マケイン候補、共和党の失政認め 変化のため一緒に戦おう!指名受諾演説 | 東京リーシングと土地活用戦記

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ジョン・マケイン指名受諾演説・全文

2008年9月11日(木)

米共和党の大統領候補指名を受けて、ジョン・マケイン上院議員は現地時間9月4日夜、ミネソタ州セントポールで受諾演説をした。以下、マケイン氏公式サイトに掲載されたその全文を翻訳します。(gooニュース 加藤祐子)

みなさん、どうもありがとう。わずかなアメリカ人にしか与えられない特権を、今夜いただきました。アメリカ大統領になるため、この党の候補指名をお受けするという特権です。私はいま感謝と謙虚な思いと、自信をもって、みなさんの指名をお受けします。

これまで生きてきて、懸命の努力なくして成功を手にしたことなどありません。今回のこの指名も同じです。それは対立候補として戦ったほかの候補と支援者のみなさんの努力があったからこそです。ほかの候補のみなさんは皆、すばらしい能力をもつ指導者で、この国を愛し、この国をより良くしたいと願っている人たちです。その人たちが私を支援してくれたという、この名誉を私は決して忘れません。

この国の史上最悪の本土攻撃を受けた後、あの暗い日々の中で私たちを導いてくれた大統領に、感謝しています。必ずあるだろうと言われていた次の攻撃からこの国を守ってくれたことにも、感謝しています。そしてファーストレディのローラ・ブッシュにも、公私を問わず常に優雅で優しいお手本のようなあの方にも感謝しています。さらに41代目の大統領と、結婚生活63年目の花嫁にも、お2人が国のために尽くしてきたその素晴らしいお手本に感謝します。

いつも変わらず、妻シンディーと7人の子供たちには恩に着ています。国事にあたる忙しい毎日にあって、家族と過ごす楽しい時間は短い休暇のように思えることもある。けれども忙しいからこそ、家族をことさら大事に思っているし、家族のみんなが与えてくる幸せのない人生など、考えられない。シンディーは今夜、いろいろと私をほめてくれた。けれども本当のところは、私が彼女を発奮させるよりもはるかに、彼女の方が私を奮い立たせてくれるのです。地雷の犠牲者や、貧困の中で障害をもって生まれた子供たちなど、自分たちほど恵まれていない人たちのために、妻は働いてきた。彼女のそうした活動が、人間性の深さを示している。素晴らしいファーストレディになると確信しています。

私が子供の頃、父親は航海に出ていることが多く、姉と弟と私を育てるのは母ひとりの役目だった。母ロバータ・マケインは私たちに、人生を愛し、世の中のことに深く興味をもつことを教え、力強く、国の役に立つよう自分に与えられた機会を活用するべきだという信念を、教えてくれた。母という人のたくましさがなければ、私は今夜ここにこうしていません。

勝算がほとんどなかったころから私を支え、この候補指名を獲得できるよう助けてくれた全て人に、心から感謝します。決してがっかりさせたりしません。まだ誰に投票するか決めかねているアメリカのみなさん、検討いただいてありがとうございます。みなさんの信頼を勝ち取るための機会を与えていただいて感謝します。みなさんの信頼をこれから獲得していくつもりです。

最後に、オバマ上院議員とその支援者の皆さんに。今から2カ月以上、思い切りやりあいましょう。そのためにこの選挙戦があるのだし、私たち2人の姿勢は色々と大きく食い違っている。けれども私はあなたを評価し、尊敬しています。2人の間に違いはあっても、違いよりは共通項の方が多い。私たちは共にアメリカ人です。私にとっては、ほかの何よりもその共通点が大事なのです。私たちは2人とも、全ての人間は平等に創られ、不可侵の権利を創造主に与えられているという命題に、この
身を捧げている。これを上回る大義を掲げた国などない。そしてオバマ議員と支持者の皆さんが成し遂げた偉業を尊重しなかったら、私はアメリカ人たる資格がない。

けれども皆さん、お間違えのないよう。この選挙に勝つのは、私たちです。そして勝った後には、意欲のある全ての愛国者に手を差し伸べ、この政府がみなさんのために再び機能するよう改善し、この国を再び繁栄と平和の道に連れ戻します。

多くの皆さんは今、つらい思いをしています。仕事が続けられるか、あるいは新しい仕事がみつかるかどうか心配している。毎日の食費を心配し、住む家がなくならないか心配している。皆さんが政府に求めてきたことはただひとつ、邪魔をするのではなく味方をしてくれること。私はまさに、そうするつもりです。みなさんの傍らに立ち、みなさんの味方をして、みなさんの未来のために戦うつもりです。

そして私は、ワシントンを刷新するために最高のパートナーを見つけました。アラスカのサラ・ペイリン知事です。彼女には行政トップとしての経験があり、本物の成果を残してきた業績があります。彼女はエネルギー自給自足や腐敗といった難問と取り組んできました。健全財政を実現し、税金を減らし、特殊利権と戦ってきた。党派対立を乗り越え、共和党員だけでなく民主党員にも無党派層にも、自分と一緒に働いて欲しいと呼びかけた。彼女は5人の子供の母親です。小さい会社の経営を助け、自らの手を使って働き、住宅ローンの支払いや医療費の支払いや、ガソリン代や食料品の値段について心配してきた。そうしたことについて心配するというのがどういうことか、彼女はよく分かっています。

ペイリン知事は、自分がどこからやってきた何者で、自分が誰のために働くのか、よく分かっています。正しいことのために立ち上がり、「座れ」と言われても聞く耳を持たない。次の副大統領を国民の皆さんにご紹介できて、とても誇りに思っています。けれども彼女を早くワシントンに紹介したくて、実はウズウズしているのです。ワシントンに巣食う連中には、今から警告しておく。散財が得意で、何もしないのが得意で、自分第一で国は二の次の、そういうワシントンの昔ながらの住人たちに告げる。変化がやってくるぞ、と。
私は、自分のこの国にした約束を破ったりしない。ペイリン知事もそうです。その私たちが、ワシントンを変えると約束し、この国の問題をもうこれ以上、不運な未来の世代に押し付けたりしないと、そう宣言する以上、あてにしてくださって大丈夫です。言ったことはやる、という実績が私たちにはあるし、みなさんへの約束を守るために必要な、力を経験と判断力と気骨が、私たちにはあるのです。

みなさん、私はこれまで異端児と呼ばれてきました。自分が叩く太鼓に合わせて歩く奴だと。ほめ言葉の時もあるし、そうじゃないときもある。異端児という本当の意味は、こうです。自分が誰のために働くのか、私は承知しているということです。党のために働くのではない。特殊利益のためではない。自分自身のためでもない。私はみなさんのために働くのです。

私は腐敗と戦ってきました。悪者が民主党員だろうが共和党員だろうが、かまわなかった。国民の信託を裏切った以上、責任をとらせなくてはならなかった。私は、両党で無駄遣いしまくる連中と戦ってきた。みなさんが毎日の食料を買い、ガソリンを入れ、ローンを払うのに苦心惨憺しているというのに、みなさんが要りもしないし欲しくもないものにみなさんの金を無駄遣いしてきた連中です。私はこの国の選挙から、何百万ドルもの小切手を追放するために戦った。先住インディアン部族から盗みまくったロビイストと戦った。ペンタゴンの怪しい取引とも戦った。タバコ会社や、もうけ目当ての訴訟弁護士、製薬会社や労組委員長たちとも戦ってきた。

イラクでは正しい戦略を適用し、兵を増員するよう戦いました。そう主張すれば人気がなくなると分かっているときにも、そうした。そのせいで私の選挙戦はもう終わりだと評論家たちが宣言したとき、私は、国が戦争に敗れるのを見るよりは自分が選挙に負ける方がよほどいいと答えた。

素晴らしい将軍、デビッド・ペトレアス司令官の指導力のおかげで、そして彼が指揮する勇敢な兵士たちのおかげで、新戦略は成功し、私たちは敗戦を免れました。もしもこの国がイラクで敗れていたら、米軍は戦意を喪失しただろうし、もっと大規模な戦争が勃発したかもしれないし、全てのアメリカ人の安全が脅かされたでしょう。

私は、ここぞと言うときにがっちり戦うのが嫌いではない。なぜそうなのかは神のみぞ知るですが、これまでもそれなりに何度か、しんどい戦いを経験してきました。けれどもそういう戦いを経て、私は大事なことを学びました。つまり結局のところ、何より大事なのは戦えるかどうかではないのだ、と。本当に大事なのは、何のために戦うかです。

私はアメリカ人のために戦います。みなさんのために戦います。私は、ミシガン州ファーミントンヒルズに住むビル・ニービとスー・ニービのために戦います。2人は、住宅市場が下落するなか、不動産投資を失ってしまった。7カ月も失業していたビルはやっと、臨時の仕事をみつけた。スーは必要な支払いをして家計をやりくりするため、仕事を3つも持っている。

私はペンシルベニア州フランクリン郡のジェーク・ウィマーとトニ・ウィマーのために戦います。ジェークは集配センターで働き、リトルリーグのコーチをし、身体・精神障害者のために資金集めをしている。トニは学校の先生で、修士学位をとろうと勉強している。2人には息子が2人いて、末息子のルークは自閉症と診断されました。2人が投票する政治家は、この家族の生活を気にかけなくてはならない。私は気にかけています。

私はニューハンプシャー州ウルフボロのマシュー・スタンリーの家族のために戦います。マシューはイラクで国のために戦い、戦死しました。私は彼のブレスレットをして、毎日、彼のことを考えています。彼が心から愛していたこの国、戻ることのできなかったこの国を、いつまでも敵から守り続けることで、この家族の犠牲を称えるつもりです。

私はこの党のプライドと信念を回復させるつもりです。私たちはワシントンを変えるために選出されたのに、ワシントンによって変えられてしまったからです。一部の共和党員が腐敗の誘惑に屈してしまったため、国民の信頼を失ったのです。政府を改革するより、民主・共和両党とも政府を肥大させてしまったから、国民の信頼を失ったのです。輸入石油への依存を断ち切るのではなく、両党とオバマ上院議員が石油会社を守る企業福利厚生法案をまたしても成立させたため、私たちは国民の信頼を失ったのです。私たちが自分たちの信念よりも、権力を愛するようになったため、国民の信頼を失ったのです。

それを変えなくてはならない。アメリカ人が尊う価値観のために再び立ち上がり、国民の信頼を回復しなくてはならない。私たちのこの党は、リンカーンとセオドア・ルーズベルトとレーガンの党です。私たちは党の基本に立ち返るのです。

メイフラワー号に先祖が乗っていた男の子から、移民労働者のラティーナの女の子に至るまで、全ての人はこの国に貢献できるものをもっているし、神に与えられた可能性を実現するチャンスを得る資格がある。私たちはこう信じている。私たちはみな神の子で、私たちはみなアメリカ人なのです。

私たちは低い税金と財政規律と市場開放を信じている。勤労に報い、大胆なリスクを辞さない人に報い、働いて得た報酬は本人の手元に残るべきだと信じている。

私たちは強い国防と勤労と信仰、奉仕、生命尊重の文化、個人の責任、法の支配、方の正義を中立に執行し、判決を通じて勝手に法律を作ったりしない裁判官を信じている。私たちは家族と隣近所と地域コミュニティーを大切にする価値観を信じている。

アメリカ人の創造性とイニシアチブを解き放つことが、政府の大事な役割だと私たちは信じている。皆さんの代わりに判断する政府ではなく、皆さんが自分で判断できるようにたくさんの選択肢を提供する政府が大事だと信じています。

私は税金を抑え、できるところでは減税します。相手候補は上げるはずです。私はこの国の商品やサービスのために新しい市場を開きます。けれども相手候補は、閉じるはずです。私は政府支出を削減しますが、彼は増やすことになります。

私の減税策は新規雇用を生み出します。彼の税金は、雇用を減らします。私の新しい医療保険制度では、より多くの国民が優れた医療保険に入れるようになる。相手候補のプランでは、中小企業は人員削減と賃金削減を余儀なくされ、そのせいで多くの家族は連邦政府の医療保険に入るしかなくなる。そうなったら、あなたと医者の間には、官僚が立ちはだかることになります。

税金を低く抑えれば、小さな会社は成長し、新しい雇用を作り出すことができます。世界2位の高い法人税率を下げれば、アメリカ企業は競争しやすくなり、雇用の海外流出を防ぐことができる。児童扶養控除の上限を3500ドルから7000ドルに倍増すれば、何百万というアメリカの家族はもっと楽に暮らせるようになります。政府支出を削減し、失敗した政府事業をなくせば、皆さんはもっと自分の収入を手元に残し、貯金するなり使うなり投資するなり、自分で決めることができます。新しい市場を開き、世界経済で競争できるように労働者を訓練することは、私たちの未来の繁栄に不可欠なのです。

経済の変化に取り残された人たちがいることは、承知しています。そのことにみなさんの政府は気づいてさえいないと、確かにそんな風に思えがちです。失業者への政府支援体制は、1950年代の経済状況に合わせて作られたものです。私の在任中に、それは変えます。相手候補は、世界経済がなくなりますようにと祈れば昔ながらの仕事が戻ってくると約束しています。私たちは、もう戻ってこない職を失った労働者が、もう二度と流出しない新しい職を得られるように支援します。

今のこの時代に適した職を得られるよう、訓練するのです。コミュニティー・カレッジを活用して、働く人たちが地域で新しい就職機会を得られるように訓練を手伝ってあげるのです。大きな打撃を受けた産業の労働者には、こうした職業訓練を受けている間、もとの仕事の給料と一時的な仕事の安い給料との差額を政府が一部補填します。そうやって訓練を受ければ、まともな給料の安定した新しい仕事を見つけられるようになる。

教育は、今世紀の公民権問題です。誰でも公立教育を受けられる状況は保証されています。けれども、破綻しつつある学校に通えたとしても、どんな価値があるのでしょう。破綻した学校という官僚制度に競争をもちこんで刷新し、保護者には選択する権利を与え、能力ある指導者を採用しやすくするためムダな垣根を取り払い、優れた教員を採用して奨励し、ダメな教師はほかの仕事に就けるよう支援します。

生徒が受けるべき教育内容を公立学校が提供できていないなら、自分の子供の教育機会について、保護者に選択権があるべきだ。私はその選択権を、親たちに与えるつもりだ。もっといい公立校を選ぶ人もいるだろうし、私立校を選ぶ人もいるだろう。多くの人は(税補助を受けつつ教育内容に政府規制を受けない)チャーター・スクールを選ぶだろう。いずれにしても親たちには選択肢が与えられ、子供たちには教育機会が与えられる。

オバマ上院議員は、学校は組合や硬直化した官僚組織に言いなりになるべきだと考えている。私は学校は、親や生徒たちの要求に応えるべきだと思っている。私が大統領になったら、必ずそうさせる。

アメリカ人の皆さん、私が大統領になった暁には、過去何十年にわたって見たことのない、大胆な国家的プロジェクトに乗り出すことになります。私たちを大して好きでもない国々に、毎年7000億ドルも送るのを止めます。国内でもっとたくさんエネルギーを生産します。沖合いに新しい油井を採掘し、今すぐに採掘を始めます。原子力発電所をもっと造ります。石炭のクリーンな利用技術(クリーン・コール・テクノロジー)を開発し、風力や潮力、太陽光、天然ガスの利用を拡大します。フレックス燃料やハイブリッド、電気自動車の開発と利用を促進します。

オバマ上院議員は、新規採掘なしで、そして原発の増加なしで、この国がエネルギー自給自足を達成できると考えている。けれどもアメリカ人は、そんなわけはないと知っている。石油価格高騰の打撃からこの国の経済を救い、この惑星の健康を回復させるには、万策を尽くし、必要なあらゆる技術を開発しなくてはならない。確かに野心的なプランではある。けれどもアメリカ人は生来、野心的な国民です。私たちはこれまで、もっと大きい難問にも立ち向かってきました。アメリカが率先して世界の先頭に立つ姿を、今こそ世界に見せる時です。

この壮大な国家プロジェクトは、何百万という新しい雇用を生み出します。その多くは、未来の繁栄の原動力となる色々な産業での仕事です。皆さんの子供たちが社会人になるときも、そういう業界に就職できることになるでしょう。

より良い世界の可能性は現在、手に届くところにあります。けれども私たちは、自分たちが生きる今のこの時代における、平和と自由を脅かす脅威をきちんと直視し、立ち向かわなくてはならない。アメリカ人がこれまでもそうしてきたように、自信をもって、賢く、決然として。

私たちはここ数年かけてアルカイダに大打撃を与えてきた。けれどもアルカイダはまだ敗れていないし、可能となればまたこの国を攻撃するでしょう。イランは未だにテロ支援国家であり、かつ核兵器保有の道を歩んでいます。石油利権で潤い、権力によって腐敗しているロシアの指導者たちは、民主主義の理想を捨て、責任ある大国としての義務を放棄しています。ロシアは隣の小さな民主国家を侵略し、これまで以上に世界の石油供給源を我が物にし、ほかの近隣諸国を威圧し、ロシア帝国再編という野望をさらに推進しようとしています。そして今、グルジアの勇敢な人たちには私たちの連帯と祈りが必要なのです。大統領として私は、冷戦の復活を恐れずに済むよう、ロシアと良好な関係を築くため努力します。けれどもだからといって、世界の平和と安定を脅かし、アメリカ国民の安全を脅かす、そんな侵略行為や無法ぶりを見逃すわけにはいかない。

この危険な世の中で、私たちは多くの脅威を前にしている。けれども私は恐れてはいません。私は立ち向かう準備ができています。私は軍隊がどういうところで、何ができて、何がもっと上手にできるはずで、何をしてはならないか、よく知っている。私は世界の仕組みも分かっている。世界にある善と悪を知っている。もっと自由で安全でもっと豊かな世界を私たちと同じように夢見る指導者たちと、どうやったら協力できるか知っているし、その夢をもたない指導者たちとどうやったら戦うかも分かっている。どうやったら平和が確保できるか、私は知っているのです。





5歳のとき、車がやってきて家の前で停まりました。海軍士官が窓を開けて、私の父に叫んだ。日本が真珠湾を爆撃した、と。それから4年間、私はほとんど父を見かけることはありませんでした。あの戦争が終わった後、祖父は背負っていた責任にくたびれはてて家に帰り、そしてその翌日に亡くなりました。ベトナムでは、私はなによりも大事な友人を何人も作りました。一緒に帰国できなかった仲間もいます。私は戦争が大嫌いだ。想像を絶するほど、戦争はひどいものです。

愛する国を守るために、私は大統領を目指しているのです。私の家族のように愛する者を戦争に送らなければならない、そんな経験をほかの家族がしなくても済むように。私は自分がこれまで世界や各国首脳と接して得た経験を総動員して、そしてこの国が使える手段を総動員して、外交手段から経済、軍事、この国の理想の力に至るまで全てを総動員して、永続的で安定した平和の基礎を築くつもりです。

アメリカでは、変えるべきものは変えるというのが私たちのやり方です。アメリカの偉大さに、それぞれの世代はそれぞれに貢献してきた。私たちがやるべきことは、はっきりと目前にあります。探す必要などありません。

私たちは、政府の仕事の仕方を、ほとんどあらゆる面で変えなくてはなりません。安全保障から世界経済で競争する方法に至るまで、自然災害への反応から交通網の燃料をどう供給するかに至るまで。労働者をどう訓練するかから、子供たちをどう教育するかに至るまで。こういう分野での政府のやり方はどれも、世界経済が台頭する前、IT革命の前、冷戦終結の前に設計されたもののままです。私たちは歴史の進展に追いつかなくてはならない。そして私たちは、ワシントンの仕事の仕方
を変えなくてはなりません。


こういう諸問題の解決を妨げる絶え間ない党派対立は、問題の原因ではなく、症状なのです。ワシントンに行く人たちが、皆さんのためでなく、自分だけのために働くと、こういうことになってしまうのです。

私はこれまで何度も何度も繰り返し、解決が必要な問題を解決するために両党の人たちと協力してきました。大統領としても、私はそうやって国を治めるつもりです。この国に再び活力を与えてくれる人なら、私は誰にでも手を差し伸べる。私はこれまでもずっとそうしてきたし、その経歴があるし、その時の傷跡もまだ残っている。オバマ議員にはそれがない。

いいアイディアを最初に思いついたのが自分ではないからといって、せっかくのいいアイディアを拒否するのではなく、両党から出てくるいいアイディアをせいぜい活用すべきです。手柄争いをするのではなく、みんなで分かち合おうではありませんか。私たちがこうと決めれば、この素晴らしい国は何でもできます。私は民主党員にも無党派層にも、一緒に働こうと頼むつもりです。そして私の政権は、今までになく透明性が高く、責任の所在のはっきりした政権となります。

自分たちを頼りにしている人たちのため、私たちはついに、具体的な成果を出していく。それが誰の手柄になろうと構いません。

私はこれまで何年も、この国に仕える不完全なしもべでした。不完全ではあっても、常にいついかなるときも、この国に仕えるしもべであり続けた。そしてこの国に仕えることができるという、その特権を神に感謝しなかった日は一度もありません。良い日でも、悪い日でも。

ずっと昔のことですが、私はある珍しい経験をしました。私の人生において最も大事な、貴重な教訓を教えてくれた経験です。私は、不運という恩恵を受けたの です。本心からそう言っています。英雄たちと共に働くことができた。そして勇気と思いやりと愛情に満ちた行為を何千と見ることができた。そういう恩恵を、 与えられたのです。

とある10月の朝、トンキン湾で、私は23回目になる北ベトナム上空出撃に備えて準備していた。無事に帰還するだろう と、疑いもしてなかった。自分は誰よりもタフだと思っていた。当時の私も、かなり独立心が強かった。ルールをところどころ曲げるのが好きだったし、ただケ ンカするのが楽しいからとケンカをふっかけるようなところもあった。でもどれもこれも、自分が楽しみたいからやっていたこと。自分のプライドを満足させる ためにやっていたことばかりだった。自分より大事な目的がこの世にあるなど、考えてもいなかったのです。

けれどもそんな私が気づいたら、ハノイ市中心部の小さな湖に向かって墜落していた。両腕と片足の骨を折り、怒りに燃える群衆が私を歓迎しようと待ち構えていました。暗い牢屋に放り込まれ、そのまま死んでも構わないと放っておかれた。自分はタフだなんて、もう思えなかった。

私の父が提督だと気づいたので、向こうは私を病院に連れて行った。けれども折れた骨をきちんと固定できなかったので、ただギブスを適当にはめただけ。私は回復しなかったし、体重も100ポンド(約45キロ)くらいまで落ち込んだとき、2人の米兵捕虜がすでに入っていた監房に入れられた。私は何もできなかった。自分で食事もできなかった。2人の仲間が、代わりにやってくれたのです。私はそこでやっと、自分の勝手気ままな独立精神には限界があると、学習し始めました。あのときの仲間たちが、私の命を救ってくれたのです。

解放してやると言われたとき、私は独房に入れられていた。わけは分かっていました。もし私が帰国すれば、北ベトナムはそれをプロパガンダとして使い、ほかの捕虜たちの士気をくじくつもりだったのです。しかし私たちにはルールがあった。先に捕虜になった者から順番に帰国するのだと。私より前に撃墜された兵は何人もいたのです。でも私は、釈放すると言われて、ちょっと考えました。体調は決して良くなかったし、アメリカに何もかもが懐かしかった。けれども私は、断りました。

私よりずっとひどい目に遭った捕虜はいくらでもいる。私も、何度もひどい扱いを受けたけれども、ほかの捕虜はもっとひどい目に遭っている。ひどくやられた後は、わざと平気なフリをしてカッコつけて歩くようにしていた。そうやってほかの捕虜仲間に、自分はタフだからこんなの平気だよと、そういうフリを見てもらうようにしていた。けれども、解放を断ったこのとき、それまでになく手荒くやられてしまった。たっぷり時間をかけて。そして私はついに屈伏してしまったのです。

独房に戻されたとき、私は打ちのめされて、恥ずかしくて、ほかの捕虜仲間にどう顔向けしていいか分からなかった。そのとき、隣の房にいた素晴らしい仲間、友人のボブ・クレーナーが私を救ってくれたのです。壁をコツコツ叩きながら彼は、君はできる限りがんばったじゃないかと励ましてくれた。自分ひとりでいつも立っていられるなんて人間はいないのだ、と。そしてボブは、また立ちあがってこの国のために戦うよう、光栄にも仲間と呼ぶことのできる兵士たちのためにまた戦うよう、励ましてくれた。仲間たちも、毎日わたしのために戦ってくれているのだから、と。


私はよその国でとらわれていた時に初めて、自分の国を愛するようになりました。物質的に豊かだからではなく。まっとうな国だから。国民は賢明で公正で善良だと、信じている国だから。自分の国はただ場所だというだけでなく、ひとつの理念だから。守るために戦う価値のある、大義だから。私はそれまでの自分とは、全く別人でした。私という人間は自分のための存在ではなく、国のための存在になっていたのです。

私は、自分がなにか特別に偉大な人間で、歴史に選ばれた人間だと思うから出馬したのではありません。自分のこの国は私を救ってくれた。自分のこの国は私を救ってくれた。そのことを、決して忘れられないからです。私は自分の息が続く限り、神に誓って、この国のために戦い続けます。

もしもこの国に欠点があると思うなら、自分たちでもっとよい国にしましょう。もしも政府の間違いにがっかりしているなら、政府に参加して、間違いを正すために共に働きましょう。軍に参加して。教師になって。聖職者になって。公職に立候補して。おなかをすかせた子供に食事を与えて。字の読めない大人に読み方を教えて。苦しむ人たちを慰めて。抑圧されている人たちの権利を守って。そうすれば私たちのこの国はより良いところとなり、あなた自身がもっと幸せになれます。なぜなら、自分より大きいもの、大義のために尽くすことほど、人生を幸せにしてくれることはないからです。

みなさんの大統領として、私は毎日、自分の大義のために戦い続けます。私は自分がアメリカ人であることを、常に神に感謝しています。地上で偉大なこの国の誇り高い市民であることを感謝し、勤勉に働いて強い信念といくらかの勇気を持てば、素晴らしいことは必ず手の届くところにあるという自分の境遇を、常に神に感謝しています。そして自分がそうやって神に感謝するように、すべてのアメリカ人が神に感謝したいと思えるよう、戦っていきます。皆さんも一緒に戦いましょう。一緒に戦いましょう!

この国にとって正しいことのため、戦いましょう。

自由な国民の理想と人間性のために、戦いましょう。

子供たちの未来のために、戦いましょう。

この国を敵から守るために立ち上がりましょう。

お互いのために立ち上がりましょう。美しい、祝福に満ちた、豊穣なアメリカのために立ち上がりましょう。

立ち上がって! 立ち上がって! 立ち上がって、戦いましょう! 逃れられない必然などどこにもないのです。私たちはアメリカ人です。そしてアメリカ人は決して諦めない。決して投げ出さない。決して歴史から逃げない。私たちが歴史を作るのです。


みなさんありがとう。神の祝福がありますように。





マケイン候補、共和党の失政認め 変化のため「一緒に戦おう!」

2008年9月5日(金)

米共和党ジョン・マケイン大統領候補の指名受諾演説は現地時間4日夜、野次で始まった。たびたび野次で中断した。そして演説の途中でマケイン候補は、これまでの共和党の失政について「私たちは国民の信頼を失った」と宣言。それでも集まった共和党員たちは「うおおおおお!」と盛り上がった。なぜか。それはマケイン氏が自分は戦うと、何度でも立ち上がり国民のために戦うのだと宣言し、そして国の未来のために「一緒に戦おう!」と呼びかけたから。(gooニュース 加藤祐子)

○「下手な演説」の評判を逆手に

「ジョン・マケインは小さな集会では効果的だが、大きな演説は下手だ」 これが定説。特に今年は相手があのオバマ候補だけに。おまけに、自ら相方に選んだサラ・ペイリン知事が、すごく演説上手で会場を多いに盛り上げた直後だけに。

けれども「そもそもそんなにうまくない」とあらかじめ期待値を下げておいてそれを逆手に使うという戦術も、時にはとても効果的。マケイン演説に先駆けてCNNのコメンテーターたちがさかんに「マケインは演説が下手」と繰り返していたのはもしかして、マケイン陣営の作戦にのせられたのかな、と思うほど。

党大会4日目のCNN中継を観る。歌舞伎の花道のように舞台を客席中央までにぐんと伸ばして、三方を人に囲まれた形で、マケイン候補は演説した。おそらく彼の政治家人生で最重要な演説だ。だからなのか、さすがに、私が今まで(テレビ画面を通じて)聴いたマケイン演説の中では最高の出来だったと思う。

「いまイラクの治安が回復したのは、マケインのおかげ。支持率がぐんと下がって出馬撤退の危機にさらされても、イラク増派を主張し続けたマケインのおかげ。自分のことより国の安全と未来を優先したマケインのおかげ」 これが今の共和党の公式見解で、この日の党大会でも繰り返されていた。

それもあってマケイン氏が登壇すると、どうやって入れたのか、「戦争に反対する帰還兵」のようなことが書かれたTシャツ姿の男性が「侵略戦争に勝利はない」「マケインは帰還兵に不利な投票をする」などのポスターを掲げて野次。ほかにも反戦団体「コード・ピンク」の女性が客席で「戦争反対!」と叫ぶなど。そのたびに会場の共和党員たちは「USA! USA! USA! 」の怒ったような大合唱。

どうなるのかと思ったら、マケイン氏が原稿を離れてニッコリ笑い「みなさん、ノイズや雑音に気を取られないでください。まだお話したいことはたくさんあるんです。私たちの怒鳴り合いに、アメリカはもう飽き飽きとしているんです」と(おそらくこのあと、場内の警備が厳しくなったのだろう。しばらくして野次は止まった)。

○共和党の失政認め

「私はアメリカ人のために戦う。皆さんのために戦う」とマケイン候補は繰り返し、サブプライム危機で家を失った家族のために、病気の子供を抱える家族のために、イラクで息子を失った家族のために戦うのだ、と。ではなぜ共和党政権8年間の後に、今でもそんなに国民が苦しんでいるのかというと……と話は進む。

「私たちはワシントンを変えるために選出されたのに、ワシントンによって変えられてしまったからです。一部の共和党員が腐敗の誘惑に屈してしまったため、国民の信頼を失ったのです。(中略)自分たちの信念よりも、権力を愛するようになったため、国民の信頼を失ったのです。それを変えなくてはならない。自分たちの信念のために再び立ち上がり、国民の信頼を回復しなくてはならない。私たちのこの党は、リンカーンとセオドア・ルーズベルトとレーガンの党です。党の基本に立ち返らなくてはならない」

その共和党の基本とは……というと。低い税金と緊縮財政。自分の労働の糧は自分の手元に残るという保証。強い防衛。勤労。奉仕。個人の責任。法の支配。裁判官の中立性。家族。地域のつながり。何もかも決めてしまう政府ではなく、国民が自ら選ぶ機会を提供する政府。まさに「伝統的な保守」の基本だ。

聴いていて、レーガン政権までは本当に、それが伝統的な共和党の特徴だったのにと思った。極端な宗教保守がこんなに影響力をもつようになったここ約10年の共和党は本当に異常で、マケイン議員はそれにずっと歯ぎしりする思いをしていたのだろうな、と。

○オバマ候補とは違う政策

「自分が何のためにワシントンに来たのか忘れて、私利私欲のためにだけ働く」政治家がいかに多いか、マケイン氏は批判。特殊利権のための法案が提出されたら、自分は必ず拒否権を発動する、民主党だろうが共和党だろうが、私利私欲とロビイストのために働いているのが誰か、名前を全部公表してやる。マケイン氏が怒りを込めてこう言うと、(ロビイストもたくさんいるはずの)会場は多いに盛り上がった。

「自分が誰のために働くのか、私は承知している。党のために働くのではない。特殊利益のためではない。自分自身のためでもない。私はみなさんのために働くのです」

オバマ候補の受諾演説は珍しく具体的だったが、ずっと具体的な政策を語り続けて来たマケイン候補は、対比で語った(「相手候補は○○だ」という内容が必ずしも正確だとは限らないが)。皮肉も侮辱もなく、政策の違いを淡々と語った。

・税金を抑え、できる限り下げる。相手候補は上げる。
・商品・サービスに市場を開く。相手候補は閉じる。
・政府支出を削減する。相手候補は増やす。
・私の減税策は新規雇用を生み出す。相手候補のは雇用を減らす。
・(市場原理を取り入れた)新しい医療保険制度では、より多くの国民が医療保険に入れるようになる。
(国民皆保険を掲げる)相手候補のプランでは、中小企業は人員削減を余儀なくされ、職を失った人たちは連邦政府の医療保険に入るしかなくなる。「そうなったら、あなたがどういう治療を受けるかは「官僚」が決めるのだ」(「かんりょう!(bureaucrats!)」と吐き捨てるように言う、その口ぶりに会場は大拍手)


ほかにも、オバマ候補は生産拠点の海外流出に高税率などの罰則を設けるとしているのに対し、マケイン候補は「一度流出してしまった職がまた国内に戻ってくるなど空約束をするのでなく、流出しない新しい仕事につけるよう労働者の職業訓練を充実させる」と表明。

また「私たちを大して好きでもない国々に毎年7000億ドルも送るのを止めて」エネルギー自給自足を実現するため、新エネルギー開発はもちろんだが、そのほかにオバマ候補と違ってアメリカ近海の油田採掘をただちに開始(候補地には、副大統領候補が知事をしているアラスカ州の自然保護区がある)。原発も増設する。

さらにグルジア情勢に触れ、「冷戦に戻らないよう、ロシアと良好な関係を築くよう努力する。しかし不法行為や侵略は容認できない」として、グルジアとの共闘を呼びかけた。

○どん底から獲得した愛国心

自分は軍人家庭で育った元軍人で、軍に何ができて軍がどう動くか知っている。祖父も父も自分も戦争を経験した。だからこそ「自分は戦争が大嫌いだ。戦争の悲惨を知っているからこそ、この国の安全を守るため、大統領を目指している」と言うマケイン候補は、最後に自分の捕虜体験を語った。

マケイン氏が自分の捕虜体験の中身をこういう大きな場で自ら(ぎこちなくでなく)語るのは、かなり珍しいこと。それぐらいこれは彼にとって、一世一代の最重要演説なのだ。自分のこれまでの人生の重みを、ぶつけてきたのだなと思った。

捕虜になるまでは「自分より大事なものは世の中にないと思っていた。自分がやりたいように、やっていた。それが負傷して捕虜になり自分で食事もできない状態になったとき、捕虜仲間が食事を食べさせてくれた。そこから、自分の勝手気ままな独立精神には限界があると、学び始めた」のだと。

「激しく何日も拷問されて、私はついに屈伏してしまった。独房に戻され、ほかの捕虜仲間にどう顔向けしていいか分からないと絶望していたとき、隣の房の友人が助けてくれた。また立ちあがってこの国のために戦うよう、励ましてくれた。仲間たちも、毎日わたしのために戦ってくれているのだから、と」

「私はよその国でとらわれていた時に初めて、自分の国を愛するようになった。物質的に豊かだからではなく。まっとうな国だから。国民は賢明で公正で善良だと、信じている国だから。自分の国はただ場所だというだけでなく、ひとつの理念だから。守るために戦う価値のある、大義だから」

ベトナムから帰国した自分は、それまでの自分とは全く別人だったとマケイン候補は言う。「私という人間は自分のものではなく、国のものとなった。自分が特別な、歴史に選ばれた人間だと思うから出馬したのではない。自分を救ってくれたこの国を、忘れられないからです」

こう述べてマケイン候補は、「一緒に働きましょう! 一緒に戦いましょう!」と呼びかけた。政府や国や軍に問題があると思うなら、その中に入って改善しましょうと。苦しんでいる人がいるなら、教師を必要としている子供がいるなら、ひとりひとりが働いて助けましょうと。

「そうした方が、ずっと幸せになれるからです。自分よりも大きな目的のために尽くすことほど、ありがたい体験はないからです」

「一緒に戦いましょう!(Fight with me!)」 こう何度も繰り返したあと、マケイン候補はこう締めくくった。

「私たちは決して諦めない。決して投げ出さない。決して歴史から逃げない。私たちが歴史を作るのです」

本物を直接聞いてみたいですね・・・

でも、英語は、そんなに得意ではないのです・・

日本の政治家さんと、ずいぶん違いますよね・・


ジョン・マケイン
John Sidney McCain III


生年月日 1936年8月29日(72歳)
出生地 パナマ運河地帯
出身校 海軍兵学校
所属政党 共和党
配偶者 シンディ・ヘンスリー・マケイン
アメリカ合衆国上院議員
選挙区 アリゾナ州
当選回数 4回
就任日 1987年1月3日
アメリカ合衆国下院議員
選挙区 アリゾナ州第1選挙区
当選回数 2回
ジョン・シドニー・マケイン3世(John Sidney McCain III、1936年8月29日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。パナマ生まれ。海軍兵学校卒業。連邦下院議員(1983年 - 1987年)、連邦上院議員(アリゾナ州選出、1987年 - )。2008年大統領選挙における共和党の指名候補である。
共和党の重鎮議員だが、党派にとらわれない議会活動で知られ、しばしばmaverick(一匹狼)と形容される。共和党政権への厳しい批判も辞さないことから、保守強硬派からの反発を浴びる一方、穏健派・中道からの支持は根強い。そのため2004年の大統領選挙では、民主党候補ジョン・ケリーの副大統領候補となる可能性が盛んに報じられた。宗教はバプティストで、尊敬する政治家は同国のセオドア・ルーズベルト元大統領である。
著名な海軍提督の祖父と父をもち、マケイン自身も海軍航空士官としてベトナム戦争に従軍。1967年に北ベトナム上空を飛行中に撃墜され、5年間に渡って捕虜となり、最初の2年は厳しい拷問を受けながらも耐えたエピソードにより、英雄視される。息子は海兵隊員である。