罪の温床となるもので法務官僚による「火事場泥棒」と言われても致し方ない。

 因みに担当弁護士は元特捜検事の郷原氏。もともとは企業のコンプライアンスの専門であるが冤罪事件にも大いに活躍している。

 なかなか気温があがらない。昼間は3度くらいか。
 

 
 
 午後3時過ぎ、遅い昼食をとっているとド~ンという音がした。行ってみると西側の屋根にせりだした氷魂が全部落ちていた。

 日差しは暖かい。庭も小鳥たちで賑やかだ。派手な野鳥がきていたので図鑑で調べる。がまだ不明である。
 昨夜、BSフジ プライムニュースの検証「太平洋戦争の始まりと終わり」をみた。その中で作家半藤一利氏は司会者の問いに答えてこの提言をしていた。

 翻って思うにこのテレビ局、系列でいえば産経新聞系である。それにもめげず半藤一利氏は戦争を止められなかった要因は戦時体制にべったりだったメデイアにありと断言していた。気骨の人である。

 今日もまた午後から粉雪が降りだした。裏のひさしをみると融けて凍った氷の塊が60センチにもなり突きでている。

 
 いったのか。
 
 縦横60センチほどの小さいものだが何と言っても年代物である。連れ合いの家にあったものだ。

 晴れているが気温は低い。一人留守番でしっかり本を読もうと思っていたが惰眠に終わってしまった。これから桜餅が食べれそうだ。
 新聞のBSテレビ欄でその名を見つけ〈懐かしかった〉。思いは半世紀前に飛ぶ。東京で遊民生活をおくっていた当時、場末の映画館でみた。

 ローマ帝国の後半期、奴隷を引いて反乱を起こした革命児スパルタカスの物語である。

 当時は訳もわからず反乱物『アルジェの戦い』、ゴダールのニューウエイブ、大島渚の青春もの、そして高倉健シリーズといった映画ばかりみていた。

 朝からひっきりなしに雪が降り、30センチほどになった。中標津では1,5mほどにもなったという。例年にない気候の変わりようである。天変地異、これからも何が起きるか想像だにしがたい。人は自然の一部であり、自然とともにありたい。
4時早起き、朝寝、そして朝湯、そして惰眠。
屋根からしたたり落ちる融雪。もう春は近い。
庭は雀、シジュウガラ、ひよどり、で騒がしい。
 朝起きると淡雪がひっきりなしに降っていた。もう20センチは積もっているだろうか。午後になってもやまず30センチほどなった。もう最後の雪だろう。

 そんな中、うつらうつらしながら『恋に落ちたシェイクスピア』をみる。映画のストーリよりもエリザベス王朝時代の価値観、社会風紀に興味が引かれた。貴族の結婚はほとんどが政略結婚だったが庶民は結構うまくやっていた。

 映画が終わるころには雪はやんだ。そして眠気はますます深く。〈オフェリア、流れゆく〉如く。