スパナについて色々と調べていますが、戦前の日本製スパナについてはほとんど分からず、実態は闇の中と思っていました。
国会図書館資料が一般公開され、昔のことを詳細に調べることが出来るようになりましたので、徹底的に調べて見ました。
まずは、国会図書館資料を『スパナ』と『~1945』の2条件で検出し、メーカー名を確認。
そして、その資料に掲載されている広告から写真やイラストのビジュアル情報を抽出しています。
さらに、海軍工具の現物情報を付加させました。
今のところ、戦前にスパナ生産が確認出来ている工具メーカーは、全部で53社です。
※リンクさせている国会図書館資料の閲覧には登録が必要です。
1.スパナの写真/イラスト付き
① (株)東京鍛工所
東京鍛工所は、100年以上前の1918年の創業時からスパナを含む作業工具を生産していたことが東京鍛工所自身のレポートで確認できます。
また、いすず社史より1925年の時点で既にスパナを製造していたことが分かっています。
日本の型鍛造スパナの製造年が特定できる一番古い記録だと思います。
ちなみに、海軍工廠の鍛造技師だった社長殿が独立して起こしたのが軍(陸軍&海軍)以外では初めての民間の型打鍛造会社である東京鍛工所。
なお、出身の海軍工廠は、当時の日本で最高峰の技術集団でした。
1940年からゼロ戦などの海軍向け工具を製造した京都機械/一重丸京は、この海軍工廠に徹底的に鍛え上げられて、織物の染色機械から型鍛造工具の製造会社へ変貌していったと理解しています。
☆1955年11月号『生産技術』、東京鍛工所の社長レポート
⇒ 詳細は、こちら(国会図書館蔵、会員登録要)
☆1928年/昭和3年『全国金物名鑑』
東京鍛工所のスパナが登場する一番古いと思われる広告。
広告内に『直輸出入問屋』と書いてありますが、"TDF"は工具メーカーの東京鍛工所が商標登録しているロゴであり、日本製です。
↑1934年『全国工場通覧』(片口スパナも)
東京鍛工所は、戦前から日産やイスズと関係が深く、イスズ社史に『東京鍛工所は1925年当時にスパナを製造』として紹介されています。
↑242頁(年譜内)
⇒ いすゞ自動車史の全ページ閲覧は、こちら(国会図書館蔵)
⇒ 東京鍛工/TDF Wikiは、こちら
☆ロゴ"TDF"の商標登録
・1938年に"TDF"を商標登録。
・1928年の広告に"TDF"ロゴが入っていますので、少なくとも商標登録の10年前には"TDF"が使われ始めていたことが分かります。
・"TDF"…Tokyo Drop Forge/東京鍛工
☆会社沿革
・創業…1918年/大正7年(合資会社 東京鍛工所)
※海軍工廠の鍛造技師だった社長殿が独立して起こした民間初の型打鍛造会社
・株式会社化…1930年/昭和5年(株式会社 東京鍛工所)
・1990年にTDF(株)に社名変更
・2019年にいすゞ系IJTTに吸収合併となり、消滅
↓1954年『日本会社史総覧』より
↑1930年『日本標準工具型録』
② 昭和鍛造工業所
SDFのロゴからすぐに分かりますが、『昭和スパナ製造(株)』の前身です。
1938年に個人商店として起業し、戦後になってから株式会社化したというのは分かっていましたが、1940年には既に『昭和鍛造工業所』の名前でスパナを出していて、さらにSDFロゴも使っていたのは今回の調査で初めて分かりました。
『昭和スパナ』のロゴが"SDF"になっている理由も判明。
(昭和鍛造 ⇒ Showa Drop Forge ⇒ "SDF")
⇒ 戦後の昭和スパナは、こちら
↓1940年『東京市商工名鑑』より
ちなみに、所主(社長)名は戦後と同じ。
昭和鍛造工業所のスパナ現物を『報国515資料館』で確認できました。
戦後のSDF(昭和スパナ製造)にはフラットパネルは無く、さらに上の1941年広告はフラットパネルであることから、戦前の昭和鍛造工業の製品に間違いないと思います。
【2023年7月12日 追記】
別のロゴ も刻印されていて、"井立"または"共立"をデザイン化しているように見えますが、納入先の航空機メーカーを示しているのだろうと考えました。
したがい、"井立"と"共立"の名前で航空工場または軍需工場があるかと検索してみたら、国会図書館の所蔵資料より『共立航空工業(株)』という会社が浜松にあったのを見つけました。
官報に『共立航空工業/浜松が1945年12月31日に解散』と載っています。
残念ながら会社の詳細を示す情報はありませんでした。
中島飛行機に浜松工場がありましたので、その関連軍需会社だろうと推察します。
いずれにしても、このスパナは、昭和スパナ/SDFが製造し、共立航空工業向けに納入した可能性があります。
戦後に最初にJISを取得した6社の内のひとつである『服部スパナ(株)』の前身。
戦前からスパナを作っていたのが初めて分かりました。
戦後は"TORI"と刻印していましたが、戦前は"トリー"?
広告では残念ながら刻印が表示されていません。
両口と片口ともにスパナ部のオフセットが無く、ストレートです。
ちなみに、社名の『服部廣』は社長のフルネーム。
⇒ 戦後の服部スパナは、こちら
↓1941年『全国工場通覧』の広告
④ 小塚スッパナ製作所
会社名の"スッパナ"が目にとまります。
後述3項の『小塚鐵工所』と住所が同じ。
↓1940年、41年『全国工場通覧』の広告
⑤ 鈴木工具(株)
広告内にスパナあり。(写真が小さいのでスパナの特徴は分からず)
工場が2つある工具製造会社ですので、自社製だと思います。
後述3項の『鈴木鐵工所』とは同じ東京市ながら住所が異なるので、別会社の様子。
↓1941年『全国工場通覧』の広告
⑥ 吉兵衛商店
工具商社『吉兵衛商店』が数多くの工具を取り扱っていて、228ページのカタログを発行しています。
ハンドツールも多く含まれていて、スパナもあります。
丸に"吉"のロゴゴが入っています。
吉兵衛商店は工具商社だと思いますので、外注先(製造元)があるはずです。
このページで取り上げている会社のいずれかでしょう。
ちなみに、イラストレベルではありますが、一番最初に解説している東京鍛工がほぼ同一形状です。(サイズも同じ5/8x1/2)
↓1937年『利器工具型録No.8』より ⇒ 詳細は、こちら
【参考-1】戦前の輸入スパナ
マーモン印/自動車商工(株)
↓1936年『全国工場通覧』の広告
『国産の最高峰』と書かれているので、日本製だと思ったら、アメリカ製でした。
"Marmon"はアメリカの自動車会社で、Marmon Car Company(1902~1933年)が乗用車、そしてMarmonブランドを継承したMarmon Herrington(1931~1960年代初頭)が4x4軍用トラックを製造していました。
広告の1936年時点では乗用車Marmonは既に廃業していますので、以前から輸入していた、またはMarmon Herringtonが工具事業を継承していたものと推測。
ちなみに、広告に『國産の最高峰』と書かれているのは、広告内左側の国産"MP"スパークプラグだけを指しているのだと思います。
↓Marmonスパナの現物(その古めかしさから、恐らく広告のスパナそのもの)
↓オーストラリアの工具ファンサイトから"Marmon"工具の存在を確認できました。
⇒ オーストラリアWebの詳細は、こちら
乗用車/Marmon Car Company ⇒ Wiki
4x4軍用トラック/Marmon-Herrington ⇒ Wiki
Marmonスパナはリサイクルショップで見つけたのですが、BonneyのS字スパナも同じ売り場にあり、MarmonとBonneyのS字はセットだったのだと思います。
Bonneyのスパナ部に品番"77-S"との刻印があることから、1926年のカタログに載っているモデルと分かります。
1923年と1931年のカタログでは別の品番になっていますので、まさしく乗用車Marmonの最終生産時期と一致します。
したがい、広告のS字スパナの方は、このBonneyだった可能性が高いと思います。
『Marmonが車載工具としてBonneyを採用』、または『自動車商工(株)がMarmonと同時にBonneyも輸入』のいずれかだと思います。
いずれにしても、約90年前にBonneyも輸入されていたらしいことに驚いています。
⇒ Bonneyカタログ/1926年の該当ページは、こちら
【参考-2】工具商社(メーカ-名、ブランド名ともに不明)
小野逞三商店
イラスト付きのスパナが広告に掲載されていますが、工具商社であり、ブランド名も表示が無いため、参考とします。
↓1940年『模範日本機種別名鑑』より
2.広告を掲載している工具メーカー
【参考-3】
普通の両口スパナがあるかは分かりませんが、会社名にスパナがあることから掲載。
ロゴ"RT"の左右に"TRADE MARK"と書かれていることから、商標を登録しているようですが、会社名と社長名での登録は無く、商標の登録状況は不明。(TRADEのスペルミスはご愛敬)
ロゴの”RT”は、竹内量太郎社長のイニシャル?
↓1927年と1929年の『東洋金属名鑑』広告。
↓広告内のS.Tモンキーレンチ("ST"は恐らく"竹内スパナ"の略)
【参考-4】
恩加島鐵工所 (現在の日本鍛工/1937年に社名変更)
日本鍛工HPに『1930年にHAPPY印作業工具の製造開始』と説明されています。
スパナが含まれているかは不明ですが、当時の広告よりモンキーとパイプレンチは確認できました。
↑↓1935年『全国工場通覧』の広告(恩加島鐵工所)
日本鍛工のロゴは、◇に"θ"(シータではなく、デザイン化された"日")なのですが、恩加島鐵工所の広告では◇に"O"(恩加島/Okajimaの"O"?)になっています。
広告と同一の"HAPPY"モンキーの写真を読者の方から頂きました。
現場で現役で使用しているとのこと。
広告は3/4インチで品番刻印が"x121"ですが、写真の製品は1/2インチで"x81"になっています。
サイズ以外は広告の商品そのものです。
裏面の”HAPPY TOOL MFG CO."は、広告内にあるように販売が『ハッピー工具販賣會(販売会)』で、その英語名になっています。
ロゴの"◇D OK F"は、恩加島鐵工所の鍛造品/"OKajima Drop Forged"から来ているのかと思います。
この推測が当たっているとすれば、恩加島鐵工所は1937年に日本鍛工に名称変更していますので、このモンキーは1930年~1937年製ということになります。(それが今でも現役?)
◇"DxF"というロゴの作り方は、一番上の①東京鉄工所 と同じです。
ちなみに、HAPPY工具の登場よりも2年早い1928年に日本理器(現・ロブテックス)が日本で初めての鍛造モンキーレンチを作っています。
なお、戦後の話になりますが、日本鍛工は"New Happy"としてHappyブランドを復活させています。
3.スパナを取り扱っている工具メーカー
企業一覧で『品:スパナ』と書かれている工具メーカーを、1931年~1941年の企業名鑑よりピックアップ。(あいうえお順)
40社が見つかっています。
※1941年12月に太平洋戦争が始まり、日本の会社全体が軍需工場化していったため、1942年以降は企業名鑑も発行されなくなります。
4.航空機
戦前の資料を『航空機工具』で検索して、3件がヒット。
さらに、海軍に納めていて、具体的な用途(發動機名)が分かっている会社が2社。
⑦ (合)昭和機械工具製作所
企業年鑑より航空機工具を取り扱っていることが分かります。
さらに、戦後の企業レポートより中島飛行機の専門工具会社だったことが判明。
少なくとも海軍向け光エンジン工具の製造を担当していると推定。
また、陸軍向けエンジンに整備工具を納めていた工具メーカー情報が全く得られていませんが、創業(38年4月)時から中島飛行機に工具を納めていたとのことから、陸軍の九七式戦、一式戦/隼、二式戦/鍾馗の中島エンジン用工具も昭和機械工具製だった可能性が高いのだろうと思います。
⇒ 当ブログ内の詳細解説は、こちら
↓1941年『東京市商工名鑑』より
↓光エンジン工具
⑧ 田野商會
会社説明に航空機用スパナ製造と明記されています。
会社名が"商會"になっていますが、機械工場も持っています。
↑1941年(航空機スパナ)と1939年の『東京市商工名鑑』より
⑨ 遠州屋鐵工所
会社情報は以下のみ。
↑1941年『東京市商工名鑑』より
⑩ 京都機械(株)
京都機械は、社史『京都機械35年の歩み』により海軍の發動機5機種、さらに工具セット現物より1機種の合計6機種にスパナを含む工具セットが採用されていることが分かっています。⇒ 当ブログ内の詳細解説は、こちら
京都機械は、戦前と戦中は、軍需会社として海軍にのみ納めていましたので、一般企業のように資料には登場しません。
戦後になってからスパナの一般販売を開始していて、工具メーカーとしては戦後の1959年になってから企業名鑑に登場。
↑榮エンジン/ゼロ戦用(1940年から製造開始)
私が現物を持っている唯一の戦前スパナです。
↑天風エンジン/赤トンボ用(1943年製)
この現物は、開戦後の1943年に生産されていますので、正確には戦時中スパナ。
天風用工具自体は、京都機械が海軍に納入を開始した戦前の1940年から生産を始めていると思います。
分からないのが、赤トンボ用エンジンとして正式採用された1934年から1940年までの間はどの工具メーカーが納めていたのか?
⑪ 関西スピンドル製作所
工具箱の銘板より関西スピンドル製作所が火星エンジン用の工具を海軍に納めていたことが確認出来ています。⇒ 当ブログ内の詳細解説は、こちら
↓銘板のプロペラ左下に『関西スピンドル 第xx號』と印字されています。
↓1930年『新興日本商標総覧』より
↓1938年『全国工場通覧』より
↓1962年『日本機械工業名鑑』より(戦後になってからの会社情報)
九九艦爆/機体整備工具
KTC『ものづくり技術館』に99式艦上爆撃機用の機体整備工具箱が展示されていて、その中に1本だけスパナが入っています。(下の中央写真の天板左にあるスパナ)
桜マーク(左下)と○工(右下)、90度傾いた○マ(右上)、さらに◎に・(左上)のマークが入っています。(左中央にも桜マークがもう1つあるように見えます)
右下の○工は、アルファベットのHかもしれません。
桜マークからも海軍向けの工具であることが分かります。
一重丸京マークを確認出来ませんので、京都機械製かどうかは不明です。
陸軍 發動機
陸軍の發動機11機種で取扱説明書のイラストからスパナ種類と形状が分かっています。
但し、残念ながら工具メーカーがどこなのかの情報はどの機種もありません。
⇒ 当ブログ内の詳細解説は、こちら
↓『ハ12』(海軍呼称・神風)工場用工具の一例
陸軍の"☆"マークが刻印されたスパナ2種を『報国515資料館』で確認できました。
陸軍-1
・平板を打ち抜いた所謂"板スパナ"と思います。
・裏面の品番"2862☆"の☆印より陸軍向けと分かります。
・また、丸"H"が刻印されていますので、イニシャルが"H"のメーカー製と推測できます。
・戦前にスパナを製造していたことが分かっている工具メーカーの中で、イニシャルが”H”の会社が4社あります。
・『服部廣鐵工所』、『濱崎鐵工所』、『深田機械製作所』、『廣島機械工業』
・この4社が丸“H”の候補なのかと思います。
・この中で、会社情報の詳細が分かっているのは『服部廣鐵工所』だけで、戦後になってからJISを取得しています。
・もっとも、海軍向けに火星用工具を納めていた『関西スピンドル製作所』は、繊維機械の専業メーカーであり、工具の一般販売はしていませんので、予想だにしない丸”H”の会社があったこともあり得ます。
・スパナには沢山の文字が刻印されていますが、『脚起動器..』より機体整備用のスパナであることが分かります。
・刻印は以下と書かれています。
『脚起動器 尾輪起動器 下ゲ翼起動器 下ゲ翼安全弁
操作弁 差動弁 開閉切替弁 安全弁 蓄圧タンク沪過網』
陸軍-2
・☆印より陸軍向けと分かりますが、他の刻印はありませんので、発動機用と機体用のいずれなのか、また製造メーカーはどこかは不明です。
5.自轉車
⑫ 宮田製作所
自転車工具にも戦前スパナがあるかと思い、国会図書館デジタルで検索したら、『宮田製作所七十年史』がヒット。
宮田製作所(現在のミヤタサイクル)が1959年に刊行した社史で、1890年(明治23年)からの自転車作りが語られていて、日本の自転車発展史としてとても面白い読み物です。⇒閲覧は、こちら
その社史に1932年『ミヤタグラフ』表紙と1933年広告のカラー版が掲載されています。
『ミヤタグラフ』にはロゴの と共に『THE MIYATA WORKS』と書かれていて、とても90年前とは思えないカラフルでモダンな表紙デザインです。
その"MIYATA WORKS"でネット検索したら、ちゃんとあるんですね、スパナが。
"MIYATA WORKS"と刻印された板スパナが見つかりました。
ギヤーMは1907年に商標登録されていること、"MIYATA WORKS"は1932年には使われ始めていて、『登録商標』が逆書きであることの3点を根拠として、宮田製作所の戦前スパナで間違いないと思います。
【2023年2月4日追加】
板スパナでは無く、通常の鍛造スパナが確認できました。
ギヤMのロゴが綺麗に入っています。
↑ミヤタサイクルHPによると1907年/明治40年にギヤMを商標登録したとのこと。
↓戦前の1917年/大正6年と1933年/昭和8年に登録された"ギヤM"商標。(1907年の登録は見つかりませんでした)
当ブログの主目的は製造メーカー発掘ですので、この宮田製作所のブランドである"ギヤM"のスパナを作ったのは誰かを考えなくてはなりません。
宮田製作所は自転車メーカーであり、工具メーカーではありませんので、通常であればスパナは外注します。
ただし、宮田製作所は昭和初期から鍛造やプレス機を含めた多くの工作機械を有していて、かつ工具工場も存在していました。⇒ 『宮田製作所七十年史』の82~92頁
(自転車用の工具なのか、工場内設備用の工具なのかは不明ですが)
なお、このスパナはいわゆる板スパナであり、平板を押し切るだけで製作可能です。
平板押し切り用のプレス機は当然持っていますので、このスパナは宮田製作所の自製である可能性が高いと思います。
したがい、宮田製作所を戦前のスパナメーカーとしてカウントすることにします。
・宮田自転車130年HP ⇒ こちら
・モリタ宮田工業 ⇒ Wiki
(2009年にモリタの完全子会社になり、2014年までモリタ宮田工業がミヤタ自転車事業を運営、今は香港の資本でミヤタサイクル)
⑬ 畑屋
畑屋製作所(旧・畑屋機械店⇒畑屋工機)は、1918年に自転車修理工具の製造販売会社として創業し、戦後は自転車工具の中心的なブランドでした。
したがい、戦前からスパナがあった可能性が高いと考え、畑屋製作所に問い合わせたところ、『戦前の工具にスパナも含まれていたと聞いているが、残念ながら戦前の記録は残っておらず、どのような形状だったのか等の情報は無い』とのことでした。
取りあえず、戦前にスパナを製造していたことは確認できました。
会社HPには以下の説明が載っています。
畑屋製で一番古いと思われるのが下のスパナです。
『特製 畑屋製』の刻印が逆書きで、いかにも手打ち鍛造のようです。
戦前から自転車工具を作っていたとのことですので、これが戦前スパナである可能性が高いと思います。
↓大正7年(1918年)当時の自転車工具…1953年カタログから
残念ながらスパナは含まれていません。
⇒ 当ブログ内の畑屋解説は、こちら
大塚工具商会/OTK
戦後の自転車工具ブランドで3羽ガラスだったのが『畑屋』と『宝山』に『大塚工具』ですが、宝山は戦後の創業ですので、本編では対象外になります。
大塚工具はキーマークのロゴで有名だったものの会社詳細が不明でしたが、国会図書館資料の検索を駆使して、正式な会社名が『(有)大塚工具製作所』で、創業が1916年/大正5年と確認できました。(畑屋の2年前)
スパナも存在するらしいのですが、写真では確認できていません。
↑『大塚工具店』のみ1952年資料、他は1960年資料から。
戦前から自転車工具を作っていたとすれば、当然スパナもあったのだろうと推測していますので、今後追い掛けていきたいと思います。
工具商社ブランドのようなので、いずれかの工具メーカーが製造元になっていると思います。
・会社名…(有)大塚工具商会(大塚工具店は旧社名または実販売店)
・ブランド名…OTK
・創業…1916年/大正5年
・住所…東京都台東区御徒町1-11
・商標登録…会社名と社長名で検索しましたが、キーマークロゴは見つからず
☆"戦前スパナ" 情報まとめ
・イラスト、写真付き広告より…6社(東京鍛工所他)
・航空機用工具より…3社(昭和機械工具、田野商會、遠州屋鐵工所)
・自転車工具より…2社(宮田製作所、畑屋)
・企業年鑑より…40社
・現物より…1社(京都機械/海軍向けエンジン7機種/現物は榮エンジン)
・工具セット銘板より…1社(関西スピンドル製作所/海軍向け『火星』用)
*合計53社(①~⑬+企業年鑑40社)
*この内3社は、戦後もスパナ生産を継続し、かつJIS認証も取得しています。
(京都機械、昭和鍛造工業所/昭和スパナ、服部廣鍛工所/服部スパナ)
*残念ながら、現存しているのは畑屋製作所だけです。(但し、工具事業からは撤退)
*さらに、東京鍛工所と宮田製作所以外は廃業。
*東京鍛工所は、TDF(株)を経て、イスズ系の自動車部品工業等と経営統合した後に、IJTTに吸収合併。
*宮田製作所の自転車は、モリタ宮田工業を経て、台湾資本になってミヤタサイクル。
スパナ製造で名前が出てくる53社の中に燕三条の会社が無いことに驚きます。
池田工業(三条)が戦中に海軍/日産向けにスパナを納めていたことは後述しますが、企業名鑑が発行されなくなった1942年以降の話。
1941年以前としては、NTK(三条)の前身である新潟鐵鋼が1938年に創業していますが、戦前は自動車内燃機部品を作っていたとのことで、スパナの話は出てきません。
燕三条が工具の一大産地になるのは戦後の1950年代後半になってからのことです。
ちなみに、その燕三条で戦後から現在までにスパナとコンビレンチを製造していた(している)会社は40社ちょっとです。
それから考えると、1931年からの10年間で日本でスパナを製造していたのが50社以上というのは意外に多かったんだなと思います。
6.国会図書館以外の情報
当ブログでこれまでに取り上げてきた昔のスパナ情報より。
1.池田工業/1942年(戦時中スパナ)
会社沿革によると池田工業の前身会社が戦時中にスパナを製造。(日本全体が戦時体制になってからの話)
・1942年5月:『日本発条株式会社を通じ、鍛造スパナを陸、海軍工廠及び日産自動車へ納入』
この時に日産が生産していたのは乗用車の70型と大型トラックの180型の2車種。
軍隊にも納入していたことを考えると180型大型トラック用にスパナを納めていた可能性が高いと思います。
戦争が始まった時には日産の大型トラックは80型というセミオーバーキャブでしたが、前軸加重が重過ぎて泥濘地が不得意、また前輪の上に運転席があるため前輪が踏んだ地雷がもろにキャブ内を直撃するという2大欠点から、急遽新たに開発されたのが運転席が後方になるボンネットタイプの180型。
年表にあるように1941年2月から生産を開始していて、池田工業の前身会社はその約1年後(1942年5月)にスパナを納入。
納入先が軍隊と日産の2カ所になっていますが、この180型用として両方に納めていたと考えるのが素直。
2.自転車用スパナ『シライ』/1932年
愛知県豊橋市の店名"シライ"という自転車工具店による戦前1932年(昭和7年)のカタログ。
表紙は"具工車轉自"という逆から書いた日本語と、"Catalogue"というイギリス英語。
『弊店自慢の代表的製品』として"STS舟印"のペタルマワシが主力商品の様子。
『黒の打ち出し』、『独特完全焼入レ品』、『特殊合金製』、『フォード自動車バネを似て作りバネペタルと称す』、『テイサイや装飾はして有りません』との説明。
黒の打ち出しとの説明があることから、ハンマーで叩く手打ち鍛造/Hand Frogedだろうと思います。
この"シライ/自転車工具"のように企業名鑑には登場せず、家内制手工業のような会社が手打ち鍛造で作ったスパナは、星の数ほどあるのではないかと思います。
現物が見つからない限り、未来永劫、調査不能な領域と思います。
↓カタログ4頁だけ下に貼付、全29頁はこちら。(Special thanks to 昭和自転車さん)
企業名鑑には登場しない規模の会社と言いながらも、充実した内容のカタログです。
番号の無いイラスト工具46種、番号(1~76)の付いたイラスト工具79種の合計125種類もの自転車工具が載っています。
この中には『舶来』、『アメリカ製』、『独製』として海外製が10種類以上含まれています。
海外製でメーカー名まで分かるのが1つだけ入っていて、アメリカ製クレセントのパイプレンチ。
Crescentの1931年カタログに載っているパイプレンチだと思います。
前述したように1930年頃にBonneyのS字スパナが輸入されていましたが、Crescentも同じ頃に輸入されていたことが分かります。
Crescentと言えばモンキーレンチが有名で、このシライカタログのモンキーは舶来とだけ表示されていますが、Crescentの可能性が高いと思います。
ちなみに、Crescentを参考にした日本理器(ロブスター)のモンキーは、少し前の1928年に既に登場しています。
【参考-5】アメリカ戦時中広告の例(PLOMB)
参考までアメリカの広告を。
戦時中の1944年12月に『Aviation』という一般ユーザー向け航空雑誌に掲載されていた広告です。
『戦争』という言葉は一言も出てきません。
ちなみに、日本では開戦の1942年以降、広告自体が姿を消しています。
⇒ PLOMBの戦時モデル詳細は、こちら
【メモ】追加で見つけた戦前スパナをメモっておきます。
・東邦工機(戦後のHIT)も戦前からスパナを作っていたことを1937年の商標集で確認。
別途、本文に反映予定。
↓1937年『新興日本商標総覧』
↑1943年『機械工作雑誌』
↑1941年/不二工具製作所製、村山機器工業の『機器総合型録第3号』
↑1939年『躍進工業大観』
この回、終わり