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大地の里blog

北の大地から、徒然なるままに・・・

 平成20年1月、3ケ月ぶりに帰国、横浜港で下船した。その後信濃大町に遊び、それから日本海を北上、新潟港から佐渡に渡った。

 佐渡はあの北一輝生誕の地である。生家も残っており、そこから4,50分雪道をいくと北一輝の墓があった。
 
 今日は2.26事件勃発の日である。かの純真青年将校に思想的影響を与えたのは北一輝の著作『国家改造原理大綱』である。

 国民の天皇、大土地所有の禁止、婦人の参政権を掲げた。が発禁処分となった。この内容にどれだけ当時の為政者が恐れたか、はかり知れない。戦後新憲法でそれらがほとんど実現された。

 午前中、風呂につかる。後惰眠。明日からは少々天気は荒れるようだ。 
 アル・パチーノ主演。この映画で彼の役者としての地位が確立された。物語は実際にあった銀行強盗の話。押し入った銀行の金庫に金はなかった。彼は元銀行員。人質をかかえてのFBI・警察官との対峙、それを多くの観衆が取り囲む。英雄視する観衆、家族の肖像、ゲイ、数々の社会の病理・差別が描かれる。彼は結婚したゲイの手術代を捻出しようと事件を犯したのだった。

 個人的には『ゴットファザー』のアル・パシーノの方が好きだ。

 新聞の片隅に防衛庁の組織編制がかわり、背広組にかわって制服組が指揮を取るとあった。シルビアンコントロールはどこへいったのか。

 とうとうここまで来たのかと暗然とする。

 一日モミジと留守番。惰眠比べと言った方が良いか。庭では鳥どもがやってきてにぎやかである。
 ポールニューマン主演。兵として数々の勲章を受けながら心に傷をうけたまま帰国。些細な事件で刑務所に入る。陽気で屈託のない収容所の仲間。不条理な行為ばかり強いる刑務官に黙って従がっていれば2年で出所できる。が彼は何度も脱獄を繰り返す。3回目の脱獄で逃げこんだ教会で彼は叫ぶ。

〈神様はどこにいる。俺はいつも負札ばかり拾っている〉

 仲間に説得されて建物からでようとする彼を待っていたのはライフルの弾であった。

 刑務所というのは凝縮された体制の秩序、いかなる理由があろうと反抗は許されない。

 今日の当地は気温8度、ひっきりなしに屋根から融けた水がしたたり落ちる。午後はゆっくり惰眠といきたいところだった。がマッド・デーモンの映画『グッド・ウイル・ハンテイング 旅立ち』が始まった。これは見逃せない。

 これは必見である。マッド・デーモンは脚本も手掛けている。

 
 午後、BSでの特集に釘付けになった。以前から作家 澤地久枝の名前を知っていたが読者ではなかった。時折新聞紙上で反戦平和、反原発への発言などで名前をみかけ、リベラル派かと思う程度であった。

 話の内容が凄い。戦中・戦後の自己体験から庶民の戦争史に取り組み、圧巻はミッドウエイ海戦での米日の戦死者の数の調査。また2・26事件で残された女性の取材と実録。作家の執念を感じた。

 1930年生まれの澤地久枝は言う。

〈国民の無関心さが戦争へ道をたどる。気がついたら時にはもう遅いのである〉

 戦後70年、戦争で一人の死者を出さなかった日本。いま大きな転換点を迎えている今日、妙に説得力があった。

 屋根から小雨が降っているかと思える滴。暖かい日差し。モミジも私も春眠を貪っている。
 
 毎週土曜日は映画『男はつらいよ』が放映される。今夜は奮闘編である。何度もみている。筋書きもわかっている。がそう思いながら気がついたらテレビの前だ。「バカだね~ほんとバカだね~」というおいちゃんのセリフもまたかと思わず笑ってしまうのだ。

 舞台は下町の柴又。そこで繰り広げられる普通の家族の物語。みんなその日の生活で手一杯だ。そこにマドンナが登場し、最後はまた寅さんの失恋騒ぎで終わる。いつも同じパターンだ。

 私は寺男の佐藤蛾次郎のファンだ。彼が遠くにチラリと顔をだす。セリフはない。劇中で目だった働きをしてない者にも居場所をあたえている、山田監督の社会観を垣間見る。

 二十歳前後東京の下町、亀戸と錦糸町に5年ばかり住んだことがある。残念ながら柴又の近くだったにも関わらず一度も行ったことがない。午前は亀戸駅前の喫茶「アルマ」に棲息、夜は飲み屋「大関」で煮込みとホッピイー。たまに今もある「亀戸餃子」に寄る。

 亀戸天神の横にも住んだことがある。あの有名な葛餅の「船橋屋」の裏だった。近くに確か旨いレバニラ炒めを食べさせてくれる店があったはずだ。

 明日は今日以上に良くなるなんて誰も思っていない。今日を生きればいい。この下町にはそんな空気が流れている。そんな小社会から疎外され、相手にされなければ今日さえ生きていけない。だから自然とお隣と仲良くなり助けあう。「袖すり合うもの多生の縁」なのである。

 今や寅さんの世界は架空のものとなってしまった。自由競争という美名のもとに中産階級は没落、金融資本が世界を闊歩している。

 内部矛盾を国外に向けるために尖閣列島の海に乗り出す中国、竹島に上陸した韓国、そして今回のイスラム国の惨劇があるのではないだろうか。

 うがった見方をすればアベちゃんを中心に皆で打ち合わせしており、シナリオとおりなのかもしれない。「積極的平和」を求めて地球の果てまで自衛隊がいく勢いだ。

 今日は気温が5度近く。揺れ戻しがあるが確実に春が近くなってきている。

 午後からBSで放映。これまでも何度もみた。
 
 大恐慌下、実際にあった話が下敷きになっている。

 銀行強盗、略奪、殺人これだけとれば極悪非道のものたちである。だが押し入った銀行では貧乏人からは金をとらない。恐慌で行き場を失った人たちから英雄視される。

 ボニーとクライドの物語。片道切符の人生に自分たちを賭ける。一瞬の輝きを求めて犯罪を犯す。

 何といってもフェイ・ダナウエイが素晴らしい。何も演じていない。ボニーそのものが彼女だから・・・

 今日は終日、モミジと留守番。わがまま一杯。彼女は寝てばかり。今度飼うときは名前をボニーとしよう。
 
 これは四時間にわたる大作。南北線戦争をはさんで繰り広げられる家族の物語。

 ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルによるヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルのための映画だと実感した。

 いつみても新鮮だ。
 昨夜BSで放映された。息子とは10年も断絶している高田(高倉健 役)。

 高田は病に侵されている息子の想いを抱いて中国の辺境を旅する。そこで出会うのは貧しくても、人との絆を大事している村人の生活であった。親のない子を当たり前のように村が育ている。

 画面を豊かな自然が覆い、伝統の仮面劇がおこなわれる。日本で言えば今もあちらこちらに残っている田舎神楽であろうか。以前行ったことがあるバリ島でも仮面劇があった。

 一般大衆は政治権力とは関係なく、地域の伝統を守りながら生活者として生きている。それをささえているのは人々の絆なのだ。そのことをこの映画が訴えているように思えた。

 夕方、世界を旅するとしてウクライナ地方を取り上げていた。ソチオリンピック前の取材だというから今のウクライナ紛争は想像だにしなかっただろう。

 オスマントルコの支配、ツアー皇帝の支配、ロシア革命、そしてソ連邦の解体。村は時代の権力者に翻弄された。

 黒海の面したところにオデッセイの街がある。ツアー皇帝の黒海艦隊があった。そこで水兵クロンシュタットが反乱、ロシア革命の狼煙があがった。

 映画『軍艦ポチョムキン』(監督エンジェンシュタイン)の舞台にもなった。広場の大階段を赤ん坊を乗せた乳母車がゆっくり落ちていく。何度もみているので目に焼き付いている。その階段が今もあり、画面に映し出されていた。

 ウクライナ村のバーチャンが言っていた。

「民族なんて関係ない。お隣と仲良くすることよ」

 午前、見慣れぬ鳥がきている。頭はモヒカン刈である。調べるとヒレンジャクとある。どうやらつがいのようだ。ドーンと屋根の雪が落ちる。夕方には淡雪。
 今日9時からBSで放映される。前にもみているがまたみる予定。楽しみである。
 
 先だってのロケの特集で監督はこんなことをいっていた。

 中国の諺に「雨は財であり、吉兆である」とあります。

 ロケの初日も最後の日も雨が降った。でもすぐ上がった。

 さすが大陸だと思った。

 随分と日差しが柔らかくなり、庭に鳥が舞う。ヒヨドリ、雀、四十雀、新参者のシメ、そしてときおり、カラスが舞う。