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広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島に県、市、県議会、市議会、経済団体を挙げ、中国総領事館を誘致する計画があります。
経済にばかり走り、国家安全保障を考えない誘致計画に警鐘を鳴らします。

長らく「党員数は10万」としか言わなかった参政党が、9月16日大阪府貝塚市の街頭演説で「全国、今、9万人の仲間・・・」と発表し、党員が1万人減少していることを示しました。

 

これは、全国で最初の支部長(和歌山支部)に就任した、党の要人、林元政子が、街宣の冒頭50秒で発したものです。内情を最もよく知る人物からの発言であり、党内外に衝撃が走りました。

 

(タイム指定してあります。再生から最初の5秒だけお聞きください。)

 

党員1万人もの減少は、次の書き込みに象徴されるように、驚きを持って受け取られました。

 

参政党ウォッチャーは、参政党が虚偽の数字ばかり並べてきたことを知っており、新たに発表された9万という数字自体が嘘であると見做しています。

一般の人たちにも、この虚偽体質は知られるようになってきています。

 

同日の街頭における党代表神谷宗幣の演説には、党員数減少による危機感が滲み、否定的に受け止められています。皆さんは、この演説をどう受け止められるでしょうか。以下の動画に併せて、この演説を聞いた人たちの反応もご覧になってみてください。

 

このブログでは、読者の皆さんが、2023年9月9日に行われた参政党のフェスとはいったい何であったのか、さまざまな視点から捉えることができるようにとの考えから、それぞれ異なる立場から発信された、ルポや体験記を、私の判断を交えずご紹介しています。

 

今回ご紹介するのは、齊藤諒さんというクリスチャンの方のフェス参加体験記です。聖書研究会「ブドウの木」はすでに16年以上活動している上に、書籍や絵本を日本や韓国で出版してきた実績のある団体であるようです。今回、「ブドウの木」から20名の方がまとまって参加しています。

 

参政党代表の神谷宗幣はこれまで度々、キリスト教を厳しく非難・攻撃していることから、クリスチャンが参政党をどのように捉えているのか、どのような考えに基づいて参加しているのか、たいへん興味深いと思います。

 

 

 

 

一昨日の9月13日のエントリーで、神谷宗幣がフェスの翌日、9月10日の米子の街宣において、衆院選の候補者を下方修正したことを報じたばかりです。

こちらのエントリーのコメント欄で、私からコメントをいただいた方への返信で、衆院選の公認の"引き剥がし"が始まっており、14日には東京第30区の作本純子さんが、公認取り消しを発表していることをお伝えしていました。

同時に、東京第26区 大隈優子さんについても公認の"引き剥がし"が行われたのではないかとお伝えしたばかりのところ、本日15日未明、ご本人からまさにその通りの発表がなされました。

いずれも、公認の辞退要請は、9月9日のフェスの最終的な集金結果を待たずして、8月中に行われています。どちらのケースにおいても、公認辞退要請を受けてから、これを受け入れ公認辞退の発表を行うまで、地元での活動を支持者たちと共に継続していることから、辞退者が党からの要請を一定期間留保していたことは明らかです。

 

公認の"引き剥がし"という党の仕打ちに対して、早速、党内外から、党本部(神谷宗幣)に対して非難の声が上がっています(それぞれの方のXのコメント欄をご覧ください)。

 

公認辞退の要請を受け入れた本人たちからの発表が粛々と行われる一方で、党本部からの発表がないことは、党に対する非難の声に油を注ぐことになるでしょう。

 

この流れは今後も続いていくと思われ、この引き剥がしがどこまで行われるのか、また公認を"剥がされた"党員たちが今後、離党にまで進むのか、関心が向けられます。

 

昨日14日には、この他にも、加藤秀視がアドバイザーの辞任を発表、

赤尾由美が県連に送信したというコメントが外部に流出しています。

 

すでに、参政党では本部のガバナンスがほとんど利かず、情報が漏れ続けており、党員の間にも不安が広がり、今秋にも行われると急速に永田町で囁かれ始めた解散総選挙に向けて党をまとめ切れるか、この点にも注目が集まります。

 

 

 

 

9•9参政党フェスで「至誠」を毛筆で書くパフォーマンスがあった。「HERO’s Rising」と左下に書き添えられた英語が「至誠」との組み合わせにより、”英霊”が(再び)起きる、に重なり戸惑いを感じた。『会場は「ほおお…」とか「すごいねぇ」とか言いながら大喝采。』(潜入ルポ)であったそうだ。

 

政治家が何かと好きな「至誠」。選挙の時に色紙に書いて贈る習慣があるようだ。一方、庶民が使う機会はほとんどない。

 

参政党フェスの主催者は、この言葉が歴史的にどんな使われ方をしてきたか知っていて、このパフォーマンスをプログラムに組み込んだのだろうか?ただの孟子の引用ではない。

 

もう8年以上前になるが、静岡高校の校歌について論評した。

(以下は、こちらに目を通していただいた上で読んでいただければ)

 

静中静高校歌の2番は次のようになっている。

二、 至誠を色に 表はせる  唐紅(からくれない)の 旗幟(はたじるし)
   義勇奉公 四つの文字  掲げて共に 進むべし

 

これは1916年、つまり大正5年に作られた歌詞で、この時代、すなわち第一次世界大戦に参戦し、ドイツの南洋諸島および山東省青島の東アジアにおける拠点を日本が占領した勇ましい時代、交戦中の日本の世相を反映したものである。

 

まず「唐紅」とはどんな色なのか押さえておこう。よく知られているのは、小倉百人一首の

 

「千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは)

からくれなゐに 水くくるとは」(在原業平)

https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/1039/

であろう。

 

そう、「からくれなゐ」とは、紅葉の色。ここでは川面に落ちて敷き詰められるように広がった紅葉が綺麗だと歌われている。静岡高校のスクールカラーで、校旗の色ともなっている。と同時に、参政党のカラーにも近いが、橙色ではない

 

校歌は、「至誠」を唐紅という色で象徴し、これを旗じるしとして掲げて進むと謳う。旧制静岡中学の校旗には文字通り「義勇奉公」の四文字が刺繍で縫い付けられていた。

 

次に、今ではあまり聞き慣れない「唐紅」について調べていくと、軍歌『勇敢なる水兵』の表現に辿り着く。その3番はこうなっている。

 

三、戦い今か たけなわに
  務め尽くせる ますらおの
  尊き血もて 甲板は
  から紅に 飾られつ

 

李有姫という方が、大阪大学へ提出した博士論文で、軍歌『勇敢なる水兵』の背景について書いていることがわかりやすいので少々長いが引用する。

 

この作品は、1894 年(明治 27)9 月の黄海海戦を背景としている。当時、清国の「定遠」「鎮遠」などの北洋艦隊と日本の連合艦隊が激戦をくり広げる中、旗艦「松島」が敵弾を受け、100 人余りの兵士が死傷した。その際、「松島」の三浦虎次郎海軍三等水兵が腹部に重傷を負ったが、通りかかる向山副長に「敵の鑑 定遠はまだ沈みませんか」と声をかけると、「安心せよ、定遠は大破した」という返事を聞いて安心しながら息を引き取ったという新聞記事 が報道され、これに多くの国民が感動した。

 

この作品で注目すべき点は、水兵の壮絶な死を美化したものとして、昭和期にも影響を与えた「歌謡化された戦争美談」の初めての例であることだ。歌詞は、特に、『新体詩抄』の「抜刀隊」の影響であると推測される「皇国」、「玉の緒」といったの表現のほかに、「勇者」(ますらお)、「皇軍」( みいくさ)など、『万葉集』の「防人歌」においてよく用いられた言葉も目立つ。

 

これは、『万葉集』の研究で知られる著名な学者である佐佐木信綱が、短歌結社・竹柏会(1899 年)の主宰者として新和歌運動を通じて展開した個人の学問的性向から考えると当然の帰結だろう。また、防人歌などで登場している天皇と国家に対する忠義や献身のイメージに沿った言語表現を選び、軍歌に流用することにより、忠節・犠牲精神の効果を高めようとした意図もあったであろう、ということが推察される。」32ページ。

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61833/

 

この方が、論文の中で万葉集にまで言及しながら、「至誠」と「から紅」の両方について言及がないことについては惜しまれるが、この軍歌の由来の説明には十分である。

 

以上のような背景からわかるように、『勇敢なる水兵』の「から紅」は軍艦の上で水兵が流した血の色を指している。翻って、静岡中学の校歌に登場する「至誠」とは血を流し、命を捧げることで示される天皇に対する忠誠を意味していたのである。

 

『勇敢なる水兵』は、明治に作られた後、歌い継がれて、昭和の大東亜戦争でも海軍で歌われた。

 

海軍将兵の回顧録を読んだ人ならば馴染みがあるだろうが、敵機の攻撃、古くは敵艦艇からの砲撃により被弾し、流れた人の血液はねっとりとして、そのままでは甲板が滑り、生き残った水兵が戦闘を継続することができなかった。そのため、次の攻撃が始まる前に、海水を撒いて肉片と一緒に甲板を洗い流したのである。

 

この甲板上の血が、海水が撒かれることで薄められ広がった状態を、ちょうど川面に落ちて水面を覆ったから紅の紅葉の様子に、詩的に重ねて表現したのであろう。戦争で命を失うことが身近な時代のことであるから、散っていく桜だけでなく、散る紅葉によってもまた、失われゆく人の命を表したのだろう。

 

日本に天皇や皇室が大切なのは論を俟たない。幕末、吉田松陰の座右にあったことから政治家が好んで使うのであろう。現代ではその使い方も変わってきてはいるのだろう。

 

とはいえ、以上のような背景を歴史(わずか80年前)に持つ「至誠」を、その意味を探ることもなく軽々に掲げ、やり取りすることには、全くもって違和感しかなくそれでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである

 

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※無断転載を禁じる。

 

追記:2025.1.9

昭和12年(1937年)頃の話として『漢口慰安所』という本の中に、次のような記載が見つかったので引用し追記しておく。

「当時、人々の間で歌われた『病院船の歌』は、彼女らの辛苦の幾分かを示していると思われる。ここでその一節を紹介したい。

 身は船暈(ふなよい)に悩まされ 血を吐きつつも看護(みとり)す吾等

 腕(かいな)に付けし赤十字 赤き至誠の色に燃ゆ

・・・」

ここでは赤を「至誠の色」と述べ、唐紅に近い色で表現している。赤十字の意匠は、アンリ・デュナンの出身であるスイス国旗の白地に赤をひっくり返したものであり、直接血を表すものではない。とは言え、引用部分のすぐ前(同ページ内)に「重態の傷兵には、輸血のため看護婦の血が採血された」と、その場の状況が説明されたばかりであり、歌詞の前段「血を吐きつつも」が、後段と対の表現(血と赤)になっているものと受け取られていると考えるのが自然である。ここでも、当時の日本人にとって至誠が血の色で表現されることは普通のことであり、至誠は自らの血を流すことによって示されると考えられていたことが窺える。

引用の出典『漢口慰安所』201ページ 長沢健一著 図書出版社 1983

 

参政党が、フェスの翌日、早くも、衆院選で出す候補者数を大幅に下方修正した模様です。

 

まず、先月末、代表辞任が発表された定例記者会見をご覧いただきます。

2023年8月30日 13分30秒から15分40秒まで。

https://www.youtube.com/live/nROpjCvuHkE?si=NYKj8QE98grMPOBs&t=808

 

ここでは、合計で102名の公認候補が決まっていること、内訳が、男性54名、女性48名であること、目標は130名であることが発表されました。

 

しかし、2023年9月10日の米子市における神谷宗幣の街宣を取り上げた山陰中央新報社の記事では「全国で100人ぐらいの候補者を立てる」となっており、話が合いません。目標の大幅な下方修正が行われたことが考えられます。

 
 


同街宣の動画を確認すると、59分16秒から

確かに、「次の衆議院選挙…我々は100人くらい候補者を出して戦います」、「小選挙区では…お金がないので全国には出せないんです、でも比例の候補者は必ず誰か出てもらいますから…」と話しています。

 

国政選挙では、小さな政党は(小)選挙区で勝っていくのが難しいため、比例で当選を目指すのが議席獲得の定石です。そして、小選挙区で候補者をたくさん立てると比例票が増えることが知られており、各党とも比例票を出すために、落選覚悟の候補を小選挙区にたくさん立てます(これを俗に"かかし"と呼ぶことがあります)。小選挙区に候補者を立てられないということは、すなわち比例票が出せず議席獲得が遠のくということを意味します。

 

ここで神谷は「金がない」と発言していることから、9月9日参政党フェスの失敗による資金不足が原因と考えられがちですが、これに加え、昨日9月12日に、伊東市で、公認候補が突然離党宣言したように、参政党の選挙に候補者として名乗りを上げる人がいなくなっているという事情も併せて関係していそうです。


このところ、参政党の公認候補者が公認を辞退、場合によっては離党して選挙を戦うことがしばしば見られるようになっていましたが、今も党内では、水面下で公認辞退の動きが活発化していることがウォッチャーの皆さんの調査でわかっています。参政党というプラットフォームではもう選挙は戦えないという判断があるのでしょう。

 

8月30日時点で102名と発表された衆院選の公認候補が最終的に何名になるのかは、今後の一つの注目点となるでしょう。