phaさんとかレンタルさんとか | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

評価すべきは結果かそれとも過程か?

自分の正義や正解を前提として押し付けてくる人とは話すつもりは

ないことを前提に話をすすめさせてもらえば、オレは過程派だろうか。

 

数学ではなく哲学的な問題なので明確な正解など存在しないし

結果というものを全否定するつもりも毛頭ないが、過程と否定するという

ことはこれまでコツコツとやってきた自分の人生を否定することになってしまう。

 

また、成功の着地点を「稼ぎあるいは成功」とするか、それとも「生きること」に

するかで正解がどちらに偏るかも変動してくる。

 

一秒でも長く「生きること」を成功とするのであれば、スティーブ・ジョブズよりも

今も河川敷で暮らし続けているダンボールハウスの人たちのほうが結果をだしている

ことになる。

逆に「稼ぎあるいは成功」を結果とするのであれば、上の立場がそのままそっくり

入れ替わる。

 

もちろん、ここで

「しっかりやっている人は過程が結果に結びつくものだ」

といいたい人もいるだろう。

たしかにいるにはいる。

だが、さっきも書いたようにそれは一握りの特殊な例といえる。

生き方は人それぞれだ。

 

でも、結果か過程かという論をしはじめたところで、どちら派にせよ、

結局は自分の価値観や生き方を誰かと比べてしまっていることに気づく。

 

異なる意見を否定する理由は、きっと自分の生き方に自信がないからかも

しれない。

だから異なる意見を攻撃することで、自分の考えが正しいと自らに言い聞かせようと

いう力が働いているのかなと思う。

 

本当に羨ましいのは、結果だとか過程だとか考えず、周囲と自分を比較せず

自分らしく生きている人かもしれない。

 

京大卒の元ニートで、シェアハウスで暮らしブログなどで生計を立てている

pha(ファ)さんの本を昨年読んだのでここで紹介したい。

 

 

ひきこもらない ひきこもらない
1,320円
Amazon

 

 

――

家を出て街に遊ぶ。
お金と仕事と家族がなくても、人生は続く。
東京のすみっこに猫2匹と住まう京大卒、元ニートの生き方。

世間で普通とされる暮らし方にうまく嵌まれない。
例えば会社に勤めること、家族を持つこと、近所、親戚付き合いを
こなすこと。同じ家に何年も住み続けること。メールや郵便を溜め
こまずに処理すること。特定のパートナーと何年も関係を続けること。
睡眠薬なしで毎晩同じ時間に眠って毎朝同じ時間に起きること。
だから既存の生き方や暮らし方は参考にならない。誰も知らない
新しいやり方を探さないといけない。自分がその時いる場所によって
考えることは変わるから、もっといろんな場所に行って
いろんなものを見ないといけない。

(amazonから引用)

 

ニートだけれどもひきこもらないススメの指南書みたいなものである。

 

働く機会を与えられないのではなく、自分から働こうとしない、それがphaさん。

でも不思議と暮らしてゆけているわけである。

「生きること」を結果とするのであれば、phaさんはしっかりと結果をだして

それを継続していることになるから、結果派の人は悪くいったりすることは

できないはずである。

 

世間ではニート=ひきこもりが多い、というイメージがある傾向だが、

タイトルにもあるとおり、著者は引きこもらない。

動くには動くし、外出もする。

でも、人生をすこしでも楽しく生きようとするのであれば、これは当然といえば当然。

 

オレは引きこもれる人がちょっと羨ましい。

オレもできれば、引きこもる才能が欲しかった。

それがあれば、中学校時代とかも無理に学校にゆかず、適当の仮病でもつかって

部屋にこもることができたのに、と思う。

 

何年も前にテレビ番組で誰かが「ヒモになるにも才能の有無がある」といっていたが

それと同じで、「ニート」や「引きこもり」になるにも才能がいるんじゃないかとオレは

考える。

 

だって、朝から晩まで同じ狭い空間の中から一歩も出ずにじっとしているなんて

相当の忍耐力である。

オレならばきっと発狂する。

外にでたくてしょうがなくなる。

だからオレにはおそらく「引きこもり」の才能がないのである。

 

ニートにおいても、「オレ、社会からおいてゆかれるんじゃないか」とか「老後どうなるんだ?」

と不安になるような人間はニートになる才能がない。

また、不安にならなかったとしても生活できずに餓死したり、刃物もって繁華街を走りまわる

ようになる者もニートの才能がない。

 

最低限度の衣食住だけ確保でき、自分と周囲と比べずにいられる人間が才能ある

ニートなのである。オレが思うにphaさんがそれ。

 

「ひきこもらない」が予想以上に面白かったので、続けて他の本も読んでみた。

 

 

 

 

オレはアフォリエイトやSNS広告で稼ぐということにあまり関心がないので、そのへんについて

書かれていることは正直興味なかったが、それ以外のニート極意みたいな読み物は面白かった。

 

ニートとはいえ京大だから基本頭はいいし、情報も多いのだ。

この本では、

「『働かざるもの食うべからず』って言葉が大嫌いだ!」

と吠えている。

 

この言葉、世間ではニートその他あたりをしめしているように伝わっている。

でも実はこの言葉はソ連をつくったレーニンが新約聖書を引用して言いだしたもので、

もともと働かない怠け者を批判するための言葉ではなく、働かずして労働者を

搾取して肥え太っているブルジョア(金持ち)を攻撃するときに使われる言葉だったらしい。

ひとつ勉強になった。

仕事しない重役や、コーヒーだけ吞んで帰る相談役などにいってやりたい言葉である。

 

他にも

「世の中で一般的とされているルールや常識や当たり前は、世の中で他数派とされている

人たちに最適化して作られている。少数派がそんなアウェイな土俵で戦っても負けるだけだ」

 

「本来一部の人間だけがやっていればいい『努力教』を向いていない人間にまで強いようとする

のが日本の悪いところだと思う」

 

と指摘。

 

著者がニートということで拒絶感を抱き、もうここから反論体勢に入ろうと構えてしまう人が

多いかもしれないが、純粋に論だけ聞けば、決して間違ったことはいっていない。

むしろ綺麗事抜きの現実をシビアに指摘しているだけである。

 

話はちょっと変わるが、すこし前にフジテレビ系で放送されている「ザ・ノンフィクション」を

観た。

「レンタルなにもしない人」(通称レンタルさん)という男性が紹介されていた。

 

交通費と食費などの雑費だけだしてもらえれば、どこにでもゆくという男性である。

レンタル代は無料だけど、そのかわりなにもしない。

ただ、そこにいるだけだったり、ひたすら話を聞くだけだったり。

 

噂では聞いたことあったが、本人の映像ははじめてみた。

 

SNSなどでは叩かれる要素満載だなあとは感じたし、番組の最後で奥さんと

別居だか別れるかまでの状況になってしまったというのはあったが、それでも

そのレンタルさんにレンタルを希望する人はあとを絶たず、予約もさきまでいっぱい

とのことだった。

 

つまり、需要は需要であったわけだし、誰も考えてない発想を思いつくという

才能、そしてそれでも生活してゆけるという才能はあったんだと思う。

(奥さんの稼ぎで生活するというヒモの才能も)

 

phaさんについてもレンタルさんについても、決して‘素晴らしい’とは思わない。

 

だけど、世の中には面白いことを考えたり、なんだかんだで世間の荒波をうまく

乗り越えてやってゆく人がいるんだなあとは強く感心した。

 

語っている内容もすべては肯定しない。

 

だが、いわゆるカリスマ経営者とかが熱く語っている指南とかとあきらかに違い、

興味を持たされるその差は、やはり‘自慢’に回帰せず、とくに裕福な生活をしている

わけじゃないけれど、自分は自分らしい生活をしていますよと、語りかけてくるところ

だと思う。