8月15日日経新聞の「私のリーダー論」に京セラ谷本秀夫社長が2回登場したのに驚きました、先回の記事が好評だったのか、元々2回分の記事だったのかは不明ですが、とても教訓的で私の勤務していた会社とは別世界の話と理解をしました。内容は稲盛イズムの宣伝みたいな面もあると感じましたが、言っていることは至極まっとうなものだと思いました。以下に記事の一部を紹介します。
 
・・・リーダーのあり方について稲盛氏から何を学びましたか。
1982年入社の私たちの世代は稲盛に直接怒られたりすることはあまりありませんでしたが、リーダーに求められる一番の資質として良く説いているのが『人間力』です。」
「社長就任にあたっては『人間性を高めなさい』と言われました。日々反省するとか、謙虚にしておごらずとか、利他の心とか、人間として何が正しいのか、入社以来、稲盛の講和をまとめた冊子で読んだりするなかで、たたき込まれて行きました。やはり放っておけば人間、自分が一番かわいいわけです」
・・・稲盛氏と事業の具体策もはなしますか。
「事業のことを報告しますが、『ああしろ、こうしろ』とはほとんど言わなくなりました。変えるべき部分は私が怖がらず変えないといけないと思います」
・・・アメーバ経営の経験はどう生きていますか。
「入社3年目くらいから社員1時間当たりの労働でどれだけの価値を生むかを示す『時間当たり採算表』を作りました。最初は、若いので精神論で『これくらいできるだろう』と予定を組むのですが、やってみると意外に大変で、実績が全く伴わないのです」「若いうちに失敗を繰り返すので、見なければならない範囲が広がって、どのようなことに気をつけて管理しないといけないかが体に染みつきます。問題が起こった部門の採算表を見れば、何が起こっているのかに目星をつけられます」
 
早速、上記記事と対比して、私がサラリーマン退職まで27年間勤務した職場ではどうであったかを思い出してみたいと思います。
1)リーダーに求められる一番の資質として良く説いているのが『人間力』です。・・・やはり放っておけば人間、自分が一番かわいいわけです
    私が勤務していた職場で人間力なんて言葉は聞いたことがありません。しいて言えば、大酒を飲むことを人間力と勘違いしている社員は大勢いたと思います。親会社の取引先は固定されていて、業績は取引先企業によって左右されるだけで、仕事は定型的業務なので、そこに人間力なんてものは入り込む余地が無く、そういう環境に長年勤務していた親会社から流れてきた社員が大勢いたので、親会社とは全く違う業種なのに同じ流儀で人間力の無い仕事をしていました。
    記事に書いてある「自分が一番かわいい」が詰まるところ、実務は部下任せ、問題は先送り、教育は適当な不明
    な教育会社任せ、仕事より社内ルールと称するものを優先して社内評価の減点を避けるのが流儀だったと思いま
    す。そういう職場には人間力ではなく上意下達というものしかなかったと思います。
    そういう環境だから村社会の象徴である社内運動会なんてものを開催していていても不思議に思わない社員が多
    数だったと推測をしています。
    自己の都合を優先する企業で、その自己とは利益確保・問題の所在は常に相手にある、というようなスタンスで顧
    客と対応していたと思います。少し気の利く会社であれば、適当なときに契約を打ち切っていたと思います。残るの
    は、契約の見返りをあからさまに要求する顧客とか、世間知らずのベンチャー企業が主な顧客になっても不思議で
    はないと思いました。私が苦心の末に契約した顧客も、担当者が変わると契約解除されていたのは、社員が社内
    の空気をそのまま顧客に出していたのだろうと推測をしています。
    何度も引き合いに出した、役所体質の顧客の新基幹システム更改プロジェクトで、散々顧客を虚仮にしてにして
    いたのは『利他の心』が皆無であったということの好例であったと感じています。
3)入社3年目くらいから社員1時間当たりの労働でどれだけの価値を生むかを示す『時間当たり採算表』を作りました。
   社員という個人単位の考え方は無く、業績は部とか事業部単位での管理しか出来ていませんでした。個人より組
   織優先という風土であり、個人が活躍して目立つと嫌がられるような職場でした。同時にノルマは担当者に割り当て
   られるので、部長や事業部長は実質何もしないで上納金を貰うだけで、そこには個人当たりの効率化・高度化等と
   いうのは思考外のことだったと思います。
個人当たりの採算と言いだすと、部長や事業部長は実務をしないのでゼロしか書けないと思うと、そういう考え方自
体が即座に否定される職場であったと思います。