cotory lab. of ART
コトオリです。
京都在住大学院生。別に美術系でも美学系でもないんですが。
本に埋もれる毎日の中、たまの休みの美術館めぐりでバランスをとるような生活を送っています。
このブログは、自分の趣味の芸術に役に立つ(?)知識などをためておくこと、私のいける範囲の(京阪神)これからの展覧会等のイベント情報をてきとうに紹介することを目的としています。
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ムンク展@兵庫県立美術館

星の夜

東京で開催されていたムンク展が兵庫県立美術館に巡回してきました。
友達が東京で観て「よかったよ」と言っていたので、意を決して久々に兵庫県立美術館へ。

この美術館へは二年前、足しげく通っていましたが、神戸の大学に出入りするようになって、それが月曜日だったものだから(美術館は月曜休館!)さすがに京都⇔神戸を週に二回とかはキビシイと思い、足が遠のいていました。いやいや、単に、美術館自体から足が遠のいていたんですけどね。

*

叫び

さて、ムンクといえば「叫び」
有名すぎて、携帯の絵文字にまで入っているこの絵は、さすがに来ていませんでした。ムンク=叫びが定着しているけれど、他の絵はどうなんだ?というのが展覧会を開くほうとしても、考えなきゃいけないところですよね。

なにしろ、「絵と画家が切っても切り離せない」くらいに有名。

1863年、ノルウェーの田舎に生まれた画家は、幼くして母を亡くし、二十歳なかばにパリに出る。19世紀末のパリ。ポスト印象派に影響を受け、さらにベルリンへ移り、「叫び」など現在有名な作品を製作し、ドイツ表現主義に影響を与えたとされる。精神をわずらったり、女性とトラブルを起こして発砲事件を起こしたりしたのち、三十台半ばにして、ノルウェーに帰郷。以降、ノルウェーで過ごす。晩年には、オスロ大学や市庁舎の壁画などを描いている。1944年1月にノルウェーで没す。

作風は、世紀末風で死や絶望をテーマにしたものが多いが、晩年に移るにつれて、画面は明るくなる。目を患ったあとの色彩はとくに明るい。

不安

この「叫び」のシリーズでは、「不安」がきていました。フィヨルドのうねった海岸と、それに負けない、赤いうねった空、緑の雲。
誰でもない人たちの行列。ポスターにも使われているものです。
「大衆の不安」という主題は、私にとってもまた、心をかき乱すものでありました。
遠景に行けば行くほど、顔がなくなっていく。
顔のない存在。近づいても遠ざかっても。
目を凝らしても、手前の人物からしてすでに、ぼやけているのです。
キャンバスの向こうにあるはずの列の後ろのほうはどうなっているのでしょうか?
人間はどこから来て、どこへ・・・・・・

この画面を観ていると心がかき乱されます。

「叫び」よりも人間が人間にみえるし、なにより表情がないことが、より不気味さをかもし出している。それに、不安なときって、表情がなくなるものでしょう? そういう意味で、タイトルどおり、「不安」が前面に見える作品でした。
*


夏の夜

この展覧会では、装飾としてのムンクの作品というのをテーマにしていました。
ムンクが「フリーズ」としてどのように絵を配置したらよいか、ということを試行錯誤したということをとりあげ、「生命のフリーズ」として一連の作品群の中に入っていたこの「声/夏の夜」と題された作品は、白い服を着た女性、夏の夜、水辺に浮かんだ明るいボートと、月の影が描かれています。
この「月の影」は「叫び」と並んでムンクの独特なイメージをもたらしているように感じられます。こ
女性の三相
のほか、今回来ていた「浜辺の人魚 」などにも同じものがあったし、どこかほかのところでも見たように思います。
あるいは、夕方に、夜に水に映る明るい光の反映というのはムンクに多いのかな、と感じました。
この白い服の女性、ムンクの初恋の人妻だとか……。

白い服といえば、女性の三つの姿をムンクは色を使って描き分けています。白い無垢な少女、赤い成熟期の女(中央の女は裸体ですが、髪が赤いです)、そして修道女を思わせる黒い女。

生命のダンス 」でもおなじ三種類の女があらわれます。
灰

「灰」と題された作品では、、白い服の女の服の間から、赤い服が見えています。手前にいる男は、その女の髪の毛がからまったまま。

なんともアイコン的な役割を果たしているわけですが。

作者の真意がどこにあるかはわからないけれど、寺山修二の詩に出てくる猫や汽車や手紙のように、特別な意味を与えているのではないかと。

*

一番上に掲げた作品、星月夜。
ゴッホの作品に何か似たものを感じるけれど、フィヨルドの町の夜、暖かい光、星の瞬き。
さみしいけれど、さみしくない、そんな心の瞬く間の平穏のようなものをつたえてくれるよい作品だなと思いました。
空に塗られた、緑や紫色の色彩は、夜の絵なのに、なんだか鮮やかなものを含んでいました。

この作品は、1922-24年の作品とされているので、画家の心が落ち着いてきたころだったんでしょうか?

*



最後に、オスロ大学の講堂壁画のメインとなる絵を。
実物は来ていませんでしたが、習作がありました。
そして、映像でオスロ大学の講堂が紹介されていました。
明るくて、眩しい色彩。
後期のムンクの温かくて鮮やかで、眩しい色彩感は、まさに「北欧!」という感じで、主題に太陽をもってくるあたりもまた、すごいな、と。

いつか観にいきたいな、と思いました。学会ないかな、オスロ大学♪

まだまだいろいろな作品、それぞれに気になるところはあったのですが、
あとは心にとどめておくとします。

芸術作品との出会いは、一期一会。
次にムンクの作品に触れるのはいつになるかわからないけれど、
素敵な出会いと相成りました。

兵庫県立美術館で、三月末まで展覧会が行われていて、国内の循回はそこまでかなという感じなので、まだの方は是非足を運ばれては?

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兵庫県立美術館
ムンク展

■会期2008年1月19日(土)~3月30日(日)
■開館時間午前10時~午後6時(金・土曜日は午後8時まで 入場は閉館30分前まで)
■休館日毎週月曜日
■入場料一般1300(1100)円 大高生900(700)円 中小生500(300)円
( )内は前売りおよび20名以上の団体割引料金

参照:
ムンク美術館(http://www.munch.museum.no/)

東京新聞のムンク展サイト(http://www.tokyo-np.co.jp/event/bi/munch/works.html)

日本美術が笑う展&笑い展@森美術館(六本木ヒルズ)

記事を書くことが久しぶりです。
というのも、しばらく修士論文を提出するので、引きこもっていて、美術鑑賞をしていなかった、というのがありますが。また、あちこち観にいって記事を書けるようにしていきたいです。

*

さて、今回は、東京は六本木(乃木坂)国立美術館 に行くつもりだったのですが、行ってみたら火曜休館ガーン
関西は大抵の美術館が月曜休館なので、油断してました。東京メトロ乃木坂駅から直結してるんですが、そこの警備員さんに追い返されました。ああん。残念。なかなか東京方面には行けないので、次に行くときこそっ!

そういうわけで、そこから徒歩圏内の六本木ヒルズは森美術館 に行って参りました。森美術館といえば、前回訪れたときは、レオナルド・ダ・ヴィンチ展をやっておりました。
今回は「笑い」をテーマに縄文から20世紀初頭までの日本美術を取り上げた「日本美術が笑う展」と現代アートの「笑い展」が開催されていました。さらに、グレゴリー・コルベールのanimal totems という展示も行われていて盛りだくさんでした。

*白象図

「日本美術が笑う」展では、縄文の埴輪から、江戸の絵巻物、若冲、蕭白、応挙などの豪華なラインナップ、神仏像まで、幅広いジャンルの作品が、「笑い」という軸を中心に絢爛豪華に並べられていました。
美術館内は、壁などの地が黒いんですが、それがなんともいい雰囲気をかもし出していました。

若冲の白象図にあった解説に、動物を真正面から捕らえる斬新さについて書いてあり、そうすることによって人間性を見いだすから笑っているように見える、というようなことをベルグソンを引いて述べている箇所があって、なるほど、と思ったりしました。

展覧会をみているあいだ、終始笑顔になってしまう自分を見いだしていたのですが、なるほど、象のなかに笑いをみる自分がいるとして、それは、自分が笑っているに過ぎないのかもしれない、という孤独をまず感じました。しかし、そこに笑いを見いだした芸術家たちとは繋がっているようにも思えました。そして笑顔を与えてくれる芸術に、薄っぺらいかんそうかもしれないけれど「癒され」たりもしました。

芸術が、笑いを与えるものであるとか、笑うものであるとか、そういう企画意図は「わざとらしい」けれども好感が持てるなあと思いながら、たくさんの作品を見ました。

芸術家というのはどの時代にも、娯“楽”の部分に絡むのであって、ものすごく政治的なにおいのすることをやっていても、シリアスになり過ぎない何かがあるなあと思います。音楽で言えばショスタコーヴィチがスターリンなどの社会政権下で不本意ながらも音楽を書き続けたというようなエピソードもあるけれど、芸術家ってのは、政治家や学者のように直接的な言語的言及をする人々に比べて、どこかSense of Humorがあって、それを守ることができるんじゃないかと。まあ偏見ですけれども。

だから、セットで行われている、現代アートの「笑い展」の意味合いがはっきりしてくる。日本の畳敷きの部屋でびんらでぃんが飲んだくれてるビデオを流している作品とか。各国首脳っぽい人形が背広を着て匍匐前進し続けている作品とか。政治的な皮肉を笑いに転化しておくことで、相手に押し付けないけれど考えさせることが可能になるのが、芸術の“効果”かもしれませんね。とはいえ、効果をねらって芸術をやってるのかは謎なんですが。

個々人にはそれなりの主張や願いがあって、それを結実させるとき、人を笑顔にさせることができて、その上でなにかできると、いいよね、と思いました。

*

グレゴリー・コルベールの展示は、映像と大きな写真でした。ライオンと少年などが砂漠で共存しているような映像や写真で、これが合成じゃないというのがすごかったです。肉食獣とたわむれるというか。しかもとても静謐で、凛としている。セピア色の映像と、踊るような足取りの登場人物や動物たちが強く印象に残りました。
お台場でもなにかやっているみたいなので、チェック!(URL )

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2007年1月27日[土]-5月6日[日]
森美術館 六本木ヒルズ森タワー53階
開館時間:10:00-22:00|火10:00-17:00|

いずれも入館は閉館時間の30分前まで3/20(火)、5/1(火)は開館時間を22:00まで延長
<会期中無休>

入館料(前売り):
一般1,500(1,200)円
学生(高校・大学生)1,000(900)円
子供(4歳以上-中学生)500円
※表示料金に消費税込※本展のチケットで笑い展、MAMプロジェクト005(但し2/28~)および展望台 東京シティビューにもご入館いただけます。※ご利用当日のみ有効

オルセー美術館展 @神戸市立博物館(2) 印象派絵画

オルセー美術館展@神戸市立博物館(1) のつづき。

オルセーといえば印象派、というイメージは多分間違ってない。
monet

印象派といえば光を描く。右のモネの『ルーアン大聖堂』(1893)は光の移り変わりのなかでこの建物がどのような色の変化を見せるのか、20点の連作を描いています。中学の頃、美術の教科書で唯一面白いと思ったのがこれでした。「見え」は時間によって、光が変わることによって全然変わってくるのに「同じ色」があると信じていることが不思議だね、とモネが言っているような気がして。そのとき、モネという名前だけはしっかり覚えたのでした。

マルモッタン美術館展で晩年の睡蓮を見たときも、直島で睡蓮を見たときも、私はこの人の絵には絶対的に惹きつけられてしまうんだ、とちょっと悔しくなったりして。

長い歴史の一点で、また違う時代、違う土地に生きた会ったこともないひとりの人の手による絵を愛してしまうということ。違う時間、違う場所で、どうしてもひきつけられてしまうその絵たちが、同じ人によって描かれたものだということ。今はこれが不思議で、悔しくて仕方がない。

そう思っている人が、おそらく世界中にたくさんいるということも、これまでもいて、これからもたくさんいるということも。

この絵に近づくと、空の青や、光の城や黄色やそのほかの色がいたるところに「拡散している」のがわかる。光が私たちの網膜の上で、ちらつくのを示しているのか?

*
シスレー

シスレーのやさしさ。
この『洪水と小船』(1876)は、この風景を描こうと思ったシスレーの目のやさしさが伝わってくるようでいいなあと。洪水のあとのひとこま。空はもう、いつも以上に綺麗に晴れているのだけれど、嵐が来た跡で地面はまだ水浸し。しかしそれがもう凪になっていて、時間の経過を感じさせる一枚。

*

マネ
マネの描いたベルト・モリゾ。知的で、意思的で、かっこいい女性。マルモッタン美術館展が京都にやってきたときに知った人。画家の目が何をとらえるのか、について考えさせられる一枚。
彼女の描く絵は意思的で美しい。女性の視線というのは柔らかでやさしいが、ある点ではとても強い。しなやかさを感じる。心での対話の力を思い知らされる。こういうものは男性には描けないんじゃないかなあと、勝手に思うけれど、きっとモリゾじゃなきゃ描けないってのが正しい。
モリゾ
*

オルセー展で出会えてよかったと思ったのは、アンリ=エドモン・クロスの点描画だったのですが、これについてはまた機会があれば。

オルセー美術館展 @神戸市立博物館(1)

gogh

今日もいい天気でした。秋は、すごしやすくて、ついつい外出したくなりますね。

それで、研究室の後輩を誘って、阪急電車で京都から神戸まで出向きました。
終わりが近いジャコメッティ展と、オルセー美術館展に行ってきました。
あと、元町はグレゴリーコレ でごはんとケーキを…(どちらかというと後者が目的)。
一人でいくと、ケーキ屋さんより、眺めのいいカフェに行きたくなるのですが、妙齢の女子がふたりで行くところっていったら当然、ケーキがおいしいところ。女性に生まれてよかったと思うのは、目の前にケーキがひとつあって、それがおいしかったら、突如として気分がどん底からハッピーまで持ち上がっちゃうときだと思う。

*

オルセー美術館展は今日が初日。10時過ぎには到着。三宮の駅の近くで前売り券を入手して、神戸市立博物館へ。
あいかわらず、神戸、旧居留地のあたりはしゃれていて、。
かつて銀行だったという建物
なぜか子供がいっぱいいてきゃいきゃいはしゃいでいた。小学四年生くらいだろうか。

オルセー美術館とは、パリのセーヌ河岸にある、19世紀美術の殿堂。フランスの二月革命以降、第一次世界大戦まで、要するに1848-1914年の美術を収集している。
印象派周辺の傑作がごまんとある美術館で、今回の展覧会でもそういったものだらけでした。マネ、モネ、セザンヌ、モリゾ、スーラ…。

*
ミレー

今回一番気に入ったのは、ミレー〈ジャン=フランソワ1814-75:wiki 〉の『グレヴィルの教会』1871-74年。『落穂ひろい 』や、この間のバルビゾンから印象派でみたミレーの絵よりずっと明るい。最晩年の作品。歴史が印象派へ流れていった頃の、明るい絵。
やさしくやわらかく、のどかで、すこし寂しいこの絵は、彼が生まれ故郷を記憶を拠りどころに描いたものだという。羊に羊飼い。空に鳥。まなざしのやさしさ。遠き落日。

こういう絵を見ると、画家の目になれた気がしてとてもうれしい。
自分が見ることの出来ない風景を、画家の目を通して、画家のあたたかい情感のこもった手を通して“見る”ことができる。

*

[参照]
オルセー美術館:wiki
オルセー美術館の写真:Flickr
--
[Link]
神戸市博物館
オルセー美術館展 http://www.orsay3.com/

*

(つづく)→次回は印象派の話を。

バルビゾンから印象派@大丸京都店

招待券をいただいたので、大丸ミュージアム京都へ行って参りました。
駆け込みだったのですが、「おお、洋画のキホン」と思うものが見られました。
というのもおそらく、私の母がミレーが好きで洋画といったら「落穂ひろい」的な風景のイメージが根強いからだろうと思われ。こういったイメージというのは個人の来歴によるものではあるけれども、日本人はフランスの芸術が好きだし、おそらく「油絵」とか「洋画」とかいわれるものを単純に想起するときはこういった絵を思い出すことが多いんじゃないか、と思ったり。

--(引用)--
19世紀絵画の巨匠たち 
バルビゾンから印象派 
コロー、ミレー、クールベ、ルノワール、セザンヌ、シスレー…
--
本展では、自然や農村の風景を描き続けたバルビゾン派の画家たちと、アカデミックな絵画に飽き足らず変わりつつある社会的背景の中で、新しいスタイルを生み出した印象派の画家たちの、19世紀なかばの美術運動の流れの一端を、日本初公開の16点を含む合計85点でご紹介いたします。
--(引用終わり)--
mother


デパートの美術展なのに点数がやたらあって、いろいろ覆された気分でした。そこまで大きなものはなく、小品中心の構成、版画もあり、ミレーの落穂ひろいと同じ構図の版画などもありおもしろかったです。

*

バルビゾン派(wiki )から印象派(Wiki )に繋がる流れをとらえる展覧会で、その違いがやはり「光の色」にあるのかなあと思われる展示でした。

*

バルビゾンというのはパリ近郊のフォンテーヌブローのあたりにある村だそうです。私はそこに行ったことがあるのですが、フォンテーヌブローの森というのは、あかるくやさしい森です。日本でも北のほうの森になんとなく似ているところがあり、うっそうとしているのではなくて、やわらかく高く伸びた林というかそんな感じ。その森の絵もあり、森の中でこそ際立つ、制限された光が美しかった。
今回の展覧会の中でもバルビゾン派の絵は夕暮れや森の中を髣髴とさせる色使いで、なんだか秋の色。乾いた季節の、黄色いやわらかい光。その光はずっとあるわけでなく、もうすぐ消えてしまうといったような雰囲気のものが多く、そこにあるはかなさをとらえる画家の目がなんともいえず郷愁をかもしだしていました。制限されたものの中にある、静けさと物悲しさ。それは不安定な時代を反映したものなのかもしれません。
農業、牧畜や生活を題材にしたものが多く、フランスって農業立国だったっけな、と思い出したり。

水に映る光も、おとなしいものが多く、やわらかく、ていねいに描かれていました。

*

しかし、やはりなにか制約があって、慎ましやかというのは私の感性にとってはそこまでしっくりくるものではないようで、印象派ののびのびとした筆遣いと、色使い、光との戯れ感のあるキャンバスに心は惹かれました。とはいえ、印象派の駆け出しの頃のものばかりだったような感じで、イマイチ欲求不満。やはりモネの睡蓮みたいにちょっとどぎついくらいのほうが…。点描のものやシスレーなどありましたが、控えめでやさしい。おそらく居間にかけるなどして毎日見ていて落ち着く程度の作品。そうやって見られる環境じゃなく、美術館で“オオ”って思うために観に行く分にはすこし欲求不満になったり(私の場合は・・・)

バルビゾン派の絵もそうですが、やはり印象派は特に、かなり離れて鑑賞する方が面白いように思いました。目が錯覚を起こして、すこし動いているような、光と風を感じるような気がして、そういう「生き生きとした」感じがなんともいえず。

*

ぼけーっと遠くから眺めていたら、ある絵がとても気になりました。近づいてみると、ゴッホでした。ファン・ゴッホの『ホーヘフェーンの農場』1883年。一瞬何の変哲もない絵にも見えるのですが、小川が空を写している色がとても光を感じて、気持ちが良かったのです。バルビゾン派のような色使いにも近く、印象派以前のゴッホで、黄色い家みたいなパワーはないのですが、なにか引力があって、ゴッホってやっぱりすごいなと思いました。


[参照]
大丸ミュージアム
関西お出かけカレンダー
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