822日付日経新聞の「私のリーダー論」ではピジョン山下茂会長の示唆に富む記事が出ていましたので、私の27年間勤務していた会社のことを思い出しつつ書きました。ピジョンと言えばベビー用品の会社ですが、会長の言葉にはリーダーの持たねばならない意識を指摘していますが、同時に内容的には一般社員が仕事をする時に必要な取り組み姿勢でもあり、ピジョン会長の独自ポリシーと言うよりは、普通に常識的なあるべき論とも感じました。
 
日経新聞の記事の抜粋は次の通りです。
―タイの経験からどうのようなリーダーの在り方を学びましたか。
4つの言葉に行き当たりました。1つは気です。コミュニケーションはある意味で気の交流です。例えば『あまり好きじゃないな』と思いながら人と話していると、何となく相手に伝わりますね。私は突然社長になったので、社員に対してどんな時も、良い気を送り続けなければいけない思いました。次は速度です。ビジネスは時間との戦いなので対応の速さが重要です3番目は他の人がやっていないことを自分でとことん考えてやる工夫。最後は熱意です。」
「単純な4つの言葉ですが、やり続けて成果を出そうと自分に誓いました。そのうち、それまではずっと自分のために働いていたことに気づきました。能力もスキルも給料も自分のことだけを考えていたのです。でも、タイには現地の社員がいて、責任を負うのは私です。彼らのことを真剣に考えるようになりました」
 
何時も通りに、私が27年間勤務した会社ではどうであったかを思い出しつつ批評します。
1)社員に対してどんな時も、良い気を送り続けなければいけない思いました。
   会社の社風として自己本位みたいなところがあり、又上意下達が尊ばれた職場なので、上司が部下に対して「良い
   気を送り」等という発想は無かったと思います。私個人は職場でも年齢が高いという事もあり、役員とか事業部長の
   話なんかは聞き流している方でしたが、若い社員は上司や管理部門から「良い気」どころか色々な注意事項がメー
   ルでどんどん送られてくるので、胡散臭いという風に感じていたのではないかと推測をしていました。
   職場環境の活性化になるだろうと想像して、村社会の象徴である社内運動会をやる事くらいの発想しか出ないし、
   元々精力的に仕事をする雰囲気でも無いのを役員や事業部長以下の管理職が醸成していたので、社内は減点
   主義の減点を避けるとか問題が発生しても無視するとか、そういう雰囲気にも拘わらず社内弁慶が目立ちたいため
   なのか理由は不明でしたが、他人の仕事に対していちゃもんをつけて威張っている社員がいました、「良い気」どころ
   か「悪い気」を社内にばらまいて益々消極的な仕事の作法に進んでいても誰もそういう社員を咎めなかったのが不思
   議でした。
 
2)ビジネスは時間との戦いなので対応の速さが重要です。
   新しい契約を取り付けるも、常に利益率とか売上高を気にして承認を得なければならないという、仕事の流儀なので、顧客の求めるスピード感には追い付いていなかったと思います。要領の悪い社員とか常に保守的行動を旨とする社員は、何かあるたびに上司にお伺いを立てて承認を得て、ゆっくりと次の仕事に取り掛かるという仕事の流儀をしていましたが、多くの社員がそういう仕事の仕方なので、顧客もそういう流儀についていける顧客としか契約できないという結果に陥っていたと思います。特段、業績が悪くても責任を感じない管理者揃いであるのを社員も理解しているので、スピード感を持って問題でも起こした方が余程問題という意識があり、ビジネスのスピード感というのは社内全体に皆無であったと思っています。
 
3)他の人がやっていないことを自分でとことん考えてやる工夫。
   何度も繰り返し書いていますが、社風としての仕事の流儀が常に消極的でリスクを避けて何も問題を生じさせないの
   が重要で、社員は常に道の下ばかり見ているので、前を向いて何か新しい事を考えるという思考は出るはずもないと
   感じていました。平凡を絵にかいたような会社で殆どの事が無思考だと感じていました。私は顧客に対して、常に次
   の一手をえて毎日を過ごしていたので毎日が試行錯誤の日々であったと思いますが、平凡が常識の社内では異物
   みたいに思われていたのだろうと思っていました。
 
4)熱意
   職場が消極的、危険回避、問題無視というような雰囲気なので、若手社員でも中々熱意をもって仕事をするのは
  困難ではなかったのではないかと見ていました。社外に対する交渉が苦手という社風だと思いますが、その一方、異様
  な熱意が感じられたのは社内弁慶が大立ち回りを演じているのを見た時だと思います。少なくとも社外の顧客に対し 
  ては社員としても会社としても熱意を注でいないという風に感じていました。
幾つかのブログをYahooブログからAmebaブログに移転させてみましたが、サイトとしてYahooブログの方が完成度は高いというのが分かりました。Amebaは作りが素人っぽいので表示もラフで検索もまともに出来ない状態でした。Amebaブログのジャンルに芸能人だけが別枠であるのを見ると、大衆受け狙いでアクセス数を増やそうとしているのかなと感じました。Amebaブログを保管庫として利用する分にはアクセス数が多いのでサイトを閉める不安も無さそうなので、不満がありつつもこのブログも9月中には移行をせざるを得ないかなと思います。
 
私が27年間勤務した会社での働き方は、転職から10数年くらいと事業部長からパワハラを受けた後10数年で全く変わりました。個々の事象については既に過去のブログで書いていますので割愛しますが、前半の10数年は年齢応以上にものすごく多忙且つ疲労感も高い日常を過ごし、多くの有名企業と新規契約を結びましたが、基本的には転職前の会社で積んだ経験を生かして実績を積むことが出来たということかと思いました。
この時、余りにも業績が目立ったので、特定の役員や社員のねたみを買う事になり嫌味を陰でこそこそと言っているのを知り、変な会社だというのを感じていました。事務所の廊下で、そういう社員に出会っても、挨拶もせずに知らん顔をして通り過ぎるので、変な気分にさせられていたのを思い出します。そういう社内の陰鬱な雰囲気を打ち消していたのは顧客との無駄話で、社内とは全く逆に顧客とはどんどん仲良くなっていくばかりの時でした。
忙しくて、昼飯も食べる時間が無い時は,地下鉄のホームでサンドイッチを食べてスケジュールをこなしていました。夏の暑くて、じりじりと陽が照り付けている、歩道に木陰さえも無い様な場所を歩くときには、歩きながらアイスを食べて少しでも暑さを忘れようとしていたのは今でも鮮明に覚えています。

事業部長からパワハラを受けた後は事業部長を見る目が変わり、自己防衛を図らねばならない会社であるというのを知りました。私が過去に契約した全ての顧客を取り上げられて閑になったのは、超多忙から解放されたという意味では不幸中の幸いとでも言うべきかとは思いますが、精神的ストレスはかなりあった時期と思います、多分この頃に大腸癌が生まれたのだろうと推測をしています。
その後、幸いにも新しい顧客と契約を結ぶことが出来て会社の中でも存在する意味が出来たと思います。業績を上げるために思案し、顧客を抱き込んで大枚の自腹接待を繰り返して業績を飛躍的に向上させたことが出来たのも年相応の経験があったからと思います。顧客の癖の或る課長は毎週接待していたのですが、会社には殆ど請求しなかったので、会社的には交際費費も並で業績は驚くほどに上がったので無視することができなくなったと思います。
この時は役員であろうと上司であろうと、新規に契約した顧客には手出しをされたく無かったので、クレームとか顧客からの無理難題は自分の手の内で処理していました。当然、自己中心主義の会社であるというのは私が全面に立っているがために薄まって、顧客には気づかれないでいたと思います。
職場でも年齢が高いので中々声がかけづらい社員になっていたと思いますが、時々変な社員がいちゃもんを付けてくることがあって、一体全体自分の給料が誰から貰らえているのかさえも理解していない、と推測される社員がいるという問題を感じたことは何度もありました。同時に、凡人が暇だと碌なことは考え付かないという事例かとも思わされたりもしました。
職場では役員とか部長から色々な注文が出ましたが、そういう事案の出どころは全て保身とか減点主義の減点を避けたいと言う個人的なものが根元にあり、社員を鼓舞しようとか支援しようとするようなものではないというを見抜いていたのは年齢相応の経験があったからとも思いました。
8月15日日経新聞の「私のリーダー論」に京セラ谷本秀夫社長が2回登場したのに驚きました、先回の記事が好評だったのか、元々2回分の記事だったのかは不明ですが、とても教訓的で私の勤務していた会社とは別世界の話と理解をしました。内容は稲盛イズムの宣伝みたいな面もあると感じましたが、言っていることは至極まっとうなものだと思いました。以下に記事の一部を紹介します。
 
・・・リーダーのあり方について稲盛氏から何を学びましたか。
1982年入社の私たちの世代は稲盛に直接怒られたりすることはあまりありませんでしたが、リーダーに求められる一番の資質として良く説いているのが『人間力』です。」
「社長就任にあたっては『人間性を高めなさい』と言われました。日々反省するとか、謙虚にしておごらずとか、利他の心とか、人間として何が正しいのか、入社以来、稲盛の講和をまとめた冊子で読んだりするなかで、たたき込まれて行きました。やはり放っておけば人間、自分が一番かわいいわけです」
・・・稲盛氏と事業の具体策もはなしますか。
「事業のことを報告しますが、『ああしろ、こうしろ』とはほとんど言わなくなりました。変えるべき部分は私が怖がらず変えないといけないと思います」
・・・アメーバ経営の経験はどう生きていますか。
「入社3年目くらいから社員1時間当たりの労働でどれだけの価値を生むかを示す『時間当たり採算表』を作りました。最初は、若いので精神論で『これくらいできるだろう』と予定を組むのですが、やってみると意外に大変で、実績が全く伴わないのです」「若いうちに失敗を繰り返すので、見なければならない範囲が広がって、どのようなことに気をつけて管理しないといけないかが体に染みつきます。問題が起こった部門の採算表を見れば、何が起こっているのかに目星をつけられます」
 
早速、上記記事と対比して、私がサラリーマン退職まで27年間勤務した職場ではどうであったかを思い出してみたいと思います。
1)リーダーに求められる一番の資質として良く説いているのが『人間力』です。・・・やはり放っておけば人間、自分が一番かわいいわけです
    私が勤務していた職場で人間力なんて言葉は聞いたことがありません。しいて言えば、大酒を飲むことを人間力と勘違いしている社員は大勢いたと思います。親会社の取引先は固定されていて、業績は取引先企業によって左右されるだけで、仕事は定型的業務なので、そこに人間力なんてものは入り込む余地が無く、そういう環境に長年勤務していた親会社から流れてきた社員が大勢いたので、親会社とは全く違う業種なのに同じ流儀で人間力の無い仕事をしていました。
    記事に書いてある「自分が一番かわいい」が詰まるところ、実務は部下任せ、問題は先送り、教育は適当な不明
    な教育会社任せ、仕事より社内ルールと称するものを優先して社内評価の減点を避けるのが流儀だったと思いま
    す。そういう職場には人間力ではなく上意下達というものしかなかったと思います。
    そういう環境だから村社会の象徴である社内運動会なんてものを開催していていても不思議に思わない社員が多
    数だったと推測をしています。
    自己の都合を優先する企業で、その自己とは利益確保・問題の所在は常に相手にある、というようなスタンスで顧
    客と対応していたと思います。少し気の利く会社であれば、適当なときに契約を打ち切っていたと思います。残るの
    は、契約の見返りをあからさまに要求する顧客とか、世間知らずのベンチャー企業が主な顧客になっても不思議で
    はないと思いました。私が苦心の末に契約した顧客も、担当者が変わると契約解除されていたのは、社員が社内
    の空気をそのまま顧客に出していたのだろうと推測をしています。
    何度も引き合いに出した、役所体質の顧客の新基幹システム更改プロジェクトで、散々顧客を虚仮にしてにして
    いたのは『利他の心』が皆無であったということの好例であったと感じています。
3)入社3年目くらいから社員1時間当たりの労働でどれだけの価値を生むかを示す『時間当たり採算表』を作りました。
   社員という個人単位の考え方は無く、業績は部とか事業部単位での管理しか出来ていませんでした。個人より組
   織優先という風土であり、個人が活躍して目立つと嫌がられるような職場でした。同時にノルマは担当者に割り当て
   られるので、部長や事業部長は実質何もしないで上納金を貰うだけで、そこには個人当たりの効率化・高度化等と
   いうのは思考外のことだったと思います。
個人当たりの採算と言いだすと、部長や事業部長は実務をしないのでゼロしか書けないと思うと、そういう考え方自
体が即座に否定される職場であったと思います。
88日付日経新聞の「私のリーダー論」、京セラ社長谷本秀夫氏の記事です。日経新聞のこのコラムを読むたびに、私の勤務していた会社との違いを感じさせるものであったので感想を書いてみました。
・・・
社長就任から2年。リーダーとして心がけていることはありますか。
「稲盛がいつも言っていますが、『謙虚にしておごらず』ですね。立場が偉くなっただけで私が偉くなったわけではありません。みんなの話はちゃんと聞けるようにしています」
グループ7万人の従業員に何を訴えますか。
「最も力を込めて言っているのは『積極的にチャレンジしよう』ということです。京セラが急成長した時代は、とにかく新製品を次から次へと出さなければならず、チェレンジの連続という風土がありました。しかし京セラも大企業になり、特に2000年のITバブルをすぎた頃には、組織が大きくなりすぎてチェレンジしづらい雰囲気が出てきました」
「チャレンジして成功するのが勿論一番良いことですが、京セラにはチャレンジして失敗した人も評価される文化がかってありました。一番ダメなのは何もしない人、というのが稲盛の教えです。その考えを復活して活気ある会社にしたいと思っています」
・・・
 
50年も前、私が新入社員として工場に配属され、航空機の電子搭載機器開発プロジェクトに関わっていた時に、私の担当ではありませんでしたが2cmx3m位の薄いセラミック基板に炭素を焼き付けて回路を作り、そこに米粒のようなトランジスタとか抵抗を半田付けし、窒素を充満させた小さな缶に封入してハイブリットICなるものを作っていました。その時、セラミック基板に炭素を焼き付けるのを発注したのが京セラだったので記憶に残っています。当時プロジェクトで扱っていた電子部品は米国最先端もので日本では作れませんと断られていた事も多々ある中で、セラミック基板が日本でも出来るのだというのは驚きでもあったということです。
転勤後、私がコンピュータの営業職で色々なメーカーの情報を収集する中で、京セラの事業というのは割合早く変わっていくのを感じていました。私はホストコンピュータ営業で大汗をかいて靴の底ばかりを減らして歩き回っていたのですが、当時京セラは会社規模も小さかったので決断が早いのかなと推測していましたが、情報処理事業が不採算になると見るやさっさと止めていくので逃げ足が速い会社だと思っていました。
 
私が退職まで27年間勤務した会社では業種が異なる親会社から分かれて出来た会社ということもあり、最先端の情報処理業という業態にありながらも職場環境は異業種の親会社風土がそのまま持ち込まれていたのが違和感を与えていたと思います、勿論親会社から流れてきた社員には違和感等はなく当然という感覚であっただろうと推測をしています。
京セラの稲盛という強烈な経営者が出ることもなく、何事も消極的な発想がベースで最初から逃げ腰になるような事を繰り返していたり、何か失敗したりすると社員全員が事件とは無関係を装ったりして、流れのはやい業界の動きにはついていけなかったという風に見えていました。
一番ダメなのは何もしない人、というのが稲盛の教えです。と言われると、私の勤務していた会社では何もしないのが最良という役人根性が染みついているので、京セラとは真逆な会社であったといううのを改めて知らさせるような記事であったと思いました。
 
Yahooブログは新規登録できるのも9月初旬ということなので、いよいよAmebaに移行しなくてはならないのかと、長年登録してきたYahooブログを去るのはすこしばかり寂しい気分です。
昨日の日経夕刊「私のリーダー論」というコラムはタニタの谷田社長のモットーが紹介されていました。「上にたつものほど働け」と「変化を是とせよ」というもので痛快に感じました。オーナー会社であるが故に割と自由に発言もできているのかなとも思えました。面白かった部分を抜粋してみました。
「・・・米国法人で働いていたころです。当時も今もドイツ系のXXXさんという人が社長を務めているのですが、彼の働きぶりを見て目指すリーダー像が固まりました。米国人は皆、家族を大切にし定時に帰宅するものと思い込んでいましたが、彼によれば、米国人でも働く人はめちゃくちゃ働くとのことでした。彼自身も超ハードワーカーでした。」
「日本の経営陣には、仕事を部下だけにやらせ自分は日がな一日座ってのんびりしているタイプもいますが、正反対でした。常にリーダーとして戦略を立て戦術を練り、それが機能するかどうかを顧客とのやりとりの中でテストし、ダメな部分は即修正する。その見事な仕事ぶりに、これこそがリーダーだと目覚めました。部下が『この人にはかなわない』『この人がこれだけ頑張っているなら自分も頑張らなきゃ』と思える上司になりたい。上の地位にあるものほど働かなくてはならないと肝に銘じました」
 
このブログでも同様の趣旨のことは書いていますが、ここまではっきりと断言をされると私の普段思っていた事が述べられていて、まさに同感という風に感じました。
私のブログを読んでいると、私の勤務していた会社では役員や事業部長・部長は現場実務を全く出来ないし、しないという事を何度も書きました、殆どの勤務時間は会議で過ごすというので、前記タニタの社長言の「仕事を部下だけにやらせ自分は日がな一日座ってのんびりしているタイプもいます」というのがそのまま当てはまると思いました。
タニタとは業界も違うのではないかという声もあると思いますが、私の勤務していた会社の職種は情報処理という実物が見えないシステムというものを扱っていたので、タニタの計量器の業界に比べれば顧客との付き合い方も全く違うし、会社の基礎技術力が求められる難しい業界なので、社員はタニタよりかなりの努力を要する職場であると感じていました。
私の勤務していた職場の実態は、上司の働きぶりが硬直しており部下への助言や手助けも出来ないで、かえって手助けしたつもりが悪い結果を生じさせたという事例を噂でよく聞いたことがあります。
一番の勘違いは、自身の役職を顧客に誇示するのはいいとしても、少し会話をしたり何かを依頼されたりすると、役職とは名ばかりで何もできないし役にも立たないのが露見して、顧客に不信感を生じさせ契約内容そのものへの不信にも及ぶことがあったのではないかと思っていました。
会社の体質は一朝一夕には修正出来るはずも無いのですが、その自浄作用さえも見ていなかったので、会社業績は潜水艦が首を出している位なのを延々と続けているように見えていたのだろうと思えていました。
一昨日の日経新聞に「現場を衰退させる形式主義」というコラムがあって、私が勤務していた会社にぴったり当てはまらない記事だと思いました。そもそも新聞記事などというのは一般論として書かれるものが多くて、この題名もそういうものだろうと思いましたが、考えてみれば一般論がそのまま当てはまらない会社というのは、何の特徴も無い会社という事と同義ではないかとも言えると思います。確かに、同業他社に比べて何か大きな差別的技術があるわけでもなく、親会社の冠だけが唯一の特徴とも言える会社なのを改めて知らさせられたようなものかなと思いました。
 
このコラムでは以下のような説明がされていました。
行き過ぎた形式主義が現場の思考停止を招いている。不祥事が起きるたび新たな制度やルールが作られる。それら全ての規則を守ることを目的化してしまい、現場力の著しい低下を招いている。
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ガイドラインやマニュアルなどへの依存は責任の所在を分散させ、組織的に動かすには便利な手段だ。だが職場の対話や各人が考えたり、五感で感じ取ったりという人間本来の能力を低下させている。洞察力・思考力・対話力といった能力は一旦失われてしまうと容易には取り戻せない。経済環境が好調な時こそ、コストと時間をかけてでも人を育てるという視点が不可欠だろう。
 
私の勤務していた職場では、何か事件が起きても役員や管理職の誰もが責任を負わず放置するというのが通常で、担当者が仕方なく後始末をするというのが実態でした。その反面、何もない日常には管理職が、ルールだルールだというのを声高に叫んでいて社員にプレシャーを掛けていたので、この新聞記事の書かれている通り洞察力・思考力・対話力などいうものは殆どの社員からは欠落していたと思います。
元々、役員や事業部長・部長は現場の仕事が出来ないのにノルマだけ押しけていたのが、普通の会社とは大きく違う点だというのは何度も書いてきましたが、上司が自身では実務も出来ないのに部下に紙一枚でノルマを押し付けたり、何か会社に不都合な事が起きると何もしないで嵐を過ぎ去るのを待つが如く知らん顔して担当者任せにするという職場環境が社員の能力を委縮させていたのではないかとも思います。
社内では形式主義どころか自己都合主義が正々堂々とまかり通っていたとも言え、新聞記事よりももっと悪いパターンと言えるのかも知れないので、鈍感な社員にとっては自己都合主義で一見何もしないので済むのが仕事も楽そうに感じていると見受けられたので、社員の劣化という事態も起こっていたのではないかとも思えて考えさせられました。
私の仕事に対する態度とか姿勢というものは、退職後に振り返ってみて考えると、会社にとって、いいとこ取りばかりされていたと思えました。私が思案を重ねて苦労して顧客から要求された難問を1年以上もかけて解決したところで御礼一つ言われるでもなく、それどころかパワハラを仕掛けてくるという常識では考えられない環境でした。システムエンジニアからは案件を振ったところで、私の足を引っ張って失敗をさせようとする意図が見え見えの対応をされるし、そんな職場でも知らん顔して平然として顧客から受託した案件を一つ一つこなしていくばかりの日々を送りました。そんな環境でも会社に利益をもたらすのがサラリーマンの使命と考える態度は転職前の会社で身についていたせいと思いますが、ある意味では奇特な社員だったのかとも思えました。
職場で、そういう事態が生じていた私の置かれた立場から逆説的に見ると、役員から事業部長・部長までがメッセンジャーボーイ程度の仕事しかしないのを一般社員も見定めていて、自身が考えて仕事をするというのは論外と思うのは自然で、仕事に対する姿勢は他人から頼まれればしますよとか上司から依頼されたらするとか、ある意味ではノルマに対しても消極的になり自ら考えて動こうともしないので、実際日ごろは暇で仕方がなく、それでも上司からは暇だと指摘されたくないので机上でエクセルでもいじくり回していて忙しそうな振りをしたり、急に依頼がありと忙しそうに見積作成をしていたのは社内からの依頼であったというような状態であったと思えました。社員も閑になると職場での目立ちばかりが気になり、そういう事を気にしない私の存在が煙たくて異人のように見えていたので、色々な嫌がらせを思いついたのではないかと推測をしています。
 
普通サラリーマンは年満とか自己都合とかに拘わらず退職すれば縁が切れると思いますが、私の場合は死ぬまで27年間勤務した会社とのつながりができてしまったと思います。以前にも書きましたが、事業部長のパワハラで精神的に不安定な時期を経てしばらくした後、勤務中に自覚症状のないまま大腸癌を発症したので、10年以上経過しこぶし大まで肥大した大腸癌は退職後70歳になって摘出しました。しかしながら、余りにも長い間、大腸癌に気づかなかったので大腸癌は他の臓器に転移していました、昨年4月から1年間転移した大腸癌の化学療法を続けましたが薬効が無く中止する事にしました。抗癌剤の服用を止めたので抗癌剤の副作用も徐々に減少していますが、抗癌剤というのは相当に強い毒作用を正常な細胞にも及ぼしていたので完全に副作用から抜け出せるのは半年後位ではないかと予想をしています。体調は段々と以前の状態に戻りつつありますが、時々副作用が波のようにザッと襲ってくる時があるので、抗癌剤というものの恐ろしさを感じています。
ブログでも何度も書きましたが、27年間勤務した会社は、マスコミで広く知られていたようなセクハラ事件でも全否定を堂々とするような会社なので、私の様な退職後に会社に在籍中に発症した大腸癌は、一社員の健康管理が不十分であったと述べたところで、過去の事実であり何をいまさらとして論外な事実であると考えるだろうとは容易に推測できます。毎年1回の健康診断は受診をしていましたが、健康診断では産業医が気づけないほどに見た目には健康であったという事だった思います。
しかしながら、在籍中に大腸癌が発症したのは事実であったので、大腸癌の存在は会社に在籍中から退職後も続き、とうとう死亡するまで続くということなので、発症時期に在籍していた会社とは大腸癌というものを通じて地下水脈の如く脈々と死亡するまで続くという事になりました。 
私が新しい顧客との契約を締結すると、自身の前向きな性格上どんどんと契約を増やしたいというサラリーマンの誰もが直面するような行動をしようとしたのはごく普通の事だと思いました。
社内の技術部のシステムエンジニアの中には、私が新規に契約した業務に対して、業務を遂行するのに担当するシステムエンジニアを決めるのにひどく消極的態度を示したり、場合によっては失敗をするように仕組んだのではないかと思われる事をしたりとして、私が契約した新しい業務に対して、社内の技術部門から明らかに足を引っ張るような行為が度々行われたのは忘れられません。こういう職場環境を生み出した背景は、役員や管理職に加えて、事業部長や部長という現場で実務を微塵も遂行しないで会議ばかりに時間を潰して高給を得ている姿を社員は見ていて、職場は自然と実務でのノルマの達成とか仕事のやりがいなんかには興味も出ない雰囲気になるので、社員はヒラメとかコバンザメを演じて何とか上司に気に入られようとし、自身も早く実務をしなくて済む楽が出来る地位に上りたいという努力ばかりがまかり通る職場であったのだろうというのが感想です。
勿論、私が顧客から受託した業務に対して、足を引っ張るだけでなく協力的なシステムエンジニアもいましたが、私の受託した仕事に対して、足を引っ張る社員が一人二人だけではなかったのに対して、協力的だった社員はわずかであったという事実だけが残りました。
当然の事ですが、自身が担当する顧客に対して、社内で技術部門のシステムエンジニアが私の足を引っ張るような事をしているというのはおくびも出さず、社内での孤立無援のという状況でも自身で対応策を考えて実行していたので、顧客から受託した仕事に対しては十分に満足をさせていたと思っていました。
事業部長によるパワハラから始まり、社内での顧客からの受託業務に対する非協力的なシステムエンジニアの存在とか、実務をしないでノルマのみを伝達する役員以下メッセンジャーボーイ程度の仕事しか出来ない管理職の存在などという職場環境でした。そういう環境なので、或る管理職が如何にも大事ぶってサーバ内のデータセキュリティを声高に述べていても、肝心の社員の机上は顧客情報があふれた紙が散乱して誰もが閲覧可能であったという矛盾に役員以下誰一人として気づくことも無く指摘も出来ないので、企業として本質的なセキュリティ対策も出来ていないということが実証されたようなものだと思っていました。
 
こうして振り返ってみると、システムエンジニアが私が受託した業務に対して足を引っ張るような事をしても、年配者だけに面と向かってこれなかった事だけが救であったかなと思います。ブログを書いていて、27年間勤務していた会社というのは果たして如何なるものであったかというのは今でも結論は出せませんが、私はえらく忍耐力だけはあったのかなというのは分かりました。在籍中は毎年人事管理シートへの記入が義務付けられており、人事管理シートの欄の中に性格を記入する項目がありました。長年書いているので毎年同じ単語を記入していましていて、頑固とか前向きであるとかは書きましたが、我慢強いという単語は書き忘れていたというのが退職して5年も経て漸く気づきました。
こうしてブログを書いているうちに段々と職場分析が進んで、大半の社員そのものが如何に保守的・自分本位・無責任を貫いていて、会社として重要な顧客のことなどは頭の片隅にも無いというのが判ってきたと思います。
口先ばかり達者な営業マンや役員に踊らされている顧客か、あるいは、いい加減な体質を逆手に取って私的を含めた色々な要求をしてくる顧客ばかりが残り、真面目に契約や対応の質を見ている顧客が一旦は契約したものの機会を見て契約解除をするケースがあったと思います。
私が50歳代の時、事業部長からパワハラを受けて担当していた顧客を全て外された後、新任の営業部長は酒を飲ませれば顧客はどうにでも出来ると、平凡で下世話な発想しか出来なかった結果として、顧客との信頼関係も作れずに顧客から不信任を突き付けられた如く、厳しい契約見直しを迫られたり契約解除をされたりする報告を事業部長にしていました。そういう悪い報告を新任営業部長がひそひそと事業部長席前でする度に、事業部長は苦虫を噛んだような顔で私の座る席の方を見ていたのが思い出されます。
 
私が会社の業績を上げようとして社内で孤立無援でも黙々と新規の顧客獲得の努力していたのは、自身の性格によるところが大きいと思いますが、顧客から受託した業務の達成感というものがあって、それによって社内での評価が上げようとかは考えてもいませんでした。ここに、大半の保守的・自分本位・無責任を貫いている社員との意識差があったと思います。
私が国内でも名の知れた顧客と契約を結ぶと、役員が褒めるどころかケチをつけたりしていたのはその表れでした。そういう役員の発言をうけて、私の受託業務を支援する筈のシステムエンジニアの責任者が役員を忖度して、私の仕事の足を引っ張ることを始めたのでした。社内のシステムエンジニアが非協力的態度を赤裸々に示すので、私は顧客と相談して顧客情報システム部の外注システムエンジニアの協力を得て顧客からの仕事をこなすようにしたので、顧客の担当者だけでなく関係する外注のシステムエンジニアと益々懇意になっていくばかりで、社内のシステムエンジニアとは縁を切ってほっとしたのもつかの間、今度は別の古狸のような技術者が契約にいちゃもんをつけてきたということもあり、嫌というほどに会社の内向きで自分本位で顧客の事情を一切考えないという体質を身に染みて感じた時がありました。
この顧客無視の体質は後年、私が退職まで担当した役所体質の顧客の基幹システム再構築プロジェクトで、受託した事業部のシステムエンジニアが5機能提案のところ4機能しか出来ませんと説明した挙句に費用は変わらないと説明していましたが、常識では一つ機能が減れば20%は費用が減少するという、小学生でも出来る算数が出来ないと思いました。顧客の無知を利用して費用は変わらずと無理やり契約してプログラムを納品後に、顧客の一役員が矛盾に気づいて、騙された発言があったにも関わらず、何の対応をしなかったのは顧客無視という体質が脈々と引き継がれてきた結果、当然といえば当然として起きた事件だと感じさせられました。
転職後27年間は、自身は仕事=生活であったというのを感じているが故に、職場の雰囲気は27年間変わることなく鬱陶しいものであったというのを余計に感じていたと思います。それ故に私が年配者で扱いが難しい上に、変に業績を上げているので無視も出来ずに職場の隅に放置されていたと思います、同時に時々社内ルール順守とか表面的な行動禁則という嫌がらせにしか思えないメールが来るので気分が悪くなっていました。
役員や管理職はメッセンジャーボーイに徹して実務をしないのにも関わらず、私用の飲み代を会社の経費で処理していたのは周知の事実であったので、社内ルールとかコンプライアンスを遵守すべき役員や管理職が率先して社内ルールとかコンプライアンスを破っていて、部下にはコンプライアンスを厳守せよとはよく言えたものだと厚顔無恥とはこのことかと思ったのは何度もあります。
某弱小事業部の事業部長は業績が悪いのを理由に、部員にはタクシー利用を停止させて経費を削減しようとしていました。業績が悪いから、社員にはどんどんとタクシー利用を促進させてでも行動を活発にして、同時に自らも朝から晩まで社外に出て実務をこなすくらいの姿勢を示すのが業績の悪い事業部を担当する事業部長のあるべき姿だろうと感じていましたが、実際は他の事業部長同様に役員のメッセンジャーボーイしか出来なくて、朝から晩まで自席にどっしり座って、部下に文句だけを言う嫌がらせしか出来ない仕事ぶりを見た時もありました。
システムエンジニアと称する社員の技術レベルが低いのを、自らの技術レベルの客観評価も出来なくて、変な製品開発を手掛けて失敗しても失敗と評価も出来なくて、社外で売れなければ社内で使わせて開発費用を回収すれば良しとした思考は、普通の常識ある人間には理解不能な事実であったと思いました。
 
情報処理業を生業とする以上、会社の格付けとか業績の裏付けとなるのはシステムエンジニアの技量に基づくと思っていますが、システムエンジニア自身の技量は技術レベルの高い仕事を多く経験しているかどうかという問題でもあると思います。会社の格付けの高い会社にはそれなりの技量を求める仕事が多く、格付けの低い会社には技量を求められない仕事しか回ってこないのは自然な事実だと思います。システムエンジニアは技術職なので経験を積んでいけば自然と難しい仕事をこなさなければならない時が来ると思いますが、格付けが低い会社では技量を求めない仕事ばかりが舞い込むので、システムエンジニアの技量は上がらず、そこにはシステムエンジニアの会社間格差というものが自然と生まれていると思います。
役員や管理職が情報処理業界における確たる会社の将来像を描けないのは、情報処理に対する知見・知識不足や、システムエンジニアの業務理解不足に加えて、サラリーマン根性が深く染みついていて社内はトラブルなく毎日安穏たる時間を過ごせれば良しとし、無意識のうちに問題把握思考が停止している事にあると思えました。問題意識があれば自身の能力範囲で何らかの動きがあると思いましたが、そういうことは経験したことがありませんでした。
縁あって入社した会社ですが、不思議と思えば不思議だなと感じる会社に勤務していたと思います。業績は伸びなくても倒産もせず、何とか食えているうちは何も変われず変わらないのだろうと思っています。