前回までは…。
1話はこちらから♡
結婚して1年半が経ち
母となったわたしは、
日に日に成長していく
娘のすがたを見て
幸せな気持ちに
満ちていました。
夫は相変わらず自分中心で、
娘にもあまり関心がなく、
気が向いた時だけ
相手をする感じでした。
夫には、
妻がいてこどもがいる
という家族のフォーム(形)
だけが重要だったのです。
要するに
世間体さえよければ
内情はどうでもいい
レンタル家族のような
ものでした。
娘が8ヶ月の時に義父が
亡くなりました。
その時、
夫と義母の2人から
「あなたは他人だから。
葬儀には参列しないで。」
と言われたわたしは
それまでのいろいろなことを
振り返って、
さすがに我慢の限界に達し
ひそかに
離婚を決意しましたが、
乳児を抱えての離婚は
リスクがありすぎ、
結局実行には
移せませんでした。
その後は小技を使って
夫に無関心を装ったり、
無視をしたりしながらも
それらはいっときのことに
過ぎず、
状況は悪化する一方で
年月だけが
過ぎていきました。
結婚から5年経ち、
わたしは
3人のこどもの母
となりました。
育児に忙しく、
相変わらず次なる作戦に
なかなか進めない毎日を
送る日々でした。
うつうつとした日々の連続に
自分が潰れて
いってしまうのを感じ、
「このままではいけない!
ここから脱出しよう!」
まだはっきりとした形には
なっていませんでしたが、
私の決心はだんだんと
強くなっていきました。
義父が亡くなってからは
義母は当然のように上げ
膳据え膳で、
毎回食事にやってきました。
このころから、
夫と義母はふたりで組んで、
わたしに食事を与えないように
じわじわと攻撃してきました。
わたしは「家政婦」ですから
作るだけ。
3人のこどもたちを
食べさせ終えて
さて、食べようとすると
わたしの食べる分すべてを
義母が翌日のお昼にと
持って行ってしまうのです。
授乳中は
普段よりお腹が空くので、
私は夜中にまるで
「盗み食い」のように
こっそりと
ご飯を食べていました。
自分が炊いた「白いご飯」に
お塩だけをかけて…。
夫に見つからないように、
そ~っと。
だって「家政婦」だから…。
やっぱり「盗み食い」ですよね?
泣きながら、
私は「塩かけご飯」を
食べていました。
みじめでみじめで、
逃げ出したい…、
と思いました。
ちょうど同じころに出産した
仲良しのお隣の奥さんに
「ねえ、どんどん
痩せていくけど大丈夫?
病院へ行った方がよくない?」
と心配されるほどでした。
162cmの私は41kgにまで
体重が減っていました。
夫はそれを知りつつも
わたしの体調を
気にかけてくれるでもなく、
知らんぷりをしていました。
わたしには、
もうこどもたちだけが
心のよりどころです。
そんな夫もどうでもいい
レンタル妻子を
世間体と自分のために
夏休みだけは海外旅行に
連れて行ってくれました。
5歳・3歳・1歳の
こどもたちを連れてグアムへ
旅行した時のことです。
わたしたちは海に入って
遊んでいました。
すると沖の方から
急に高潮がやってきて
みるみるうちに
海水が上昇していきます。
周囲の海水浴客も
急いで退散していくなか、
泳げないわたしは夫に
こどもたちを
託そうと見まわすと
夫はすでに一目散に
逃げていて
砂浜の遠くを
走っていました。
やっとのことで3人を連れて
ホテルに戻ると、
なんと!!!
夫はひとりでビールを飲んで
くつろいでいたのです。
命の危険もあったのに、
とおもうと
わたしは猛烈な怒りが
こみあげてきました。
「どうしてこどもたちを
連れて行って
くれなかったの?」
夫の答えは…
「奥さんなんていつでも
調達できるし
こどもだって持てるけど、
自分が死んだら
終わりなんだから、
そんなの当たり前でしょ?」
と平然と言い放ったのです。
あきれてものも言えません。
この時わたしは
2度目の離婚の決意を
したのでした。
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