あちゃー🤦♀️(´△`)💦 https://t.co/5noNtJoNGQ
— 🌕のんちゃん🧡🧡🎌参政党🌸🌕 (@nonno_joker) September 11, 2023
様々な形で使っていただきとても嬉しいです。少しでもこの場にいらっしゃった方々に響くものがあればと思います。
— 書家 玲泉(Reisen) (@Shihok0629) September 10, 2023
目指すこと叶えたいことは人それぞれですが「志」同じ方々が集まった時のパワーは何にも負けないと思いました。
私自身も次世代へと繋がることを考えて行きたいと思います。#至誠 pic.twitter.com/t2oa6iFPTN
9•9参政党フェスで「至誠」を毛筆で書くパフォーマンスがあった。「HERO’s Rising」と左下に書き添えられた英語が「至誠」との組み合わせにより、”英霊”が(再び)起きる、に重なり戸惑いを感じた。『会場は「ほおお…」とか「すごいねぇ」とか言いながら大喝采。』(潜入ルポ)であったそうだ。
政治家が何かと好きな「至誠」。選挙の時に色紙に書いて贈る習慣があるようだ。一方、庶民が使う機会はほとんどない。
参政党フェスの主催者は、この言葉が歴史的にどんな使われ方をしてきたか知っていて、このパフォーマンスをプログラムに組み込んだのだろうか?ただの孟子の引用ではない。
もう8年以上前になるが、静岡高校の校歌について論評した。
(以下は、こちらに目を通していただいた上で読んでいただければ)
静中静高校歌の2番は次のようになっている。
二、 至誠を色に 表はせる 唐紅(からくれない)の 旗幟(はたじるし)
義勇奉公 四つの文字 掲げて共に 進むべし
これは1916年、つまり大正5年に作られた歌詞で、この時代、すなわち第一次世界大戦に参戦し、ドイツの南洋諸島および山東省青島の東アジアにおける拠点を日本が占領した勇ましい時代、交戦中の日本の世相を反映したものである。
まず「唐紅」とはどんな色なのか押さえておこう。よく知られているのは、小倉百人一首の
「千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは)
からくれなゐに 水くくるとは」(在原業平)
https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/1039/
であろう。
そう、「からくれなゐ」とは、紅葉の色。ここでは川面に落ちて敷き詰められるように広がった紅葉が綺麗だと歌われている。静岡高校のスクールカラーで、校旗の色ともなっている。と同時に、参政党のカラーにも近いが、橙色ではない。
校歌は、「至誠」を唐紅という色で象徴し、これを旗じるしとして掲げて進むと謳う。旧制静岡中学の校旗には文字通り「義勇奉公」の四文字が刺繍で縫い付けられていた。
次に、今ではあまり聞き慣れない「唐紅」について調べていくと、軍歌『勇敢なる水兵』の表現に辿り着く。その3番はこうなっている。
三、戦い今か たけなわに
務め尽くせる ますらおの
尊き血もて 甲板は
から紅に 飾られつ
李有姫という方が、大阪大学へ提出した博士論文で、軍歌『勇敢なる水兵』の背景について書いていることがわかりやすいので少々長いが引用する。
「この作品は、1894 年(明治 27)9 月の黄海海戦を背景としている。当時、清国の「定遠」「鎮遠」などの北洋艦隊と日本の連合艦隊が激戦をくり広げる中、旗艦「松島」が敵弾を受け、100 人余りの兵士が死傷した。その際、「松島」の三浦虎次郎海軍三等水兵が腹部に重傷を負ったが、通りかかる向山副長に「敵の鑑 定遠はまだ沈みませんか」と声をかけると、「安心せよ、定遠は大破した」という返事を聞いて安心しながら息を引き取ったという新聞記事 が報道され、これに多くの国民が感動した。
この作品で注目すべき点は、水兵の壮絶な死を美化したものとして、昭和期にも影響を与えた「歌謡化された戦争美談」の初めての例であることだ。歌詞は、特に、『新体詩抄』の「抜刀隊」の影響であると推測される「皇国」、「玉の緒」といったの表現のほかに、「勇者」(ますらお)、「皇軍」( みいくさ)など、『万葉集』の「防人歌」においてよく用いられた言葉も目立つ。
これは、『万葉集』の研究で知られる著名な学者である佐佐木信綱が、短歌結社・竹柏会(1899 年)の主宰者として新和歌運動を通じて展開した個人の学問的性向から考えると当然の帰結だろう。また、防人歌などで登場している天皇と国家に対する忠義や献身のイメージに沿った言語表現を選び、軍歌に流用することにより、忠節・犠牲精神の効果を高めようとした意図もあったであろう、ということが推察される。」32ページ。
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61833/
この方が、論文の中で万葉集にまで言及しながら、「至誠」と「から紅」の両方について言及がないことについては惜しまれるが、この軍歌の由来の説明には十分である。
以上のような背景からわかるように、『勇敢なる水兵』の「から紅」は軍艦の上で水兵が流した血の色を指している。翻って、静岡中学の校歌に登場する「至誠」とは血を流し、命を捧げることで示される天皇に対する忠誠を意味していたのである。
『勇敢なる水兵』は、明治に作られた後、歌い継がれて、昭和の大東亜戦争でも海軍で歌われた。
海軍将兵の回顧録を読んだ人ならば馴染みがあるだろうが、敵機の攻撃、古くは敵艦艇からの砲撃により被弾し、流れた人の血液はねっとりとして、そのままでは甲板が滑り、生き残った水兵が戦闘を継続することができなかった。そのため、次の攻撃が始まる前に、海水を撒いて肉片と一緒に甲板を洗い流したのである。
この甲板上の血が、海水が撒かれることで薄められ広がった状態を、ちょうど川面に落ちて水面を覆ったから紅の紅葉の様子に、詩的に重ねて表現したのであろう。戦争で命を失うことが身近な時代のことであるから、散っていく桜だけでなく、散る紅葉によってもまた、失われゆく人の命を表したのだろう。
日本に天皇や皇室が大切なのは論を俟たない。幕末、吉田松陰の座右にあったことから政治家が好んで使うのであろう。現代ではその使い方も変わってきてはいるのだろう。
とはいえ、以上のような背景を歴史(わずか80年前)に持つ「至誠」を、その意味を探ることもなく軽々に掲げ、やり取りすることには、全くもって違和感しかなく、「それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである」。
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※無断転載を禁じる。
追記:2025.1.9
昭和12年(1937年)頃の話として『漢口慰安所』という本の中に、次のような記載が見つかったので引用し追記しておく。
「当時、人々の間で歌われた『病院船の歌』は、彼女らの辛苦の幾分かを示していると思われる。ここでその一節を紹介したい。
身は船暈(ふなよい)に悩まされ 血を吐きつつも看護(みとり)す吾等
腕(かいな)に付けし赤十字 赤き至誠の色に燃ゆ
・・・」
ここでは赤を「至誠の色」と述べ、唐紅に近い色で表現している。赤十字の意匠は、アンリ・デュナンの出身であるスイス国旗の白地に赤をひっくり返したものであり、直接血を表すものではない。とは言え、引用部分のすぐ前(同ページ内)に「重態の傷兵には、輸血のため看護婦の血が採血された」と、その場の状況が説明されたばかりであり、歌詞の前段「血を吐きつつも」が、後段と対の表現(血と赤)になっているものと受け取られていると考えるのが自然である。ここでも、当時の日本人にとって至誠が血の色で表現されることは普通のことであり、至誠は自らの血を流すことによって示されると考えられていたことが窺える。
引用の出典『漢口慰安所』201ページ 長沢健一著 図書出版社 1983
