88日付日経新聞の「私のリーダー論」、京セラ社長谷本秀夫氏の記事です。日経新聞のこのコラムを読むたびに、私の勤務していた会社との違いを感じさせるものであったので感想を書いてみました。
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社長就任から2年。リーダーとして心がけていることはありますか。
「稲盛がいつも言っていますが、『謙虚にしておごらず』ですね。立場が偉くなっただけで私が偉くなったわけではありません。みんなの話はちゃんと聞けるようにしています」
グループ7万人の従業員に何を訴えますか。
「最も力を込めて言っているのは『積極的にチャレンジしよう』ということです。京セラが急成長した時代は、とにかく新製品を次から次へと出さなければならず、チェレンジの連続という風土がありました。しかし京セラも大企業になり、特に2000年のITバブルをすぎた頃には、組織が大きくなりすぎてチェレンジしづらい雰囲気が出てきました」
「チャレンジして成功するのが勿論一番良いことですが、京セラにはチャレンジして失敗した人も評価される文化がかってありました。一番ダメなのは何もしない人、というのが稲盛の教えです。その考えを復活して活気ある会社にしたいと思っています」
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50年も前、私が新入社員として工場に配属され、航空機の電子搭載機器開発プロジェクトに関わっていた時に、私の担当ではありませんでしたが2cmx3m位の薄いセラミック基板に炭素を焼き付けて回路を作り、そこに米粒のようなトランジスタとか抵抗を半田付けし、窒素を充満させた小さな缶に封入してハイブリットICなるものを作っていました。その時、セラミック基板に炭素を焼き付けるのを発注したのが京セラだったので記憶に残っています。当時プロジェクトで扱っていた電子部品は米国最先端もので日本では作れませんと断られていた事も多々ある中で、セラミック基板が日本でも出来るのだというのは驚きでもあったということです。
転勤後、私がコンピュータの営業職で色々なメーカーの情報を収集する中で、京セラの事業というのは割合早く変わっていくのを感じていました。私はホストコンピュータ営業で大汗をかいて靴の底ばかりを減らして歩き回っていたのですが、当時京セラは会社規模も小さかったので決断が早いのかなと推測していましたが、情報処理事業が不採算になると見るやさっさと止めていくので逃げ足が速い会社だと思っていました。
 
私が退職まで27年間勤務した会社では業種が異なる親会社から分かれて出来た会社ということもあり、最先端の情報処理業という業態にありながらも職場環境は異業種の親会社風土がそのまま持ち込まれていたのが違和感を与えていたと思います、勿論親会社から流れてきた社員には違和感等はなく当然という感覚であっただろうと推測をしています。
京セラの稲盛という強烈な経営者が出ることもなく、何事も消極的な発想がベースで最初から逃げ腰になるような事を繰り返していたり、何か失敗したりすると社員全員が事件とは無関係を装ったりして、流れのはやい業界の動きにはついていけなかったという風に見えていました。
一番ダメなのは何もしない人、というのが稲盛の教えです。と言われると、私の勤務していた会社では何もしないのが最良という役人根性が染みついているので、京セラとは真逆な会社であったといううのを改めて知らさせるような記事であったと思いました。
 
Yahooブログは新規登録できるのも9月初旬ということなので、いよいよAmebaに移行しなくてはならないのかと、長年登録してきたYahooブログを去るのはすこしばかり寂しい気分です。