東京リーシングと土地活用戦記 -181ページ目

東京リーシングと土地活用戦記

ニーチェ・ツァラトゥストラの言葉「神は死んだ、神なんかもう信じるな」「強い風が吹く所に一人で立て!そこは非常に厳しいけれど、人間自分自身が主人公だ!風を受けて孤独になれ!」「真理などない。あるのは解釈だけ」いいねー。スバム読者申請コメント削除します。



 10月27日、ついに株価が7162円となり、バブル崩壊以後の最安値、7607円を大きく下回った。一時は7000円を割り込んだ。30日には9000円台を回復したものの、このところ株価は乱高下を続けていて、一体いつ底を打つのかという声が出ている。
 しかも、円は一時1ドル90円台まで上がり、ユーロも一時113円台と、円が独歩高になっており、世界中が不安におののいている。

手を打つのが遅れて金融恐慌に
 僕はこれは一種の“ねだり株安”だと思う。
 当座しのぎの対策に、「そんなもんじゃだめだ、違うだろう、違うだろう」と言っている株安だ。もっと思い切った対策が出るまでは、マーケットは「違うだろう」と言い続ける。
 例えばアメリカにしても対応が遅すぎる。3月に証券会社大手のベアー・スターンズの経営が悪化し、JPモルガンに買収された。あの時点で金融恐慌は必至だと見るべきだった。
 それが結局、ファニーメイやフレディマックが倒産し、リーマン・ブラザーズが倒産し、AIGが倒産に瀕するところまで、アメリカは本腰を入れなかった。これは非常に対応が遅かった。

 日本のバブル崩壊時に比べれば、一見、アメリカは非常に措置が早かったように見える。日本の場合、不良債権処理に公的資金を投入するまで10年以上かかった。アメリカは、1年数カ月で公的資金を投入したので、早いとは思う。ただ、日本のバブルがはじけた状況と、今のアメリカの状況はまったく違う。

あまりにも複雑な金融派生商品

 今、読者が新聞など読むと、わからない言葉が氾濫していると思う。例えば、「CDO(債務担保証券:Collateralized Debt Obligation)」とか「レバレッジ(てこの原理=手持ちの自己資金の何倍もの大きな金額の取引をすること)」など。

 少なくとも日本のバブルがはじけたときは、こういう言葉は目にしなかった。これは金融業界が、あるいは金融のノウハウが、異常に発達しすぎたということだ。僕は、技術が発達しすぎて、人間がその技術に追いつけなくなっているのだと思う。

 さらには「CDS(Credit Default Swap)」というデリバティブ(金融派生商品)がある。これは説明すらうまくできない。与謝野馨経済財政担当大臣が、「CDS」とは何かということについて、うまく説明してくれた。それを僕なりに解釈して説明しよう。

 4人でマージャンをする。例えば、与謝野馨さんの後ろにAさんが来て、「僕は与謝野につく」と言って、なにがしかの金を与謝野さんに出す。与謝野さんが勝てばいいが、負けて損をしたら、Aさんも損をする。するとAさんは別の人Bさんに与謝野さんが負けたときの保障をしてもらうためにいくらか払っておく。Bさんは与謝野さんが負けたときにその保障をしなければならないので、今度は別のCさんに、その保障をしてもらうためにいくらかお金を払う。さらにそえれぞれの後ろに10人・50人・100人と何重にもなって、たくさんの人が別の人の保障をするために関わる。

 たくさんの人が関わることで、一見、損失リスクは分散して、いいように思える。だが、さらにこれにレバレッジがかかり巨額なお金が保障されることになってしまった。また、あまりに複雑に保障しあっているものだから、「だれが負けたときに、どのお金をだれが保証するか」がわからなくなってしまったのが今の状態なのだ。この参加者のうち、だれかがお金を払えないとなると、連鎖的に別の人も払えなくなる。これが企業間で起こると連鎖倒産になる。こうなるとどうしようもない。

 CDSの市場は6000兆円とも言われている。日本のGDPは約560兆円。世界中のGDPを合計しても5000兆円と言われている。ところがCDSだけで6000兆。これはとんでもない話だ。でかい金がやりとりされているが、本当は金がない。からっぽの金でやりとりされている。

金融工学の専門家たちは現実が見えていなかった?

 CDSとレバレッジが組み合わさった例を目の当たりにして、みんなが怖いと思ったのは、AIGの件だ。
 AIGは、サブプライムローン関連の金融商品を大量に持っていただけでなく、CDSもたくさん持っていた。いろんな会社のCDSをたくさん持っている。
 そのため、AIGがもしも倒産したら無数の会社が倒産してしまう危険性があった。だからAIGは救済された。連鎖倒産を食い止めるために救済されたのだ。
 どんどん進んだ金融の技術を金融工学という。数学の専門家などが、金融取引を自動化して、いろいろな金融商品を高度に組み合わせたり、レバレッジなどを考えついたりした。
 ところが金融工学の専門家たちは、実は現実がまったく見えていない。戦後アメリカの住宅は一貫して上がってきた。一貫して上がるものだという前提に立っている。これが下がることがあるかもしれないということは、織り込まれていない。
 だが、それがどーんと下がったわけだ。金融工学は数字を無数に操って、緻密な計算をしているが、そういう肝心な現実がぽこっと抜けている。そこで現実に何かが起こったときには、手に負えない。
 危うい、もっと言えば、緻密だけれど現実から遊離している、そういう金融工学の上に成り立っていた金融経済が破綻した。

 例えば、ものを作って売る場合には、ある程度売れてくると、これ以上売ると在庫が増えるなという見当がつく。それはなぜかというと、肌で感じるからだ。ものを売るというのは実体があり、現実的なものだ。現実だから、これはちょっと在庫がたまるぞというところで、生産を落とすということができる。
 ところが金融工学というのは、人間の実感、あるいは現実と無縁に進んだ。それがしかも、非常に高度に進んで、計算がつかなくなった。これが今の現実だ。

発表される麻生首相の追加経済対策は
現状を変えられるのか?

 こうなると、小手先細工では間に合わない。しかも対応が遅れた。

 首相が30日に追加経済対策を発表するが、これも遅れに遅れている。今の状況の中でどういうふうに良くするか考えているが、そもそも状況自身が間違っている。技術が進み過ぎて、人間の想像力で処理ができなくなったにもかかわらず、処理ができる前提でやっても追いつかない。
 ここは、今週、来週にでもG7(主要7カ国)の財務相・中央銀行総裁や、あるいはトップが集まって、状況自身を変えることを考えなければならない。

 例えば思い切って、一時的に自由主義経済をやめる。社会民主主義的な考えを一時的に取り入れる。政府が市場に思い切って介入する。それをやらないと、自由主義経済の範囲内で、いろいろ直そうとしても追いつかない。それをみんな分かってきている。

 株式の売買も、極端に言うと、いくら以上売買しないとか、銀行の証券を買い取るとか、銀行に資金注入するとかなど、そういう自由主義経済の枠を超えた、しかも世界的規模での措置をとらないと収まらない。麻生首相の発表はこれにこたえることができるだろうか。

 僕は26日の「サンデープロジェクト」(テレビ朝日)で、与謝野さんに、今自民党と民主党が国会でくだらない争いをしながら対策なんか考えてもだめだと言った。

 自民党の枠組とか、民主党の枠組とかでケリがつく問題ではない。日本の枠組でもケリがつく問題ではない。世界中が集まって、今の枠組を根底から変えなければならない。自民党と民主党は、ただちに休戦協定を結んで、どうすればいいか懸命に考えるべきだ。

ところが麻生さんは休戦協定を結ぶなどと言いそうにないし、あるいは小沢さんも絶対言うことを聞かないだろう。
 しかも今見ていると、解散が自民党にとって有利か、民主党にとって有利か、お互いの党の有利不利で解散しようとしている。違うんだと言いたい。

 本当に今の状況に効果がある方策は、自民党が自民党であることを捨て、民主党が民主党であることを捨て、日本のこと、あるいは世界のことを考えることだ。

 アメリカで言えば、共和党が共和党であることを捨て、民主党が民主党であることを捨てる。

アメリカも日本も政党の枠を超えて協調すべき
 ちょうど大統領選挙が終わった後、G8が行われる。大統領選挙ではおそらくオバマ氏が勝つだろう。今の大統領は共和党だけれど、来年の1月からは民主党になる。共和党も民主党も超えて、世界のためにこうするという方策を出さなければ、収まらない。

 いわんや、自民党がどうの、民主党がどうの言っている時期ではない。こんな時期に解散など無責任極まりない。だから休戦協定を結んで、少なくとも目先が見えるまで、協調すべきだ。

 ロシアも産油国もアジアもヨーロッパもアメリカも、様々な国が自分たちの国益を一度取っ払って、どうすればいいかを考える。そのときにいいアイデアが出てくると思う。

 今はそこまで至っていない。そのことにみんなが不満を持って、株式市場が乱高下を続けているのだと思う。
<今週の採点>
麻生首相、小沢代表とも、不合格点。

田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年滋賀県生まれ。早大文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経て、フリーランスのジャーナリストとして独立。1987年から「朝まで生テレビ!」、1989年からスタートした「サンデープロジェクト」のキャスターを務める。新しいスタイルのテレビ・ジャーナリズムを作りあげたとして、1998年、ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)を受賞。また、オピニオン誌「オフレコ!」を責任編集。2002年4月に母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生たちの指導にあたっている。最新刊に「ズバリ!先読み 日本経済」(アスコム)がある。 NikkeiBP2008.10.30


どうなるかねぇー!!


先に【主な急落相場の株価下落比率をグラフ化してみる】で日経平均株価の過去データを抽出している際に、直近の2つのバブル時期のデータが目に留まった。日経平均株価そのものは2000年4月に30銘柄もの入れ替えを行っており、その連続性に一部疑問視される話もあるが(【参考:大阪大学大学院経済学研究科 齊藤誠氏・大西雅彦氏らによる覚え書き、PDF】)、

 それはさておき1989年12月の「バブル絶頂期」、2000年4月の「ITバブル絶頂期」、そして直近の「金融工学暴落」にいたるまでの直近高値とその後の安値を比較すると、意外な数字が浮かび上がってきた。

 それぞれ3つの時期の最高値と最安値を月単位で並べると次の通り。ちなみに最後、つまり現在進行形の「金融工学暴落」は仮の最安値。まだ底値を打ったとは判断し得ないからだ。

・バブル時代:騰落率……-63.56%
  最高値:1989年12月……3万8957円44銭
  最安値:1992年08月……1万4194円40銭

・ITバブル時代:騰落率……-63.50%
  最高値:2000年04月……2万0833円21銭
  最安値:2003年04月……  7603円76銭

・金融工学暴落時代:暴落率……-61.78%(※現在進行形)
  最高値:2007年02月……1万8300円39銭
  最安値:2008年10月……  6994円90銭



直近2回の急落相場の動向と今回の「金融工学暴落」における最高値からの下落率。

奇妙なことに、過去二回の「バブル」崩壊時には、直近最高値からの最安値の割合がいずれも「-63.5%前後」に収まっているのだ。元値が同じならともかく、「バブル時代」は最高値が4万円近く、「ITバブル時代」のは2万円ちょっとと、2倍以上も違う。にもかかわらず最高値から最安値までの下落率はきれいに63.5%の値を示している。

「三度目の正直」ということわざもあるが、同時に「二度ある事は三度ある」というのもある。また、投資家らの市場心理が同じような傾向を示すのであれば、今回の「金融工学暴落」時代もそれを踏襲(とうしゅう)する可能性は否定できない。そして仮に-63.5%で直近最高値から計算すると

1万8300円39銭×(1-0.635)=6679.64円

という値になる。

……もうお気づきだろう。先に【主な急落相場の株価下落比率をグラフ化してみる】で下落率グラフから推定した底値「6500円前後」、さらには【日経平均株価と「半値八掛け二割引」と「6666」と】で相場格言「半値八掛け二割引」から算出した「6666円」と奇妙にも近しい値になるのだ。

前者が日経平均株価の下落率を示したグラフの形からの推定で、元々の絶対値的な下落率と類似するのは仕方ないとしても、格言から試算した値とも一致するのは、偶然というにはあまりにも話が出来すぎている。

格言や過去のデータはいずれも投資家たちの市場に対する心理状況が反映されたもの。それを考えると、同じような結果が出るのもある意味当然といえる。

現時点では10月28日に場中でつけた最安値6994円90銭を底値に、やや反発する向きが見られる東京株式市場。彼に今後直近で再び下げ基調に移行したとしても、下値の強固な心理抵抗線として6500円~6700円(特に6600円台後半)が立ちはだかる。そう考えても良いのかもしれない。

それにしても、数字とはかくにも興味深いものなのか、改めて感心させられた次第である。


「gamenews.ne.jp 2008.11.3」


!!


空幕長更迭 首相の認識も聞きたい

2008年11月2日東京新聞

 侵略を正当化する偏った歴史観を持つ人物が空自トップを務めていた。論文にまでしたのは確信的な行為だ。更迭は当然だが内外の信頼を損ねた。最高指揮権を持つ首相の歴史認識を聞いておきたい。
 防衛省の綱紀の緩みを象徴する事件が起きた。航空自衛隊トップの肩書を持つ田母神俊雄航空幕僚長が政府見解を真っ向否定する論文を世に問うた。
 「わが国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」「日本政府と日本軍の努力で現地の人々は圧政から解放された」などと、侵略や植民地支配を正当化した。一方で「自衛隊は領域の警備もできない、集団的自衛権も行使できない、がんじがらめで身動きできないようになっている」と、暗に集団的自衛権行使を求める主張もした。
 政府は一九九五年の村山首相談話で「植民地支配と侵略でアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と、侵略を明確に認めて謝罪、歴代政権も踏襲している。
 個人がどのような歴史認識を持とうが自由である。しかし、武装実力組織を指揮し、その発言が対外的にも責任を伴う立場にある自衛隊首脳が、政府見解に反する主張を論文という形で勝手に訴えるのは不見識極まりない。
 集団的自衛権行使に関しても、政府の憲法解釈で禁止されていることへの不満がうかがえる。制服組が軽々しく言及すべきことではない。文民統制を逸脱しているのは明らかだ。
 浜田靖一防衛相は即座に更迭を決めた。今のところ中国、韓国側の反応は冷静なようだが、この問題が蒸し返されることがあれば、良好になりつつある関係もおかしくなるだろう。アジアの人々から日本人の歴史観に疑念を抱かれることがあっては、先人たちの苦労が水の泡になる。
 麻生太郎首相は先の訪中で中国メディアに村山談話踏襲の意向を説明している。田母神論文は「適切でない」と語ったが、適切でないのはその中身かどうか、ぜひ確認しておきたい。麻生内閣には、歴史問題に絡んだ発言で過去に物議を醸した中川昭一財務相もいる。
 この問題に対する首相の処理が早かったのは、事態を重視した表れで妥当だった。しかし野党は政権の体質がにじみ出た事件だとして、国会で徹底追及する構えだ。首相は今後禍根を残さないよう、明確なメッセージを発信してけじめをつけるべきではないか。


前空幕長の論文発表「口頭連絡」だけ、官房長も内容確認せず

2008年11月1日(土)

 昭和戦争などに関して政府見解と反する論文を発表して更迭された航空自衛隊トップの田母神俊雄・前航空幕僚長(60)(10月31日付で航空幕僚監部付)が論文投稿前に、防衛省の中江公人官房長に「職務に関係ない個人的な論文を出す」と口頭で伝えていたことがわかった。

 自衛隊員は論文を外部に発表する際、文書で届け出るよう内規で義務付けているが、口頭で済ませた空幕長と、内容を確認しなかった官房長の双方とも内規をないがしろにした形で、同省による自衛隊へのチェック機能の不全ぶりが浮き彫りになった。

 防衛省は内規で、職員・自衛隊員が職務に関する意見を論文や講演で発表する際、文書で上司に届け出るよう定めている。

空幕長が懸賞論文で独自史観

(時事通信) 10月31日(金)
航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ」などと主張する論文を民間企業の懸賞論文で発表したことが31日、分かった。論文は最優秀賞を受賞し、企業のHPに公開されている【時事通信社】


日本は侵略国家であったのか (全文)

田母神俊雄

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留し
ている。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意
された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮
半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留
も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は. 19
世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手
国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府
から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露
戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守
るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力
をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だと
いう人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したこ
とがない。

この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人
に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日
本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛
け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、と
ても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を
追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコ
ミンテルンに動かされていた。1936年の第. 2次国共合作によりコミン
テルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込ん
でいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊
させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって. 1937年
ぼうれいようちょう8月 15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京
政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表し
た。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なので
ある。

1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言わ
れてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日
本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢
東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論(黄文雄、
ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝
春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて
有力になってきている。日中戦争の開始直前の
1937年 7月 7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われて
きた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の
記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官
はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦
争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのなら
ば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問い
たい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならな
いが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しよ
うとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとし
た国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な
植民地統治をしたのである。
満州帝國は、成立当初の
1932年 1月には 3千万人の人口であったが、毎年 100万人以上も人口が増え続け、
1945年の終戦時には 5千万人に増加していたのである。満州の人口は
何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからで
ある。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけ
がない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか
15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮
半島も日本統治下の 35年間で1千 3百万人の人口が2千 5百万人と
約 2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊
かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われ
ている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々
はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したので
ある。


我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に
力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残して
いる。また 1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。
日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、
台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が
1931年の大阪帝国大学、9番目が 1939年の名古屋帝
国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝
鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国
人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑に
なった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク) という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学
校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後

キンソグォン輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日
本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴
散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いてい
る。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍
士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期
後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン) もいる。


李王朝の最後の殿下である李垠(イウン) 殿下も陸軍士官学校の29期の卒業
生である。李垠(イウン) 殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日
本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重
に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン) 殿下のお妃とな
られたのが日本の梨本宮方子(まさこ) 妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃
候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもり
ならこのような高貴な方を李垠(イウン) 殿下のもとに嫁がせることはなかった
であろう。因みに宮内省はお二人のために. 1930年に新居を建設した。
現在の赤坂プリンスホテル別館である。
また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥(フ) 儀(ギ) 殿下の弟君
である溥(フ) 傑(ケツ) 殿下のもとに嫁がれたの
は、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満
州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っ
ていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがイン
ド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士
官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインド
に嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメ
リカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5
族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって
仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられてい
た当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議に
おいて、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イ
ギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば
当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

時間は遡るが、清国は. 1900年の義和団事件の事後処理を迫られ.
1901年に我が国を含む. 11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600名の兵を置
いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。また
1915年には袁世凱政府との 4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、
いわゆる対華 21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵
略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一
般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わな
い。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし 4年後の
1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華
21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフ
ランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見
た日本人・昭和編(渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認
の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本
軍は、36年後の廬溝橋事件の時でさえ 5600名にしかなっていない「廬
溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会 )」。このとき北京周辺には数
十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原
喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針で
あり、それは今も昔も変わらない。

さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に
突入し 3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本
は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今
では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕
掛けられた罠であったことが判明している。
実はアメリカもコミンテ
ルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書
がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成 18年 5月号に青山学院大学の福
井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナ
ファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信
記録をまとめたものである。アメリカは 1940年から 1948年までの
8年間これをモニターしていた。当時ソ連は
1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。
そこでアメリカは、日米戦争の最中である
1943年から解読作業を開始した。そしてなん
と 37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の
1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。
その後冷戦が終了し 1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。
これによれば 1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政
権の中には 3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇
りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本
人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモー
ゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日
米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを
認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルン
の工作を受け、戦闘機 100機からなるフライイングタイガースを派遣
するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻
撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、
隠密に航空攻撃を開始していたのである。

ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日
米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第 1撃を引かせる必要があった。
日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ
日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を
避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、
アメリカから第 2,第 3の要求が出てきたであろうことは容易に想像
がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日
本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯
機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の
歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されるこ
とに甘んじなければならない。

さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支
配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問
題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そ
して大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの
時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るの
があと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たち
は日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英
霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊
かな生活を営むことが出来るのだ。

一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争
などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているの
であろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかり
である。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難で
ある。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地
を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠さ
れたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。

東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたもの
である。そしてそのマインドコントロールは戦後 63年を経てもなお
日本人を惑わせている。
日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略
する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうという
ものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出
来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁
止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きでき
ないようになっている。このマインドコントロールから解放されない
限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメ
リカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメ
リカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法
もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国
の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なので
はないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らし
ているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日
米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良
好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良
好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも
親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を
未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく
普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き
届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがた
い苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジ
ア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要
がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシ
アで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。
そして日本軍に直
接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接
見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いこと
も知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何
に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だっ
たなどというのは正に濡れ衣である。


日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければなら
ない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自
分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実
を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいこと
であることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を
向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中
でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本
の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の
一途を辿るのみである。



約65年前の太平洋戦争では、

アジア地区の戦争による関係死者は約1000万人とも言われています。

日本人が、かって我が国に侵略したという人々は多いでしょうね・・・

日本人の死者は約200万人です。広島原爆での死者は十数万人といわれていますね・・

第二次大戦は、亡くなった人々が人類の歴史上かってなく多かったことは事実です。

日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ、ということは、

韓国、台湾、中国、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシアなど

日本軍が、進出した国々の方々で亡くなった方々の親類縁者は、

黙ってられないでしょうね・・・・

太平洋戦争には、ドイツはあまり関係していませんからね・・・

こうゆう人々が、トップで、何十年もえんえんといる自衛隊の体質を、

考えなおす必要性はありますよね・・

自衛と、侵略は、ぜんぜんちがいますよね・・

ちょっと前に、次官が、収賄で逮捕実刑で拘留されているのにね・・

なんで、こんな時、100年に一回の世界的経済危機なんて言われているときに、

こんなこと言いたいんだろうね・・・




太平洋戦争(Wikipedia)


年月日:1941年12月8日(日本時間) – 1945年9月2日(または8月15日)
場所:太平洋、東アジア、東南アジア、インド洋
結果:連合国の勝利。日本のポツダム宣言受諾
交戦勢力
アメリカ合衆国
イギリス
中華民国
オーストラリア
オランダ
ソビエト連邦(1945)
他 大日本帝国
タイ王国(1942)
満州国
蒙古自治邦政府
自由インド仮政府(1943)
指揮官
フランクリン・D・ルーズベルト
ハリー・トルーマン(1945)
ウィンストン・チャーチル
クレメント・アトリー(1945)
蒋介石
ジョン・カーティン
ヨシフ・スターリン
昭和天皇
東條英機(1941-1944)
小磯国昭(1944)
鈴木貫太郎(1945)
ピブン
張景恵
デムチュクドンロブ
スバス・チャンドラ・ボース
損害
米国 354,523
英国 86,838
その他 300,000 軍人1,740,955
民間人 393,000
太平洋戦争
南方作戦 - ソロモン - ニューギニア - ミッドウェー作戦 - ビルマ - 中部太平洋 - マリアナ - フィリピン - 沖縄戦 - 日本本土空襲 - 本土決戦 - その他の作戦と戦い














三国志「赤壁の戦い」 呉の将軍 周瑜へ 思い熱く 「レッドクリフ」 ジョン・ウー監督に聞く

 ●等身大のヒーロー描く 「人々を励ます映画に」

 三国志の「赤壁の戦い」を描いたジョン・ウー監督の映画「レッドクリフPartI」が11月1日、封切られる。「M:I‐2」「ウインドトーカーズ」などでヒットメーカーの地位を確立したウー監督が18年間、構想を温め自ら脚本を書いた前後編2分割の大作。今回公開されるのは前編だ。ヒロイン役のリン・チーリンとともに福岡市を訪れたウー監督に作品に込めた思いなどを聞いた。 (堀田正彦)

 ウー監督は「男たちの挽歌」(1986年、香港)で注目され、その後ハリウッド進出を果たした。「当時はよく悲劇のヒーローを描いていたが、その後、私の人生観も変わった。レッドクリフでは等身大の人物を描くことに力を入れ、見た人が励まされる作品になるよう努力した」。こう語るウー監督は今作のテーマを友情、愛、勇気とし、これらは自分の一貫したテーマだという。

 中国統一の野望を抱き強大な兵力で攻め寄せた曹操に対し、呉の孫権は劉備と同盟し迎え撃つ。これが赤壁の戦いだが、三国志にはもう1つのクライマックスとして5丈原の戦いがあり、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事で日本人にもなじみ深い。その5丈原でなく赤壁を舞台に選んだのは、弱者が知恵と団結で強者を退けるという痛快さと、呉の武将、周瑜への強い思い入れがあると、ウー監督は言う。

 「赤壁の戦いは周瑜の指導の下に戦われた。いろいろ書物を調べると、三国志演義に描かれるのとは異なり、周瑜は心の広い人物で武勇だけでなく文学的、音楽的な素養も豊かなリーダーだった」。その周瑜に光を当てることが「人々を励ます映画になる」とウー監督は考えた。

 「大量の矢を敵からせしめる計略や、大船団を火攻めにするといったエピソードを、最新の技術で映像化することは映画監督として力量を試される大きな挑戦だった」。アクションに定評のあるウー監督は、今作でもその手腕を発揮し迫力の合戦シーンが展開する。だが同時に、登場人物の内面も丁寧に描いている。2008/10/27 西日本新聞






赤壁の戦い

年月日:西暦208年冬
場所:赤壁(現:湖北省赤壁市〔zh:赤壁市〕)
結果:孫権・劉備連合軍の勝利
交戦勢力
孫権・劉備連合軍 曹操
指揮官
周瑜
程普
劉備 曹操
戦力
2万~5万 (劉2千~2万、孫2万~3万) 15万~24万
損害14万




赤壁の戦い

数十万の兵を擁すると言われる大軍勢の曹操軍に孫権陣営は恐れを抱いた。しかし、都督周瑜は「中原出身の曹操軍は水軍による戦いに慣れておらず、土地の風土に慣れていないので疫病も発生するだろう。それに曹軍の水軍の主力となる荊州の兵や、袁紹を下して編入した河北の兵は本心から曹操につき従っているわけではないのでまとまりは薄く、勝機はこちらにある」と分析し、孫権に説いた。
魯粛は劉備に孫権と同盟を結んで曹操と対抗するように説き、劉備は諸葛亮を使者として派遣して孫権と同盟を結び、孫権は周瑜・程普ら数万の水軍を劉備の救援に派遣した。一方の曹操軍も長江を下った。両軍は赤壁で一戦を交え、周瑜らは疫病に悩まされていた曹操軍を撃破し、曹操は後退し烏林に陣を張り、周瑜らは長江を挟んで対峙した。
孫権軍の将の黄蓋は、敵の船団が互いに密集していることに注目し、火攻めの策を進言した。そして自ら偽りの降伏を仕掛け、曹軍が油断した隙をつき、油をかけた薪を満載する船で敵陣に接近して火を放った。折からの強風にあおられて曹操の船団は燃え上がり、炎は岸辺にある軍営にまで達した。船団は大打撃を受け、おびただしい数の人や馬が焼死したり溺死したりした。『三国志』呉書周瑜伝の注に引く『江表伝』によると、この時、周瑜らは曹操の陣に追撃をかけ、曹操軍は潰走した。曹操は敗残兵をまとめて撤退した[1]。『三国志』呉書呉主伝によれば、曹操軍の敗残兵の大半が飢えと病で亡くなった[2]。




中国の歴史で有名な赤壁の戦いの映画化。

『LOVERS』 ラバーズの金城武、チャンツィイー 、アンディー・ ラウとの競演よかった。

ウー監督の「M:I‐2」「ウインドトーカーズ」も、よかったですよね。

やっぱり、明日、映画を見に行こう!!!



 今回の米国・クレジットバブル崩壊は非常に性質(タチ)の悪い問題だ。この問題は2年や3年で解決できるものではない。

 私は、米国は戦後(1945年以来)最悪のリセッションに突入したと思っている。当然、株価の回復にも時間がかかることになる。

 今回のリセッションがどの程度長期化するかは米政府やFRB(米連邦準備制度理事会)の政策次第だ。


 1990年代に日本は倒産すべきだった「ゾンビ企業」に対し公的資金を注入して救済した。

 そのために不況を長引かせた。あなたたち日本人はそれを「失われた10年」と呼んでいるのだろう? そして、日本は現在も不況の影響を引きずっている。米国は日本の失敗から学ぶべきだ。


 しかし、現実には10月14日にブッシュ大統領は米大手金融に計2500億ドル(約25兆円)の資本を注入すると発表した。

 このままだと、米国は「90年代の日本」や「70年代の米国」の二の舞いを演じる可能性が高い。つまり、不況は長引き、米国経済が健全化するまでには非常に長い時間がかかることになる。これは大統領選挙で共和党マケイン候補、民主党オバマ候補のどちらが当選しても事態に変化はないと思われる。


 私は「人は必ず失敗するものだし、失敗したらその責任を取るべきだ」という哲学も持っている。米国のウォール街の連中は失敗したんだ。だからその失敗の責任を取らせるべきだろう。決して税金を投入するべきではない。


 一時的にパニックを引き起こす可能性はあるが、倒産する企業は倒産させた方が良い。

「1965年の日本の証券不況」「90年代後半のロシアや韓国」を思い出して欲しい。問題の解決を市場に任せたことで破壊が行われ、そして再生した。われわれは歴史から学ぶべきだ。

 実体経済と株式市場とは異なるので、株式市場にはいずれ反騰相場が来るだろう。しかし私は今回(2008年10月)の底値は米国株の”底”ではないと思う。まだまだ、”谷”は深い。

 日本については、これから数年間は米国に比べると健全な状態を維持できるとみる。
 
日本は幸運にもサブプライム問題の影響を一部を除いてそれほど受けてはいないし、世界の成長センター・アジアとの貿易も多いからだ。これからは長期的に米国株式市場の魅力は低下するだろう。むしろ、これから数年間に限れば日本市場のほうに魅力がある。私なら米国より日本に投資する。


 ただし、長期的に見れば日本には大きな問題が幾つかある。最大の懸念は人口問題だ。あなたは低経済成長で財政赤字増大に悩まされ、人口が減少している国に長期投資したいと思うだろうか。


 人類の歴史上、人口が減少して繁栄した国は皆無だ。日本にとって人口問題は死活問題だろう。30年後の日本は「高速道路や橋があってもそこを通る人がいない」という状態になりかねない。日本政府は公共投資をやめて、その予算をすべて人口減少問題の解決に振り向けるべきではないだろうか。


 また、日本のゆがんだ低金利政策も大きな問題だ。日本人は異常な低金利政策が続いていることで不利益を受けていると気づくべきだろう。こちらは人口問題と異なって「市場」に任せればあすにでも政策修正が可能だ。


ジム・ロジャーズ・・・1942年生まれ、著名投資家ジョージ・ソロス氏と共同で国際投資家会社クォンタム・ファンドを設立。10年で4200%という驚異的なパフォーマンスを上げる。世界一周旅行を2回行った「冒険投資家」としても知られている


モーニングスター2008.11.1


ジム・ロジャーズ
(Wikipedia)
ジム・ロジャース(Jim Rogers、1942年10月19日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州出身の投資家。クォンタム・ファンドの共同設立者(Co-Founder)。現在はRogers Holdingsの会長。

経歴

初めての仕事は5歳のときのピーナッツ売りだった。
1964年 - エール大学を卒業(学士)。夏休みのアルバイトにウォール街で働いたことで投資に興味を持つ。ウォール街で初めての仕事を投資銀行Dominick & Dominickで得る。当時、ウォール街については何も知らず、株式と債券の違いについてさえ知らなかったが、仕事にはすぐに熱中した。 この後、オックスフォード大学へ留学。奨学金で株式投資を行う。
1966年 - オックスフォード大学を卒業し(修士)帰国。数年間アメリカ陸軍に所属する。
1968年 - 見習いアナリストとしてウォール街で働き始める。
1970年 - 投資銀行Arnhold & S.Bleichroederに入社。
1973年 - ジョージ・ソロスとともにクォンタム・ファンドを設立。
1980年 - 仕事を引退。その後、コロンビア大学ビジネススクールの客員教授になる。
1989年 - WCBSの"The Dreyfus Roundtable"で司会を務める。
1990年 - FNNの"The Profit Motive with Jim Rogers"で司会を務める。
2002年 - 毎週土曜日放送のFOX News Cavuto on Businessでレギュラーゲストになる。

クォンタム・ファンド
Arnhold & S.Bleichroeder勤務時にジョージ・ソロスに出会ったことがきっかけで、1973年、ジョージ・ソロスとともにクォンタム・ファンドを設立する。クォンタム・ファンドは10年の間に3365%のリターンを得た(ちなみにこの間、ダウ平均株価は20%上昇したにすぎなかった)。この成功とともに、クォンタム・ファンド運営の考え方の違いからジョージ・ソロスと袂を分かち、1980年に仕事を引退した。両者の訣別については、ジョージ・ソロスもジム・ロジャーズも公には詳細を語ってはいない。
RICI
1998年、Rogers International Commodity index(RICI)を設立。このファンドは、1998年8月1日以来326%の上昇を達成している(2007年12月時点)。2005年に、書籍Hot Commoditiesを著し、従来の投資における考え方とは逆に、商品投資は最良の投資のひとつであることを示した。 RICIのリターンは、1998年7月31日-2004年7月30日の6年間で次のようになっている(株式、債券、不動産と比較)。

Rogers International Commodities Index(RICI) +167.441%
S&P 500 Index -1.69%
Lehman Long Treasury Bond Index +49.36%
Vanguard REIT Index +28.04%
ちなみに、RICIと連動する日本のファンドとして、大和証券の「ダイワ・コモディティインデックス・ファンド」と三貴商事の「商品新時代」がある。

商品市場
1990年代から商品市場が強気相場になることを予見するとともに投資を実践し、21世紀初めの商品相場の高騰を的確に捉えた。原油相場が100ドル(NYMEX:WTI先物)を超えた後も、大型油田の発見が無いことをもとに強気相場の終焉を否定している[1]。

中国市場
中国株式市場の将来性を高く評価して、積極的に中国株投資を行っている。「19世紀はイギリスの時代、20世紀はアメリカの時代、21世紀は中国の時代」と評して、中国に関する著書("A Bull in China")も発刊している。また、娘には中国語(Mandarin)を学ばせている。



1980年代、中国の各地をオートバイで旅行。
1990年-1992年、オートバイで世界6大陸に渡って65065マイルを走破(ギネスブック記録)。
1999年1月1日-2002年5月2日、メルセデスベンツで116カ国を走破(もう一つのギネスブック記録)。総走行距離は、245000キロメートルにも及んだ。レイフ・エリクソンのアメリカ大陸到達千年記念の日にアイスランドを出発し、2002年1月5日ニューヨークの自宅に到着した。

その他

シンガポールへ移住
2007年にニューヨークからシンガポールに移住した。「1807年に英国(U.K.)に移住することはbrilliant、1907年に米国に移住することはbrilliant、2007年にアジアに移住することはbrilliant」と英Telegraphのインタービューに答えている。

中央銀行
米国の中央銀行(連邦準備制度理事会)の金融政策には厳しい見方をとることが多い。たとえば、2008年の金融危機の際には英Telegraphのインタービューの中で、米国の連邦準備制度理事会の低金利・過剰流動性や金融機関の倒産回避指向の政策を批判する一方で、高金利政策や準備金でインフレ抑制策を重視していた中国の中央銀行を高く評価した。

発言
ロシア政府や、世界銀行から発表された情報を信じるなんて、正気か?
自分で調べた会社の株を買いなさい。さもなければ、家で映画を見ているほうがいい。(他人からの情報を信じるな)
幸運は、常に努力を怠らない人のもとへ訪れる。
口を開いてあれこれ喋って、自分が疑いようのない馬鹿だということを証明するよりも、黙っていて、他人に愚か者を見るような目で見られた方がよい。
中央銀行の連中は、木がなくなるまで紙幣を刷っているだけじゃないか?
私の母でさえ、あれがバブルだと気づいていたよ。(90年代のハイテクバブルを指しての発言)
子供や孫には、中国語を教えなさい。


参考になりますね・・・


ジョン・マケイン指名受諾演説・全文

2008年9月11日(木)

米共和党の大統領候補指名を受けて、ジョン・マケイン上院議員は現地時間9月4日夜、ミネソタ州セントポールで受諾演説をした。以下、マケイン氏公式サイトに掲載されたその全文を翻訳します。(gooニュース 加藤祐子)

みなさん、どうもありがとう。わずかなアメリカ人にしか与えられない特権を、今夜いただきました。アメリカ大統領になるため、この党の候補指名をお受けするという特権です。私はいま感謝と謙虚な思いと、自信をもって、みなさんの指名をお受けします。

これまで生きてきて、懸命の努力なくして成功を手にしたことなどありません。今回のこの指名も同じです。それは対立候補として戦ったほかの候補と支援者のみなさんの努力があったからこそです。ほかの候補のみなさんは皆、すばらしい能力をもつ指導者で、この国を愛し、この国をより良くしたいと願っている人たちです。その人たちが私を支援してくれたという、この名誉を私は決して忘れません。

この国の史上最悪の本土攻撃を受けた後、あの暗い日々の中で私たちを導いてくれた大統領に、感謝しています。必ずあるだろうと言われていた次の攻撃からこの国を守ってくれたことにも、感謝しています。そしてファーストレディのローラ・ブッシュにも、公私を問わず常に優雅で優しいお手本のようなあの方にも感謝しています。さらに41代目の大統領と、結婚生活63年目の花嫁にも、お2人が国のために尽くしてきたその素晴らしいお手本に感謝します。

いつも変わらず、妻シンディーと7人の子供たちには恩に着ています。国事にあたる忙しい毎日にあって、家族と過ごす楽しい時間は短い休暇のように思えることもある。けれども忙しいからこそ、家族をことさら大事に思っているし、家族のみんなが与えてくる幸せのない人生など、考えられない。シンディーは今夜、いろいろと私をほめてくれた。けれども本当のところは、私が彼女を発奮させるよりもはるかに、彼女の方が私を奮い立たせてくれるのです。地雷の犠牲者や、貧困の中で障害をもって生まれた子供たちなど、自分たちほど恵まれていない人たちのために、妻は働いてきた。彼女のそうした活動が、人間性の深さを示している。素晴らしいファーストレディになると確信しています。

私が子供の頃、父親は航海に出ていることが多く、姉と弟と私を育てるのは母ひとりの役目だった。母ロバータ・マケインは私たちに、人生を愛し、世の中のことに深く興味をもつことを教え、力強く、国の役に立つよう自分に与えられた機会を活用するべきだという信念を、教えてくれた。母という人のたくましさがなければ、私は今夜ここにこうしていません。

勝算がほとんどなかったころから私を支え、この候補指名を獲得できるよう助けてくれた全て人に、心から感謝します。決してがっかりさせたりしません。まだ誰に投票するか決めかねているアメリカのみなさん、検討いただいてありがとうございます。みなさんの信頼を勝ち取るための機会を与えていただいて感謝します。みなさんの信頼をこれから獲得していくつもりです。

最後に、オバマ上院議員とその支援者の皆さんに。今から2カ月以上、思い切りやりあいましょう。そのためにこの選挙戦があるのだし、私たち2人の姿勢は色々と大きく食い違っている。けれども私はあなたを評価し、尊敬しています。2人の間に違いはあっても、違いよりは共通項の方が多い。私たちは共にアメリカ人です。私にとっては、ほかの何よりもその共通点が大事なのです。私たちは2人とも、全ての人間は平等に創られ、不可侵の権利を創造主に与えられているという命題に、この
身を捧げている。これを上回る大義を掲げた国などない。そしてオバマ議員と支持者の皆さんが成し遂げた偉業を尊重しなかったら、私はアメリカ人たる資格がない。

けれども皆さん、お間違えのないよう。この選挙に勝つのは、私たちです。そして勝った後には、意欲のある全ての愛国者に手を差し伸べ、この政府がみなさんのために再び機能するよう改善し、この国を再び繁栄と平和の道に連れ戻します。

多くの皆さんは今、つらい思いをしています。仕事が続けられるか、あるいは新しい仕事がみつかるかどうか心配している。毎日の食費を心配し、住む家がなくならないか心配している。皆さんが政府に求めてきたことはただひとつ、邪魔をするのではなく味方をしてくれること。私はまさに、そうするつもりです。みなさんの傍らに立ち、みなさんの味方をして、みなさんの未来のために戦うつもりです。

そして私は、ワシントンを刷新するために最高のパートナーを見つけました。アラスカのサラ・ペイリン知事です。彼女には行政トップとしての経験があり、本物の成果を残してきた業績があります。彼女はエネルギー自給自足や腐敗といった難問と取り組んできました。健全財政を実現し、税金を減らし、特殊利権と戦ってきた。党派対立を乗り越え、共和党員だけでなく民主党員にも無党派層にも、自分と一緒に働いて欲しいと呼びかけた。彼女は5人の子供の母親です。小さい会社の経営を助け、自らの手を使って働き、住宅ローンの支払いや医療費の支払いや、ガソリン代や食料品の値段について心配してきた。そうしたことについて心配するというのがどういうことか、彼女はよく分かっています。

ペイリン知事は、自分がどこからやってきた何者で、自分が誰のために働くのか、よく分かっています。正しいことのために立ち上がり、「座れ」と言われても聞く耳を持たない。次の副大統領を国民の皆さんにご紹介できて、とても誇りに思っています。けれども彼女を早くワシントンに紹介したくて、実はウズウズしているのです。ワシントンに巣食う連中には、今から警告しておく。散財が得意で、何もしないのが得意で、自分第一で国は二の次の、そういうワシントンの昔ながらの住人たちに告げる。変化がやってくるぞ、と。
私は、自分のこの国にした約束を破ったりしない。ペイリン知事もそうです。その私たちが、ワシントンを変えると約束し、この国の問題をもうこれ以上、不運な未来の世代に押し付けたりしないと、そう宣言する以上、あてにしてくださって大丈夫です。言ったことはやる、という実績が私たちにはあるし、みなさんへの約束を守るために必要な、力を経験と判断力と気骨が、私たちにはあるのです。

みなさん、私はこれまで異端児と呼ばれてきました。自分が叩く太鼓に合わせて歩く奴だと。ほめ言葉の時もあるし、そうじゃないときもある。異端児という本当の意味は、こうです。自分が誰のために働くのか、私は承知しているということです。党のために働くのではない。特殊利益のためではない。自分自身のためでもない。私はみなさんのために働くのです。

私は腐敗と戦ってきました。悪者が民主党員だろうが共和党員だろうが、かまわなかった。国民の信託を裏切った以上、責任をとらせなくてはならなかった。私は、両党で無駄遣いしまくる連中と戦ってきた。みなさんが毎日の食料を買い、ガソリンを入れ、ローンを払うのに苦心惨憺しているというのに、みなさんが要りもしないし欲しくもないものにみなさんの金を無駄遣いしてきた連中です。私はこの国の選挙から、何百万ドルもの小切手を追放するために戦った。先住インディアン部族から盗みまくったロビイストと戦った。ペンタゴンの怪しい取引とも戦った。タバコ会社や、もうけ目当ての訴訟弁護士、製薬会社や労組委員長たちとも戦ってきた。

イラクでは正しい戦略を適用し、兵を増員するよう戦いました。そう主張すれば人気がなくなると分かっているときにも、そうした。そのせいで私の選挙戦はもう終わりだと評論家たちが宣言したとき、私は、国が戦争に敗れるのを見るよりは自分が選挙に負ける方がよほどいいと答えた。

素晴らしい将軍、デビッド・ペトレアス司令官の指導力のおかげで、そして彼が指揮する勇敢な兵士たちのおかげで、新戦略は成功し、私たちは敗戦を免れました。もしもこの国がイラクで敗れていたら、米軍は戦意を喪失しただろうし、もっと大規模な戦争が勃発したかもしれないし、全てのアメリカ人の安全が脅かされたでしょう。

私は、ここぞと言うときにがっちり戦うのが嫌いではない。なぜそうなのかは神のみぞ知るですが、これまでもそれなりに何度か、しんどい戦いを経験してきました。けれどもそういう戦いを経て、私は大事なことを学びました。つまり結局のところ、何より大事なのは戦えるかどうかではないのだ、と。本当に大事なのは、何のために戦うかです。

私はアメリカ人のために戦います。みなさんのために戦います。私は、ミシガン州ファーミントンヒルズに住むビル・ニービとスー・ニービのために戦います。2人は、住宅市場が下落するなか、不動産投資を失ってしまった。7カ月も失業していたビルはやっと、臨時の仕事をみつけた。スーは必要な支払いをして家計をやりくりするため、仕事を3つも持っている。

私はペンシルベニア州フランクリン郡のジェーク・ウィマーとトニ・ウィマーのために戦います。ジェークは集配センターで働き、リトルリーグのコーチをし、身体・精神障害者のために資金集めをしている。トニは学校の先生で、修士学位をとろうと勉強している。2人には息子が2人いて、末息子のルークは自閉症と診断されました。2人が投票する政治家は、この家族の生活を気にかけなくてはならない。私は気にかけています。

私はニューハンプシャー州ウルフボロのマシュー・スタンリーの家族のために戦います。マシューはイラクで国のために戦い、戦死しました。私は彼のブレスレットをして、毎日、彼のことを考えています。彼が心から愛していたこの国、戻ることのできなかったこの国を、いつまでも敵から守り続けることで、この家族の犠牲を称えるつもりです。

私はこの党のプライドと信念を回復させるつもりです。私たちはワシントンを変えるために選出されたのに、ワシントンによって変えられてしまったからです。一部の共和党員が腐敗の誘惑に屈してしまったため、国民の信頼を失ったのです。政府を改革するより、民主・共和両党とも政府を肥大させてしまったから、国民の信頼を失ったのです。輸入石油への依存を断ち切るのではなく、両党とオバマ上院議員が石油会社を守る企業福利厚生法案をまたしても成立させたため、私たちは国民の信頼を失ったのです。私たちが自分たちの信念よりも、権力を愛するようになったため、国民の信頼を失ったのです。

それを変えなくてはならない。アメリカ人が尊う価値観のために再び立ち上がり、国民の信頼を回復しなくてはならない。私たちのこの党は、リンカーンとセオドア・ルーズベルトとレーガンの党です。私たちは党の基本に立ち返るのです。

メイフラワー号に先祖が乗っていた男の子から、移民労働者のラティーナの女の子に至るまで、全ての人はこの国に貢献できるものをもっているし、神に与えられた可能性を実現するチャンスを得る資格がある。私たちはこう信じている。私たちはみな神の子で、私たちはみなアメリカ人なのです。

私たちは低い税金と財政規律と市場開放を信じている。勤労に報い、大胆なリスクを辞さない人に報い、働いて得た報酬は本人の手元に残るべきだと信じている。

私たちは強い国防と勤労と信仰、奉仕、生命尊重の文化、個人の責任、法の支配、方の正義を中立に執行し、判決を通じて勝手に法律を作ったりしない裁判官を信じている。私たちは家族と隣近所と地域コミュニティーを大切にする価値観を信じている。

アメリカ人の創造性とイニシアチブを解き放つことが、政府の大事な役割だと私たちは信じている。皆さんの代わりに判断する政府ではなく、皆さんが自分で判断できるようにたくさんの選択肢を提供する政府が大事だと信じています。

私は税金を抑え、できるところでは減税します。相手候補は上げるはずです。私はこの国の商品やサービスのために新しい市場を開きます。けれども相手候補は、閉じるはずです。私は政府支出を削減しますが、彼は増やすことになります。

私の減税策は新規雇用を生み出します。彼の税金は、雇用を減らします。私の新しい医療保険制度では、より多くの国民が優れた医療保険に入れるようになる。相手候補のプランでは、中小企業は人員削減と賃金削減を余儀なくされ、そのせいで多くの家族は連邦政府の医療保険に入るしかなくなる。そうなったら、あなたと医者の間には、官僚が立ちはだかることになります。

税金を低く抑えれば、小さな会社は成長し、新しい雇用を作り出すことができます。世界2位の高い法人税率を下げれば、アメリカ企業は競争しやすくなり、雇用の海外流出を防ぐことができる。児童扶養控除の上限を3500ドルから7000ドルに倍増すれば、何百万というアメリカの家族はもっと楽に暮らせるようになります。政府支出を削減し、失敗した政府事業をなくせば、皆さんはもっと自分の収入を手元に残し、貯金するなり使うなり投資するなり、自分で決めることができます。新しい市場を開き、世界経済で競争できるように労働者を訓練することは、私たちの未来の繁栄に不可欠なのです。

経済の変化に取り残された人たちがいることは、承知しています。そのことにみなさんの政府は気づいてさえいないと、確かにそんな風に思えがちです。失業者への政府支援体制は、1950年代の経済状況に合わせて作られたものです。私の在任中に、それは変えます。相手候補は、世界経済がなくなりますようにと祈れば昔ながらの仕事が戻ってくると約束しています。私たちは、もう戻ってこない職を失った労働者が、もう二度と流出しない新しい職を得られるように支援します。

今のこの時代に適した職を得られるよう、訓練するのです。コミュニティー・カレッジを活用して、働く人たちが地域で新しい就職機会を得られるように訓練を手伝ってあげるのです。大きな打撃を受けた産業の労働者には、こうした職業訓練を受けている間、もとの仕事の給料と一時的な仕事の安い給料との差額を政府が一部補填します。そうやって訓練を受ければ、まともな給料の安定した新しい仕事を見つけられるようになる。

教育は、今世紀の公民権問題です。誰でも公立教育を受けられる状況は保証されています。けれども、破綻しつつある学校に通えたとしても、どんな価値があるのでしょう。破綻した学校という官僚制度に競争をもちこんで刷新し、保護者には選択する権利を与え、能力ある指導者を採用しやすくするためムダな垣根を取り払い、優れた教員を採用して奨励し、ダメな教師はほかの仕事に就けるよう支援します。

生徒が受けるべき教育内容を公立学校が提供できていないなら、自分の子供の教育機会について、保護者に選択権があるべきだ。私はその選択権を、親たちに与えるつもりだ。もっといい公立校を選ぶ人もいるだろうし、私立校を選ぶ人もいるだろう。多くの人は(税補助を受けつつ教育内容に政府規制を受けない)チャーター・スクールを選ぶだろう。いずれにしても親たちには選択肢が与えられ、子供たちには教育機会が与えられる。

オバマ上院議員は、学校は組合や硬直化した官僚組織に言いなりになるべきだと考えている。私は学校は、親や生徒たちの要求に応えるべきだと思っている。私が大統領になったら、必ずそうさせる。

アメリカ人の皆さん、私が大統領になった暁には、過去何十年にわたって見たことのない、大胆な国家的プロジェクトに乗り出すことになります。私たちを大して好きでもない国々に、毎年7000億ドルも送るのを止めます。国内でもっとたくさんエネルギーを生産します。沖合いに新しい油井を採掘し、今すぐに採掘を始めます。原子力発電所をもっと造ります。石炭のクリーンな利用技術(クリーン・コール・テクノロジー)を開発し、風力や潮力、太陽光、天然ガスの利用を拡大します。フレックス燃料やハイブリッド、電気自動車の開発と利用を促進します。

オバマ上院議員は、新規採掘なしで、そして原発の増加なしで、この国がエネルギー自給自足を達成できると考えている。けれどもアメリカ人は、そんなわけはないと知っている。石油価格高騰の打撃からこの国の経済を救い、この惑星の健康を回復させるには、万策を尽くし、必要なあらゆる技術を開発しなくてはならない。確かに野心的なプランではある。けれどもアメリカ人は生来、野心的な国民です。私たちはこれまで、もっと大きい難問にも立ち向かってきました。アメリカが率先して世界の先頭に立つ姿を、今こそ世界に見せる時です。

この壮大な国家プロジェクトは、何百万という新しい雇用を生み出します。その多くは、未来の繁栄の原動力となる色々な産業での仕事です。皆さんの子供たちが社会人になるときも、そういう業界に就職できることになるでしょう。

より良い世界の可能性は現在、手に届くところにあります。けれども私たちは、自分たちが生きる今のこの時代における、平和と自由を脅かす脅威をきちんと直視し、立ち向かわなくてはならない。アメリカ人がこれまでもそうしてきたように、自信をもって、賢く、決然として。

私たちはここ数年かけてアルカイダに大打撃を与えてきた。けれどもアルカイダはまだ敗れていないし、可能となればまたこの国を攻撃するでしょう。イランは未だにテロ支援国家であり、かつ核兵器保有の道を歩んでいます。石油利権で潤い、権力によって腐敗しているロシアの指導者たちは、民主主義の理想を捨て、責任ある大国としての義務を放棄しています。ロシアは隣の小さな民主国家を侵略し、これまで以上に世界の石油供給源を我が物にし、ほかの近隣諸国を威圧し、ロシア帝国再編という野望をさらに推進しようとしています。そして今、グルジアの勇敢な人たちには私たちの連帯と祈りが必要なのです。大統領として私は、冷戦の復活を恐れずに済むよう、ロシアと良好な関係を築くため努力します。けれどもだからといって、世界の平和と安定を脅かし、アメリカ国民の安全を脅かす、そんな侵略行為や無法ぶりを見逃すわけにはいかない。

この危険な世の中で、私たちは多くの脅威を前にしている。けれども私は恐れてはいません。私は立ち向かう準備ができています。私は軍隊がどういうところで、何ができて、何がもっと上手にできるはずで、何をしてはならないか、よく知っている。私は世界の仕組みも分かっている。世界にある善と悪を知っている。もっと自由で安全でもっと豊かな世界を私たちと同じように夢見る指導者たちと、どうやったら協力できるか知っているし、その夢をもたない指導者たちとどうやったら戦うかも分かっている。どうやったら平和が確保できるか、私は知っているのです。





5歳のとき、車がやってきて家の前で停まりました。海軍士官が窓を開けて、私の父に叫んだ。日本が真珠湾を爆撃した、と。それから4年間、私はほとんど父を見かけることはありませんでした。あの戦争が終わった後、祖父は背負っていた責任にくたびれはてて家に帰り、そしてその翌日に亡くなりました。ベトナムでは、私はなによりも大事な友人を何人も作りました。一緒に帰国できなかった仲間もいます。私は戦争が大嫌いだ。想像を絶するほど、戦争はひどいものです。

愛する国を守るために、私は大統領を目指しているのです。私の家族のように愛する者を戦争に送らなければならない、そんな経験をほかの家族がしなくても済むように。私は自分がこれまで世界や各国首脳と接して得た経験を総動員して、そしてこの国が使える手段を総動員して、外交手段から経済、軍事、この国の理想の力に至るまで全てを総動員して、永続的で安定した平和の基礎を築くつもりです。

アメリカでは、変えるべきものは変えるというのが私たちのやり方です。アメリカの偉大さに、それぞれの世代はそれぞれに貢献してきた。私たちがやるべきことは、はっきりと目前にあります。探す必要などありません。

私たちは、政府の仕事の仕方を、ほとんどあらゆる面で変えなくてはなりません。安全保障から世界経済で競争する方法に至るまで、自然災害への反応から交通網の燃料をどう供給するかに至るまで。労働者をどう訓練するかから、子供たちをどう教育するかに至るまで。こういう分野での政府のやり方はどれも、世界経済が台頭する前、IT革命の前、冷戦終結の前に設計されたもののままです。私たちは歴史の進展に追いつかなくてはならない。そして私たちは、ワシントンの仕事の仕方
を変えなくてはなりません。


こういう諸問題の解決を妨げる絶え間ない党派対立は、問題の原因ではなく、症状なのです。ワシントンに行く人たちが、皆さんのためでなく、自分だけのために働くと、こういうことになってしまうのです。

私はこれまで何度も何度も繰り返し、解決が必要な問題を解決するために両党の人たちと協力してきました。大統領としても、私はそうやって国を治めるつもりです。この国に再び活力を与えてくれる人なら、私は誰にでも手を差し伸べる。私はこれまでもずっとそうしてきたし、その経歴があるし、その時の傷跡もまだ残っている。オバマ議員にはそれがない。

いいアイディアを最初に思いついたのが自分ではないからといって、せっかくのいいアイディアを拒否するのではなく、両党から出てくるいいアイディアをせいぜい活用すべきです。手柄争いをするのではなく、みんなで分かち合おうではありませんか。私たちがこうと決めれば、この素晴らしい国は何でもできます。私は民主党員にも無党派層にも、一緒に働こうと頼むつもりです。そして私の政権は、今までになく透明性が高く、責任の所在のはっきりした政権となります。

自分たちを頼りにしている人たちのため、私たちはついに、具体的な成果を出していく。それが誰の手柄になろうと構いません。

私はこれまで何年も、この国に仕える不完全なしもべでした。不完全ではあっても、常にいついかなるときも、この国に仕えるしもべであり続けた。そしてこの国に仕えることができるという、その特権を神に感謝しなかった日は一度もありません。良い日でも、悪い日でも。

ずっと昔のことですが、私はある珍しい経験をしました。私の人生において最も大事な、貴重な教訓を教えてくれた経験です。私は、不運という恩恵を受けたの です。本心からそう言っています。英雄たちと共に働くことができた。そして勇気と思いやりと愛情に満ちた行為を何千と見ることができた。そういう恩恵を、 与えられたのです。

とある10月の朝、トンキン湾で、私は23回目になる北ベトナム上空出撃に備えて準備していた。無事に帰還するだろう と、疑いもしてなかった。自分は誰よりもタフだと思っていた。当時の私も、かなり独立心が強かった。ルールをところどころ曲げるのが好きだったし、ただケ ンカするのが楽しいからとケンカをふっかけるようなところもあった。でもどれもこれも、自分が楽しみたいからやっていたこと。自分のプライドを満足させる ためにやっていたことばかりだった。自分より大事な目的がこの世にあるなど、考えてもいなかったのです。

けれどもそんな私が気づいたら、ハノイ市中心部の小さな湖に向かって墜落していた。両腕と片足の骨を折り、怒りに燃える群衆が私を歓迎しようと待ち構えていました。暗い牢屋に放り込まれ、そのまま死んでも構わないと放っておかれた。自分はタフだなんて、もう思えなかった。

私の父が提督だと気づいたので、向こうは私を病院に連れて行った。けれども折れた骨をきちんと固定できなかったので、ただギブスを適当にはめただけ。私は回復しなかったし、体重も100ポンド(約45キロ)くらいまで落ち込んだとき、2人の米兵捕虜がすでに入っていた監房に入れられた。私は何もできなかった。自分で食事もできなかった。2人の仲間が、代わりにやってくれたのです。私はそこでやっと、自分の勝手気ままな独立精神には限界があると、学習し始めました。あのときの仲間たちが、私の命を救ってくれたのです。

解放してやると言われたとき、私は独房に入れられていた。わけは分かっていました。もし私が帰国すれば、北ベトナムはそれをプロパガンダとして使い、ほかの捕虜たちの士気をくじくつもりだったのです。しかし私たちにはルールがあった。先に捕虜になった者から順番に帰国するのだと。私より前に撃墜された兵は何人もいたのです。でも私は、釈放すると言われて、ちょっと考えました。体調は決して良くなかったし、アメリカに何もかもが懐かしかった。けれども私は、断りました。

私よりずっとひどい目に遭った捕虜はいくらでもいる。私も、何度もひどい扱いを受けたけれども、ほかの捕虜はもっとひどい目に遭っている。ひどくやられた後は、わざと平気なフリをしてカッコつけて歩くようにしていた。そうやってほかの捕虜仲間に、自分はタフだからこんなの平気だよと、そういうフリを見てもらうようにしていた。けれども、解放を断ったこのとき、それまでになく手荒くやられてしまった。たっぷり時間をかけて。そして私はついに屈伏してしまったのです。

独房に戻されたとき、私は打ちのめされて、恥ずかしくて、ほかの捕虜仲間にどう顔向けしていいか分からなかった。そのとき、隣の房にいた素晴らしい仲間、友人のボブ・クレーナーが私を救ってくれたのです。壁をコツコツ叩きながら彼は、君はできる限りがんばったじゃないかと励ましてくれた。自分ひとりでいつも立っていられるなんて人間はいないのだ、と。そしてボブは、また立ちあがってこの国のために戦うよう、光栄にも仲間と呼ぶことのできる兵士たちのためにまた戦うよう、励ましてくれた。仲間たちも、毎日わたしのために戦ってくれているのだから、と。


私はよその国でとらわれていた時に初めて、自分の国を愛するようになりました。物質的に豊かだからではなく。まっとうな国だから。国民は賢明で公正で善良だと、信じている国だから。自分の国はただ場所だというだけでなく、ひとつの理念だから。守るために戦う価値のある、大義だから。私はそれまでの自分とは、全く別人でした。私という人間は自分のための存在ではなく、国のための存在になっていたのです。

私は、自分がなにか特別に偉大な人間で、歴史に選ばれた人間だと思うから出馬したのではありません。自分のこの国は私を救ってくれた。自分のこの国は私を救ってくれた。そのことを、決して忘れられないからです。私は自分の息が続く限り、神に誓って、この国のために戦い続けます。

もしもこの国に欠点があると思うなら、自分たちでもっとよい国にしましょう。もしも政府の間違いにがっかりしているなら、政府に参加して、間違いを正すために共に働きましょう。軍に参加して。教師になって。聖職者になって。公職に立候補して。おなかをすかせた子供に食事を与えて。字の読めない大人に読み方を教えて。苦しむ人たちを慰めて。抑圧されている人たちの権利を守って。そうすれば私たちのこの国はより良いところとなり、あなた自身がもっと幸せになれます。なぜなら、自分より大きいもの、大義のために尽くすことほど、人生を幸せにしてくれることはないからです。

みなさんの大統領として、私は毎日、自分の大義のために戦い続けます。私は自分がアメリカ人であることを、常に神に感謝しています。地上で偉大なこの国の誇り高い市民であることを感謝し、勤勉に働いて強い信念といくらかの勇気を持てば、素晴らしいことは必ず手の届くところにあるという自分の境遇を、常に神に感謝しています。そして自分がそうやって神に感謝するように、すべてのアメリカ人が神に感謝したいと思えるよう、戦っていきます。皆さんも一緒に戦いましょう。一緒に戦いましょう!

この国にとって正しいことのため、戦いましょう。

自由な国民の理想と人間性のために、戦いましょう。

子供たちの未来のために、戦いましょう。

この国を敵から守るために立ち上がりましょう。

お互いのために立ち上がりましょう。美しい、祝福に満ちた、豊穣なアメリカのために立ち上がりましょう。

立ち上がって! 立ち上がって! 立ち上がって、戦いましょう! 逃れられない必然などどこにもないのです。私たちはアメリカ人です。そしてアメリカ人は決して諦めない。決して投げ出さない。決して歴史から逃げない。私たちが歴史を作るのです。


みなさんありがとう。神の祝福がありますように。





マケイン候補、共和党の失政認め 変化のため「一緒に戦おう!」

2008年9月5日(金)

米共和党ジョン・マケイン大統領候補の指名受諾演説は現地時間4日夜、野次で始まった。たびたび野次で中断した。そして演説の途中でマケイン候補は、これまでの共和党の失政について「私たちは国民の信頼を失った」と宣言。それでも集まった共和党員たちは「うおおおおお!」と盛り上がった。なぜか。それはマケイン氏が自分は戦うと、何度でも立ち上がり国民のために戦うのだと宣言し、そして国の未来のために「一緒に戦おう!」と呼びかけたから。(gooニュース 加藤祐子)

○「下手な演説」の評判を逆手に

「ジョン・マケインは小さな集会では効果的だが、大きな演説は下手だ」 これが定説。特に今年は相手があのオバマ候補だけに。おまけに、自ら相方に選んだサラ・ペイリン知事が、すごく演説上手で会場を多いに盛り上げた直後だけに。

けれども「そもそもそんなにうまくない」とあらかじめ期待値を下げておいてそれを逆手に使うという戦術も、時にはとても効果的。マケイン演説に先駆けてCNNのコメンテーターたちがさかんに「マケインは演説が下手」と繰り返していたのはもしかして、マケイン陣営の作戦にのせられたのかな、と思うほど。

党大会4日目のCNN中継を観る。歌舞伎の花道のように舞台を客席中央までにぐんと伸ばして、三方を人に囲まれた形で、マケイン候補は演説した。おそらく彼の政治家人生で最重要な演説だ。だからなのか、さすがに、私が今まで(テレビ画面を通じて)聴いたマケイン演説の中では最高の出来だったと思う。

「いまイラクの治安が回復したのは、マケインのおかげ。支持率がぐんと下がって出馬撤退の危機にさらされても、イラク増派を主張し続けたマケインのおかげ。自分のことより国の安全と未来を優先したマケインのおかげ」 これが今の共和党の公式見解で、この日の党大会でも繰り返されていた。

それもあってマケイン氏が登壇すると、どうやって入れたのか、「戦争に反対する帰還兵」のようなことが書かれたTシャツ姿の男性が「侵略戦争に勝利はない」「マケインは帰還兵に不利な投票をする」などのポスターを掲げて野次。ほかにも反戦団体「コード・ピンク」の女性が客席で「戦争反対!」と叫ぶなど。そのたびに会場の共和党員たちは「USA! USA! USA! 」の怒ったような大合唱。

どうなるのかと思ったら、マケイン氏が原稿を離れてニッコリ笑い「みなさん、ノイズや雑音に気を取られないでください。まだお話したいことはたくさんあるんです。私たちの怒鳴り合いに、アメリカはもう飽き飽きとしているんです」と(おそらくこのあと、場内の警備が厳しくなったのだろう。しばらくして野次は止まった)。

○共和党の失政認め

「私はアメリカ人のために戦う。皆さんのために戦う」とマケイン候補は繰り返し、サブプライム危機で家を失った家族のために、病気の子供を抱える家族のために、イラクで息子を失った家族のために戦うのだ、と。ではなぜ共和党政権8年間の後に、今でもそんなに国民が苦しんでいるのかというと……と話は進む。

「私たちはワシントンを変えるために選出されたのに、ワシントンによって変えられてしまったからです。一部の共和党員が腐敗の誘惑に屈してしまったため、国民の信頼を失ったのです。(中略)自分たちの信念よりも、権力を愛するようになったため、国民の信頼を失ったのです。それを変えなくてはならない。自分たちの信念のために再び立ち上がり、国民の信頼を回復しなくてはならない。私たちのこの党は、リンカーンとセオドア・ルーズベルトとレーガンの党です。党の基本に立ち返らなくてはならない」

その共和党の基本とは……というと。低い税金と緊縮財政。自分の労働の糧は自分の手元に残るという保証。強い防衛。勤労。奉仕。個人の責任。法の支配。裁判官の中立性。家族。地域のつながり。何もかも決めてしまう政府ではなく、国民が自ら選ぶ機会を提供する政府。まさに「伝統的な保守」の基本だ。

聴いていて、レーガン政権までは本当に、それが伝統的な共和党の特徴だったのにと思った。極端な宗教保守がこんなに影響力をもつようになったここ約10年の共和党は本当に異常で、マケイン議員はそれにずっと歯ぎしりする思いをしていたのだろうな、と。

○オバマ候補とは違う政策

「自分が何のためにワシントンに来たのか忘れて、私利私欲のためにだけ働く」政治家がいかに多いか、マケイン氏は批判。特殊利権のための法案が提出されたら、自分は必ず拒否権を発動する、民主党だろうが共和党だろうが、私利私欲とロビイストのために働いているのが誰か、名前を全部公表してやる。マケイン氏が怒りを込めてこう言うと、(ロビイストもたくさんいるはずの)会場は多いに盛り上がった。

「自分が誰のために働くのか、私は承知している。党のために働くのではない。特殊利益のためではない。自分自身のためでもない。私はみなさんのために働くのです」

オバマ候補の受諾演説は珍しく具体的だったが、ずっと具体的な政策を語り続けて来たマケイン候補は、対比で語った(「相手候補は○○だ」という内容が必ずしも正確だとは限らないが)。皮肉も侮辱もなく、政策の違いを淡々と語った。

・税金を抑え、できる限り下げる。相手候補は上げる。
・商品・サービスに市場を開く。相手候補は閉じる。
・政府支出を削減する。相手候補は増やす。
・私の減税策は新規雇用を生み出す。相手候補のは雇用を減らす。
・(市場原理を取り入れた)新しい医療保険制度では、より多くの国民が医療保険に入れるようになる。
(国民皆保険を掲げる)相手候補のプランでは、中小企業は人員削減を余儀なくされ、職を失った人たちは連邦政府の医療保険に入るしかなくなる。「そうなったら、あなたがどういう治療を受けるかは「官僚」が決めるのだ」(「かんりょう!(bureaucrats!)」と吐き捨てるように言う、その口ぶりに会場は大拍手)


ほかにも、オバマ候補は生産拠点の海外流出に高税率などの罰則を設けるとしているのに対し、マケイン候補は「一度流出してしまった職がまた国内に戻ってくるなど空約束をするのでなく、流出しない新しい仕事につけるよう労働者の職業訓練を充実させる」と表明。

また「私たちを大して好きでもない国々に毎年7000億ドルも送るのを止めて」エネルギー自給自足を実現するため、新エネルギー開発はもちろんだが、そのほかにオバマ候補と違ってアメリカ近海の油田採掘をただちに開始(候補地には、副大統領候補が知事をしているアラスカ州の自然保護区がある)。原発も増設する。

さらにグルジア情勢に触れ、「冷戦に戻らないよう、ロシアと良好な関係を築くよう努力する。しかし不法行為や侵略は容認できない」として、グルジアとの共闘を呼びかけた。

○どん底から獲得した愛国心

自分は軍人家庭で育った元軍人で、軍に何ができて軍がどう動くか知っている。祖父も父も自分も戦争を経験した。だからこそ「自分は戦争が大嫌いだ。戦争の悲惨を知っているからこそ、この国の安全を守るため、大統領を目指している」と言うマケイン候補は、最後に自分の捕虜体験を語った。

マケイン氏が自分の捕虜体験の中身をこういう大きな場で自ら(ぎこちなくでなく)語るのは、かなり珍しいこと。それぐらいこれは彼にとって、一世一代の最重要演説なのだ。自分のこれまでの人生の重みを、ぶつけてきたのだなと思った。

捕虜になるまでは「自分より大事なものは世の中にないと思っていた。自分がやりたいように、やっていた。それが負傷して捕虜になり自分で食事もできない状態になったとき、捕虜仲間が食事を食べさせてくれた。そこから、自分の勝手気ままな独立精神には限界があると、学び始めた」のだと。

「激しく何日も拷問されて、私はついに屈伏してしまった。独房に戻され、ほかの捕虜仲間にどう顔向けしていいか分からないと絶望していたとき、隣の房の友人が助けてくれた。また立ちあがってこの国のために戦うよう、励ましてくれた。仲間たちも、毎日わたしのために戦ってくれているのだから、と」

「私はよその国でとらわれていた時に初めて、自分の国を愛するようになった。物質的に豊かだからではなく。まっとうな国だから。国民は賢明で公正で善良だと、信じている国だから。自分の国はただ場所だというだけでなく、ひとつの理念だから。守るために戦う価値のある、大義だから」

ベトナムから帰国した自分は、それまでの自分とは全く別人だったとマケイン候補は言う。「私という人間は自分のものではなく、国のものとなった。自分が特別な、歴史に選ばれた人間だと思うから出馬したのではない。自分を救ってくれたこの国を、忘れられないからです」

こう述べてマケイン候補は、「一緒に働きましょう! 一緒に戦いましょう!」と呼びかけた。政府や国や軍に問題があると思うなら、その中に入って改善しましょうと。苦しんでいる人がいるなら、教師を必要としている子供がいるなら、ひとりひとりが働いて助けましょうと。

「そうした方が、ずっと幸せになれるからです。自分よりも大きな目的のために尽くすことほど、ありがたい体験はないからです」

「一緒に戦いましょう!(Fight with me!)」 こう何度も繰り返したあと、マケイン候補はこう締めくくった。

「私たちは決して諦めない。決して投げ出さない。決して歴史から逃げない。私たちが歴史を作るのです」

本物を直接聞いてみたいですね・・・

でも、英語は、そんなに得意ではないのです・・

日本の政治家さんと、ずいぶん違いますよね・・


ジョン・マケイン
John Sidney McCain III


生年月日 1936年8月29日(72歳)
出生地 パナマ運河地帯
出身校 海軍兵学校
所属政党 共和党
配偶者 シンディ・ヘンスリー・マケイン
アメリカ合衆国上院議員
選挙区 アリゾナ州
当選回数 4回
就任日 1987年1月3日
アメリカ合衆国下院議員
選挙区 アリゾナ州第1選挙区
当選回数 2回
ジョン・シドニー・マケイン3世(John Sidney McCain III、1936年8月29日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。パナマ生まれ。海軍兵学校卒業。連邦下院議員(1983年 - 1987年)、連邦上院議員(アリゾナ州選出、1987年 - )。2008年大統領選挙における共和党の指名候補である。
共和党の重鎮議員だが、党派にとらわれない議会活動で知られ、しばしばmaverick(一匹狼)と形容される。共和党政権への厳しい批判も辞さないことから、保守強硬派からの反発を浴びる一方、穏健派・中道からの支持は根強い。そのため2004年の大統領選挙では、民主党候補ジョン・ケリーの副大統領候補となる可能性が盛んに報じられた。宗教はバプティストで、尊敬する政治家は同国のセオドア・ルーズベルト元大統領である。
著名な海軍提督の祖父と父をもち、マケイン自身も海軍航空士官としてベトナム戦争に従軍。1967年に北ベトナム上空を飛行中に撃墜され、5年間に渡って捕虜となり、最初の2年は厳しい拷問を受けながらも耐えたエピソードにより、英雄視される。息子は海兵隊員である。




 昨日、なぜか外務省の記者クラブで「民主党政策INDEX2008」という民主党の政策集が配布されました。以前にも、「民主党国会レポート2008」という冊子が配られたことがありますが、これは誰が持ってくるのでしょうね。調べていないのでよく分かりませんが、別に外務省が民主党に肩入れしているわけでもないでしょうから、ちょっと不思議な気がします。

 それはともかく、せっかくいただいたのだから、この「INDEX」の中から、私がざっと読んだ中で気になる政策をいくつかピックアップし、抜粋を紹介したいと思います。民主党のこれまでの取り組みや、今後の方針などが記されています。民主党の政策については、以前から公になっている割には、よく知られていない部分もあると思うので、いい機会ですね。(※)内は私の補足です。

■ 内閣・消費者

【戦後処理問題】民主党は、アジア等の女性に対する旧日本軍による「慰安婦」問題の解決を図るための「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」を国会に提出しました。(※要するに、元慰安婦は官憲に強制されたものだとして、謝罪と賠償を行おうという法律です)

【靖国問題・国立追悼施設の建立】A級戦犯が合祀されている靖国神社に、総理が参拝することは好ましいことではありません。(中略)国家の機関である総理や閣僚が公式参拝することや、1宗教施設である靖国神社をわが国における戦没者追悼施設の中心施設として位置づけるのは、憲法で規定している「信教の自由」や「政教分離」に抵触する可能性があります。民主党は、何人もわだかまりなく戦没者を追悼し、非戦・平和を誓うことができるよう、特定の宗教性を持たない新たな国立追悼施設の設置に向けて取り組みを進めます。(※福田康夫元首相が官房長官時代に設置し、自民党内の反対でつぶれた「追悼懇」の結論にそっくりですね)

【沖縄政策】「民主党沖縄ビジョン」では、従来型の補助金や優遇措置に依存する活性化ではなく、沖縄本来の魅力や特性を最大限活用することを基本的な方向性として、経済振興・雇用創出・自然環境政策、教育政策等、沖縄の真の自立と発展への道程を示しています。(※なぜかINDEXでは触れていませんが、民主党沖縄ビジョンは、沖縄に「一国二制度」を取り入れるとしています。)

■ 子ども・男女共同参画

【選択的夫婦別姓の早期実現】選択的夫婦別姓等の導入のため、民法を改正します。(※この問題に関しては、個人的に思うところがあるので、いつか日を改めてじっくり書きたいと考えています)

■ 行政改革

【公務員制度の抜本改革と労働基本権の回復】民主党は、公務員の職務の特性にかんがみて特に異なる取扱い必要となる場合を除き、公務員の労働基本権を回復します。その結果、労働条件は民間と同様、交渉で決められるようになります。(※ここで言う労働基本権とは、労働組合をつくる権利、団体交渉を行う権利、ストやサボタージュを行う権利のことですね。さすが自治労、日教組を支持母体とするだけあります)

■ 政治改革

 【永住外国人の地方選挙権】民主党は結党時の「基本政策」に「定住外国人の地方参政権などを早期に実現する」と掲げており、これに基づいて永住外国人に地方参政権を付与する法案を国会に提出しました。さらに2008年5月、永住外国人地方選挙権の付与について検討するため、党内に「永住外国人地方選挙権検討委員会」を設置しました。(※これは私もたびたびこのブログで取り上げてきましたが、政権を取ったらどうするのでしょうか気になります)

■ 法務

【人権侵害救済機関の創設】人権侵害を許さずその救済を速やかに実現する機関の創設を目指します。民主党が2005年の162回通常国会に提出した「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」(人権侵害救済法案)では、内閣府の外局として中央人権委員会、各都道府県に地方人権委員会を設置し、人権侵害に係る当事者への助言・指導などの一般救済手続きと調査・調停・仲裁等の特別救済手続きを行うことができるよう定めています。報道機関による人権侵害については特別救済手続きの対象とはせず自主的救済制度をつくる努力義務を定めています。(※お分かりの通り、これは民主党版人権擁護法案です。まあ、民主党は部落解放同盟の支持政党なのですから当然ですが、マスコミは対象外というところが何とも…)

【人権侵害の救済へ向け国際機関への個人通報を制度化します】人権侵害の救済機会を広げるため、国際機関に対し個人が直接に人権侵害の救済を求める制度(個人通報制度)が適用されるよう、政権獲得後速やかに関係条約の選択議定書の批准等の措置をとります。(※これも、特定勢力が日本の国際イメージを落とすための道具として悪用されそうな気がします。)

■ 文部科学

【教科書検定および採択について】教科書採択にあたっては、保護者や教員の意見が確実に反映されるよう、現在の広域採択から市町村採択へ、さらには学校単位(学校理事会)へと採択の範囲を段階的に移行します。(※これはそのものずばり、日教組の意向がより採択に反映されるようにするということですね)

…上に挙げたような政策は、私にとってはどれも日本の将来を決める上で非常に大切な問題であり、決して見逃せない争点であるわけですが、実際問題、一般有権者の大きな関心事項とはずれがあるのでしょうね。まあ、仕方ありません。私は、私が思うところ、大事だと考えることを言い続けるしかできませんから。何かの参考になれば幸いです。2008.10.15 イザ 阿比留瑠比さんブログより




わたしは、都立高校出身ですが、日教組の先生から、

政経の授業は、マルクスの資本論だけをおしえてもらいました。

ぜんぜん覚えていませんが、ひどい話ですよね。

大学では、マクロ経済学、サミェルソン、フリードマンですが・・

こんなんじゃ、こわくて、まかせられませんね!!!


2008年8月30日(土)

米民主党の大統領候補指名を受けて、バラク・オバマ上院議員は29日夜、コロラド州デンバーで約8万人を前に受諾演説をした。以下、オバマ氏公式サイトに掲載されたその全文を翻訳します。(gooニュース 加藤祐子)

ディーン委員長、親友のディック・ダービン、そしてこの偉大な国の国民のみなさん。大いなる感謝と共に、身の引き締まる思いで、みなさんが私をアメリカ合衆国の大統領候補に指名してくださったことをお受けします。

私と共にこの旅路を歩んでくれた、歴史的な候補のみなさんに感謝したい。中でも特に、いちばん長く旅を共にしてくれた人、働くアメリカ人を守る戦士、そして私やみなさんの娘たちの憧れの人、ヒラリー・ロダム・クリントンに感謝したい。あるいはビル・クリントン大統領に。彼ならではの説得力で変化が必要だとゆうべ力説してくれたクリントン大統領にも感謝したい。さらには、公の奉仕の精神そのものを体現するテッド・ケネディに。そして次の米副大統領となるジョー・バイデンに。みなさんに感謝したい。当代最高の政治家のひとりと、この旅路を最後まで歩けることに、とても感謝している。未だにアムトラックの電車で毎晩帰宅するジョー・バイデンは、各国の指導者とも車掌とも同じように気兼ねなくいられる、そういう人です。

私の最愛の人、次のファーストレディとなるミシェル・オバマと、娘たちマリアとサーシャ。君たちのことが大好きでたまらない。心から愛しているし、誇りに思っているよ。

4年前、私はみなさんの前に立ち、自分の物語を語りました。ケニア出身の青年とカンザス出身の若い女性が知り合い、短い間ではあったけれども共に暮らしたこと。2人とも裕福でも有名でもなかったけれども、アメリカでなら、自分たちの息子は自分たちの夢を追いかけてくれると共に信じていたこと。

その希望が、その約束があるからこそ、この国は昔からほかに類のない、特別なところだったのです。自分の身を捧げて一生懸命働けば、誰もが自分ひとりひとりの夢を追求できるし、同時に大きなアメリカという家族として団結できると。そしてこの国では、次の世代が必ず、自分たちの夢を受け継いでくれると。

だからこそ、私は今夜ここに立っているのです。なぜなら232年もの間、その約束が脅かされようとするたびに、普通の人たちが立ち上がり、学生や兵士や農家や教師、看護師や用務員といった普通の人たちが、約束を守るために勇気をふりしぼってきたからです。

私たちは今そういう決定的な節目にさしかかっています。この国は戦時下にあり、経済は混乱し、アメリカの約束がいま再び損なわれようとしています。

今日この夜、前よりも多くのアメリカ人が職を失い、前よりも多くの人が前よりも少ない賃金のため前よりもたくさん働いています。前よりも多くの人が家を失い、さらにたくさんの人が、自分たちの家の価値があっという間に目減りするのを目の当たりにしている。前よりも多くのみなさんは、車を持っていても運転するだけの金がない。クレジットカードの請求を払えない。学費などとても払えないという状況にある。

この困難な状態は、全部がぜんぶ政府のせいというわけではない。しかしこの困難な状況に政府が反応しないのはワシントン破綻のせいであって、ジョージ・W・ブッシュの失政のせいです。

アメリカよ、過去8年間のこの国の状態が、私たちにふさわしいものであるはずがない。私たちはもっとよい国で暮らす資格があるはずです。

この国はもっといい国のはずです。オハイオ州で一生まじめに働いてきた女性が退職を目前にして、今ここで大病をしたら老後は悲惨なものになってしまうなど、そんなスレスレの状態でいなくてはならないなど、そんな国のままでいいはずがない。

あるいはインディアナ州のある男性の場合。20年も使い慣れてきた機材が梱包され、中国に送られていくのをなすすべもなく見ていた彼は、家族に失業したと伝えなくてはならず、どうしようもなく情けない思いをした。その体験を私たちに語るとき、声をつまらせて言葉を失った。働く人がそんな思いをしなくてはならない、そんな国でいいわけがない。

帰還兵が路上で眠るしかなく、あちこちで家族が貧困に陥るのに何もしない。あるいは大都市がみんなの目の前で水没していくのに、手をこまねいてばかりいる。そんな政府よりも、私たちははるかに思いやりが深い国民のはずです。

この夜わたしはアメリカの国民に言う。民主党員に、共和党員に、無党派層に、この偉大な国のすべての人に。もうたくさんだ! 今この瞬間、この選挙は、アメリカの約束を21世紀にも残すための、大きなチャンスなのです。

なぜなら来週、ジョージ・ブッシュとディック・チェイニーの政権を2期にもわたって送り出した同じ政党が、ミネソタに集まり「3期目もよろしく」と国民に頼み込む予定だからです。

一方で私たちがここに集まったのは、次の4年間が過去8年と同じになるなど耐え難いほど、この国を愛しているから。11月4日には私たちは立ち上がって、「8年で、もうたくさんだ」と言わなくてはなりません。

とはいえ誤解のないよう。共和党の候補、ジョン・マケインは、この国の軍服を身にまとい、勇敢で優れた業績を残した。私たちはそのことを彼に感謝するし、尊敬している。そして来週になれば言葉を尽くして大勢が、いかにジョン・マケインが反逆児かを語るでしょう。かれはこれまでさんざん、党の方針に逆らってきた。だからこそジョン・マケインは変化を実現できるのだと。

しかし彼の経歴は反対のことを示している。ジョン・マケインは90%もの頻度で、ジョージ・ブッシュの政策を支持すると投票してきたのです。マケイン上院議員は「判断力」についてよく話すが、ブッシュ政策の9割が正しいと思ってきた人の判断力はいかがなものか。みなさんがどう思うか分からないが、「変化の可能性は10%」というのは、私には到底受け入れられない。

実際のところ、みなさんの生活を変えてくれるあらゆる政策課題について、医療保険や教育や経済について、マケイン議員はまったくもって「自由な一匹狼」などではなかったのです。政権の下でアメリカ経済は「大いに進歩した」など、そんなことをマケイン議員は言う。経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)はしっかりしていると言う。マケイン議員の主要顧問で、経済政策をまとめた担当者にいたっては、アメリカ国民が抱えている不安感について、「心理的な景気後退」に過ぎないと一蹴したのです。この人物いわく、私たちは「愚痴っぽい国民」になってしまったのだそうです。

「愚痴っぽい国民」? あなたたちは愚痴を言っているだけだと、その同じことをミシガンの自動車工場で工員たちに言ってみたらどうか。自分の仕事に誇りをもつ彼らは、工場が閉鎖されると知ってもなお、自分たちが作るブレーキを必要としている人たちがいると分かっているから、毎日出勤して、前と同じように真面目に働き続けたのです。

「愚痴を言っているだけだ」と、その同じことを軍人の家族に言ってみたらどうか。愛する家族がイラクに3度目、4度目、5度目と出兵していくのを見つめつつ、黙って重荷を背負っている家族に。この人たちは愚痴っぽい国民などではない。みんな一生懸命働き、国や社会に貢献し、文句も言わず歩き続ける人たちだ。私が知っているアメリカ人とは、そういう人たちです。

アメリカ人の日々の暮らしで何が起きているのか、マケイン上院議員が気にもしていないと、そういうことだとは思っていません。ただ、知らないだけなのだと思う。でなければいったいどうしたら、中流とは年収500万ドル未満の人だなどと言えるでしょう。でなければいったいどうやって、大企業や石油会社にばかり何千億ドル分もの減税措置を提案するのに、1億人以上ものアメリカ人の税金は1セントたりとも減らそうとしないなどという態度がとれるでしょう。でなければどうやって、国民の負担を増やすような医療保険を提案したり、国民の大学の学費負担を全く軽減しない教育改革を提案したり、社会保障を民営化してみなさんの年金生活を危険にさらすような真似ができるでしょうか。

ジョン・マケインは国民のことを気にしてないわけではない。ジョン・マケインは国民のことが分かっていないのです

マケイン議員は20年以上も、すでに否定された古臭い共和党哲学にこだわってきた。それはつまり、富めるものにもっともっと与えることで豊かさが少しでもほかのみんなに染みわたるよう期待するという哲学です。ワシントンではこれを「持てる者の社会」と呼ぶ。しかしその本当の意味は、みんな自分の身は自分で守るしかないという社会のことです。失業した? 残念でした。自分で何とかしろ、と。医療保険がない? 市場がなんとかしてくれるよ。貧困の中で生まれた? 藁にすがってでも這い上がれ。すがるべき藁すらなかったとしても。自分のことは自分で何とかするしかないのだ、と。

しかしもうさすがに、共和党は自分たちの過ちを認めなければならない。そして今こそ私たちは、アメリカを変化させなくてはならない。だからこそ私は、アメリカ合衆国の大統領に立候補したのです。

要するに私たち民主党は、この国における進歩とはいったい何かについて、共和党とはかなり違う物差しを持っている。

私たちが進歩というのは、どれだけたくさんの人が住宅ローンを払えるだけの仕事を見つけられるかどうか。毎月毎月少しずつでも貯金すればいずれ、自分の娘が大学の卒業証書を手に出来るかどうか。私たちが進歩と呼ぶのは、ビル・クリントンが大統領だったときに創出した2300万もの雇用機会のこと。クリントン時代のようにアメリカの平均世帯年収が7500ドルも増えたこと。ブッシュ時代のように2000ドルも減ることを、私たちは進歩とは呼ばない

経済が強いかどうかの指標となるのは、億万長者が何人いるかではありません。フォーチュン500に名を連ねる企業がどれだけ収益を上げているかでもない。経済の力を計る指標は、誰かがいいアイディアを思いついたら、駆けに出て新しいビジネスを始められるかどうかです。あるいは、チップを頼りに生計を立てているウェイトレスが、病気の子供の面倒を見るために1日休んでも首にならないかどうか。勤労の尊厳を尊重する経済かどうかです。

経済力を計る指標となる基本的な条件とは、この国を偉大なものにした基本的な約束をかなえているかどうかだ。この国を偉大なものにした、基本的な約束をかなえる。ただそのためにだけ、私は今夜ここに立っているのです。

なぜなら、イラクやアフガニスタンから帰ってくる若い帰還兵の顔に、私は自分の祖父を見るからです。祖父は真珠湾の後に志願し、パットン将軍の部隊で行軍しました。そして政府は祖父の行為に感謝して帰還兵奨学金を支給し、おかげで祖父は大学に行くことができた。

夜勤に出かける前に3時間しか眠れない若い学生の顔を見て、私は自分の母を思います。母は大学に行きながらひとりで私と妹を育ててくれた。食事の配給券に頼ったこともあるけれども、それでも学生ローンや奨学金に助けてもらいながら私と妹を、国内でも最高峰の学校に行かせてくれた。

働いていた工場が閉鎖してしまったという話を聞くと、私はシカゴの貧しいサウスサイドの住民を思い出す。地元の製鉄所が閉鎖してしまってから20年間、戦い続けた人たち。私と一緒に戦ってくれた人たちを思い出します。

そして起業したくてもいかに難しいか女性が語るのを聴くたびに、自分の祖母のことを思い出す。祖母は秘書として仕事をしはじめて、何年も女性だからというだけで昇進させてもらえなかったものの、それでもがんばって中間管理職になった。努力する、勤勉に働くことの大切さを教えてくれたのは、祖母でした。祖母は車の買い替えも自分の洋服も後回しにして、私を優先してくれた。祖母は自分の全てを私に注ぎ込んでくれた。祖母はもう遠くへ移動することができないが、いまこれを見てくれているはずです。今日この夜は、祖母の夜でもあるのです。

「セレブの生活」がどういうものか、ジョン・マケインはどう考えているか知らないが、私のこれまでの生活は説明したとおりです。私のヒーローというのは、この人たちです。この人たちの物語がわたしの人生を形作ってくれたのです。そしてこの人たちのために、この人たちの代理人として、私はこの選挙に勝って、アメリカ大統領としてこの国の約束を守り続けるつもりです。

アメリカの約束とは何なのか。

私たちはひとりひとり全員、自分の人生を思うように作り上げていくことができる。その一方で、お互いを尊重し尊敬し合う義務がある。それがアメリカの約束です。

市場はやる気と変革と成長を作り出すべきだが、企業はアメリカに雇用を生み出し、アメリカの労働者を守り、ルールに従うという責任にもとづいて行動しなくてはならない。それがアメリカの約束です。

政府が何から何まで問題を解決することはできないが、政府は私たちが自分だけではできないことをやるべきだ。国民を守り、全ての子供にまともな教育を与えるべきだ。水の清潔と安全を確保し、子供のおもちゃの安全性も確保すべきだ。新しい学校や新しい道路、科学と技術に投資すべきだ。それがアメリカの約束です。

この国の政府は私たちを痛め付けるのではなく、私たちのために働くべきです。私たちを傷つけるのでなく、私たちを助けるべきです。政府は、最初から富と影響力に恵まれている者に機会を保証するのではなく、働く意欲のある全てのアメリカ人に機会を与えるべきです。

それがアメリカの約束です。自分の責任は自分でとるのだという一方で、私たちはみんな一緒にひとつの国民として栄えたり衰退したりするのだと。兄弟を守る、姉妹を守るという、その基本的な信念のことだ。

その約束を守らなくてはならない。そういう変化がいままさに必要だ。なので、私が大統領になった場合の変化とはどういうものになるのか、具体的に正確に挙げていきたい。

変化とは、労働者や中小企業を助ける税法のことだ。税法案をまとめたロビイストの利益になる税改革のことではない。

ジョン・マケインと違って私は、生産拠点を国外に移転する企業への法人税免税を撤廃し、アメリカ国内にいい雇用機会を作り出す企業の法人税を減免します。

将来の高収入・ハイテク雇用を作り出す中小企業や新規企業に対するキャピタルゲイン税を撤廃します。

そして私は、いいですかよく聞いて、勤労世帯の95%に対して減税をします。今のような景気の状態では、中流世帯に増税するなどあってはならないから。

そしてこの国の経済と安全保障と、この惑星の未来のために、私は大統領としてはっきりとした目標を立てます。10年以内に、中東産石油への依存をついになくします。絶対にそうするのです。

ワシントンはもう30年間も、アメリカは石油中毒だと言い続けて来た。そしてちなみにその26年の間、ジョン・マケインはずっとワシントンにいた。その間ジョン・マケインは、自動車の低燃費化に反対し、再生可能エネルギーへの投資に反対し、再生可能燃料に反対してきた。そしていまこの国は、マケイン上院議員が就任した時と比べて3倍もの石油を輸入しているのです。

今こそこの中毒を断ち切るときです。そして石油採掘拠点の拡大はその場しのぎにすぎず、長期的な解決にはなり得ないと理解しなくてはならない。

大統領として私は、国内の天然ガス資源を開発し、石炭のクリーンな利用技術(クリーン・コール・テクノロジー)に投資し、原子力発電を安全に利用する方法を開発する。低燃費車を米国内で製造できるよう自動車メーカーを支援し、米国民がこうした低燃費車を購入しやすくする。再生可能で低価格の新エネルギー(風力・太陽光・バイオ燃料など)のため、次の10年の間に1500億ドルを投資する。この投資を通じて、新規産業が立ち上がり、外国にアウトソースできない500万もの新規雇用が創出されるでしょう。

アメリカよ、今は小さな計画をたてる時ではありません。

今こそ国としての道義的な義務を果たし、すべての子どもに一流の教育を与えるときです。なぜなら二流の教育では世界経済で競争できないから。みなさん、ミシェルも私も、教育を受ける機会を与えられたからこそ、今ここにいるのです。その機会が全ての子供に与えられないような、そんなアメリカに満足するつもりはない。私は幼年教育に投資し、新しい教師を次々と採用し、給料を増やしてもっと支援する。その代わりに教師としてもっと高い水準を要求し、自分の仕事に責任をもつよう求める。そして全ての若いアメリカ人に対して,約束を守ります。地域や国に奉仕したすべての若いアメリカ人が、大学教育を受けられるようにするのです。

今こそ国民への約束を守り、全ての国民に安く使いやすい医療保険をついに提供するときです。私の計画では、すでに医療保険に入っている人の保険料は下がり、入っていない人は連邦議員と同様の医療保険提供する。私は末期がんで死んでいく自分の母が病床にいながら、治療内容について保険会社と言い合うのを見ていた。なので私は必ず、病気に苦しんで誰よりも治療を必要としている人を、保険会社が差別できないようにします。






今こそ、働く家庭に、有休の病気休暇や、今よりもいい育児介護休暇制度を与えるべき時です。病気の子供や病気の親の面倒を見るか、仕事を続けるか、そんな選択をアメリカ人がしなくてはならないなど、そんなことはあってはならないから。

今こそ企業倒産の関係法を修正し、CEOの巨額ボーナスよりもまず真先に、みなさんの退職金・年金資金が守られるようにする。そして将来世代のために社会保障制度を守るべき時です。

そして今こそ約束を守って同一賃金法を実現し、男だろうと女だろうと同じだけ働いたら同じ賃金を得られるようにする時です。私は自分の娘たちと、みなさんの息子たちが、全く同じ機会を得られるようにしたいからです。

さて、挙げてきたいろいろな計画には、お金がかかります。そこでどうやって財源を確保するか、10セント単位に至るまできっちり計画したのです。まず企業に与えられている様々な抜け穴や減免措置を撤廃し、米国の成長を助けないタックスヘイブンも廃止する。と同時に、連邦政府予算を一行ずつしらみつぶしにして、無駄で無用な政府事業を排除します。また必要な政府事業をもっと改革してもっと安くなるようにします。なぜなら20世紀の官僚制度で21世紀の挑戦に応えることはできないからです。

そして民主党の皆さん、アメリカの約束を実現するには、財源だけ確保すればいいというものではない。そのことを受け入れなくてはなりません。約束を実現するには、ジョン・ケネディが私たちの「知性と倫理の力」と呼んだものを改めて呼び覚ます必要があります。確かに、エネルギー自給自足の実現は政府が主導しなくてはならない。けれども家庭や会社のエネルギー効率を改善するためには、私たちひとりひとりが努力しなくてはならない。確かに、犯罪や絶望に落ち込む若者たちに成功へのはしごをもっと差し伸べる必要があるが、政府事業よりも親の方が大事です。政府はテレビを消して回って子どもに、宿題をやらせることはできない。父親ひとりひとりが、もっと責任をもって、子どもたちを愛情をもって導かなくてはならない。

個人としての責任と、お互いへの責任。それが、アメリカという約束の真髄なのです。

次世代への約束を守らなくてならないのと同様に、アメリカの約束を外国でも守らなくてはなりません。次の全軍の最高司令官として、最もふさわしい気質と判断力の持ち主は誰か、ジョン・マケインが討論したいというのなら、いつでも討論する準備はできている。

マケイン議員は9/11の直後からイラクに目を転じていたが、私は立ち上がってこの戦争に反対した。直面する真の脅威から、注意が削がれてしまうだけだと分かっていたからだ。ジョン・マケインはアフガニスタンは「何とかなる」と言った。しかし私は、9/11に実際に私たちを攻撃したテロリストとの戦いを終わらせるため、物資と資金と兵を増強すべきだと主張した。そしてオサマ・ビンラディンと取り巻きを視認したら、その場で除外しなくてはならないと言明した。皆さん、ジョン・マケインはさかんに、ビンラディンを地獄の門まで追いかけて行くと繰り返しているが、実際にはビンラディンが住む洞窟にも行く気がないのだ。

私がこれまで示して来たイラクからの撤兵計画は今や、イラク政府から支持され、ブッシュ政権にも支持されるようになった。しかもわれわれが財政赤字にまみれているのに、イラクは今や790億ドルもの財政黒字を享受している。にもかかわらずジョン・マケインはただひとり頑固なまでに、誤った戦争を終わらせないと固執しているのだ。

必要なのは、そういう判断力ではない。そんな判断力では、アメリカを守れない。この国は、過去の理念にしがみつくだけでなく、未来の脅威にも立ち向かえる、そういう大統領を必要としているのです。

イラク駐留では、80カ国で活動するテロ・ネットワークとは戦えない。ワシントンにいながら強硬な発言を繰り出すだけでは、イスラエルを守りイランを抑止することはできない。古くからの同盟関係を悪化させたままで、真の意味でグルジアを支えることはできない。ジョン・マケインがジョージ・ブッシュの真似をして、強そうな演説とひどい戦略を重ねていきたいなら、それは彼の選択だ。しかしアメリカが必要な変化は、そんなものではない。

私たちはルーズベルトの政党、ケネディの政党なのです。だから民主党にはアメリカを守れないなどと、そんな言い分には聞く耳を持たない。民主党は国民を守らないなどと、そんなことは言われたくない。ブッシュ・マケインの外交政策は、共和党か民主党かを問わずアメリカ人が何世代にもわたって築き上げてきた伝統を損ねてきた。それに対していま私たちは、アメリカの伝統を復活させようとしているのです。

全軍の最高司令官として、私はこの国を守るために決して躊躇などしない。しかし私が米軍を危険な敵地に派遣するのは、目的が明確な場合だけだ。戦闘で必要な機材を必ず提供し、帰国した兵には必ずふさわしいケアと手当を提供すると、揺るぎなく誓っていなければ、決して米兵を派遣したりしない。

私はイラクでの戦争を責任ある形で終結させ、アフガニスタンにおけるアルカイダやタリバンとの戦いを終わらせる。将来の紛争に対応できるよう米軍を再建する。しかし同時に私は、イランの核兵器保有を食い止めるための、ロシアの侵略を食い止めるための、昔ながらのタフで直接的な外交を復活させる。テロと核拡散、飢餓や民族虐殺、気候変動と伝染病といった、21世紀の脅威を打ち砕くため、新たな協力関係を築いていく。そして私はこの国の倫理性、道義的な拠り所を復活させる。自由という理想のために立つあらゆる人々、平和な生活を望むあらゆる人々、よりよい未来を希求するあらゆる人々にとって、アメリカは最後の拠り所、最後の希望であると、アメリカをそういう存在に復活させるのです。

私はこうした政策を追及します。そしてこれから、これらの政策についてジョン・マケインと討論するのを楽しみにしています。

ただしマケイン議員には、政治目的をかなえるために特定の立場をとったりしてほしくない。たとえ相手の政策に賛成できなくても、相手の人格や愛国心を攻撃する必要はないのです。アメリカの政治においてこの点は変えなくてはならない。

党派対立のルールブックに沿ってこの選挙戦を戦っている余裕はない。今のこの時代、事態はあまりにも深刻で、問われているものはあまりにも重大だからです。なので、愛国心に政党は関係ないと、ここで同意しておきましょう。私はこの国を愛している。皆さんもそうだ。そしてジョン・マケインもこの国を愛しているのです。戦場でこの国のために戦う兵士たちは、男でも女でも、民主党支持者かもしれないし共和党支持者かもしれないし、無党派かもしれない。それでも兵士たちは共に戦い、共に血を流し、同じ誇らしい旗の下で共に死んでいった者たちもいる。兵士たちが我が身を捧げたのは、赤いアメリカでもなければ青いアメリカでもない。彼らはアメリカ合衆国に実を捧げたのです。

なのでジョン・マケイン、お知らせがあります。私たちはみんな、この国を第一に考えているのですよ。

アメリカよ、私たちに与えられた仕事は決して楽なものではない。直面する挑戦に立ち向かうには、難しい選択をしなくてはならない。共和党だけでなく民主党も、古くすりきれた過去の発想や政治を捨て去らなくてはならない。過去8年間で失われたものの中には、給料削減や貿易赤字の拡大など数字だけでは測れないものがある。8年間で失われてしまったのは、みんなで一緒に抱く、共通の目的意識です。私たちはそれを復活させなくてはならない。



中絶については意見がいろいろあっても、望まない妊娠の数を減らすべきだと、その点については合意できるはずだ。を持つというのが実際にどういうことか。オハイオ農村部のハンターと、クリーブランドの都会でギャング暴力に苦しむ市民では、立場がまるで違うだろう。だからといって、憲法修正第2条の権利を守りつつ、AK47が犯罪者の手に渡らないようにするのが無理なわけはない。同性結婚についても様々な意見があるのは知っています。けれども、ゲイやレズビアンの友人たちは愛する人の病室に入れてもらうべきだし、差別されずに生活する権利があると、それくらいはみんな賛成できるはずです。皆さん、移民の扱いについては感情的になりがちですが、母親を幼い子供から引き離して一体誰が得するというのでしょう。あるいは不法移民を雇ってアメリカ人の給料を下げたところで、誰が得するのでしょう。けれどもこうしたこともまた、アメリカの約束の一部なのです。ともに努力し一致団結して分裂を乗り越えるよう、互いに力と思いやりを見出すことも、民主主義の約束なのです。

こういう信念を、お気楽な楽観主義だと一蹴する人たちがいるのは分かっています。公の生活には今よりもっと大きなものがある、もっと確かでもっと正直なものがある、なくてはならないという私たちの信念は、ただ単に増税と伝統的価値観の放棄を押し通すために私たちが持ち出す、トロイの木馬に過ぎないと。そういう人たちがいるのは、もう織り込み済みです。なぜなら、自分に新鮮なアイディアがないのなら、有権者を怖がらせるために古くさい手法を駆使するしかないからです。もしも自分に実績がないなら、自分の対抗馬を悪く言うというのが、古くさい戦い方だからです。大きな大事な選挙を、小さなつまらないレベルの争いにしてしまえばいいのです。

そして今まではそれで勝てたわけです。政府に対してそもそも国民が抱えているシニシズムに、うまく合致するから。ワシントンがうまく機能しないとき、どんな約束も空っぽに思える。何度も何度も希望が打ち砕かれてきたのだから、もう希望するのをやめて手元にあるものだけで良しとした方がいいと。そういう考え方で、通用してきたのです。

わかりますよ。自分が大統領という役職にピッタリふさわしい人間でないことは、よく分かります。大統領にふさわしいとされてきた典型的な経歴はないし、ずっとワシントンで働いて来たわけでもない。

けれども私はいまこうやって今夜、みなさんの前に立っている。なぜならアメリカのあちこちで今、なにかがうごめいているから。何もかも否定して冷笑しようという連中には理解できないでしょうが、この選挙の主役は私ではない。私だったことは一度もない。この選挙の主役はみなさんです。この選挙は、みなさんの選挙なのです。

18カ月の長きにわたり、皆さんはひとりひとり立ち上がって、古い政治に「もうたくさんだ」と告げた。この選挙において何より危険なのは、古臭い見慣れた登場人物が仕切る、古臭いいつも通りの政治を選んでしまうこと。いつもと同じものを選んだのに、何かが変わるかもしれないと期待してしまうことです。

歴史の教訓を、みなさんは身をもって体現してくれました。今この時のような、国の将来を決定するような大事なときには、変化はワシントンからはやってこない。変化が、ワシントンへ向かうのだと。アメリカの国民が強く求めるからこそ、変化は実現する。アメリカの国民が立ち上がり、新しいアイディアや新しいリーダーシップを求めるから、新時代のための新しい政治を要求するから。だからこそ変化は実現する。

アメリカよ、今はそういう大事な時なのです。

大変な困難な待ち受けていることでしょう。けれども私たちに必要は変化はやってくると、私は信じています。その一端を目にしたから。その一端を私自身が生きてきたから。イリノイ州で、その一端をみたからです。前よりも多くの子供が医療保険を受けられるようになり、前よりも多くの家庭が生活保護を脱して働けるようになった。ワシントンでもその一端を見ました。私たちは政党の壁を越えて、政府の情報公開を促進し、ロビイストの説明責任をより重く問うことに成功しました。政党の壁を越えて、帰還兵や退役軍人の待遇を改善し、テロリストに核兵器が渡らないよう対策を強化した。

この選挙戦中にも、変化の一端をかいま見ています。生まれて初めて投票する若者たちの姿に。そしていつまでも心の若い人たちが、長い空白を経て再び政治に参加しようと思い立った姿に。自分が民主党候補を支持するなど思っても見なかった共和党員の姿に。

変化の一端は、仲間が失業しないよう自分の働く時間数を犠牲にする労働者の姿にも、垣間見えます。時間を減らして収入を減らすよゆうなどないのに、彼らは仲間のためにそうするのです。あるいは腕や脚を失っても尚、再志願する兵士の姿にも。あるいはハリケーンと洪水に街が襲われたとき、見知らぬ他人を自分の家に迎え入れる善き隣人の姿にも、わたしは変化の一端を見るのです。

みなさん、私たちのこの国は、ほかのどの国よりも裕福な国です。けれどもこの国の豊かさは、そういうことではありません。この国は地上最強の軍隊を持っているが、アメリカの強さとはそういうことではないのです。この国の大学やこの国の文化は、世界中の憧れです。けれども世界中がいつまでもアメリカにやってくるのは、それが理由ではないのです。

そうではなく、この国が豊かで強く世界中の憧れを集めているのは、アメリカのスピリット、アメリカの約束ゆえなのです。道がおぼろでもひたすら前進し続ける、その原動力。違いにもかかわらずみんなが団結できる、その原動力。見えるものに執心するのではなく見えないものを追い求める、まだ見ぬより良い世界、曲がり角の向こうを追い求める、アメリカのスピリットなのです。

その約束こそが、私たちの最大の財産です。わたしが毎晩、娘たちにお休みを言うとき、そして皆さんが子供たちにお休みを言うとき、子供たちに毎晩繰り返す約束です。その約束のために、移民は海を渡り、開拓者は西を目指した。その約束ゆえに労働者はストを決行し、女性は投票権を求めたのです。

そして45年前の今日この日、その約束のために国のあちこちから大勢が集り、ワシントンへと向かったのです。その約束のために人々は一緒になってリンカーン記念館の前に立ち、ジョージア出身の若い牧師が自分の夢について語るのを聞いたのです。演説のテーマはほかにもいろいろあり得た。怒りと分裂の言葉が響いてもおかしくはなかった。あまりにもたくさんの夢が打ち砕かれてきた不満と、恐怖に屈してしまうよう、呼びかけてもおかしくはなかった。

けれどもあの場で人々が聞いたのは、あらゆる信条と人種の、あらゆる立場の人々が聞いた言葉は、アメリカにおいて私たちみんなの運命は解きようがないほど深く結びついているのだと、そういう言葉でした。みんなが一緒になれば、みんなの夢も1つになれるのだと。「ひとりでは歩けない」と牧師は叫んだ。「みんなで歩いていく今、 誓わなくてはならない。私たちは常に、前へ前へ行進するのだと。決して後ろを振り向かないのだと」

アメリカよ、私たちは後ろを振り向くわけにはいかない。やるべきことがこんなにたくさんあるのですから。こんなにも多くの子供たちに教育を与えて、こんなにも多くの帰還兵を助けなくてはならないのですから。経済を直し、都市を修復し、農村を救わなくてはならないのですから。こんなにたくさんの家庭を守り、こんなに大勢の生活を立て直さなくてはならないのですから。

アメリカよ、後ろを振り向いてなどいられません。私たちはひとりで歩く訳にもいかない。今このとき、この選挙では、私たちは改めて、未来に向かって行進すると誓約しなくてはなりません。その約束を守りましょう。そのアメリカの約束を。そして聖書にもあるように、揺らぐことなく、告白した希望をかたく抱き続けましょう。

みなさんありがとう。神の祝福がありますように。そして神がアメリカ合衆国を祝福されますように。


 もうすぐ、全世界が注目する、アメリカ大統領選挙です。どうなるでしょうか!!!




バラック・オバマ(Wikipedia)
Barack Hussein Obama, Jr.
生年月日 1961年8月4日(47歳)
出生地 ハワイ州ホノルル
出身校 ハーバード大学
所属政党 民主党
アメリカ合衆国上院議員
選挙区 イリノイ州選挙区
当選回数 1回
就任日 2004年1月3日
イリノイ州上院議員
当選回数 2回
バラック・フセイン・オバマ・ジュニア(Barack Hussein Obama, Jr.[1], 1961年8月4日 - )はアメリカ合衆国の政治家。現在イリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員である。政党は民主党。現在、唯一のアフリカ系アメリカ人の上院議員であり、選挙により選ばれたアメリカ史上3人目のアフリカ系上院議員である。ただし母親は白人であるため、混血とも分類される[2]。
生い立ち
ハワイ・ホノルル生まれ。父親はケニア生まれのイスラム教徒であり、母親はアメリカカンザス州出身のスウェーデン(白人)系労働者一家の生まれである。イスラム教の戒律では(少なくとも建前の上では)ムスリムの子はムスリムであらねばならないとされているが、本人は現在キリスト教徒(プロテスタント)である。これについてオバマは自伝で「父はムスリム(イスラム教徒)だったが殆ど無宗教に近かった」と説明している。実際には、ハワイにおいて白人である母親と母親の両親によって育てられたという出自である[3]。6歳から10歳まで、母親と、再婚相手のインドネシア人の義父とともに、インドネシアに在住していた経験もある。
コロンビア大学を卒業後にシカゴに渡りNPOに勤務した後、ハーバード大学ロースクールに入学。アフリカ系として史上初の「Harvard Law Review」の編集長を務めた。
イリノイ州議会議員
卒業後シカゴに戻り、有権者登録活動(voter registration drive)に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。またシカゴ大学ロースクール講師(lecturer)として合衆国憲法を講じていた。人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して、1997年にイリノイ州議会上院議員に選出され2004年まで務めた
2004年には、対立候補を得票率70%対27%の大差で破りイリノイ州選出の合衆国上院議員に初当選した。2004年のアメリカ大統領選挙では、ジョン・ケリー上院議員を大統領候補として選出した民主党大会で「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」。「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓う“アメリカ人”なのだ」との基調スピーチを行い、その模様が広く全米に中継されるとともに高い評価を受けた。





サイゼリヤ、すり抜けたチェック機能

外食を揺さぶる中国リスク

 圧倒的な安さとボリュームで中高生から高齢者まで幅広い客層の人気を集めるイタリア料理のファミリーレストラン「サイゼリヤ」。10月20日、同社のピザ生地から有毒化学物質のメラミンが検出されたことが分かった。1年半前から中国の金城速凍食品に製造を委託していたものだ。

 ピザは1日1店当たり50枚前後の注文が入る売れ筋。該当商品は10月2日までに東日本の店舗で提供されたという。他社製品でメラミン混入が相次ぎ、9月22日に原材料から乳成分を除外。しかし、それ以前に製造したものが消費された。混入は、25日に厚生労働省から指示された自主検査を実施後、10月16日に判明した。

危機管理は“万全”のはず

中国で製造していたピザ生地から有毒化学物質が検出された
 本来、サイゼリヤの製品管理体制は機動的に働くはずだった。


 8月20日頃、サイゼリヤの人気商品の1つ「エスカルゴのオーブン焼き」がメニューから忽然と消えた。同社が毎日実施する自主検査で、微量な菌の発生が確認され、直ちに提供を止めたためだ。人体に影響はないが、在庫は全量処分。高山幸久取締役購買統括部長をヘッドにして原因究明が始まった。

 結果が報告されたのは8月25日午後2時過ぎ。サイゼリヤ神奈川工場(神奈川県大和市)3階の会議室は緊張感に包まれていた。「ちゃんと原因は分かったのですか。どこに障害があり、どう解決していくのか。その手順を説明してください」。正垣泰彦社長の声が響いた。

 外食企業にとって8月は書き入れ時だ。エスカルゴのオーブン焼きも注文量が増大。福岡県内にある取引先の加工工場の稼働率が100%となり、長崎県内にある別の加工工場に生産を委託した。エスカルゴは中国産。流通経路も調べたところ、長崎県内の生産過程でのトラブルであることを突き止めた。工場側も非を認め、新たな対策を講ずることをサイゼリヤに約束した。

 だが、サイゼリヤは拒否した。「抜本的な対策ではなく、同じことを繰り返す恐れがある。そうならない保証を担保できる説明になっていない」(堀田康紀取締役経営企画部部長)という理由だった。担当者は長崎工場との取引を中断。福岡工場に増産体制を整えさせ、大量の注文が来ても品質がばらつかないことを確認して、委託を決めた。メニューは9月上旬に復活した。




調査機関への信頼がアダに

 今回は瞬間的にではあるが、こうした品質管理体制をすり抜けてしまった形だ。正垣社長はこう反省する。

 「工場のある仏山市の公的な調査機関から、サイゼリヤ向けの商品でメラミンは検出されなかったという証明書を受け取り、それを過信してしまった」

 ここ数年、中国食材への信頼は大きく揺らいでいる公的機関の書類ですら、信ぴょう性を欠くケースもある。同社にツメの甘さがあったのは否めない。

 ただ、こうしたリスクを完全に排除するのは難しい。例えば、最近、農薬が検出された冷凍インゲンの場合、「ボイル時と袋詰め時、出入国時など6回近い検査が施されており、このうえ、万全を期すには全量検査しかない」(すかいらーく)。それでも、検査対象外の薬品などが意図的に混入された場合などはお手上げだ。

 外食企業では原価の安い中国食材を追放しては経営が成り立たない。人件費の安さや地理的な近さから、加工費や輸送費がほかのアジア地域より抑えられるからだ。

 特に、景気が冷え込み、消費者の自衛意識が高まっている今、メニュー価格引き上げは致命傷になりかねない。中国食材の使用中止は、自社の首を絞める恐れがある。

 正垣社長は「今後は自社で監査体制を強化して精度を高め、中国食材の使用は継続したい」と話す。外食企業は安全と安さの深いジレンマに苦悩している。

 日経ビジネス2008年10月27日号


 サイゼリヤさんは、今まで、多摩地区に2店舗、

 つくらせてもらいました。

 イタリアンが、手頃な値段で食べられ、

 若い人、ファミリーにもとても人気の高いチェーンです。

 ちゃんとした会社さんですよ。

 中国の公的検査も、信用できないとは、しかし、こまったもんですねー!!


 
株式会社サイゼリヤ
Saizeriya Co,. Ltd.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7581
本社所在地 〒342-0008
埼玉県吉川市旭2番地5
電話番号 048-991-9611
設立 1973年5月1日
業種 小売業
事業内容 イタリア料理店「サイゼリヤ」をチェーン展開するフードサービス業
代表者 代表取締役社長 正垣泰彦
資本金 86億1,250万円
売上高 単体827億円 連結849億円
総資産 単体610億円 連結639億円
従業員数 単体1,454人 連結1,589人
決算期 8月31日
主要株主 正垣泰彦 30.51%
株式会社パペット 8.52%
外部リンク www.saizeriya.co.jp