巷では環境権、加憲だとか、ヘイトスピーチへの法規制だとか、国民の義務をもっと強調したほうが良いという声があるらしい。
だがそれらは「9条の戦争放棄」への憲法改正にいたる、ニンジンである。各党は今になって国民的議論を丁重にすると言っているが可笑しな話だ。もうすでに体制翼賛会のしんがりを務めているのに気がつかないのか。
先ほども若者とチト、「憲法って何?」と問いかけてみたがまるで無関心。自分らに関係ないって表情をしていた。議論そのものをさける。そうやって育ってきた。こういう話はダサいというということなのだろう。
きっと偏差値教育一辺倒のなかで、真の日本の文化、過去の歴史にたちかえり、自分の現在、未来として考える。こういう議論をなされてこなかったせいだ。
憲法、一言で言うならば時の権力者を縛るもの、国家国民を守るものだ。
気を付けねばならないのは権力は必ず腐敗する。いま、反権力を唱えている某政党もいざ権力を握ると長期化を策謀し、ファシズム化する。
そういったものを含めて権力の手を縛る。それが憲法である。