こんばんは。
雫石雪乃です。
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続きです。
この本の中で、
「いい人の仮面を被って、本当は怒っているのに怒っていないふりをしたり、悲しいのに笑ってみたり、そういうことをして本当の気持ちをなかったことにしたり、誤魔化したりすれば、その抑圧された感情、みてみぬふりをされた感情はゴモク(感情のゴミ)となって自分の中にとどまり続ける。
いくら忘れたと思い込んでいたとしても、それはずっと存在し続けるのだからとにかくそのゴモクをちゃんと向き合って、綺麗にしなさい。自分の中を掃除しなさい。
人間は気の変換装置なのだから、そのゴモクを綺麗にするというお役目をちゃんと果たさないと本当の意味での幸せというものは手に入れられませんよ」
というようなことが繰り返し、繰り返し、手を替え品を替え、言葉を変えながら述べられています。
「ゴモクを綺麗にしなさい」「人間は気の変換装置」ということがなぜこんなにも繰り返し述べるのかといえば、やはり考え方をいくら変えたところで「気が変わらない」からです。
あ、気が変わらないとは言い得て妙ですね。
まさに気が変わらない。本当の意味で考え方が変わらない。これです。
今、私のそばに猫のゆきちゃんがいますが、思考と感情のエネルギーというのは、私とゆきちゃんぐらい別のものです。いくら私が自分を変えたところでゆきちゃんは変わりませんし、ゆきちゃんがどれだけこれ以上可愛くなったところで私が可愛くなるわけではありません。
それぐらい思考と感情というものは別物です。
<ここで「無視」は「怒り」ですか?という質問が入りました>
誰かに対して「無視」をするということでしょうか?
それは無視をすることでどんなアピールをしているかにもよるでしょうね。
「私は怒ってますアピール」なのか、
「あなたと話すことは怖いので無視しますアピールなのか」
「どうせ話したって分かってもらえないでしょう?」
という拗らせた承認欲求なのか。自分の心で感じてみてください
この辺に関してはずっと以前にエネルギーコントロールというお話を書いたのでそちらの方が分かりやすいかもしれませんね。
(今読むと非常に拙く、解釈が浅いですが💦)
この関係性でみていくと、無視をするるんさんはおそらく傍観者ということになるでしょうね。
ちょうどいいので、この「無視をする」という方法でどのように相手の気(エネルギー)を奪っているかを考えてみましょうか。
相手を無視するという行為で、自分は何をしようとしているのか?
それをよくよく考えてみると、
「なぜ自分がこんなにも怒っているのか相手に考えて欲しい。察してほしい」
と思っているとしましょう(要するに自分は何もせずに相手に自分のことを理解してもらおうとしているということですね)
そうすると相手はどういう状態になるかというと、
「あのひとはなんで怒っているんだろう?」
「いつになったら無視するのをやめてくれるのだろう??」
「自分が一体何をしたのだろう?」
とあなたに気をとられ続けることになるかもしれません。
こうなればあなたの思う壺かもしれませんが、あなたはそうやって相手の注意を惹き続けることによって、相手のエネルギーを奪い続けていることになります。そして相手を疲弊させ、弱らせているのです。
これが最初に言った、「奪う」という行為の例の一部です。
こうして誰かの気を奪いながら、
「嫌なことばかり言うあの人が悪い人で、わたしはかわいそうなんだ。わたしは被害者なんだ」
と悲観的になり、自分がどれほどまわりのエネルギーを奪っているかに気がついていない人が大勢います。
この辺のコントロールドラマについてはわたしが書くよりも『聖なる予言』を読んだ方がわかりやすいかな?と思います。
無視するという行為一つにしても、
「無視してやる!」
と思うよりも先に、
「あの人と話をしたくない」
という気持ち(エネルギー)が強く働くと思うんですね。じゃあ、その
「話したくない」
と思うエネルギーの正体はなにかというところに目を向けたらいいと思うんです。
普通に話したいと思うけれど、胸に何かがつかえてうまくできない。
そう思うのであれば、その胸のつかえをじっくりと味わってみたらいいのです。
すると、それが
「悔しさだ」
と思うかもしれませんし、
「憎しみだ!」
と気がつくかもしれません。
要するに、そういう悔しさや憎しみというエネルギーに突き動かされてようやく「無視する」という行為にまで至っているという訳です。
無意識の領域にはそれだけ膨大な、自分を嫌な奴にするゴモクが溜まっているということです。
この「無視をする」という行為を、反対の無視される側の人の例を上げながら1つお話をします。
ブログに何度か書いているので覚えている方もいるかもしれませんが、以前、
「子供がテレビに夢中になっていて、わたしが声をかけても返事をしないとすごく頭に来る」
という方がいました。
もし、わたしが同じシチュエーションになった場合、
「ああ、子供たちは今テレビに集中しているんだな。CMになったらもう一度声をかけよう」
と思って腹は立ちません。
じゃあ、なぜ彼女は腹が立って、わたしは腹が立たなかったのか。
それはわたしがいい人だからです!
・・・なんてそんなはずはありません。笑
ではなぜそこにそんな違いが生まれるのか?それは・・・
わたしの記憶に無視されてすごく悲しかった。嫌だったという記憶がないからです。
そういう「無視される」という行為に対するゴモクがわたしにはないのです。
だから同じシチュエーションになってもわいてこない。それだけのことです。
じゃあ、このクライアントさんの場合どうだったかというと、子供に無視されてものすごく腹が立った時のシチュエーションを思い起こしてじっくりとその怒りを味わってみたら、子供の頃、お父さんにかまって欲しくて話しかけていたのに、テレビに夢中でこっちをむいてくれないどころか、返事もしてくれない。
そういう場面記憶と共にものすごい悲しみに襲われたのです。
要するに、彼女は
「子供達がテレビを見ていて自分に注意を向けてくれない」
という場面を通して、遠い日の悲しい記憶を無意識の領域でフラッシュバックしていたのですね。それに気がつかないからこそ、
「無視をする子供が悪い」
ということになり、子供を悪者にして叱りつけていたのです。
この場合も、彼女を動かしていたのは、寂しさや悲しさが熟成されて変質した怒りや恨みといったエネルギー。
ここまで読んで分かったかもしれませんが、要するに感情って湧き出てくるエネルギーなんです。
ただのエネルギー。だから、そこにいいも悪いもないんです。
だから、「怒る」という行為一つにしてもいいも悪いもない。
「怒る」という行為を「悪いこと」と定義してしまうからこそ、それを自分の中に閉じ込め、自分が今どう感じているか、なにをしたいのかが話からなっくなってしまう人が大勢いるのです。
無視するお子さんに対して腹を立てていたクライアントさんの例を見ればよくわかると思うのですが、彼女が腹を立てたことは本当に悪いことでしょうか?
違いますよね。
彼女は自分の中の悲しい記憶に振り回されて、パニックを起こしてしまったにすぎません。
だから、そういうパニックを起こしてしまう自分に気がついて過去の傷を癒してあげれば良いだけなのです。
それなのに、
「怒ることは悪いことだ」
と決めつけるからこそ、自分の怒りを認めることが怖くなり、怒ってしまう自分を責め、人に相談することもできなくなってしまうのです。
続きます。
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